第十九話 燻る火種と灯と
魔力枯渇の処症状は、動悸、息切れ、眩暈。
自律神経が影響を受け、全身の血液循環が乱れ、脳血流量が低下し不調に陥る。
この世界の魔法は此れと言った制限は無く、マナ総量と個人の限界くらいできちんと精確にイメージしたものや記憶にあるものであれば概ね再現が可能だ。
とは言え脳の処理能力を著しく超えるものは纏めて発動させる事が困難である。
なんちゃってリジェネもその一つであり、あれは効果の全てが手動のようなものだ。助かりはするが効率が物凄く悪い。
治癒魔法の重ね掛けでも概ね大差ない効果がある。但しマナ消費はなんちゃってリジェネの数倍になる。
無駄とか余計とかを見ると省きたくなるのは民族性と言う奴だろうか?。
不整脈を整えて緊張を解し血流を回復する、イメージは母の常備薬だが珍しい生薬とか云うものを用いた猛烈にお高いお薬だ。
大凡、人体実験に近いもので気が引けるが、極弱い効果をイメージして執事長の身体と同調させる。
枯渇したマナを求めた何かが酸欠状態で駆け回っていた。コイツが人間に魔法を与えた何かなのだろうなと当たりを付けて幾つか実験を試みる。
ただ、普通にマナを与えるだけでは、この魔法の意味が無い。なんとかポーションを創る糸口が欲しかった。
結論として、執事長の体調は回復し倒れる前より体調が良いとのお墨付きを頂いたものの、マナ枯渇の真理に至ることは出来なかった。
マナポーションを生み出す事が出来ればもう少し真面なことが出来そうなのだが、これは宿題という事だろう。
貴族だから灯せる常夜灯に油を注ぎ足し、燈心に灯を点す。
広い庭の片隅で腰を下ろして一息付く。
ガチガチに硬い干し肉を齧りながらエールを一杯呑る。この世界にもある月を眺め、その妙な形状に多少呆れる。
心を取り戻せない可能性のある者達に安らかな死を与える決断とどうやら対話が出来そうな者達との面談が待っている。
社会福祉ってのは有難い事だ、物凄く得難いものだ。
充実した福祉ってのは文明国や先進国の輝かしき金字塔ってのは、嘘じゃない。
自分を失って廃人と化しても、面倒を見てくれる社会制度というものは、本当に余裕が無いと実現できないからだ。
それは喩え家族であっても、大変なのだ、「大人数を、面倒見て下さい。」と言うなら資金を出さなくてはならない。
無料で、等とはとんでもない。保険も無い、積み立ても無い、貯蓄も無いでは、どの世界でも生きてはいけないのだ。
半数は死なせてしまうだろうという予想が正しく的中し、安楽死を与えるとは言え、殺しの決断を今また迫られている。
使用人の仕事で自身を忙殺するくらいで無いと、この心は休まり様が無かったのだ。
エールの王冠を栓抜きで抜きながら、きっと遥か昔に、ここを訪れた先人に献杯する。
殴りつけた地面は手入れの行き届いた芝のお陰で、とても人間の感触に似ていた。
タキトゥス公国の人々の呼び名を定める会議に、模範囚的なタキトゥス公国人が集められ、意見を求められたのは、三月の始めであった。
タキトゥスの歴史も公文書も王城も今やこの世界には無い。
そしてこの会議では彼等のタキトゥスと言う呼び名を剥奪する議論が交わされているのだ。
そもそもタキトゥスとは聖地の呼び名であり、神の直轄地であるとされている。
そう言う事情もあってザン・イグリット教の教主から、直々にその栄誉ある呼称を召し上げて、彼等の本当の出身地を呼称すべきだと強く申し入れがあったのだ。
聖イグリット教は、ザン・イグリット教と長く対立してはいたが、残念な事にこの件だけは彼等に同意せざるを得なかった。
つまりタキトゥス側に味方は一人もいない。
聖地タキトゥスは誰の目から見ても穏やかな湖と化し、目障りな物が全て無くなっていた為、苛立ちは泡のように霧散した。
国も跡形も無く消えて、最後は驕り高ぶった選民思想の極地としての部分を剥奪すると言う答えに行きついたわけである。
宗教家とは言わば追い込み猟師のようなものである。
猛烈に根の深い民族対立と宗教対立にこれで終止符が打たれるのだが、ザン・イグリット教としては彼等の奴隷紋を剥し、全ての背教者を神の身許へ送り届ける冪だとして憚らない。
タケルの甘い考えなど裸足で逃げ出す主張である。
聖イグリット教はその点、タケルの支持者と言っても差し支えない。心を病んだタケルの同胞を保護して面倒まで見てくれているのだから贔屓目で見てしまうが、何かよくわからない道具を売りつけたり美男美女を広告塔に据えたり押し付けがましい宗教勧誘などのザン・イグリット教のような恥ずかしい真似はしていない。
街の名士も呼び出され彼等の素行や働き具合も問い質されるが、奴隷紋の力に抗ってそんな身を亡ぼす真似など到底出来るものではない。
民族浄化までする気は無い国側の政策とザン・イグリット教の意見は真っ向から対立した。
連日、ほぼ平行線のまま議会は難航し続けるが、国王陛下の一言でザン・イグリット教の代表団が凍りつく事となる。
「どれだけ因縁を付けて盛り上げたとしても聖地はやらんぞ腐肉漁りの犬共。」
ゴネまくって妥協点として聖地に聖堂や聖都市を一つ立ち上げようとしているのは見え見えであった。
斯くしてザン・イグリット教の代表団と教主は王都を追放され教徒もまた人別張の記載に応じて手に持てる資産以外の全てを国に差し押さえられて国外退去の憂き目にあう。
南の砦で王都より追放されたザン・イグリット教徒達による、聖地を奪わんとする目的での戦闘行為が行われ、雑多な武器と魔法で越境を試みるも、タケルの考案した雷の精霊が遊べる有刺鉄線に絡めとられ柵に辿り着くことなく死体の山と化した。
完全な余談だが。
西門を抜けて西の山岳路を外れてしまい、氷の宮殿に辿り着いた者達は、招かれざる者であったため宮殿の敷地内でオブジェとして飾られる事となったようである。
休日の家族連れのような賑やかしのマネキンと言えば判り易いのだろうか。