第百六十六話 夢の出来事
彼は罰を受けていた。
捧げられた感謝と祈りで魂を八つ裂きにされながら、敬虔な者達が言祝ぐ言葉に呪われながら。
白い白い世界で、何処を向いても白い世界で、天地も定かにならならない全きの白き世界で彼はのた打ち回った。
誰の助けも得られない、彼にはアルジャーノンすら与えられない永劫の虜囚。
清き尊き美しき光輝遍く日輪を背負いし神の中の神、支配者の中の支配者、その名は神帝ジオルナード。
本性とは真逆の、本来能わざる能力と座を与えられた神性無き魔性の者。
永劫の苦しみと痛みを嬉々として与えて来る彼の信者達は両極から彼を尊きものと仰ぐ。
魔人達からは魔王と、人々からは神帝と。
終わらない信仰の連鎖を大神が彼に与えたのだ、究極の詐欺師を讃え、彼が欲したものを全て与えた、不老にして長寿にして不死の肉体と魂と精神を与えた、だが鋼の肉体に非ず、鋼の精神に非ず、不滅に非ず。
きっと夢があったのだろう。
爪先に痛みを感じながら息苦しさを覚える。
頭から爪先までしっかり被った毛布を剥ぎ取ろうとする何かを感じる。
「やめてくれ、目が覚めたら、俺はまた地獄よりも苦しい目に合うんだ、眠らせてくれこのままにしておいてくれ。」
彼の願いは彼への願いの奔流に掻き消される。
今日もまた、明日もまた。
老婆が王城の地下室で犯罪者として捕らえられた無実の囚人を贄として捧げ、床に描いた魔法陣に囚人の血を流し続けていた。
天井から吊るされた四人の足首から血抜きの要領で血を注いでいる。
両手を拘束され両足を拘束され、失血で意識を失うまで逃れようと揺らめく。
「おかしい…何故神帝は応じて下されぬのか…。」
もう何百年繰り返してきたのか解らない程に続けてきた儀式、揺れる大地に揺れる頻度に今度こそはと老婆は焦る。
「ここではないのか、封印の基点はここではなかったのかぁぁぁ。」
老婆はガサガサに成り果てた皮の表紙を捲り、古文書をまた一から読み耽る。
そんな様子の老婆をその目に焼き付けて、また四人の囚人が命を落とす。
中央都市チキンの朝は疫病で死んだ者達を土葬する事から始まる。
次から次へと死んで行く者達を見送り、外野から叫ばれ、矢文を撃たれ続けても聞く耳持たず彼等は土葬を続けていた。
遺体による土壌汚染についても記された数万を超える矢文なども、戦後の彼の地から発見はされたが無駄に終わったと言う現実しか後世の人々は知る事が出来ない。
教えずに放って置けば数万の矢も紙も無駄にならなかっただろうと言う皮肉も耳に痛い。
王太子チロゥ(子龍)は既に疫病で亡くなっており、霊廟で腐るに任せて疫病の温床と化していた。
魂の見送りの儀式などで何日も遺体を飾る風習が本当に仇となっている形だ。
この内情は奇しくもトリエール軍による完全包囲が冗談抜きの"完全"であるがゆえに周辺国に漏れることなく、各地で軟禁されている王位継承権のある子供達が立ち上がるタイミングを潰したのはどんな神の悪戯だろうか。
スラムに敵の橋頭保が築かれ、そのうちに本拠地と化して、益々市街地の支配が急速に進む中、とうとう商人街、貴族街にも剣戟と魔法の爆音が鳴り響く事となる。
トリエール王国の新設砦であるマヴァード砦にイスレムとネア・イクス・トリエール王、ダン・シヴァの三名が揃い、本国に残る兵が一万を切る勢いとなった。
ハッキリ言って北が雪に閉ざされているから出来る状況であり旧王都キウがもぬけの殻になるほど王都カラコルムに参集を命じたからであり。
寒さに慣れていない者達の訓練も兼ねているのでそれ程無意味でもないのだがやり過ぎである。
