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放り出されたセカイの果てで  作者: 暇なる人
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第百七十九話 混濁に謳う

 金物で刃物を研ぐような音が薙刀より発せられる。

 鈍った切れ味を整えられる程度には化物の爪は硬いようだ。

 薙刀を振るう私もどうやら規格外の存在であるらしい。

 久しく感じる事の無かったこの血の滾りと沸き立つ高揚感は青々と茂る草原を愛馬に跨り駆けたあの日を思い起こさずにはいられない。

 無論私の記憶にそんなものは無い、私が記憶しているのだ。



 命の遣り取りは続く、正体不明の人の皮を被っていた悪魔との戦いは、実の所実力的に私が勝っていても私が負けているので決定打を叩き込む事が出来ない。

 参った、チグハグなままで勝てるようなモノを相手にしている訳ではないのに、私は新しい世界で鈍りに鈍った錆の塊に堕していたようだ、それでも掃き捨てる気にはなれない、この私であればあのお方の心を射止めるのも容易かったであろうと言う女冥利に関心する部分もあるのだから。



 田舎育ち、山育ち、山野を駆けて馬に跨り、男共をのして回って女丈夫よ女武者よとうたわれた、この私とは正反対の、誠に見事な女子振り、此れならばお方様の傍に侍れもしようし、子を成す事も叶ったのでは無かろうか…。

 だがそれでは山の奥に置き去りにされ帰りを待つだけになったであろう。

 今更、正に今更の話である。

 だが思うのだ、何度も何度も、毎夜毎夜、幾千の年月を重ねたとて、鮮やかに思い返してしまうのだ、あのお方の子を宿した自分を想起して、抱いた懸想を隠す事無く堂々と高らかに嘉し…。

 浅ましき思いに身を焦がす日々は、あのお方と共に駆け抜けた眩い日々の、その何十倍もの長きに渡る間続き、遂に我が身を老いの果てと末期の寸前まで焼き尽くさんと迫ったのだ。



 砂が擦れ合う音が盛大に庭から聴こえた、お迎えがやって来たのだと、彼の者から漂う血の臭いから、私はそう感じた。

 領主に希い、常々傍にお越し頂いている典医の宗玄の見立てでは、私もお迎え様も長くはない命であると、最初はそう告げられていた。



 その夜、月光が煌々と輝き、庭の方向にある障子戸に人の影が差した。


「扉を確認しに来た。」


 障子越しに用件のみを呟いた男はおもむろに槍を障子に突き立てて、何かの葉を一枚私の手元にひらりと飛ばしてきた。


「この世にまだ未練があるなら食べると良い。」


 あの夜も、今はもう遥か彼方の出来事のようだった。

 今ここにある私は肉体を失って私の中に居る。

 此処にある私の出自とはどういうものであるだろうか?。

 勝手に私が私の過去録を読み漁る。

 同じものが違う道を辿り、同じ場所に流れ着いた。

 どれ程の偶然にどれ程の必然がブレンドされているかなどと、問うたところで答など得られまい。



 私には曖昧な記憶がある。

 私は大切な人に命じられ、歩んでいた道を踏み外して落ちのびた筈が、其処から滑落した者だ。

 その程度の記憶が私の存在を補強してくれる訳もなく、砺波と言う名前の片田舎の、割と大きな国道脇の歩道で、空腹で野垂れ死に掛けていた私を保護してくれた警察官の老夫婦が私の存在を補強してくれたのだ。

 名前だけを記憶していた私は大人の女性が身に着ける様な着物を纏って転がっていたと言う。

 曖昧な記憶の私が自分の年齢を問われて答えた年齢が二十四歳、田舎の片隅に若返って飛ばされたら六歳児になっていたでござる…と言うべきだろうか。

 兎も角私は還暦まであと僅かな義父と義母に養子として貰われる事となる。

 詳しい話は割愛するが、社会的信用のある夫婦には養子を貰うハードルが低くなるのだ、余談ではあるが、いくら裕福であっても独身男に養子は取れない夫婦でなくては養子縁組は出来ないのだ。



 そして時が過ぎ、私が高校に進学…と言った段になって義父が定年退職となり暇を持て余し始めた。

 防犯の腕章と反射素材の付いたベストとキャップを被り、緑の小父さんになるまでそんなに時間は掛からなかった。

 御隠居になっても地域の安全に奉仕する義父は筋金入りのお巡りさんである。


「ああやって町内をウロウロしてればボケたりしないだろうから安心やちゃ。」


 流し台で食器を洗いながら義母が笑いながら言っていた、なるほどボケ防止には忙しい方がいいと言う事かと、醤油味の煎餅を齧りながらタブレットでヒアリングテストを繰り返す。


