第百八十一話 混沌の開幕は客を招く②
散々熾天使達の攻撃を受けて耐え凌いでいたが、予想外の強い衝撃が私を穿った瞬間、立て続けに熾天使からの渾身の十二連撃をまともに受けてしまった。
張り巡らせたはずの闇の加護も闇の力も女神としての力も何一つ発揮出来ない。
ただこの胸に生えた槍が闇も清浄も何もかも纏めて吸い上げてしまう極悪な何かであった事が運の尽きであったようだ。
「ワタシハ、カエレナイノ?。」
心からの絶望が聴こえる。
恐らくは気の遠くなる間それだけを願い続けた悲しき存在が呟く一言。
地の底から湧き上がる絶望の闇が熾天使達が引き抜いた武器に纏わりついて引き抜かれていく。
浄化の力と絶望の中の希望が空気を切り裂き空間を歪めるように拮抗し爆ぜながら徐々に力を失う。
「ワタシハ、カエリタイノ!。」
絶叫が周囲を染め上げ浸食を繰り返してユグドラシルの暴食に抵抗する。
ユリが使役する熾天使達が放つ筆舌に尽くしがたい浄化の力が、彼女の存在を微塵に砕かんとばかりに軋みを産み出す擦過音を奏でながら闇を光で糊塗し続けている。
光に抗する為の闇が槍に吸い上げられて貴婦人は自身を乗っ取っていた娘から解放された。
「ああ、あぁぁぁぁ。」
血塗れの肉塊に姿を変えた娘が恨めしさに満ちた悲鳴を上げて街路の土の上に転がり落ちる。
何を叫ぶでもなく彼女の行っている行為は只の号泣である。
両手足を持たない彼女に出来る事などそれくらいしかない。
身を起こす事も出来ない、自身に何が起こったのかを理解しているがそれを挽回する手立ては失われた。
乗っ取りは成功していたのだ、闇の女神の持つその四肢を、その存在を、その権能を。
まさかここに来て級友に奪われるなど予想すらしていなかった。
泣いてしまっても仕方が無いじゃない。
呪縛から解放された闇の女神は影の腕を増やし、熾天使の武器と対を成す武具の数々を召喚して身に着けると反撃に転じた。
闇色に染まった肌は艶めかしく、自我を取り戻した彼女は貴婦人の優雅さを取り戻し始めた。
増えた腕は自在に長さを変え、死角一つ見当たらない武の冴えを発揮し始める、要するに調子を取り戻しているが如き体捌きが見受けられる。
「あの特異な身体を人が御するのは不可能じゃないかな、ツムギちゃん。」
まるで幼児を抱くようにユリがツムギを抱いて立ち上がり、本性を顕したナニカの姿を見せる。
多数の腕が縦横無尽に何処から喚び出したのか知れない得物を振るって熾天使との死闘を演じていた。
あれくらいの力が無きゃ覆らない未来があるんだと血の涙を流さんばかりの狂気でツムギは闇の女神を凝視している、それをユリの顔が遮る。
「あっても覆らない未来もあるんだよ。」
脳髄を何かが穿つ。
ユリの目を見た瞬間幾つもの澱みに楔が撃ち込まれた事がわかる。
「私を縛るなぁぁぁぁ。」
見悶えて目を閉じてもそれは私の憎悪と情念の氷を溶かす無情の矢として、抗えば抗うほど深く突き刺さって来た。
願いが駆逐され執念と怨念が解き解され、憎悪が情愛に絆される。
「綺麗事はッッ、ヤメ…ろぉ、私を浄化するなぁぁぁぁ。」
ツムギの抵抗は続くが、彼女は既に毛布に包まれて軒下に安置されている。
聖域に閉じ込められた精神が強制的に癒されるまで彼女はあのままだろう。
「タツヤの事を甘いとか言えなくなったね。」
「いや、人間だから、友達を救うのに理由なんていらないのさ、考えるだけ野暮だろ。」
トモエへの支援魔法を掛けながらあんなものを一人で相手に戦い、友人まで救うポテンシャルの高さはさて置き、闇の女神に突き刺さったまま暴飲暴食を続けているユグドラシルの制御に取り掛かる。
世界樹が隅々まで浄化されるまで戦い続けるのも一興ではあるのだが、如何せんこの辺りは異形の化物が人の皮を被って隠れ潜む魔都である。
後でお叱りを受ける前にトモエに合流して戦わなくては大層ケツの座りが悪い時間を過ごす事になりかねない。
六眼。
顔に並ぶ六つの眼が俺を睨む。
