第百九十話 混沌の幕間は終わり客は訪れた
かじかむ手を擦り擦り燃え難い木で作った火箸で灰の中から炭を掘り出す。
この小屋唯一の暖房器具である火鉢に抱きつくように座っているのはこの家の主、ジョーである。
「いや…マジ…ホント…寒。」
春だというのに屋外は猛吹雪、ほんの二日前は快晴で騎士の様な身形の男が旅の道すがら村に宿泊の為に立ち寄ったくらいにはいい天気だったのだ。
旅の騎士も運が良い。村を見つけていなければ、今頃この猛吹雪の中ビバークと言う死と隣り合わせの夜を過ごす事になったかもしれない。
旅人や冒険者の資質にはそう云った巡り合わせの部分に強い運や神の加護が無ければ即死する事態もままあるのだろうなとジョーはひとりごちる。
ゴールディと云えば宿主である俺の身体を気遣って結界を多めに張り巡らせているようだ、これが共存タイプのパラサイトなのかと納得したところで、自作のやっとこというかペンチのなりそこないを用いて取っ手が無くなった鍋を掴み、憎き雪をお湯に変えるべく扉を最小限に開けて雪を山盛り乗せて火鉢の前に戻る、迅速に。
指先を浸食する鈍痛を堪えて火鉢で手を炙りながら寒さに耐え忍ぶ。
ゴルフ好きな院長夫人のケチな暖房切りを思い出しながら二度ほど死に掛けた過去を想起する。
母がゴルフ場のキャディーをしており、その縁で俺の入院が決まったと言う経緯がある。
お気に入りのキャディーとして縛る口実だったのかも知れないが詳しい事など知る由も無い。
ただ、院長夫人がなにかやらかす度に謝る必要のない母が俺にごめんねと謝るのだから察する他はあるまい。
夜十時に暖房を切られたあとは滲み込む様な寒さに耐えて朝を待ち焦がれるしかない。
身体は役立たずだったのでいいのだが頭部周りにくる寒さには堪えた。
俺が使ったナースコールは概ね死に掛けそうな時でその判断だけは神掛かっていたと労われた。
褒める部分が全く無い日常でナースさん達は実に上手く褒められる部分を見つけ出す。
ああいった優しさが今になって有難く感じる、いや、心に沁みるのだろう。
水路当番が隣家の爺さんに替わったがこの季節は雪掻きがあるので実質全員で点検をしなくては川が雪で詰まって村中水浸しになってしまう。
村人総出で除雪と屋根の雪下ろしを毎日行う、旅の騎士様も手伝っているのを見て人間が出来ている人はこういうときも力の出し惜しみをしないのだなと、書物で得た知識を視る事によって補強してゆく。
基本敵に俺の知識は広くて薄い、頭でっかちであると言ってもなんら問題は無い、事実だからだ。
タバコ休憩に入った老人達はさておき、俺はチャガ婆さんの茶店で朝昼兼用の食事を貰いに向かう。
何か食べて飴湯を頂けば間違いなく体温が上昇して温かくなれる、人間にとって食事は大切な事だ、それは胃瘻手術を受けてでも食事を摂取しなくてはならなくなった俺自身痛い程理解している。
この世界に来て消毒する難しさを理解し、このまま幾らか施された施術の維持は不可能と判断し、ゴールディに回復聖法を使い続けて貰いながら引き抜いたチューブ類が教えてくれた。
一々どの様な手術であったかなどを聞かれながらの作業であったから、異常に時間が掛かった覚えがあるのだが、過ぎた事はまぁいいだろう。
人工肛門手術の解消はゴールディの手によるもので、切断して結紮された肛門側の腸と腹側の人工肛門に整形された腸を繋ぎ合わせる大手術であった。
しかし、魔法とは偉大なものだ、傷口が塞がるのを何日も待たなくていいと言うのは何というアドバンテージであろうか、感染症を防ぐという点では魔法治療に現代医学が勝てる見込みは無いだろう。
大凡健全な体に戻すための異物を取り除く手術は喩え魔法治療と謂えども少ない俺の体力を何度も削る事になり、未だに俺は半病人一歩過ぎの三分の二病人であった。
狭い茶屋で相席で飯を食う事など日常茶飯事であった。独居老人の憩いの場であるから普段は老人との語らいの場であるのだが今日は旅の騎士殿が相席である。
一言で云おう、人間離れした美男子だ、そしてゴールディが平伏するくらいの人物…ん?。
「随分と在り方が変わったようだが、壮健で何よりだ"裂帛の軍師"。」
心に直接語り掛けて来るところを見るとゴールディの知り合いか何かなのだろう。
