第百八十六話 混沌の幕間は客を招く⑦
調度品を破壊するつもりなど無かった。
いや、今更其れを言っても始まるまい、そう心に思ったところで花瓶が爆ぜる。
イベントプラザのような場所で見た事のある白い釉に青い絵を描いたような良いのか悪いのか解らない角ばった花瓶である、いや値段ばかりが気になる光景だ。
バク宙、これが出来なくては入れない芸能事務所があるそうだがそれで躱した突きが絵画を穿つ。
自在に伸び縮みする大太刀と云う悪夢のような武器を相手取るには寸前で見切るような雲上人の如き戦い方は通じない、いや見えている事が奇跡である事は否定しないが其れは多分この世界で獲得した魔法やら魔力とやらのお陰だろう。
俺には彼等の様な余裕がない。
積み重ねて来なくてはならない武の積み重ねが無いのだ。
太郎太刀をガントレットで横に弾いて空隙を作り、身体を捻じ込み、大剣を前に突き出し武者の胴丸を力任せに打ち据える。
逸らしたはずの太刀が霧散して再び武者の手元に構えられ、次郎太刀が迸る。
これも間一髪ガントレットで刀身を横向きに叩き、必殺の軌道を変えて無理矢理間合いを取る。
刹那、大太刀……行光が疾駆するように逆袈裟斬りに足元から首を狩りに駆けあがって来る、咄嗟に仰け反り大剣で受け止め、一呼吸置いて振り出しに戻る。
流石に冗談じゃない斬撃の遣り取りが交わされるが、何故か心は穏やかな心地であった。
互いに柵が無い。
背中にあるものは譲れはしないが、殺伐とした敵対や縄張り争いの様なドロドロとした沼地に立っている訳ではない。
力の限りを尽くして仕合うだけ、物騒極まりない殺し合いではある、そりゃあ相手は既に死んでいるが、不利な中でも下衆な戦い方を選ぶ気になどなれはしない、不思議な武者との戦いではあるが状況はどうしようもなくシンプルだ。
黒く禍々しい扉から瘴気を纏って出てきた割りにカラッと晴れたもののふが出で来たのは、はて?何故であろうか。
何があっても負けてやるのは業腹だ、相手だってそうだろう。
把握できただけで三振りの大業物を両手で数えられる回数は破壊したはずだ。
つまり、欲していた壊れない武器が目の前にあるという都合の良い話がここに転がって来たと言う事になる。
悪いね、でも仕様がない。
つまり此処で認めて貰わねば……否、認めさせねば男が廃ると言う話だ。
な、シンプルだろう。
室内では互いの武器の持ち味は生かせない、地形の良し悪しや立ち位置の良し悪しで決着が着くなど言語道断だ、そんな勝ち方で得た武器など気が引けて使えやしない。
庭園に続く扉を開けて、刈り揃えられて手入れの行き届いた芝生の広がる庭を駆ける。
「いい月だ。」
武者もつられて月を見上げる。
滴るような名月とでも云うのだろうか、この世界には二つ月があり、片方は随分と歪だ、それでも眩く輝き夜空を彩る。
その美しさを否定するような無粋な真似は流石にお断りだ。
どちらともなく大剣と大太刀を振り上げ上段の構えで正対する。
二の太刀要らずと言う訳ではないが長々と冗長な戦いなど、この場には似合わないと納得したのだ。
月光の輝きの下、二匹の獣が咆哮する。
一撃、俺の剣はあっさりと斬られ中程から喪われた。
切っ先は何処かへ飛び去ったが根元はしっかりと武者の胴を激しく突いている。
大太刀は大剣を斬り深々と大地に突き刺さっていた、即ち斬り落として仕舞えたことにより武者は敗北した。
只、それだけの事である。
月を見上げて武者は声無く笑った。
そんな気がした。
普段持つならば二郎太刀程度の長さと重さが身軽であると気付いた辺りでユリが牛車から姿を現した。
「また派手にやったわね。」
「面目ない。」
素直に直立不動から頭を下げる。女系家族で生きた父から学んだ処世術"家族となった女には逆らわない"である。
娯楽室の中央の椅子で初老のメイドが赤子を抱いてあやしている。
