第百六十三話 鳴動
南進するノット率いる師団はタケルが先行した道路を悠々と進み、中央都市チキンへと着実に水源と関所予定地の縄張りを考慮しながら文官と商人と医師の集団を護りつつ進む。
ノットにとっては甚だ不本意な編成と行軍速度ではあるが、今後聖歌隊の神曲無しではどうにもならない戦況が予想されており、城址を含む市街地そのものの疫病封じや消毒、改宗の強制やら宗教紋での拘束など従来の小競り合い程には緩くない戦闘と多くの作業が待ち受けている。
国を手に入れましたー、では内政官を送り込みますねー。では夏の南進に間に合いそうもないのである。
軍事行動としては規格外な速さが計画の根幹を貫いているが、ある程度遅れる事は想定の範囲内である、但しタケルが何処まで計画の遅れを笑って済ませてくれかは全く予想が付かない。
少なくともこの春の終わりには中央都市チキンは支配下に置かれる予定である。
大河を利用した流通は誠に宜しいが、海路まで遠く、荷物の乗せ換えが王都への補給路としては落第であると文官Aが吠え。
出来得る限り海に近い場所に王都は存在すべきであり、河川の出入り口を塞がれただけで補給路が断たれるような頭の痛い場所にある王都等に、大した価値は無いと文官Bは不平を鳴らす。
綺麗に潰して遷都の邪魔にならないように更地にしてしまおうと文官Cは都市計画を脳裏で描きながら面倒臭げに紅茶を呷る。
シルナ王国の象徴が更地になることで溜飲を下げる方たちにとっても悪くない話しではあった…。
シルナ王国を長くと支え続けてきた経済力をその手に納めんと皮算用する者達にとっては良くない話として受け取られる。
様々な思惑が交差する会議の議事録を読み乍らタケルは鼻で笑い西の果てで造り出されたキツ過ぎる酒を愉しむ。
「人的資源以外得るものは少ないんだがな。」
傍らで執事服に身を包み、モノクルを右目に掛け溜息を吐いたディルムッドが紙片の束を差し出してくる。
「ザン・イグリット教徒の尋問報告書だ、読むか?。」
「世の中常識外れの真実が転がっている事もあるんだ、妄言と断じたい気持ちは判るがな、あいつ等は魔人だ、一つ心に棚を造って常識を其処に置いて、非常識と向き合えばそこ迄疲れる事も無いぞ義兄さん。」
ほろ苦い表情でモノクルを外して額を掻くとディルムッドは、ワゴンの魔道具に火を着けてポットのお湯を沸かし始める。
「古の神帝復活など眉唾過ぎる。」
仏頂面のディルムッドと窓の向こうに舞い散る雪を眺めながら報告書に目を通す。
今、この段階で出来る事は殺す方法か再封印の準備くらいであり、馬鹿げた事と断じて放って置く事ではない。
タケルは王都で平穏に暮らしているであろう幼馴染達を思い出して連絡を取るべきか迷う。
「僕の相手じゃないと思うんだよな、神とか英雄とか魔王とか、ああいう何処か胡乱な連中ってさ。」
柄じゃない、ピリオドを打つなんて仕事は自分の領分から大きく外れるものだ。
音も無く差し出された紅茶の香りを愉しみ仄かに香るブランデーを味わいつつ冷めた頭で思う。
このくらい騒々しい飲み物のような世界を掻き混ぜるスプーンが僕の役割だろう。
そう思いながらミルクを一垂らしして銀のスプーンで掻き混ぜた。
大河の終着駅のような中央都市チキンは多くの経済的事情や戦術的価値に置いて落第点ばかりが目立つ立地にある。
ただ一つだけその地形で良かったと今になって思える部分があった。
その一つとは疫病を閉じ込める事が容易な都市の形状に他ならない。
