第百五十九話 包囲捕縛と悪魔の調べ
湿地を挟んで駆ける、行く先に立ちはだかる者はシルナ王国北部守護の最後の兵にして最後の騎兵隊である。
デモルグルの騎兵達から見れば足手纏いなだけの彼等を見捨てる事も一つの戦術であるが、その向こう側には何も無い無人の野と、丘の上のデモルグル本陣があるだけである。
シルナ王国の騎兵の後方を扼して逃走を防ぎ緩衝材としての運用を考えれば何としてでもトリエール軍の騎兵を上回る速度で疾駆せざるを得ない。
一日二日で至れる距離ではなく本来であれば何度か衝突があって然るべき距離にある両軍ではあるが人工的に設けられた湿地帯に大量な河川の水が流れ込み沼地を渡るに等しい手間と装備が要求される状況である。
普通の世界であればそれでも両軍の衝突は避けられないところであるが、広域殲滅魔法が降り注ぐ沼地を安全に渡る事はトリエール軍側に可能でも魔法師を揃えていないデモルグル軍側には不可能事であった。
周囲に斥候を放ち足場を確認しながら進むデモルグル軍が沼地に挟まれた隘路を疾駆している事実に気付いたのは少なくない犠牲を払った後の話であり、先頭を走る者達が判別しづらい曲がり角で騎馬諸共沼地に投げ出された事から警戒させられるに至ってからである。
騎兵隊の機動力を十全に生かせず増水を続ける足元への不安が増すにつれデモルグル軍の士気は低下していく。
互いが互いを確認し進軍を続ける事三日目、悠々と炊煙を上げる斜面の上側にあるトリエール軍を見上げて泥濘、水の流れる道を進むデモルグル軍に野営が出来そうな場所は存在しなかった。
それというのも今現在デモルグル軍が進んでいる道のような場所は元々は大河の川底であり、排水路建設予定地であった。
左右に農地として整備された湿地が造成されているが、戦地として使う前提で不完全に整備されているので畦道や前述の排水路はまだ用意されてはいない。
上流のダムから少しづつ放水がなされている現在、在りし日の大河として目覚めるとまではいかなくとも小川程度に増水する可能性がそこにはあった。
徐々にトリエール軍が駆ける側の道が高さを得ている事に気付いた時には既に遅かったのである。
古き時代の堆積物が造り出した自然堤防の名残であるので気付けという方が酷な話だ。
高所を取られた事によりまぐれであっても弓矢での攻撃が届く事は無くなった、手詰まりではあるがもう進む以外の行動が無くなった分彼等は段々と開き直って行く事となる。
デモルグル軍の進行方向にはシルナ王国軍の騎兵隊が居る。居る筈である。
合流までは最後の義理を果たす上で仕方が無いものとして、最早取れるべき手段は少ない。
疫病の運び屋の疑いのある彼等を盾として使い潰して本陣に戻り、兵を出し渋り続けている他の氏族のケツを蹴り上げるか、適当なところで降伏し、動かなかった氏族に襲い掛かる形で逃がす道を取るか、それらの余地が無ければここで全滅するかである。
勿論文字通り地の果てまで逃げるのも手だ。
そして残念な事にシルナ王国軍は長城破砕軍の魔法攻撃を受けて撤退を開始した。
戦線を持ち堪えさせる見得の一つも張れずに散り散りに散開したと言った方が正しいかもしれない。
シルナ王国方面に逃げようとした者達は陣を構築して待ち構えていた一万人の兵士たちに鏖殺され、デモルグル本陣側やトリエール王国側に逃げ出した者たちは辛うじて生き残り、どちらもデモルグル本陣へと最終的に逃げ込む形の逃走経路を辿っている。
「其処にタケルの手の者が向かうか…。」
予定通りと言うべきであろう。
イノ率いる二千の騎兵隊が丘の上に布陣したデモルグル軍本陣を守る為に弾丸の如き進軍を敢行している。
遥空の彼方から丸見えの敵陣を突くだけの簡単なお仕事…ではなく、疑いどころか疫病の運び屋と化したシルナ王国軍の兵士からデモルグル軍の本陣を守るために進軍しているのだ。
シルナ王国軍の疫病罹患者から潜伏期間を終えた疫病発症患者が出てしまえばデモルグル軍の女子供と老人の体力では一溜まりも無い。
シルナ王国側への退路は砲兵陣によって塞がれ、ウェルコメ開拓村建設予定地ではイスレムの到着を待ち受けるようにトリエール軍の本陣が築かれている。
そこは柵が立ち並び数条の堀が走る、デモルグル軍の進軍を今か今かと待ち構え続ける長城破砕軍の半数一万人が待機していた。
「シルナ王国軍残兵掃討と掃除が済んだとの報告です。」
「排水口での死体回収と焼却作業も順調、但し三千人は掛かりきりになると報告が入っております。」
「予定通りという訳だな、宜しい、残余八千の兵の合流前に寝床の拡充を急げ、デモルグル軍の他氏族が重い腰を上げたとの報告もあった、全て合わせて四万騎の大軍が合流する前にこれを叩く、予定通りに陣の構築を急げ。」
