第百八十七話 混沌の幕間は客を招く⑧
奴隷の再突入を命じ、二十数本目のロングソードが折れ砕けて柄に幾ばくかの短剣程度の刀身が残される段になり抗戦を諦めて後方に飛び退り、控えていた工兵が小走りで駆け寄り、新たに曲刀を手渡してくる。
其れをおもむろに受け取ってにじり寄って来る魔人に再度吶喊を行う。
全身に刺さっている魔人の爪の痛みに慣れた訳ではないが、致命傷になりそうな部位以外は処置や治療を後回しにして戦闘を優先させる。
覚醒し始めた魔人達の対処に掛かり切りで如何にも逃げられそうな隙を見出せない。
腐っても数十万都市である、こんなところに人の皮を被った悪魔が潜んでいると聞いて、精々隠れていても数万規模であるだろう等と甘く見積もった僕が悪い。そりゃあもう全面的に悪い。
真実のところ人間の方が少ないと言う結果にタケルは色々と限界を迎えつつあった。
頬を貫く魔爪の痛みを堪えて爪を噛みしめて固定し魔人の指ごと曲刀で切り落とし、崩れた姿勢を起こしてゆっくりと爪を引き抜いて投げ捨てる。
満身創痍ではあるが強引に稼働させている疑似リジェネイションのお陰で時間さえあれば治療は可能だ。
魚の鱗を模した表皮で身を鎧う魔人の鱗を曲刀の背で盛大に剥ぎ飛ばしながら絶叫の巷で魔人と斬り結ぶ。
散々苦労して捨て駒を投入してやっと一体の魔人から心臓を引き摺り出し、太い血管を軒並み切り取って奪う。
あらゆる血生臭い所業に慣れ切った精鋭がハートマッシャーで心臓の挽肉を手早くこさえて聖水で浄化する。
完全な流れ作業の中、返り血でドロドロになり乍ら手の滑りと視界の確保の為に手や顔だけは拭う。
何度も血で染められた布は纐纈布となり、赤黒いおしぼりのような形で後方に大量に用意されており。
もう完全に血の色に染まっているので禍々しさ漂う忌まわしい布に化けている。
「全てが後手に回っている気がしないでもないが、黙って殺されてやる訳には行かないさ。」
一人、また一人と命を落としていく兵士と奴隷たちを横目に鎧の金具を止める。
脱皮したての魔人は一般兵でも叩けるが過去の記憶を呼び起こして自覚ある魔人になった者達は隊伍を厚く組んで相手どらなくてはならない。
現地調達した武器が、ほぼ鋳物であった事が災いし、数度打ち合えば温めた板チョコのようにグニャリと曲がる役立たずであったことも苦しさの増大に一役買っていた。
ここで魔法剣による耐久力の底上げと言うチート技術の存在を問われそうなものであるが、消費がそこそこで使い勝手が良くても常時発動となると話が違ってくる。
魔力の量を増やすには生涯を賭けて練り上げる修練が必要であり、凡人は底上げに至る前に現役引退という事もままあるのだ。
魔法の素養は生まれつきどれだけの器を持っているかどうかと云う身も蓋も無い解答が横たわっており、流れ落ちて来る魔力量が滝か濁流のようなチートでも無い限り、貯めて置ける容積がその上限となる。
「聖歌隊に納入される筈だった魔道具がギルドマスターの不手際で遅れた事については軍法会議ものだろう……この分では顔合わせも出来ないだろうが文句の一つくらい言ってやりたかったよ。」
一度も顔を合わせた事の無いギルドマスターとやらに吐きたい悪態の幾つかを呑み込んで、青銅の剣を二本腰に下げて一本の短槍を手に休憩所を出る。
「そろそろ届いてても、おかしくはないんだけどなぁ。」
足取りも重く魔人のウロつく街路へとタケルは歩き出した。
輝く燐光と、ゆらゆらと燃え上がる燐光が魔人を案山子でも斬り飛ばすように撃ち祓ってゆく。
光の軌跡が鋭利な曲線を描く、その傍で雷光を孕んだ焔が魔人の命を糧に舞い踊る。
乱れなく撃ち滅ぼされる魔人達の死体が彼の進む道に倒れ伏し、彼女の進む道を血で舗装して行く。
伝令を飛ばしてコンラッドは手勢を集めさせる。
町中で放置して置けば魔人は魔人の死骸を食べて強くなってしまう、焼却炉で纏めて燃やしてしまわなくては後が厳しい。