武器として用いられた複数の疫病の中でも黒死病、所謂ペストは感染力が強く特効薬や対応策が無い状況であれば人口の六割程度ならあっと言う間に死滅する猛威を振るう悪意の塊の様な疫病である。
しかし、シルナ王国の中央都市チキンのように山をそのまま城にした様な逃げ場のない形であれば撲滅は容易に行える。
とは言っても超常の力をふんだんに用いた上での”容易”ではあるが。
予防薬を服用し、防疫服を纏い、マスクを着けた集団が白い川のように二手に別れて歩き、中央都市チキンを包囲、障壁魔法を前進させて上空すらも密封した。
内側からの攻撃を障壁魔法で防ぎ、中央都市チキンの外周に魔法陣を描くと云う土木工事に着手するまで、時間にして五日間を要した。
途中出陣してきたシルナ王国兵を十数度撃退し、その夥しい死体を集め、土魔法で作った炉に投げ込み火葬するという疫病対策を行った、だがシルナ王国民の目にどう映るかは今更過ぎる話だ。
高い煙突を備えた火葬場が土魔法と幾ばくかの建材で建てられ、続々と遺体が運び込まれて遺骨が慰霊碑周辺の納骨堂に納められていく。
包囲殲滅の果てが彼等の土葬による埋葬の風習を否定する火葬である事を知って震えあがった民衆が門を内側から抉じ開けて脱出を図ったものの、障壁魔法に阻まれ押し戻されて半数は中央都市チキンの外堀に落ちて行く。
空掘りの中には尖った木の柵と竹の柵が並び、逃げ場のない者達の呻き声が城壁内の人々に届く事無く、泡のように消えていく。
自分で拵えた罠に自分が掛かるようなものであり、返しが付いた悪質な柵も見受けられる。
シルナ王国兵の遺体を片付ける作業を続ける防疫兵達は先日の戦争でも活躍した戦利品回収兵である。
浄化、洗浄を終えた装身具や武装を部隊後方に集めて集積する事も彼等の任務だ。
シルナ王国の金属の扱いは拙いものばかりが目立ち、末端の兵士ともなれば鋳造品の穂先や剣という頼りない武具だらけで、概ね鋳潰してからインゴットに戻してのち使える物に作り直す事になる。
基本的に分解して清掃し資材として計上されるが、グラム幾ら、一山幾らの好い加減な物資である。
魔法陣の完成報告を受けたノットは作戦遂行の許可と号令を発する。
シルナ王国中央都市チキンは青白い清浄な空気に満たされ戦意を持つ者は戦意を喪い、害意を持つ者は害意を喪い、罪を犯した者はその罪の意識に苛まれ眠りを喪う。
聖なる悪意と後に揶揄される無力化魔法の一つが大都市を駆け巡る。
増幅魔法と共に白い防疫服を着た子供達が聖歌隊として神力を纏い、都市を囲んだ四方から神曲を歌い始める。
スピーカーほどではないがそこそこ響くその歌が無力化されたはずの市民や兵士に恐慌を齎した。
人の皮を内側から破り、悶絶しながら本性とその姿を顕した魔人達の登場である。
自分の伴侶が、子供達が人の姿を捨てて魔人へと回帰する。
半狂乱になり乍ら逃げる人々を魔人たちは呻きながらも本能に従い追いかけて食らい付く。
「地獄絵図たぁ、この事だな。」
マナを通した遠眼鏡で市街地で起きた魔人の捕食を確認したノットは、先ず貧民街の攻略を命じる。
障壁魔法に穴をあけて中央都市チキンの貧民街へと進軍を開始する。
衛生面が最も劣悪とされる地域の民衆を捕えて次々と改宗を薦め、僅かな食糧と水と引き換えに宗教紋を打ち込む。
改宗を拒んだ者達は罹患者を除き奴隷紋を施されて城外に設えられた天蓋のある風呂場に叩き込まれた。
商品化作業であるらしく奴隷商人は澱み無くボロキレのような服を燃やし、貫頭衣を奴隷たちに着せて馬車に詰め込んでいく。
