第百九十四話 虚弱体質冒険者と久方の風呂
話数間違えたまま放置していた模様。
大変失礼いたしました。
天高く馬肥ゆる秋。
番のユニコーン二頭、牡馬に跨るのは俺、牝馬に跨るのはラゼル。
村唯一の騎馬民族の末裔であるチャガ婆さんの指導の下ラゼルとの模擬戦で汗を流していた。
馬の腹の下にしがみ付いて走ったり、横腹にしがみ付いて斬撃を交わし合ったりと、誠に多彩な戦法を指導される。
短弓による立体的な流鏑馬と言えばいいのか、取り敢えず魔法と弓矢とクォイスの弓矢形態で四方八方に浮かぶ的を射貫く鍛錬が続く。
上半身の柔軟性としっかりした下半身、そして余分な脂が付いていない身体が必要な馬術の数々にラゼルも新鮮な面持ちで指導を受けている。
ボル・チャガ・ティルティがチャガ婆さんの若い頃の呼び名で、愛称で呼んでいいのは旦那だけという厳しい説明がなされた。
チャガ婆さんの氏族は人類大攪拌とやらでチャガ婆さんの血族以外全て海に流されたという壮絶な言い伝えがあるのだという。
以来、山のある内陸に向かったチャガ婆さんの血族と草原に残った血族で血の保存を選んだとのことらしい。
父祖の地である草原を捨てたと云えども家に伝わる馬術は長く伝えられ続けているので、今日俺やラゼルに継承される事と相成ったわけである。
広げた村の敷地は現在、馬とユニコーンの放牧地だ、元々魔物との緩衝地のような場所であったので農地としてよりは足場の良い、戦い易い場として拡張しておきたいと考えられていた場所だ。
森の中や森の傍は元居た世界の様に只の野生動物がいるだけであるならば、危険はそう大したものでは無い、しかしここは異世界、行き成り真横に森があると云うのは、行き成り魔物に襲撃を受けてしまう事と同義になってしまう。
無加工なエルフであるならばいざ知らず、弱体化加工済みのエルフではそのような環境で生きて行くことは厳しい。世界樹の結界が無ければ一週間も生きていられないだろう。
村長一族が張っている結界のお陰で村は存続出来ている、それは村長の一族が元々は魔王城で結界を張っていた一族の末裔であった事が功を奏した形だ。
「初めてここに来たときは邪教の祠があってね、闇の女神の加護で奪還した場所なんだ。」
『闇の大精霊が傷ついて喪われそうになったのもあって急遽、祠を媒介して代替物に加工したりと、色々と混乱の在った場所でもある』
「僕には当時二匹の妖精が憑いていてね、大抵の精霊術を好きなように使えていたけれど、流石に邪教の地を抉り取るのは厳しい戦いだったね。」
『魔王城にも普通の生活を営む人間の家族は居た、この村に住む人達は概ねその人間たちの末裔だ』
村の中心で崩落した地下空洞に俺が落ちて死んでいたところにラゼルが来てゴールディと昔話をしていたようだ。
勿論のことだが、魂だけになっていた俺を相手に語っていたお話なのでキッチリ聴こえてはいた。
祭壇に崩れた魔神像、風化しかけた調度品、誰も管理していない遺物的な空気が其処には漂っていた。
青白く輝く平たい石が少し脈動している。
俺はそれを手に取ると指先でそれに触れた。
「はい、もしもし。」
「お、繋がったか、迷いが無いねキミ。」
驚きと若干の戸惑いが見受けられたが、石に浮かび上がっていた名前で出る気になったのだから迷いなどあるはずも無い。
そもそもラゼル達から鍛えられている鍛錬内容は迷いを無くすための人間的リミッターを解除する鍛錬が主だ、躊躇する理由が浮かぶ前に取り敢えず斬らなくてはならないと教え込まれている。
声の主が言うには”そろそろ時が訪れる”と始まり、幾つかこなすべきクエストを俺に追加して”下山せよ”と言い放って通話を切った。
『やれやれ相変わらずだな』
「いつも突然に言いたいことだけ言って御終いだからな。」
どうやら二人はこの無体に慣れ切っているようでラゼルに至っては荷造りのために小屋から宿泊先である村長の家へと普段通りの気軽さで出て行った。
『心残りのある事は速めに済ませるといい、次ここに来られる保証はないからな』
何とも慌ただしい旅立ちの日を迎える事となったようだ。
「神託が下った。」
いきなりラゼルが村長に言い放った言葉に戦慄が走る。
神など信じられていない俺の世界でこんなことを言えば間違いなく頭がオカシイ輩に分類されてしまう。