そうでなくとも、今この場も含めて持ち堪えている平穏が崩れ去ってしまう原因となりかねないのだ。
ギリギリで平穏を支えているのはタケルをはじめとした精鋭たちである。
軍人としてどうしても思う事がある、聖剣が何故自分たちの手元に無いのか?という当たり前の疑問である。
目の前で振るわれる幻想的な光景を描き出す二振りの聖剣の輝きにコンラッドは奥歯を噛みしめた。
聖剣は使い手を選ぶ。
人の手を渡るのに偶然や多くの必然が捻じ込まれる事があるが、それは略全て仕組まれていたり運命であったりする。
人知れず生まれ人知れず振るわれ伝説などにならず人知れず消えて行く聖剣も多く存在する。
観測されない聖剣は何処にあるのだろうか。
両手に出来た血豆を軽く噛んで潰し、手袋を嵌め直してまた畑を耕す。
一頻り耕し終えたら石灰を撒いて川で汗を流しつつ何匹か魚を捕まえて内臓を抜き網籠に入れて家路につく。
とはいっても家に何か食えるような物など殆ど無いので川沿いの村人専用と化している茶屋に入り井戸水を飲みながら老婆に挨拶をする。
「チャガ婆さんただいまぁ、今日は山菜と魚獲ってきたよ。」
「ふん、大分動けるようになったじゃないかい、そいつは夕飯にするから飯食って昼寝しな。」
都会のモヤシっ子以上にモヤシだった俺は、婆さんから見ればまだまだ病人であるらしい。
『いいからお言葉に甘えておけ、ジョーは私から見ても間違いなく病人だ』
所謂五体不満足であった俺は手足が動かせて歩けるってだけでも十分に奇跡的な恢復を果たしているのだ、こんなに自由に動ける事が出来ても病人等とは納得する事が出来ない。
『せめてロングソードをフルアーマー状態で一時間は振り回せないと健康とは言えないな』
何処の戦闘民族だよそれは、正気じゃねぇ、狂気に両足突っ込んでズブズブ沈んでらぁ。
『尤も、今の君はフルファーマー装備で鍬を一時間振るうので限界じゃないか。』
なんだよそのドヤ顔は、ちっとも面白くねぇぞ。
「んっ、うまい!!やっぱりチャガ婆さんの飯は最高だよ。」
泣きながら飯を食う俺に婆さんの訝し気な目線が突き刺さるが、この世界に来る前は流動食と点滴が俺の食事だったのだ、経験した事の無い人にはこの幸せは多分一生理解できないだろうがそれでもいい、俺は幸せ者だ。
村人の家々を盥回しにされている間に建てられた小屋が俺の家となり、そのうち食事と休息はチャガ婆さんの家、風呂は大家の外風呂を沸かす報酬として入浴が出来る事と相成った。
今は畑の見回りと手伝いで小遣いを貰って寝具を獲得するクエストの真っ最中だ。
『クエストとはなにかね』
頭の中の声に良く判らないウィンドゥを提示すると彼は心底驚いたようだった。
『ああ、神の啓示ではないか、それではアドバイスをしなくてはならんな』
農夫として順調に日々の生活を熟し、脳内導師の農業指導やトンデモ知識を与えられ続けて身体を鍛える日々が過ぎて行く。
半年以上蓄えた金でそれ程厚みも無い布団を手に入れたがこれで冬を越すのは予想通り不可能だと既に結論は出ていた。
村の近くで熊を発見した俺は、脳内導師と相談の結果、毒餌で弱らせて全力全開の魔法で熊を殺した。
その時手に入れた毛皮と肉と魔石が冬越えの奥の手だ。
『あの時はホント、参ったよ』
身についたばかりの魔法を魔力が尽きるまでひたすら近接距離でしがみ付きながら放つという過酷な戦いであった。
回復聖法も大量に唱えたし、気絶しそうなほど急激にレベルも上がった。
「ここが魔王城跡地じゃなければ驚きの急成長なんだろうけどねぇ。」
チャガ婆さんより弱いので全ての村人から見れば俺のレベルなど誤差の範囲で御座います。
『着実に半病人程度になれる階段を昇っている、今は畑を耕しながら療養に勤めると割り切り給え』
農作業が病気療養って何さ。




