第百八十四話 混沌の幕間は客を招く⑤
タツヤは識り過ぎている。
彼に与えられている能力の全てを理解しない限り、タツヤが知るこの世界の形を見る事は出来ないであろう。
伝説級の大魔法使いであるユリ・ニシダが類推する世界の本質はタツヤとの会話から導き出されたものに過ぎない。
タツヤ本人が宣った内容から、彼が何らかの力のせいでループを繰り返している事と、そのループの路が決して一本ではなく、ましてや一人きりではないと言う歪なものである事が判っている。
只の与太話であると仮定すれば与太話であるし、真実であるとすれはそれは真実なのだろう。
受け手次第でその程度の話はどうとでもなるのだ。
彼が仮定する"時間遡行能力"ではあるが本当に遡行出来ているのかは怪しいのだそうだ。
未来は不定形でちょっとした事で変わる、過去も其れなりに不安定で記憶と齟齬が産まれる程度には変わってしまう事がある。
精確に元居た場所に帰還できたのかどうか怪しい、同じ時間軸にもう一人の自分がいた事もあるからだと語った。
ズレてブレてイレギュラーと化してしまった自分と言う存在はほぼ確実に複数人数いるという。
当然のように自分と融合を繰り返しながら不可思議な旅は続いていく。
戦い敗れ、己の屍を晒した後の世界に、置き去りにした者達のその後を僅かに視る事が出来たのが地獄の始まりであったと云う。
僅かなりとも謂えども時の歯車を操作して巻き戻せると言う事は、後悔の多い人類には酷な話であり、麻薬の様な常習性を伴う行為なのだ……何度も死んでいた筈の私達を間一髪で助け乍ら未来を改竄していく。
然し乍ら、彼以外の誰も知覚出来ない事象など、それが喩え真実であるとしても常人から見ればやはり与太話であるとしか言いようが無い。
三文芝居も裸足で逃げ出す与太話、可能性の未来を選択できるなど自然の摂理に背く背信行為、ただの嘘とか妄想であると片付けてしまえる程度の創作話である。
面倒臭がらなければ誰と戦っても勝てる。
トライ&エラーを執拗に繰り返せば相手の行動を見た後で生じる隙に幾らでもエゲツない真似を差し挟む事が可能となれば、自ずと鍛える方向が暗殺者めいてくるのも仕方が無い事なのだろう……かな?。
全身がドロドロに溶けた姿をしたツムギを両手で抱えて歩き、漸く宿へと辿り着く。
ツムギの身体から染み出してくる体液で彼女は実に滑りやすくなっており、剥き出しになった皮膚の真皮層の肉が乾き始める痛みに呻き、抱き抱えられている部位に走る激痛に度々身を捩る。
やおら金属と金属が激しくぶつかり合う衝突音と衝撃波で、濁ったガラス窓が吹き飛び周囲に散乱していく。
激闘を続けているタクマの事は気になるが、今は白井紬と言う旧知の友を救う事を優先させる。
牛車に掛けてある封印に扉を造り、魔法の杖で鍵を開けて中へと入る。
魔法照明で薄く光る車内に入り、旅の途中で入浴や洗濯に使う大きな盥を魔力の手で引き寄せ、水魔法で水を張り、火魔法を水に混ぜて微温湯に変える。
そっと表皮が溶け剥がれた肉塊をその中に入れる。
痛がる肉塊はその中で微温湯が滲みる痛みにもがくが、先程からの運ばれる痛みに比べればマシなのだろう、徐々に力を抜いている様子が見て取れる。
「先輩、起きてますか?。」
「ん~、この声はご主人様だねぃ。」
手桶の中から綺麗なワイン色に染まったアロエスライムが返事をする。
蓋を開けて彼女を手に取るとツムギが横たわる盥にトプンと流し込むように移す。
「おやおや、委員長ちゃんじゃないの、両手両足の欠損と皮膚の溶解、それに精神汚染と魔力汚染…属性は闇かぁ、深淵でも覗いたのかい?。」
テキパキとツムギを診断しプルプルと揺れながら微温湯の中を泳ぎつつ、ツムギを触診している。
数千年前に医師のような真似事を千年以上も続けていただけの事はあるのだろう。
「このスライムは……何。」
「先輩よ、色々と言いたいことはあるだろうけど呑み込んでね。名前を教えちゃいけない魔法生物になっちゃってるから、誰だか判ってもフルネームで呼んじゃダメよ、呼べばスールに…いいえ、なんでもないわ、大変な事になるって事だけは覚えておいて。」
