第百八十二話 混沌の幕間は客を招く③
シルナ王国領西方都市イース。
人々が逃げ惑い、奴隷達が命を賭して肉壁となり、不眠不休の騎士と兵士たちが戦い疲れて路上で寝落ちする地獄。
衛生兵と工兵が寝てしまった者たちを回収し防護魔法で構築された陣地へと迅速に引き返していく。
陣の外では魔人の遺体を適当にバラして荷車に積み焼却場へと運び去る。
元は酒家であったであろう建物の中では歌声が漏れ聞こえ、魔人の心臓を挽肉にして聖水を塗して浄化している。
恐らく平和であるだろう場所はタクマがお茶する宿屋周辺の厳重警戒区域のみだろう。
魔剣も聖剣も持たないタクマは留守番となっているが、牛車の秘密やグレイトフルバッファローの闘争心への施錠としての役割は俺達では不可能なミッションであった。
無事トモエと合流し、街の人たちが選別を受けている陣幕周辺で暴れる魔人と戦闘に突入し彼女に休憩するように薦め持ってきた食事と飲み物の筒を三本渡す。
「偉く怪我してるみたいだけど大丈夫?。」
近接距離で地母神カーリーか、それともシヴァ神のような何かにブン殴られて全身ボロボロだが、動けない事は無い。
説明に時間を割くよりもユグドラシルのマイナス効果で死にそうであったが故に、慌てて回復魔法をマナの限り重ね掛けする。
聖法とは趣が違うがマナの持つ治癒力を強引に回復力に変える力技だ。
周囲から簒奪するようにマナを吸えるユグドラシルの力のお陰で成り立つ術式で高濃度マナを必要とする古代魔法の模造品であった。
余談だが、エルフはこの高濃度マナとの相性は最悪だ、有体に言えば"遺伝子組み換え済み"なのだ。
「大丈夫だ、問題無い。」
何か言いたげな目線を頭を振って呑み込み、替わりに信頼だけを遺してトモエは退いた。
「……任せたよ。」
くるりと踵を返しながら水筒のレモンティーを飲みつつ街路樹の傍らに腰掛ける。
休憩に入る前にトモエは血の色に染まった薙刀に手を翳し浄化の文言を唱えていた。
あとは食って寝ると言ったところなのだろう。
死が満ちる場所に、扉が開く。
ウチの板前がそんな物騒なものに出会ったと言っていたのは何時だったか。
夜の公園でユリに聞いた話ではそう言う物騒なものでは無く、もっと厳かな、あの世とこの世を繋ぐ心残りを果たすものだった筈だ。
例えば我が子を遺して事故死した両親は未練無く旅立てるであろうか?。
オカルトといってしまえば元も子も無いが、心残りがあるならば果たせる方法を求めたくなるのは人情というものだろう。
そして、この世に託すべきものを携えて、未練の在る者達が還って来る門が誕生した。
ザイニンの扉はその門よりも小さい簡易版であるそうだ。
闇の女神の怒りと暴走と怨念により多くの物がその目的と方向性を失って堕ちてしまった。
そんなものが世界の根幹を成す柱のようなものになってしまったのだから、あらゆる生き物がその影響下で抗し切れるはずも無かった。
闇の女神が何度目かの依り代に選んだ者がダッ妃であるとゴールディ・ナイルは記している。
彼女の遺した膨大な数の処刑法は、文字を読むだけでも吐き気を催すような酸鼻を極めるものだらけであった。
闇の女神は封じられるまでの間、世界を迷子のように徘徊する。
彼女の命を狙って扉が開いているのだと仮定しても"死が満ちる場所"と言う条件は外れる事の無い絶対条件であるだろう。
さて、この……今、目の前で蟠っている何かは何が目的でそのようにしているのだろうか。
迎賓館ほどには整ってはいないが、一応、高級な宿である。
壁も無いところに、エントランスホールの中央に全身血塗れ、刀創塗れの男が扉を背に立っていた。
「何処から入り込んだ。」
モノクルを直しながら執事が呻いている。
明らかに招かれざる客のようで安心した。安心?何故俺は安堵しているのだろうか。