十二体の熾天使達を相手取っているにもかかわらず、その目が全て俺を注視していた。
眼とは二つあるだけでも恐ろしい、三つあるならばそれは覚者であるのだろうか。
複眼とは趣が違う、クモのように八つ並べばそれも震えが来る。
目の前に立つ闇の女神は六つの眼で俺を見つめ、見つけたとばかりに歓喜に染まる。
彼女の胸を穿ち、根を張り、そのマナと力と血肉を吸い上げて栄養と為している最悪な武器の使い手を彼女は見つけたのだ、此処で朽ちるつもりなど毛頭無い彼女の目に歓喜の灯が燈るのも無理は無かった。
遠距離から自在に伸びる見えない腕がサーベルを横薙ぎに振るって俺の頸を刎ねにやって来る。
距離感の差が明らかになる。
二眼で追えない挙動も彼女なら容易く追う事が可能なのだろう、透明な腕が俺の脚を掴もうと伸ばされていた様で目の前の地面が爆ぜる。
直感でかわしただけであるが彼女の怒りを買うには十分過ぎる行動であったようだ、恐らくこれから手加減など期待出来はしないだろう。
立体視の出来る目が人間に不可能な速度で測距を可能としている。
砲撃手としてあれほどヤバい特性を持った生き物などノーセンキューだ。
「ユグドラシルをあれから引き抜いてしまうリスクの方がデカいぞ。」
「でも今アレを失い、犠牲にしてしまうのは時機尚早でしょ。」
「フォロー任せた、タクマとユリにも見つけなきゃアレを始末しても意味がないしな。」
生物の進化の極北にある六眼を欺く方法などペテン以外に心当たりなど無い。
見えてしまう者よりもより多く視えていなくては騙し様など無いのだ。
ならば見えているものを前に押し出してその隙間を駆ける事が解決策である。
頸だけになった人間がテーブルの上で語り掛けて来るマジック、光学によるペテンを張り巡らせてタツヤは駆ける。
メクラ撃ちで拳を繰り出されてしまえば即バレするただの手品だ。
不可視の多腕と言えど熾天使との戦いで殆どが使えないとなれば警戒する本数など多くて六本だ。
いや多い、多すぎる。
丸腰で駆け抜ける無様さに泣けては来るが諦めて引き返すわけにも、指パッチン一つで蘇る事が出来る訳でもない身の上だ。
「俺には"一番いいの"は無いんだから、直撃だけはご勘弁願いたいっ。」
泣き言を吐露しつつも身体は止まらない、そんな性質を持って生まれた己を呪うべきか褒めるべきか、熾天使達を犠牲にしてユグドラシルの柄をその手に握るまで、なんとか殴られずに辿り着いた。
そして行き成り立て続けに殴られる破目に陥る。
殴ってユグドラシルを引き抜いてしまおうとする強引さではあるが、それだけ闇の女神はピンチを迎えているのだ、一撃でタツヤを殺せない事がその証明であるし、弱体化させる事に成功したと言う結論が導き出せる。
だが、結果として浄化することは失敗に終わった。
夜でなければ勝てたかもしれない。
昼間であれば月の支配もない、支援も無い。
支援がある者同士の戦いであるならば所詮引き分ける事も想定の範囲内であるだろう。
浄化の限りを尽くされた空間に闇の染みが産まれて闇の女神の姿が溶け込んでいく。
「絶対に私は、地球に帰る。」
こちらを睨みながら、闇の女神は六眼にタツヤの姿を焼き付けた。
ゾッとする程の美人に見つめられるのも男の甲斐性ではあるが鏡の魔法でその視線を弾き返す。
彼女が用いた力は魔眼だ、それは先程ユリもツムギに用いたありふれた魔女の力の一つだ。
闇の女神はメデューサなどではないが、どの様なギアスや縛りを撃ち込まれるか知れたものでは無いものを見つめ返す必要性などありはしなかった。
「手間取らせるだけ取らせて逃げられるってのは頂けないんだが、手持ちの駒が全然無いのはどうしようもないな。」
「焦らない焦らない。ホレ、トモエが待ってるよ。」
シッシッと追い払うジェスチャーをするユリに見送られてトモエの元へと駆け出す。
時間にしてどれだけのロスがあったのかは難しいところだが、待たせてしまっている事だけは動かし得ない事実であった。