砦から延々と行われた道路工事は馬車の為に行われたもので、資金は彼等奴隷商人ギルドからかなりの金額を提供されている。
王都から続々と糧食と物資を積んだ馬車がやってきて、奴隷を乗せて帰って行く。
全身を洗い清め、平服を纏わされ整列させられた宗教紋輝くスラムの改宗者達は順番に薬を飲み防疫服を着用しマスクを着けてスラムの建物を破壊し場外に運びだして焼却する作業に従事する。
「ネズミは見つけ次第殺せ!、患者が触れたものは躊躇なく燃やせ!防疫兵の指示に従って作業を徹底せよ。」
「第二班は下水掃除だ!上部市街からの排水を塞き止め浄化槽を建設する!急げ!。」
結局経済的にこれから落ちぶれる事になる中央都市チキンを生かす政策が押し通され、タケルは攻略の任をノットに丸投げして西進する事になった。
「城が根元からポッキリ折れたら逃げろ…か。」
ノットが望遠鏡から目を外し傍に控える少年兵へと手渡す。
奴隷を乗せて走る為の空馬車がズラリと並ぶ駐車場と馬房、そして整然と設営されたテントと大量の竈、兵士たちが入れ替わり立ち替わり時間ごとに整列して中央都市チキン近くの防疫所で防疫服に着替えて再度整列し点呼を行ってチキンのスラムを拠点化する作業の為に進軍を開始する。
ここに到着してそろそろ二週間、いい加減に嫌気がさしてきたノットは央都市チキンの正門を抉じ開けての突入を命じた。
「砲弾、撃てぇい!。」
堅牢な門は轟音を纏った十条の砲弾により瓦礫と化し、既に工作兵に埋め立てられた堀は騎兵も悠々と渡れる強度の路と化していた。
わらわらと工兵たちが瓦礫を撤去し始め、それを妨害すべくシルナ王国軍による弓箭兵による掃射と曲射が行われる。
障壁魔法がシルナ王国軍からのか細い応戦を無力化するがそれでも何名かの被害者を出した。
反撃とばかりにシルナ王国弓箭兵に向けて爆薬を結びつけた矢が放たれ、爆音が彼等の士気を削ぎ、秩序を崩壊させる。
範囲魔法による一方的な殺戮が繰り広げられ、障壁魔法による陣取りが行われる。
侵入してきたトリエール兵への横撃を企図した敵兵の突撃は、予想以上にブ厚い障壁魔法によって阻まれ、進撃を止められる事になった、
シルナ王国兵は後方から押し寄せる味方によって退路を塞がれ、畳み込む様に叩きつけられた魔法や剣によって鏖殺され、シルナ王国兵の遺体は荷車に乗せられ次々と火葬場まで運ばれ、外科医を志す者達によって解剖学の礎となったり、魔法医療の練習台として幾らかの社会貢献を果たしたのち焼却処分されていく。
平民街の門や突貫工事で造られたと思しき柵や土塁は破られ、城壁上部へと至る階段の攻略が開始される。
城下をぐるりと囲う城壁を手中に納めれば第二市街地、通称”商人街”へと至る道程の高所を取る事が可能となりシルナ王国軍の進軍を完全掌握出来る位置を占めることが可能となる。
ノット麾下の将兵で最も武勇の誉れ高き男が指揮官に任命され、その攻略へと乗り出す。
高所を取られた状態での戦闘は過酷を極める。
ノット麾下の将兵達は平民街の各所にある望楼、高楼、櫓と呼ばれる観測、防衛施設の攻略を其々開始する。
予想以上に粘られる事を想定して補給の追加と貧民街の拠点化を急がせる。
城壁を頼っての守りに定評のあるシルナ王国兵は弱兵である、だが彼等の本領は持久戦と地の果てまで逃げる事である。負けると判ればどれだけの恥も外聞も金繰り捨てて降伏する。
