第百九十七話 虚弱体質冒険者と相棒の過去
錨を下ろして停泊すると島の主の結界内部に入った様で嵐による揺れも無く無事に夜を迎えた。
制止も聞かず下船しようとした者が何名か出たようだが、細かく刻まれた何かが海面に撒き散らされる音とそれを貪る何かの音が聞こえた辺りで皆無言で船室へと姿を消した。
「想像していたよりも鋭利で、剃刀のような切れ味で細切れにされる結界だったよ。」
「あの手の結界は見た目は禍々しいが対象を苦しめる意図が無いから実は慈悲深い、私も昔あれよりももう少し粗い結界でバラバラにされた事があってね。」
『賽の目切りのステーキを食いながらそういう話題を楽しそうに出来ないと神の代行者は勤まらないのか』
上等な調度品と楽団による優雅な演奏が流れる食堂の展望エリアから結界の向こう側に雷撃乱れる嵐の海が望める。
サロンからも一望できるであろうがあそこは此処より数段姦しい事だろう。
「半魚人達の楽園か、なるほど人間を拒絶して生きて来たならば上陸は許されまい。」
ナイフフォークを巧みに扱い煮野菜をソースに絡めて食べるも酸味に目を顰めるラゼルにウェイターが水を差し出している。
「暇になったらまた泳ぎに来たいね、ゴールディが憶えてる水泳技術の全てを試してもみたい。」
ボソボソしてふっくらさとは無縁な重い黒パンをスープに浸し乍ら食べるジョーも余り良い表情とは言えない。
『使命が無ければ確かにのんびりしたいところだ、ゴミ一つ落ちてない良い砂浜だった』
腕を組み脳裏に焼き付けた美しい砂浜をゴールディは反芻しているようだ。
思い思いに食事や感想を述べながら三人は食卓を囲む、とは言えゴールディは完全にラゼルの内部に存在している者ではあるが……葡萄酒を片手にラゼルが呟く。
「与えられた使命は知っての通り"復活の阻止"だが、何が復活するのかと言う肝心な部分の託宣を受けていない、こんなにも情報の少ない使命は長く神の代行者を務めているが、これが初めての事だ。」
「それでも何かが復活するとされる場所だけは、二人供知っているんだろう?。」
『東方都市アンヅ、あそこに何かがあったとは聞いた事も無いのだが、託宣に示された時間まで余裕が殆ど無い、陸路に辿り着けてもアンヅまでの道程は強行軍になりそうだ。』
食べ終えた食器を片付けて貰いコーヒーを頼み一息つくと今日何度目かの眩暈に襲われる。
「未熟者の俺には何が何だかわからないけれど、託宣めいたモノはチラ見せ程度には頂いたよ。」
左手を頭に添えながらジョーがラゼルを見て言った。
「土地勘が無いと本当に説明が難しい。」
『地図が無いなら作るしかないな』
「売ってないのか世界地図…病室に貼ってあった世界地図くらい精密なのが欲しいな。」
無いものを強請ったところで仕方が無い。
葡萄酒の水割りを飲み干して各自の部屋へと向かうしかする事など無い、交渉して頂いた時間の間停泊して目的地に向かうまで眠り、到達するまで食って寝る生活だ。
取り敢えずは嵐が無事に通り過ぎてくれる事を祈りながら寝る、これほど揺れない状況でしっかり寝ないのは如何考えても得策では無いからね。
結界に感謝しよう。
翌朝晴天、晴れ、港町フルフルを出航してより五日が過ぎた。
結界の主が住まう島に乗組員が帽子を振って感謝を込めて別れを告げる。
揺れない寝室で眠れる幸せを提供してくれた顔も知らぬ島の主に感謝するのは、あの激しい嵐を見たもの全員の総意であると思う。
揺れる方が好きな御仁には迷惑であったかもしれないが…。
「千年経とうが酷い死にざまは早々忘れやしない、気絶状態に一瞬で陥るのも手立ての一つかもしれないが、お勧めはしない。キミにはゴールディと言う海千山千の賢者が憑いているから死後の動きを指定出来るけど一般的な人間はバラバラになったら組み上げるのは他人が運良く動かせる身体が残って死なずに済んだ場合だけだからね。」
「それでは出来る限り早く蘇生が必要ない強さになるしかないですね。」
「無理難題に近いな。」
『不死身に等しい蘇生の聖法の恩恵を失えば即刻残機が尽きて地に帰るだけだ』
