第百七十三話 数千年分の愚痴を貴方に
「詳しい用語なんて知らないわ、研究者たちの脳の中に蓄積された知識を全員で共有して使っているのだから、私に聞かれても棒読みで答える事くらいしか出来ないのよ。」
朧気乍らではあるが輪郭が見える、彼女曰く其れが生前の姿なのだろう。
殺風景な場所に機能性しか追及していない機材とデスク、そして部屋。
間取りはどうしようもなく単調で入口の札を読まなければ其処が何を行う場所なのかすら判らない有様だ。
「不老長寿の肉体と、不滅の精神と、摩耗しない心を造れても、不滅の肉体の方は無理だったわ、無限の再生能力を人間に付与しようとしても、再生した後が折り重なって歪な肉塊になるのだから、魔法の方が遥かにマシよ。」
解り切った事を聞くなとでも言いたげだが、こちとらただの人間で、無限に等しい時間を研究に費やせるほど余生の生き物ではない。
「エルフ達が私を治療せずガタガタ言ってたのを覚えているかしら?。」
微に入り細に入り毎夜毎夜此方が寝るまで語り掛けて来る異世界転生物語の序盤の話であろう。
マグロのような扱いを受けた人間とでも形容すれば判り易いのだろうか、それは兎も角寝ようとしている人間に語って聞かせる内容では無かった事くらいは子供でも解る。
「そう、漁具で私を引っ掻けて地底湖から引き揚げたあの時ね、そう、あれギャフっていう名前なの…へぇ~。」
フックの付いた棒で大型魚の鰓に引っ掻けて船上に引き揚げる道具だ。
「ま、いいわ。」
アッサリと話と場面を切り替えて大空洞を見渡せる場所へと記憶の回廊を移動する。
心象風景、固有結界、呼び方は幾らでもあるだろうがそんな場所に俺を招待しながら身の上話は続けられる。
垂れ流され続ける。
「あの時の私はエルフ達に研究対象として観察され、超回復なり、強力な再生能力なりのレアな力を持っていないかと期待されていたのよ。」
赤色の液体が試験管の中で揺れている。
生命の水、生命のスープ、原始の海と呼ばれる奇跡の始まりが彼女の手の中で揺れる。
「結果はそういう期待に応えられるようなトンデモスキルも魔法も目覚めなくて、ごく自然に低体温で気絶して生死の境を彷徨って御終いだったンだけどね。」
開けた場所から天頂を見上げると壁のガイドレールから水平に生えた、鉄のステージがゆっくりと降りて来る。
電磁や蒸気などではなく魔法で動く代物だそうだ、動力を稼働させるための魔力は魔石で行う事が一般的らしい。
「知ってるかな?最初の異世界召喚の時にね、そりゃもう凄い能力をもった勇者を召喚したらしいのよ。」
こちらに身を乗り出しながら語り始める。
久方振りの話し相手に姦しい事この上ない。
まぁ、自分が三千年もボッチで暇を持て余していたと仮定し、有効活用し捲れる膨大過ぎる暇な時間の価値を慮れば、絶対に耐えられる自信など無い。
こんな時間があればあれも出来るしこれも出来る等と勿体無いと気付いてしまえば気が気でなくなるだろう。
俺は貧乏性なのだ。
「神に直談判してエルフの肉体を得て、長命を保証された勇者は、文明レベルを超高速で引き上げまくったみたい…私が召喚された時には、とっくに滅亡して千年近く経過、目立った証拠は高層ビルの廃墟くらいしかなかったけれど、見慣れた建築様式だったわ、鉄筋コンクリートのね。」
色々と認識と歴史に齟齬がある様なので、これ幸いにと読み漁った文献の数々に記載されていた、神話や伝説。
取り分け関係ありそうな話をピックアップして尋ねて行くことにした。
「私が一番最初の召喚者?、正しく伝わっていないのも無理無いわね、世界樹にあったエルフ歴史書は私が没収したもの。」
あっけらかんと爆弾発言を投げ込んでくる。
道理でエルフ達に聞き取り調査しても本当にエルフなのかと疑いたくなる知識の無さの原因が此処に居た。
「一番最初の召喚者はね。本当に口伝のみで伝わっていて文書は無いけれど、女の子…いえ女子児童ね。」
白衣を羽織り、タイトスカートを履いた先輩が、膝位の高さに手をヒラヒラさせている。
「ん~、この位?、至って普通の園児よ、ザン・イグリット教とかいう宗教の禁書庫に、当時の絵画と衣服が額縁入りで展示されつつ保管されているそうよ、私の分身が見たようね。」
割と鮮明な絵が目の前に存在している。
なるほど、これがファイル共有…ではなく記憶の共有か、これは便利過ぎる。
「題名はね…エヴリル語で「神帝の妻」ね。───そうね、本当に只の誘拐だわ、それも悪質なヤツ、吐き気がするわね。」