今回は逃げ場が無いので地の果てまで逃げ続けると言う選択肢は選べないが奪い奪われる生活に特化した精神性が培われている為、降った後平気で裏切る事も彼等には日常茶飯事だ。
宗教紋と奴隷紋の二つを改良してこの戦いに間に合わせた理由の一つと言うか殆どを占めるものであった。
一ヶ月の時が過ぎ、旧王都キウや王都近郊の貴族達が貯め込んだ兵力と物資が最前線である中央都市チキンへと集結した。
デモルグル騎兵は半数に減じたものの、北の平原を巧みに逃げ続けイスレム率いる師団を翻弄する。
干し肉を齧りながら忌々し気にデモルグル軍を見遣るイノの目には色濃い疲労が漂っている。
デモルグル領を半円形に突き進み、彼等の拠点となり得る砦や古城の跡地を支配下に納め、まだ雪が残る地へと追いやっているのだが、タケルの立てた作戦に今の疲労度を重ね合わせると明らかに兵数が不足していた。
「いかん、調子に乗って突出しすぎたか。」
デモルグル軍に対し何度も果敢に戦いを挑み、囮として暴れ回ったツケの支払いがそろそろ纏まった形で請求されそうな状況である。
二つほど拠点を放棄してイスレムから送られて来る増援と合流すべきかと悩んでいたイノに斥候からの凶報が齎される。
デモルグル軍全軍来襲。
即座に手荷物として二日分の食料を手元に遺し砦の食料を焼き門扉も纏めて燃やす。
猛烈な勢いで遣って来るであろうデモルグル騎兵から漂う不可視の圧力を背中に受けてイノは即時撤退を命じて退却を開始した。
早馬を出し砦の放棄を命じ、古城へと集結する指示を出す。
撤退を開始して一日、肉眼で確認できる位置に迫るデモルグル騎兵二万七千を背に草原を駆ける。
魔法兵の魔力を殆ど費やして仕掛けた泥沼にデモルグル騎兵が殺到する。
それでも仲間の死体を足場に進んでくることは想定の範囲内だ、タケルに命じられた仕掛けは魔法兵の酷使とも言える内容であったが、魔法兵と身体を縄で繋いだ騎兵に命を預けて逃げる事が前提の退却戦術である以上、出し惜しみされては堪ったものでは無い。
沼地の三段構えでデモルグル騎兵は足止めされ、その数を減じるが、最初から織り込み済みと言わんばかりの猛追を開始した。
脇目もふらず逃走を続けているイノ達はかなりの距離を稼いだものの宿営地で休めるような距離と数的有利を手に入れた訳ではない。
予定通りの退却戦ではあるが、追い込まれてから使用しても良いと預けられている危険物を使う気にはまだまだなれなかった。
イスレムが率いる師団はデモルグル領の中央部ノマド平原に陣を移動しデモルグル騎兵の行軍とイノ隊の行軍を三日ぶりに確認した。
音信不通になっていた理由は幾つかあるのだが、誠に運が悪かったとしか言い様が無い。
各地に隠れ潜み半ばゲリラ活動を行っているデモルグル人に伝令が殺されていたのだ。
半ばと云う部分は必要に迫られてと言い換えるべきかもしれない、棲み処として隠れ潜んでいた場所を暴かれ続けた彼等は行き場を失っていたのである。
降伏に応じた老人や女子供はクトゥの地に集められて不自由ではあるが命の危険に晒される事は無い、怪我人として運ばれたデモルグル兵は概ね客分のとしての迎えに応じ、極一部は改宗、その中でも武器を取って暴れた者は宗教紋を打たれ、死者を出したものは仕方なく奴隷紋を打たれた。
判子を打つ様に容易に人間を奴隷化してしまえるシステムに彼等は戦慄する。
互いに無傷とは言えないが戦線は縮小し始めている。
その中で風前の灯火となっているのはイノ達くらいのものであろう。
「慌てず慎重に急いで逃げろ!。」
無茶を言う指揮官に率いられて彼等は逃げる。