怪しいウナギのような動きをする男から預かった赤子である。
執事がソイツを見て大層狼狽えていたが、そんな些事はどうでもいい話だろう。
さて、何処のキャベツ畑で拾って来たのかは不明ではあるが、何処をどう見ても物心も何もついてないただの赤ん坊である。
顔立ちはシルナ人と南方の血が混じった顔で肌の色はタキトゥスかもう少し南方よりだろうか。
「生きていても奴隷として生きる未来しかないわね。」
手元の老婆が書かれたカードが薄く輝いている。
やはり、シルナとタキトゥスの混血児のようだ。
執事もメイドも判っていたらしく任せて欲しいと申し出てくれた。
どの様な手段があるのかは一々語るまでも無いがトリエールの法では奴隷に無闇矢鱈と苛烈に当たる事は固く禁じられている。
奴隷は経済動物であると言えば判り易いかもしれない。
国有財産を損壊する反政府活動家や国家転覆を狙うならず者ならばいざ知らず、彼等を襲う事は反逆に類する行いとなる。
国民としての等級が高ければそういった部分は減免されるが上に行けば行くほど手足が縛られる故にそのような無体は数えるほどしか行われない。
例を挙げるならば捨て駒として使う事くらいだろうか。
あれも生き延びれば生活環境が向上されるので見返りが無いわけではないのだが……。
五等級国民であっても四等級国民であっても何時でも奴隷落ちの危機は存在する。
書類契約と言う名前の魔法による拘束が行われる奴隷契約なので逃げ道は無い。
ところで今、俺の背後で行われている魔法行使について興味はあるだろうか?。
セラフと呼ばれる天使たちが集い、ユリの指示に従って破壊の痕跡を魔法力で無かった事にしている最中だ。
キラキラと鱗粉のようなフェアリーダストを曳き乍ら大勢の妖精達が壊れた壁や天上を修復していた。
完全に倒壊したアルディアス食堂規模の破壊は簡単には修復できないので大工さんにお任せとなるのだが、彼女にとって軽度の破損や汚損であるならばこのように綺麗に直してしまえる。
我々トラブルメイカーが彼女に逆らえない理由の一つがこれだ、お判りいただけたならば目下の幸いである。
「絵画と陶器は無理ね、この子達は運命。」
欠片を静かに木箱に納めて弁償せざるを得ない事を詫びて来る、いや詫びる必要はない割ったのは真柄さんである。
「いえ、こちらは軍の方へ請求致しますのでご安心下さい…それよりも見事な魔法に少々感動しております。」
モノクル眼鏡を片手に壊れていた筈の壁や手摺りを確認して「ほぅ」と感嘆の溜息を漏らしている。
多少なりとも魔法の修練に手を出した者の常識で"壊れた物の修復"は基本にして至高の魔力操作の教科書である。
勿論ずさんでいい加減な性格の者がやれば修復の体を成さずに長持ちせず壊れてしまい、二度と直せない代物になる。
ユリの場合はその精密作業を魔法世界のお友達を使役して猛スピードで片付けてしまう。
少年妖精のパンが角笛で楽しく音楽を奏でる十分程度のお時間で綺麗サッパリ元通りだ。
テレビならば三秒くらいのジングルが流れてジャン♪、といったダイジェストで終わるほどのお手軽さだ。
セラフにハチミツ入りの壺を手渡して彼女たちの働きを労うと彼女たちは歌いながら帰って行った。
「私の魔力よりもタツヤが作ったハチミツのほうが人気あるのよね、むぅ。」
正直スイーツの神のようなアイツ謹製の甘味であるならば勝つのは難しいだろう。
つい先日もあんこの入った餅が七輪の上で焼かれていて、その製造に気付かされたばかりである。
出来立てのあんこを食すことは叶わなかったが誠に後引く旨さであった。
「よそう、甘味絡みでアイツに勝てる未来が全く見えない。」
「そうね……。」
パキリと一欠けら割られたチョコをユリから貰いながらロビーの椅子に腰掛ける。
とうとうアイツはカカオマスを手に入れたのだと、俺はその瞬間理解した。