今は亡き同郷の被害者に手を合わせながらしみじみと砂を噛む様な時間を過ごす。
事件から大体三千年の月日が流れている。
「遺物や遺構は地下深くに眠っているし、長い年月で風化も劣化もしているわ。」
歪に壊れた世界地図の上に刺さった幾つかの待ち針の様な魔道具が明滅し、その地図が広げられたテーブルを前にして彼女は俺の質問に答え続ける。
「人の手が届かなくなった原子炉は自然爆発して偉い事になってたけど、私がこの世界に来た頃には放射線の線量も僅かな数値だったわ。」
放射線や放射能物質、そのあたりの因果関係を学んでいないとあらぬものを証拠として要らぬ盲動をする者が後を絶たなくなるが、キッチリと学ぶことで、半減期などの正しい知識を得られる。
「計算が合わない?。」
安全な水準になるまで除染を行ったり様々な作業を重ねて達成できる。
人力でやれる限界は魔法で超えるとして放射性物質をどうやって処理したのか、その興味は尽きない。
「うーん、でもそれは魔法と魔道具が答えの全てよ。」
場面が暗転して偉く辺鄙な山の中に漆黒の巨大石板が薄っすらと光を放っていた。
「エルダーエルフの中でも天才と謳われたマッドサイエンティストと勇者が出会ったのは必然とか運命と呼ばれるものでしょうね。」
そして黒い石板のような機械をドヤ顔で指差して誇らしげに解説を続ける。
「あの二人が滅びゆく世界に掛けた保険コス〇クリーナーよ。」
ジト目で先輩を胡散臭い者でも見るように見つめ続けていると、若干慌てた様子で説明の補完を始める。
「名前は兎も角、効果は抜群よ、多くの放射性物質を十年足らずで無毒化する破格の効果を実証しているわ。」
そりゃあ是非とも持ち帰りたい技術だ、もし帰る事が出来るのであれば最重要課題として覚えておかなくてはならない。
こちらの世界がどうなろうと構わないが、愛しい故郷は救いたいではないか。
「不死の研究なんて気の狂った人間しかやらないと思うでしょう?、秦の始皇帝なんてその最たる存在ね。潤沢な資金と膨大な暇があるエルフには、壮大な暇潰しとして需要があったのよ、ああ、理解しちゃうのね、流石は劣化させたとはいえエルフを支配しているだけはあるわね。ええ、そうよライフワーク、人生は暇なままじゃ腐ってしまうから、大なり小なり生きがいを見出さないと、そこらに転がる死体と大差ないわ。」
研究所周辺は人も魔獣も戦いに明け暮れ死体だらけと言えるし、人は人で魔人に追われて血で血を洗う生存競争を繰り広げていた。
どちらの死体も生体も現状は只のモルモットでしかない。
「知っての通りエルフは傲慢で凶悪で道理を弁えない支配者として君臨してきたわ、自然も科学も思いのままに操れると豪語もするし、実際にしてのけたのも事実よ。」
コーヒーを淹れ乍ら昔を思い出しつつ先輩は思いつくままに語り続ける。
多くの香り成分や悪臭が混ざった末に絶妙なバランスで成り立っている、奇跡のような、その飲み物を慣れた所作で俺に提供する。
「アンバランスなのよね、この世界に存在する種としては、融和も調和も不得手な生き物って作為を感じない?。」
目的を達すれば存在が抹消されるとなれば、神が調整する為に派遣する使者、使徒のような役割であるのだろうか、と独りごちる。
「自壊装置か…やっぱり永遠ならざる者は必ずその業を背負うとかいうアレね。」
厨二の様なポエムを詠みそうなアロエスライム本体を意識の外に認識して迅速に行動へと移る。
「おおおおお、おもむろに私を真っ二つにするなぁぁぁ。」
不意打ちの効果があったようで良かった、アホなポエムに興味はない。
「わかったわよ、エルフを改造した件ね。」
訥々と語る席として炬燵を選ばれ、蜜柑に手を伸ばす。
久しく食べていない地球の甘味に心が唸る。
日本人の食へのこだわりは、恐らく異常者の集団と呼ばれても辞められない麻薬のようなものだ。
「弱体化と言っても差し支えないわ、種族としては衰退していくように造り替えたのよ、遺伝子を弄って。
悍ましい私と悍ましいエルフなんて足して割って消してしまえば良い、そう思わない?。」
自虐気味に目を曇らせて先輩は心情を吐露する。
コロコロと目まぐるしく印象の変わるこの人物の根幹は、緩やかなる死を存分に愉しむ終焉への旅行者と言ったところであろうか、何とも悲しい存在である。
「優しいのね。」
こちらの感傷的な気分を読み取ったのか、其れとも顔に出てしまったのかは定かでは無いが、取り敢えず…。
「きゃああああ、また切ったぁぁぁ。」