イスレムが派遣した援軍に気付くまで彼等は只管駆け続けた。
とっぷりと陽が暮れた夕暮れにイノ達は歓喜の声を上げてトリエール王国軍旗を仰いだ。
デモルグル軍を引き摺りまわす事十数度、見事に生きのいい囮を演じ続けた彼等は陣に雪崩れ込むと人馬諸共崩れ落ちるように宿営地の草むらで五体を晒して眠り出す。
「軍装を解いて寝床に運んでやれ。」
やや呆れたように宿営地を警護していた老将が配下たちに一通り命じて椅子に腰かける。
イノ達が回収されてより五日後、デモルグル軍は追撃に次ぐ追撃を重ねられ、トリエール王国側の川を背に挟撃される体勢に追い込まれる。
命懸けの突撃を行い、前方への退路を開かんと試み続ける事四度、イノ達魔法騎兵による障壁魔法による完全包囲が決行される。
これ以上の突撃、戦闘行為は無意味であると示す意味でも必要であると判断し、投降の呼びかけと共に密封状態を維持し続ける。
当然、士気の続く限り戦う勇猛果敢な彼等は、簡単には降伏勧告に応じる事は無い。
密閉された空間に眠気と幻覚を誘う大麻草を燃やしたものを次々と投げ入れてトリエール軍の兵士たちは見守り続ける。
包囲密封から丸一日後、デモルグル騎兵は全てトリエール軍に捕えられ砦内部に用意された捕虜更生施設へと収監された。
草原に隠れ潜む者達を炙り出す人狩りがこの後十日以上をかけて行われたのち、デモルグル北部の支配兼確立の為イスレムが各地の砦の再建作業の指揮を執る事になった。
「ではあとは師団の殆どを任せる事になるが任せたぞイノ。」
深く一礼をしイノはイスレムから委譲された師団を率いてタケルと合流することになる。
「予定通りお預かりいたします。閣下は出来る限りお早めに王都にお戻りになりますよう。」
「ああ、判っておる、時にイース陥落の報は未だ届かぬが、あそこは其れほどまでに堅城であったかの。」
タケルらしからぬ手際の悪さを懸念したのかイスレムはイノに疑念を問い質してみた。
「タケル様と会議を繰り返した上で、想定される事態は、まず、予想以上に魔人が潜伏していたか、ザン。イグリット教徒か西の国の介入、或いはその全てでしょうか。」
「シルナ王国を恨み過ぎて焼き切れた伯爵領か、あれの介入は避けたいところであるな。」
「亜人の国を敵に回して戦う破目に陥る事だけは避けとう御座います。」
翌朝、出陣式を終えて北方守備軍八千を遺してデモルグル追捕隊は草原中央の本陣へと向かう。
本陣を引き払いクトゥの陣へと戻りデモルグルの民の仕置きを一切片付けなくてはならない。
人別張などもあるが一度彼等は王都に向かって洗礼や住民登録をおこなって臣民としての等級を定めなくてはならない。
遊牧民としての生活もあるが先ずは敗戦を受け容れる事と義務教育の就学期間を満たす必要があった。
識字が出来ないものはそもそも誓約書を書く資格が無いのだ。
神事としての誓約であるので其処はかなり厳格なものとなっている。
家畜をゾロゾロと引き連れての移動を護衛する兵士たちも少なくては逃亡を許してしまいかねない。
国家の統合としてはかなり特殊なケースとなったが、これから一番大変な事になるのは王都の文官たちであることは疑いなかった。
西方都市イースでの魔人狩りは、その余りにも多い数にタケルが音をあげる程であった。
スラム街の人口の七割が魔人。残り三割はコレラ、赤痢、ペストで全滅。
貧民街は千人に一人の割合で魔人。城とその周辺の市街は支配者層に上級魔人や中級魔人と仮定して名付けたくなるくらいの理知的な魔人が人の皮を被って指揮を取っていた。