二人の邪魔をしないように食事に専念する。
『お久しぶりです"代行者"様、今は、不手際か神の御意志でこのような有様ですがこの通り健在で御座います』
「積もる話もあるがここは人目が多い、なにより宿主となったその者に説明する時間も欲しい事だろう、今日は顔見せとして、明日以降時間を作ってくれればこちらから訪ねよう。」
俺は静かに顎を引いて了承の意思を伝える。念話自体はゴールディと四六時中会話しているので無意識でも使える。
食事を楽しみながら当たり障りのない会話をして飴湯を味わう。
老人たちは良く判らないカードゲームで飲み物を賭けて楽しんでいるが、ルールが煩雑過ぎて俺には今一つとっつきにくい代物だった。
水路で雪を突く棒を担いで詰まった雪を押し込んだり砕く作業に向かう。
前半は雪掻き、後半は水路の詰まりを直す。それがこの村の冬の過ごし方であった。
コゥェンスリー爺さんの息子さんであるバーバタイト青年会長からもち米を炊いて丸めた物を幾つか貰った。
搗くと言う調理法は伝わっていないので餅はない、餅は無いがもち米があるならば何れ作って見せる。
俺はコゥェンスリー爺ちゃんの名に懸けて誓う事とした。
風呂敷のように薄くは無いが其れなりに大きな布を正方形に切って色々な縛り方で買い物や貰い物を入れて持ち歩く俺を見て老婆たちが興味深げに、やり方を聞きたそうにこちらを窺っている。
恥も外聞も遠慮も無く聞ける人間の方が少ない。教えたがりの俺としては押し売り状態で教えるのもやぶさかではないので我慢できずに教えてしまう。
風呂敷道は奥深い、皆も是非紐解いて貰いたい。
さて、その日の夜、旅の騎士様は平服でみすぼらしい事この上ない小屋に訪れ、火鉢を挟んで差し向かいに茶を啜っていた。
茶葉は旅の騎士様からの差し入れだ、美味い、美味さよりも香りが凄く嬉しい部類だが味のある飲み物はこの村では希少に過ぎる。
徐に結界が張られ、念話が通りやすい環境が構築される。
詠唱無しの瞬間展開、相当な実力者であることが予想されるが、代行者様等と呼ばれる人物が弱い筈もないだろう。
「自己紹介と言っても君はこの世界の人間では無いから名乗ったところで分からないだろう、そのあたりはゴールディから聞いたかい?。」
「精霊を従えて世界を救った救世主にして神の代行者、そして世界の支配者であるとゴールディより聞き及んでおりますが……支配はしていないように感じてます。」
「正解だ、支配権はゴールディに渡した筈だからね、ただ、この通りゴールディに予測不能な事態が発生して世界の支配権が僕のもとに戻って来てしまっている。」
君臨すれども統治せずを文面ママに行ったのがゴールディ、壊れてガタが目立ってきた身体を交換しようとして失敗したのもゴールディ、そして大切な支配権が不測の事態で前の持ち主に戻ってしまったのが今であると言う事のようだ。
『ジョー、言っておくが今までこの作業が失敗した事など一度も無かったのだぞ』
ひょっとしなくとも君臨すらしていなかったのかもしれない。
「支配権を得ると世界に起こる出来事の殆どが把握できる、その対策や対抗策、見過ごすなら事後処理の手段もね、さて、ゴールディ直ぐに支配権を返せそうもないから尋ねるが、君はなぜここに来たんだい?。」
『ジオルナードの封印を強化するためにクォイスを取りに参りました』
簡潔な一言を聞き旅の騎士は少し考え込んだ後村はずれの大岩がある方角を指差して言った。
「アレを邪龍聖神剣にまで育て上げる事が出来るのは人間だけだよゴールディ。」
『彼なら出来る筈です』
餅玉をコロコロと網の上で転がしながら暖を取る三分の二病人をゴールディは指差す。
「君は───踏む気かい?。」
『───断れないからね』
何やら良からぬ相談をしている様に見えるが気にしない事にする。
どちらも似たり寄ったりな存在なのだ、その二人が結託して指し示す道があったとして踏み外す事などさせては貰えないだろう。
春に訪れた客は、後日この世に顕現した混沌に対してどんな感想を漏らすのであろうか……。
丁度一年後、ジオルナードが復活すると彼等が知っていれば無理をさせ過ぎてジョーは死んでいたかも知れない。
そういう管理者権限を超えた部分を操作する神は随分とこの世界のシナリオを気に入っている様であった。