喫茶室で思い立ち、宿の裏で手入れをしていた大剣が手元にある。多分俺はアレと戦うつもりなのだろう。
緊迫した空気の中、部屋を満たす重苦しい圧力を無視して歩いていく。
「招かれていない客のようだが、怪我人は先ず病院へ行く事が先だと思うぞ。」
目が合うと、それは獣の様な眼をしていた、その眼光は周囲に味方など一人も居ない孤軍奮闘中の武者差乍らの射殺す眼光であった。
豪、と長い刃が空を切る。否、斬った。
触れる間合いではないのに左肩のパッドが金切声を上げる。
躱せたが躱しきれなかった事を意味する敗北の音。
所謂"かまいたち"現象と云うものだろうか、そんな疑念はたちまちの内に氷解する。
刃渡り五尺三寸、いやもっとあるのか…判然としない。
測れぬ間合いを飛び越えて来る斬撃であるならば紙一重の見切りは死を招く。
実像を推し量れば、あれは一振りの剣とは到底思えない。
二合目を打ち合い、揺らめきを体感して疑念が湧き上がる。
使い手の正体は剛力無双の朝倉国人衆だが、今は些末事だ、建物の中での戦闘であるのにそれを感じさせない身のこなしは見事を通り越して呆れるほど美しい。
ただの力自慢の脳筋ならとっくに臣従して景の一字を貰っていただろう、そして今この時も労せず倒せていたかもしれない。
「それはそれでつまらん。」
モヤモヤを振り払うように大剣を振るい行光らしき長さの一撃を受け止める。
「なげぇっ。」
普通の刀の三倍の刀身と言えば短い様にも長い様にも思えるだろう。
厄介な事にこの刀、長さが可変であるというファンタズム仕様という点が異常に厳しい。
如意棒ならぬ、如意刀になっているのだ。
思えばこの何某の謂れも本人と弟が同一人物とされてみたり、大太刀を振るって見せた何某と同じだの別だのと逸話もブレているのだ、当然太郎も次郎も行光もさて誰の手元が真実也やと言うところであろう。
虚実をそのまま概念とした厭らしい何者かのせいで、あのトンデモ日本刀が目の前で振るわれているのだから堪らない。
黒歴史ノートの香りが漂う事この上ないが大太刀は一度でいいから振り回してみたい。
「男なら…やってやれ…だ。」
轟音が大太刀と大剣の間から激しく響き渡る。
耐久も申し分なし、ならば。
削岩機のように大剣を振り上げては振り下ろし、魔力による分身を立て続けに産み出して純粋な力と物理による打撃を見舞い続ける。
肉体強化で己を加速させる、何度も重ねて息切れするまで大剣を力任せに叩きつけ続ける。
「よーしよしよしよしよしよし!!!。」
大剣で思う様叩かれ続ける大太刀の様子を見て思わず笑みが零れる。
血が滾る、歓喜に魂が震える。受けた影もまた興が乗って来たらしく、感情の波が読み取れる。
嬉しそうだ、実に嬉しそうだ。当然俺も嬉しい。
どっちかと言えば俺も脳筋の部類だ、否定しない。
相手も努力の結果国人衆を束ねて理知的に生きて来たのであろうが、やはり根底に流れるものはどうしようもない戦いへの渇望だったのだろう。
「「うぉおおおおおおおおおおおおお。」」
よもや言葉は要らじとばかりに雄叫びを上げる二匹の獣が、膂力の限りを尽くして大剣と大太刀を工事現場の喧騒を上回る打撃音と金属音で周囲を染め上げる。
舞い散る火花と、時折飛び散る血飛沫が調度品を巻き込んで微塵に砕く。
「ミネルダ。」
「記録は取って御座います。」
「それはいい、風呂と着替えと寝室の用意をしろ。」
暴風雨の様な戦いを見下ろしながらミネルダは被害総額を弾きだそうと必死であった。
「あの黒いヤツを放って置く方が被害が大きい、請求書は軍務殿に回すからこちらは任せろ。」
「はい、畏まりました。」
ミネルダに手渡されたメモとペンに金貨五十枚と記すと再び二人の戦いを観戦する。
大きい絵画が一枚巻き込まれてミキサーにかけられたように粉々に砕け散る。
つまり、被害は甚大であった。