タケルと合流するために焦るイノではあったが遊牧民の大移動の指揮や編成、輜重隊の荷車が空になっている者達を護衛してノット側に合流させる隊の人選等にかなりの時間をとられた。
子飼いの…と言うより孤児院で面倒を見ていた彼等を信じて送り出す事で安心を獲得し、副官を割く事で万全を期した。敵を察知する事に長けた獣人達以外に任せる事は出来なかったと後に彼は述懐している。
弱兵ばかりと謗られていてもシルナ王国軍は元々、地の果てまで逃げて戻って反撃するを地で行く戦いを得意とする。
魔人に追われ掻き回されても蜘蛛の子を散らす様に逃げて再集結してまた追われる事を繰り返してきた所謂粘りの民族である。
長城に縋って戦うスタイルは安定を得る為の物であるが、盗賊も驚きの不定住生活もお手の物なのである。
彼等を侮ると痛い目を見る事はトリエール王国の過去の歴史にビッシリと書き込まれているのでイノは大層精神を摺り減らしたのである。
タケルと合流する隊は全て騎馬隊、聖歌隊を後ろに乗せて手弁当程度の食料を携えて向かう事になった。
コンラッドの率いる輜重隊はタケルの戦略で師団規模が一年は余裕で食っていける大輜重隊であった。
「どんな目論見か想像もつきませんが、独立国が二つは作れます。」
お陰で王都の国庫はギリギリとコンラッドはイノに語ったが、タケルが何を想定しているのか皆目検討も付かない二人には異様な緊張感を感じる事しか出来なかった。
「うん、嫌な夢は見なくなったよ。」
タケルお手製のくたびれきった表情のクマのぬいぐるみを赤ちゃん抱っこしながらローラがニコニコと微笑む。
「それは良かった。しかしここまで陣容を変える事になるとはなぁ。」
彼女の杞憂か予知夢のような不吉な夢の結末を捻じ曲げる為に彼是手を尽くした結果、大規模な軍事的再編成が行われた。
最後まで手を出したくなかった"砲"の制作、迫撃砲、手筒、大砲に、輜重隊の荷車の加工が大きい。
ローラの悪夢や予知夢はディルムッドも怯える的確さなのだが、本人にボキャブラリーや表現力が乏しいため何を仰っているのか皆目見当も付かないと云うものだ。
ディルムッドの経験から様々な視点でローラの悪夢分析を行った結果、放置するには被害が甚大すぎるという結論に達した。
必要な兵器を画伯レベルの落書きで示されてタケルは頭を抱えて悶絶した。
壊滅的なまでに残念過ぎる画力を呪いつつ解説を拝聴してディルムッドと困惑と懊悩を重ねる事一ヶ月、砲と砲弾の制作が急ピッチで進められる事となった。
尤も現在ある砦の広さでは溶鉱炉も鋳型も製造は難しく、鉄鋼が多少採れる岩山に面した場所に砦としてはあまり有用性の無い砦が築かれた訳である。
ローラがバーンと飛び出てドカーンとなってエイってなると言い始め、タケルとディルムッドの表情はハニワのそれに近い形で固まる。
一体なにが起こるのか想定出来る範囲外であるがディルムッドは頭を抱えつつタケルの肩に手を置いて震える。
「俺が試練を受けた時よりも酷い事になりそうだ、覚悟しておけ。」
「どんな覚悟?、おーい!義兄さん!兄上!お兄様!、なんでローラが特徴的な構えなんてしているのですか?多分アレ僕の故郷の人間くらいしか知らない構えですよ!。」
ジャンプキックして走って、転んでエイエイッと何かと戦うジェスチャーを続けるローラを中心にグルグル歩き続ける二人を見て、イノとコンラッドは状況を把握する為に必要なパズルのピースを探す作業に懸命にならざるを得なかった。
「ちゃんと真面目に聞いてよ二人共。」
ローラは御立腹であった。
気楽な文章量3 …暑気鬱も抜けたようなのでこのペースに戻しますかね…