彼等に病原菌は殆ど効果が無く、寧ろ活性化を促し媒介するくらいに良く馴染んでいた。
魔人を四桁に届く数葬った辺りで周辺を漁って見繕った武器が尽き、魔力の消耗で意識を失いかけたタケルは隠していた軍装に着替えて西方都市イースから脱出した。
「想定外の数だ、腕が上がんねぇ。」
少年兵バルカンから冷たいお茶を受け取ったタケルは湯呑みが想定外に重く取り落としそうになる。
「パジョー島では空を飛ぶ魔人凡そ二千体以上が確認され激戦となっているそうですからやはり、状況は危険な方向に傾いているものかと思われます。」
お茶を一気に飲み干してバルカンに御代わりを要求しタケルは椅子に深く腰掛けて居住まいを正す。
「パジョー島とは何処だ?。」
地図を広げてコンラッドに答申させるとタケルは目を覆う。
「八畳島みたいな狭い島に二千体の魔人が湧いてしかも空を飛べるだと?。」
歯ぎしりと共にパジョー島から一直線に西方都市イースを一本の紐を伸ばして置いてみる。
東方都市アンヅ、中央都市チキンもその紐の下に綺麗に並んでいた。
「不味いことになったぞコンラッド。」
その日、東方都市アンヅが大地震と共に崩壊し、水素爆発と共に地表面が空に吹き上がり、巨大なクレーターを残して消え失せた。
早朝、大地を揺るがす地震により目覚めたタケルは西方都市イースの攻略を命じた。
時間は残されて居ないが後背を突かれるよりは片付けた方がマシであるとの判断だ。
しかし敵も味方もタケル程地震に対する免疫が無く、若い者たちは概ね狼狽えている。
何か悪い事が起きる前触れなのでは?と尋ねられた時にタケルは心の中で思わずexactlyと答えてしまいそうになり何とか堪えた程であった。
「ザン・イグリット教徒の思い通りになるというのは癪な話です。」
「魔人が顕れるデモンロードがもしコレだとすればの話だ、その上、尚且つ直線で造られているという仮定が正しければ…だがな。」
世界に造られた”路”の内、有名なものの一つだ、アビスロードもあるというが発見などしたくも無いし刺激するなど以ての外だ。
界を渡る縦に築かれた路も危険過ぎる。幻想種の界などが開かれてしまえば英雄やら勇者やらが活躍する舞台が整ってしまう、そんなもの僕のような只の人間には荷が勝ちすぎて手に余る。
神話級の何かが敵としてひょっこりこちらに顕現でもしようものなら十数万の兵ですらたちどころに塵芥と化す。
今、下手をすればそんな危険が目覚めないとも限らないこのタイミングで畳みかけるような異変はノーサンキューだ。
だが大地は余震を立て続けに繰り返しながら震えている。
「障壁魔法展開、西の国方向であれば逃がしても構わん、魔人だらけで嫌気がさすだろうが敵は凡そ五万、魔法剣での戦闘以外許可しない、武器に不安が出たら迷わず引き返せ、ではドラゴンスレイヤー隊城壁諸共城門を吹き飛ばせ!!!。」
「撃て!!。」
号令と共にドラゴンスレイヤーが射出された、その本数三十本、第二射、第三射と打ち込まれた鉄の弾体が頑丈な城壁を突き破り、東門に殺到して夜を明かした市民を紙屑のように引き裂いてのけた。
「弾体回収、瓦礫撤去、歩兵、槍兵前進、弓箭兵援護準備、騎兵は聖歌隊を乗せて待機。」
意思確認のような指示をタケルは呟き、コンラッドが周囲を取り巻く将兵に指示を出す。
「コンラッド、爆雷魔法で東門を制圧するように命じろ、時間短縮だ。」