「姉ちゃんの時はビデオで、なーんも判らん言葉聞いてやっとったがやけどねぇ。」


 私の手元を覗き込み、得心した様子でテーブルに運んできた煮物を置く。


「何十年経っても学生がする事っちゃ変わらんがんやねぇ。ホラ晩御飯出来たから食べられ。」


「ん、義父さんは食べんが?。」


「城戸さんとこで呑んでくんがんだと。」


 一泊確定である。

 義母が朝から丹精込めて拵えたがんもどきを真正面に置いてタブレットをソフトケースに仕舞う。



 懐かしい記憶と、残してきた家族を思うと日頃抑え込んでいた色々な不安や不満が音を立てて弾けて飛んで行く。

 どうして私は此処に居るのだろう、元居た場所よりももっと向こうにはどれだけの人を残してきたのだろう。

 苛々が募り取り戻せない記憶に頭どころか脳を掻き毟りたくなる。


「お義父さんっ…お義母さんっ。」


 其れ故に嬰児を投げて寄越したこの大馬鹿者に怒りが込み上げる、自分とダブるのだ、年齢も違えば境遇も違うが、赤ん坊を投げて不意を誘うが如きその不埒ぶりに許せない想いが雷鳴となって轟くのだ。

 私が私を導く。


「こうかぁっ!!。」


 雷光を帯びて馬鹿者が爆ぜる。

 金属音を派手に鳴らして爪と薙刀が激突し、雷が迸る、遅れて雷撃による爆発が馬鹿者を襲う。

 異形の化物がなんだ、元は小母さんでも最早見る影もなく変形し尽くしている。

 薙刀を振るうたびに稲光が周囲を照らし、見ていた兵士や市民から歓呼の声が湧き上がる。



 お美事、お美事、さぁさ不埒な輩には妾得意の雷の舞をば馳走せねばのぅ。

 遠くから伝わる得意の技、その所作、歩法、呼法の妙、所々に日本舞踊が演舞のようにさり気無く組み込まれているあたりが"舞い"の"舞い"たる所以であろう。

 飛びませい、愚か者。

 調子の良い私の声と、跳ね上げられる薙刀の力で力任せの愚か者が宙を舞う。

 思えばこれを見た彼のお方は両手を叩いて大喜びであった。



 無様に落下した化物をざくりざくりと刺して行く。

 猟期的な行動だった、怒りに任せて何をしているのだろうかとも思った。

 タツヤが言っていた、心臓を抉り取らなければ幾らでも再生する化物が居るのだと。

 でもこの化物がそれに該当するものなのだろうか、異形となり気持ち悪く変形し元の姿を完膚なきまで失っていてもこれは人間ではないだろうか?、何故かそんな予感がする。

 不意に薙刀の柄を掴まれ、私の手が止まった。


「お疲れさん、後は兵隊さんに任せよう。」


 タツヤの手が薙刀の柄を掴み、力の抜けた私をも支えていた。



 群衆の向こうから兵士達が血塗れの桶と水の入った瓶と血みどろの槍を携えて心臓の処理を行うと申し出てくれた。

 聞けば聖水で清めながら切り刻まないと再生してしまうそうだ、あの本の著者が記していた内容は正確なものだったのだと理解は出来たが、さてその効果はどの様な形になるのであろうか。

 槍のように見えたそれは、ハニカム構造っぽい先端をしたものであった、そう…言い換えればポテトマッシャーの刃物が立ち並ぶ鋭利な奴だ。

 肉は何の変哲もない挽肉になったが、聖水を浴びせてからの反応が恐ろしいものだった。

 目に見える濃度の瘴気が浄化されて湯気のように立ち昇るのは、効果の程が判り易く一目瞭然である。


「あの化物、結局なんだったの?。」


 討伐部位として爪を摘み上げ革袋に仕舞い手早く片付ける。


「魔人と呼ばれる人の皮を被って隠れ潜むこことは別の層、"破界"の人間だ。」


「人間?本当に人間なの?。」


「魔石が無いからな、進化した人間かプロトタイプの人間かまでは判別付かないけど、体内で瘴気を造って生きるものを個人的見解では人間とは認めたくない所ではある。」


 ハッキリとしない結果に色々と不満の残る話ではあったが、私はフと我に返ってしまった。

 肩を抱かれて体重を預けてタツヤにしな垂れかかっていると言う今の体勢を理解して意識してしまったのだ。


「隅に置けませんなー。」


 満面の笑みで私達二人を見ているユリを確認した私が上げた声は如何考えても間抜けな声であっただろう。



 お義父さん、お義母さん、助けて。



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