「ふっ……アタシってば悲しい生き物なのだわさ。さてさて診断結果だけど貴方は治る、安心してね。でも流石に精神の方は人で無しの私じゃあ無理だけど、お母さんなら間違いなく治せるわ。」
被災者を今も救っているであろうアロエドラゴンを母と呼ぶ先輩は何処か自慢気であった。
不意に増殖したアロエゼリーがツムギを丸呑みにしてしまう。
肺までアロエゼリーに満たされる過程でツムギは一度窒息して意識を失い、眠りに落ちてしまう。
「お手数お掛けしますね、先輩。」
「従獣魔のアタシに頭なんか下げない。ま、後輩の頼みですからね大きなことは言えないけれど、だーいじょーぶ、まーかして。」
ツムギの体中に出来ていた瘡蓋を溶かして剥して皮膚を造るのだと聞いて生き物の再生の過程を学ぶ。
「本来の人間がもつ治癒能力では感染症に勝てないし細胞増殖速度は絶対に間に合わない、貴方の魔法以外では絶対に助からない状態ね。」
「ツムギちゃんは魔法少女を中学に上がる前に"卒業"してるから、私の概念は何の効果も無いのよ。」
悲しそうな顔でそう呟くと、ユリはツムギから染み出した血と体液の汚れを服から取り除きつつ外を窺う。
丁寧に整えられた庭園の芝生の上でタクマと武者が殺し合っていた。
「後輩にお願いされちゃアタシも弱いからねぇ、玉のお肌を取り戻すまで時間は掛かるけどアロエパワーがあれば不可能は無いわ……んでマスターに用意して欲しいものがあります。」
「なぁに?万物の構成物質とか反物質をグラム単位で欲しいとかは厳しいけど。」
「いやぁ、髪の毛が生え揃うまでの間被せて置くカツラだよぅ。」
全身の表皮を喪ったツムギちゃんに頭皮は無い、ならば再生させてしまえばよいのだが流石に髪の毛は伸びるまで年単位の時間を必要とする。
つまり女の子らしく、せめてそれなりの髪は必要になるだろうと言う優しさである。
王都中を走り回ればなんとかなるだろう。
「王都に戻れば用意できると思う。」
「空いてる樽があれば其処に籠って治癒に専念するから、タッちゃんにそう伝えて用意させてね、ではダイブします。」
浮いていたコアが静かにゼリーの中央に沈む。
西洋料理でこんなのがあったなと思いながら狭い牛車の中から外へと向かう。
盾の魔法がギシギシと音を立てて周囲からの干渉を受け止める。
いつ見ても規格外、生身の人間が繰り出す攻撃の密度ではないし生身の人間が振るえる膂力の限界など当の昔に越えている。
だが扱っている武器は只の鈍重なだけで切れ味など全く無い鉄の剣、何も封印されていないし魔力的な補強など施されてもいない。
魔法は後から掛けられている、私の魔法的な保護と彼が呪詛のように呟く"折れるな"と言う呪いだけだ。
尤も今この戦いで折れたところで全く不思議で何でもない。
タクマの放つ斬撃を防戦一方で受け止めている武者の方こそ化物染みている。
無限の耐久力を持つ概念武装とただの鉄が拮抗する事の方がおかしい。
魔法の加護など保険の様なもの、死んでしまえば意味が無い。
折れるなと言う呪いだけで幻想武器を凌駕するなど正気の沙汰ではない。
ならばあの戦いは狂気なのだ、狂気の沙汰の中で笑い合いながら武器を振るう馬鹿者共の狂宴が月下の庭園で繰り広げられている。
ぎしりぎしりと何かが軋み、がつんがつんと何かが打ち付けられて、がりがりと存在が削られていく。
見極めの為に得られた時間はとうに使い果たしている。
惜しくもあり嬉しくもあった、偉丈夫たる者で剛の者、正に申し分無しであろう。
その時高らかに音が空を割き、夜空を割った。
仲程から千切れとんだ切っ先が双子の月の間を駆けのぼり、己の手に合った一筋の三日月がその手を離れ地に突き刺さる。
「お見事。」
故にこの折れた大剣は持ってゆこう、行光は生者が陽の光の下でその道行く為に持って行く事こそ相応しい。
死出の旅の前に心残りは既に無く、戦い抜いた者同士肩を並べて行くが良いのだ。
鋳直して使おうと思っていた大剣が姿を消し、大太刀と鞘がその場に遺されていた。
月光を浴びて輝く其れは、真夜中にあって太陽の如き輝きを放つ大太刀であった。