掲げた努力目標が瞬時に叩き折られる人間の気持ちがわかる人が居たら俺はソイツと親友になれる。
「無限蘇生は死霊使いの蘇生術とは違って私が付与権限を持つ神からの贈り物だ、リザレクションとはまた違う。」
『それは永劫に死なない事と同義では?』
「何か含む処でもあるようだなゴールディ。」
『大問題です、ジョーは罪人でもないのに何故不死を与えられなくてはならないのですか』
「それは早とちりだよゴールディ、彼は不老でもないし風化もできる、私には彼の寿命をどうこう出来る権限など無い、間違いなく健やかに死ねる。君が危惧する不老と不滅まで与えられた魔人の中より出でし神に与えられた神罰の足元にも及ばないギフトさ。」
「魔人の中より出でし神について二人から説明を受けたい、教えてくれないか?。」
ラゼルとゴールディが顔を見合わせ、やがてゴールディが居住まいを正し静かに語り出した。
それはゴールディの最初の肉体で得た過去の出来事、遠い遠い過去の物語であった。
呆…と、椅子に縛り付けられて外の景色を見ている幼児が居た。
目線は虚ろ、口元の端から涎をツーッと垂らし、時折呻くがずっと空を見上げている。
幼児の傍では、対照的な利発さを漲らせた幼児が絵本を朗読していた、空が好きな兄に空を旅する少年と鳥の物語を語って聞かせるのがここ最近の彼の日課であった。
朗読を終えると兄の頭を撫でて脇にあった布で兄の口元を拭い、習い事の時間の訪れを示す鐘の音が鳴り出す前に利発な幼児である弟は静かなその部屋を辞して駆けて行く、領主館の一室、それは父にも母にも見捨てられた一族の恥が佇む悲しい場所である。
日々変わるものは少ない。
使用人が手早く室内の清掃を行うために幼児は朝の入浴の為にベッドから運ばれる。
掃除用具と糞尿の後片付けを済ませたバケツをもってメイドが部屋を出て行く頃には綺麗に身支度を整えられた幼児がベッドに戻って来る。
平凡な日常の一コマだ。
天井を見つめる、只々見つめる。決められた時間に食事を与えられ、定期的に身を清められては動けないように身体を固定されて作業の時間まで完全に放置される。
学校より帰宅した弟が習い事に向かうまでの間、絵本の朗読をしてくれる、その僅かな時間だけが楽しみな生活であった。
弟が朗読を終えて習い事に向かう時間が悲しい、考えや感情を一切表に出せない身体に残念な気持ちはあるが、どうしようもない。
ずっとずっとそんな日々が続いた、神による天啓を受け、身体に聖痕が現れても日々の生活は変わる事無く、弟が読み上げてくれる本だけが日々替わり続けた。
弟が十歳の誕生日を迎え、家督の相続などの諸事が決まったその日、弟は兄の手を取り別れを告げに来た。
軍事を学び身に着ける為の学校に入るのだと言う。
弟の居ない生活は微塵も潤いの無い生活になってしまうだろうが、何も言えず何も伝えられないこの身ではそうなってしまう事に抗い様も無い。
弟が私の替わりとして生きる事となった。
神に願った事は弟の事ばかり。
この身体を治して欲しいと願ったが神は応えてくれない。
果たせなかった試練だけが堆く積み上げられる閉じた世界で、とうとう使用人までもが窓を開けることすらしなくなった。
弟が領地の仕置きに帰国したものの屋敷には足を運ぶ事無く、メイドたちの発言で弟が結婚した事を知る。
神の祝福が在らん事を、試練は私が引き受け、未達成の罰は私が受ける。
弟は順調に生きていた、弟の子も順調に生きていた。
試練としての大病や長患いは私が引き受けた、引き受け続けた。
神に願い、叶えて貰った願いに返せるものが無いが何も持たない者から奪えるものは命位のものだから、対価として命を支払う事に同意し続けた。
私は私として生きる事は無く、ずっとこの屋敷の添え物としてあるべきだと知っている。
戦火を運ぶ風が隣国を炙る。
神に願ったが災いは弟を襲うもので避け様の無い運命であるという。
それでも私に神を呪う事は出来ない、出来る事など神に祈り続ける事だけであった。