勿論、魔王がいるくらいの世界である、村人としては嘗ては魔王側の人間、その末裔だ。
神罰が下る前に気持ち良く追い出す事が出来ればこんなに安い話は無い。
ラゼルから滞在費として金品を渡されて額付く村長と村民、そしてそのラゼルの後ろを追って俺も旅立つこととなった。
使徒として認識されて以降、俺の扱いは壊れモノ扱いから腫れ物扱いに変わった、ああ、なんら大差がないし、こっちの話はいいや。
チャガ婆さんから騎馬民族に伝わるお守りを貰いユニコーンに跨る。
布製の鞍に座り背筋を伸ばして村をゆっくりと出て行く。
憧れの旅だ、五体が震える。
武者震いと慰められてもやはり安寧からの足抜けは怖いものがある。
自分の意志ではなくとも、それが喩え押し付けられたものでも、動く身体と求める心があれば俺は前に進める筈だ、冒険活劇は脳に焼き付いている。
ユニコーンが歩く、ラゼルが先行する道を余裕綽々で追い駆ける。
見送るチャガ婆さんに手を振ると、何時も通り不機嫌そうにこっちを睨んでいた。
病気療養の日々は終わりを告げ、旅の空の下で俺はなんとか歩き出したばかりだ、行く先にある過酷や辛辣な配剤には負けたくはない。
陽光にクォイスを晒しプリズムカラーの虹を描く。
聴けばこの武器は本来言葉を持つものなのだという、本当に認めて貰えるその日の持ち主が俺であればいいと先の果てに見える空を眺めて思う。
何度死ぬのかを想像する事だけは辞めようと、出来そうもない事を願う。
その日、トリエール側の砦から巨大な構造物がギシギシと音を立ててやって来た。
草原の中をひた走る者が一人、また一人と鏖殺されていく、逃げられたものは恐らく居ない。
詳細を掴んだ間者を報告させてはならじと殺し尽くす、それは情報漏洩の恐ろしさを知る者には当然の事であり、知らぬ者には慈悲の無い所業に映る出来事であるだろう。
荷車が列をなして巨大な構造物に付き従う、守り手が遠巻きである事の意味はそれから十二刻の後に誰もが理解する事となる。
打って出た歩兵達が算を乱して逃げ出すも、城外に既に逃げる場所は無く渋々隊列に復帰する。
かなり異様な光景であったが、トリエール側がこれまでこのような包囲戦を仕掛けて来た事が皆無であったため不自然に思いながらも戻って来た兵を再編して防衛戦を再開する。
多少なりとも軍略に精通したものがあれば兵士を即座に長城内に引き揚げさせ、堅く門扉を閉ざし、この街を捨て駒にして別の関門から兵を整えて再出撃する戦略をとったであろう。
取られた戦略は徹底防戦という名の何時も通りの慣れ親しんだ戦法であった。
混戦により城門は開けず、退路を失った形のシルナ軍は包囲が狭められ城門から離される形となったあたりで焦りがその心を支配する事となった。
城門周辺に殲滅魔法を雨のように打ち込まれ持ち場を支え切れずに逃げた結果なのだが、今更それを語ったところで退路が確保できるわけではない。
ブンと何かが風を切る音と共に三人一組で縛られた生者一人に死体二の割合の人間砲弾が長城の向こう側へ立て続けに放り込まれていた。
生者が混ざっているのは悲鳴が聴こえるからであるが、そんな事は些細過ぎる話だ、今戦っているこの場所にも死体と怪我人が転がる修羅場なのだ、死んでも生き残っても結果はあのように投げ込まれる未来しかないとなれば捕虜になるという選択肢が潰える。
世間ではシルナ王国とトリエール王国の小競り合いが始まった時期であり、まだまだ大きな動乱からは程遠い……そんな春麗らかな空気の中、ジョーはラゼルと二人で港町の銭湯で旅の垢を心行くまで落としている最中であった。
「北ではなにやら戦の気配があると商人が話していたな。」
へちまで作られた背中洗いで三助がラゼルの背中を洗っている。
「剣呑だなぁ、もう少し物見遊山で異世界を満喫したいんだけど。」
三助達二人掛かりの垢すりで、背中の垢を剥されている俺。
山腹の温泉以来どれだけ振りであるかも覚えていないハンマームでの入浴である、こちらのヘルパーさん総出の入浴の方が俺には慣れ親しんだ入浴である。
ペルシャ式と言えばもっと判りやすいだろうか、今一つ自信が無い。
爽やかな葡萄酒の水割りを頂きながら風呂を満喫していると、さて旅の目的を忘れてしまいそうになる。
ぶっちゃけ忘れたい。
忘れたくても忘れさせてくれるほど神様は優しさには溢れていないのであった。