無力化を強引に行って殲滅する腹積もりであるらしい事を察したコンラッドは魔法兵の責任者を呼び出して弓箭兵の脇を固める布陣を行う。
急ピッチで歩兵と槍兵に護られた工兵が瓦礫を撤去し弾体を回収する。
広域殲滅魔法による爆雷がシルナ王国の国民を無力化し迅速な制圧を可能にする。
改宗に応じない者達は奴隷化、奴隷化に応じない者たちは疫病患者と略同等の扱いを受ける。
魔人を炙り出す聖歌隊を護りながら進む歩兵の一団は盾を構えて矢を防ぎながら移動する。
騎兵隊は続々と聖歌隊員を降ろして市街地戦へ突入していく。
開戦五日目、スラムへの道を塞ぎ西方都市イースの中枢部へと歩兵と槍兵が雪崩れ込み橋頭保を確保したのち弓箭兵が開けた場所を手に入れ歩兵をアシストする。槍兵の壁を迂回して騎兵が市街地に雪崩れ込むと同時に多くの者達が異変に気付き、服薬と防護服装着の徹底を開始する。
空気の重さが違う、死の臭気が鼻を衝く。
手遅れという言葉が良く似合う。生存者はもう殆どいないであろう。
そういえば中央都市チキンではどの様な場所が疫病の発生地となっただろう。
「転居を認められやすいのは富裕層だったな。」
そもそも富裕層以外は人として扱われない。
場合によっては戸籍すら持っていない、そういうお国柄である。
疫病の発生は城下町から始まり富裕層を直撃、生き残りで元気のあるものは…。
「一人残らず魔人って事だ。」
魔人兵が隊伍を組んでまずは弓箭兵たちの矢の洗礼を受けるも半数が空を飛んで回避する。
飛行できる存在の厄介さはこれから味わう事になるであろう。
「飛行魔人は魔法兵が受け持て!、迫撃砲!あるだけ用意しろ。」
魔法兵たちは上空から飛来する魔法攻撃に対する魔法障壁の層を厚くする。
正面から襲ってくる魔人が気になって仕方が無いが上を取られている以上不利は中々覆らない。
対空攻撃は障壁魔法によって阻まれるので弓箭兵は飛べない魔人へと標的を切り替える。
スラム街を包む魔法障壁の内部が灼熱の炉となり魔人たちが魔法障壁を内側から必死の形相で叩きながら逃げ惑う。
出口の無いドラゴンスレイヤーのようなもので処置無しと認められた地域にのみ許可された殲滅戦術であった。
「コンラッド様、障壁魔法隙間なく展開し熱気の漏れも御座いません。」
「よし、更に厚く障壁を重ねて圧縮を開始する、魔人の生存能力は古文書によると恐ろしく高い、鉄をも溶かす法術を耐えたとも言われているからな、念には念を入れて更なる爆裂魔法を内部に展開し障壁内部を白熱させよ。」
「ハッ、畏まりました。」
敬礼を施して士官が駆け足で幕舎を出て何名かの伝令に指示を飛ばす。
万を越す魔人の死体を鋳溶かして得られる何かについても文献には記されていた、それは禍々しくも希少な武器や防具の素材であると謂う。
凡そ真面な精神では入手を試みようとは思えない代物ではあるが、手に入るものはなんでも手に入れておきたい、それが喩え神罰が下りそうな汚物であっても武器として使えそうなものであるならば軍隊として獲得しておきたい物に化ける。
費やしたマナと同等程度の価値くらいは期待させて貰いたいものだとコンラッドは帳簿をつけながら魔法障壁の内部を観察する。
「障壁上部をもっと厚くせよ、飛べる魔人が叩いているぞ。」
慌てて魔法兵が駆け寄り障壁の強化を重ねて補強を続ける。
こちらが片付いた後、なるべく早くタケルと合流を果たさねばならないコンラッドとしてはこの様な場所で長く足踏みするわけにはいかなかった。
城址突入から既に四日、完全制圧にはまだまだ時間が掛かりそうであった。