涙目になっている顔をこちらに表示しながら、とても豪華な御姫様然としたドレスを身に纏い、こちらに向かって強めに罵って来る。
「ひっどい後輩だわ、貴方ってば、最低のクズねっ!。」
とても不愉快な予感が駆け巡ったので手近にあった竹串でアロエの中を駆け巡るコア目掛けて竹串を次々と差し込んでやる。
黒ひげ…ではなく先輩危機一髪と言う風情だ。
「やめてっ竹串はピリピリするからやめてぇぇぇぇ。」
戯れているがまぁまぁ心は冷めている。
基本的に面白い話などしては居ないのだから当然ではあったが…。
「こうして念話で話しているけどサ、マスター達には話さなくていいの?。」
エルフを壊す方法が甘過ぎた事が今を招いたと知られれば先輩の魂も風前の灯火だろう。
「話せば核を破壊されて死ぬ…か、それも良いわね。」
達観しているとも言えるし、イザ、死が目睫に控えると避けたくなるのも人情であると言える。
そういう意味でまだ先輩は辛うじて人であった。
「まぁね、幾つかの古代兵器の場所は知っているけど、使えるかなんて判んないわよ。」
ガタガタと揺れる馬車に揺られながら、牛車の改造を思い立つ。
この何時終わるとも知れない無限の住人との対話が終わり次第…等と言っていたら何時着手出来るか知れたものでは無い、同時進行で行こう。
「四千年前の兵器を保存する魔道具もあるんだろうって……ん、あるわよ私の新造艦もそれで保存してるしね。」
聞き捨てならん事を言い出した、悪い予感がして問い質すも、そのシルエットも艦の能力もオーバーテクノロジーの再現に踏み切った最低最悪の新造艦であった。
「そうよ、勿論νが付くわよ。すごいでしょ、えー、永遠にしまっておけって?ひどいよー。」
船長の衣装を着用させられるが、俺は別に何者でも無い訳ではない。
海底二万マイルに何があるのかは見て見たい気もするが、そんな冒険心を満たす事などよりも事態は深刻であるだろう。
絶対に登場させてはならないと先輩に串を刺しながらブツブツと呪文のように呟き続ける。
英雄ガチャ装置を破壊したあの日から、コモン先輩による数千年分の愚痴を聞かされるようになった
俺の苦労が御分かり頂けるだろうか。
益体も無い人体実験や、時に気が滅入るお話を、のべつ幕無し昼夜を問わず語り続けるのである。
リンクやらパスが通ったとでも表現すれば良いのだと思うが、生憎とそういった事に造詣が深くない。
記憶共有とやらで結構な医学知識を閲覧させて頂いたが、普通の人間の生涯では到底到達できない領域にまで魔法科学医療は達していた。
今よりももっとマナが満ちていたと云う世界を懐かしむ先輩に、世界樹の剪定や根切りをした馬鹿が原因だと教えると珍しく無駄口が止まる。
居た、コイツが犯人だ。
アロエで出来ている先輩を、おもむろに賽の目斬りにして黒蜜を掛け、甘く煮た黒豆とサクランボ
似通った果物のシロップ漬けを投げ込んで、冷蔵魔道具に仕舞いマジックバッグに収納した。
亜空間を隔てれば静かになるのでこれは最終手段というやつだ。
昼には元通りになっているだろうし、甘味でシャッキリとする事だろう。
タクマがタロウに跨り、ハナコが牛車を牽く。
砦と砦の間にはどれだけ警戒しようが、どれだけ警邏をしようが、旅人を狙う野盗が後を絶たない。
イチローは荷台の後方にある一角で休んでいる。
まだ寂しく歩くエルフの後ろ姿が見える場所だが、彼等の使命と約束を考えれば止める必要もない。
あの巨人と言う負債を彼等がどの様にして決着をつけるのか知りたいところではあるが…。
コモン先輩曰く、其れが出来るようにはしてあるとの事だ。
心配してやることも無いだろう。
最前線からは遠いが、今進んでいる道は有体に言って前線というやつだ、この先には血の臭いしかしない戦場が広がる。
まず此処に来て一番驚ろかされたのは、恐ろしく道路が整備されている事だ、馬糞を落としておく側溝まで用意されている。
夏場の悪臭は避けがたいが除けて置ける場所があるのはありがたい。
勿論それだけでなく、警備兵を巡回させる目的で設置されたバス停留所に似た小屋も所々に設営されている。
形状から見て徒歩で旅する旅人に日陰を提供する目的もあるのだろう。
シルナとの国境に程近い場所に新設された砦は、鉱山が併設された砦で、戦略的要衝にあるわけではない。
ただ、補給物資の中継所としては割と優秀な場所にあるのでそれなりに内部は活気に満ちているらしい。
牛車に揺られながらの旅は夕暮れ迫る前には野営の支度を終えて食事の用意を済ませなくてはならない。
本当の暗闇の中で飯など作れる筈も無いからだ。