イスレム率いる軍団が本陣に到着し体勢を整えてデモルグル軍のテム隊を半包囲する。
「イスレム隊長…いえ、軍団長お久しゅうございます。」
「半年振りか、お互い若者に振り回されておるな。」
紅茶を片手に簡易砦のテラスから法兵陣と砲兵陣が混在した景色を見下ろす。
「あの黒い筒はタケルが造らせたものか?。」
「はい、爆裂魔法で鉄球や石の弾を撃ち出す、大砲と言うものだそうです。」
恐らくはあれこそがドラゴンスレイヤーの原型であろう、あれを知っていたからこそ産み出された魔法がドラゴンスレイヤーなのだ。
だが、それを理解したところで現状には何も産み出しはしない、障壁魔法無しで弾が撃てるだけで十分だ、爆裂魔法使いとあの砲を持って移動できる一般兵だけで遠距離攻撃が可能になったのだ。弾など土魔法が使えれば無尽蔵に造り出せる。
砲兵と云う兵科が誕生し最初の咆哮はデモルグル軍へと撃ち出された。
当然、馬も竜も兵士もその轟音と弾着で恐慌状態に陥り、鞍上の兵士を振り落として騎馬と騎竜が逃げ出す。
必死に御する兵士達の傍を砲弾が飛び交い、着弾し泥沼を爆音と共に飛沫かせる。
巻き上がった泥水の雨が遅れて降り注ぎ、砲弾の雨が沼地を抉る。
運悪く兵や馬や竜に砲弾が命中するが、概ね狙っている対象物は人では無かった。
「彼我の戦力差を理解した者達は武器を捨てて投降せよ。我々は遥か昔に貴君らの祖先より受けた恩を忘れてはいない、誤って砲弾が命中した者への謝罪はするし投降者を厚く遇する約束もしよう、勇敢なるデモルグルの矜持を傷付けてはならないとする気持ちにも応え一戦する事も辞さない覚悟もある、だが忘れずにいて欲しい、我々は貴君らに非道な真似はしない、それは我が祖先が受けた恩を忘れてはいない明かしだからだ、貴君らがどちらを選んでも構わない、我々の手の内は見ての通りそれでも戦うと願うならば致し方なし。」
その大凡がデモルグル歩兵と化してからの宣告である。
穂先を揃えた槍兵が横列に並び、唯一の通路を完全に塞いだ形で前進を開始する。
左右には沼地と呼んでも問題の無い粘度を持った湿地、柔らかく足に纏わりつく水耕に適した大地が広がる、逃げるならば今来た道を引き返す以外無い。
しかし、デモルグル軍の後方からはイスレムの副官が率いる機動力が無い歩兵と槍兵が一日遅れで排水路の仕切りを外しながら前進を続けていた。
進退窮まった彼等は本陣側の湿地へと逃れる事を試みるもその湿地を抜けた向こう側にも兵士達が待ち構えていた。
どちらを向いても敵しかいない。
「この道を選ばされた時に既に勝敗は決していたという事か。」
テムは自ら選んだはずの道を選ばされた事に思い至り思わず唸った。
最初の湿地で足を取られたあの時に退いた瞬間か…雪が残っている場所は通れると気付き誘われるままに進んでしまったこの道と、並走するトリエール騎兵のこれ見よがしな進軍。
その全てが計算づくであったならば、この完全包囲は余りにも優しい、軍人にあるまじき優しさで出来た包囲だと言えよう。
ここに誘い込まれた軍がシルナ王国軍であったならば、それは殺戮の宴会場と化した事は疑いない。
「致し方なしと言うやつだな、チャガ騎竜を貸せ。」
愛馬を降りチャガが跨る騎竜に乗り換える。
「如何なされるのですかテム様。」
「お前たちは好きにせよ、戦うも降伏するも好きにしていい。」
テムの降伏を示唆した号令に従えない一派を遺して、多くのデモルグル騎兵、歩兵が武器を捨てての投降を始める。
投降しない一派は正面の槍兵へ向かって最後の突撃を行う。
槍兵が左右に下がる、最も犠牲の少ない道を選んだ指揮官を見据えながら行けとばかりに大きく兵が下がり道が作られる。
この場で死を選んだ筈のテム達は砲兵陣地の只中で顔見知りの将達と邂逅する。
「テム・イサァ・ラトバン、シスカ氏族の勇者であったな。」
大将自らがお出迎えであった。
文句などあろうはずもない一騎打ちの場が其処に在ったのだ。
総兵力八万超に取り囲まれ揉み潰される筈のデモルグル軍九千、その殆どの騎馬騎竜を喪って突撃を果たせたのは僅か百にも届かない騎兵であった。
あの轟音は馬と竜には刺激が強すぎた、そういった訓練を僅かも積んでいないともなれば逃げ出す事を止め置ける事も叶わない。
現代の馬もその部分に労苦がある、音が苦手な馬には耳を覆う覆面を付けさせ、横や後ろに何かがいると落ち着かない馬には覆面に遮蔽板が取りつけられる。
馬は繊細な生き物だ、人と同じく臆病な生き物であるのだ、竜はそれなりに鈍感ではあるが、あれだけ轟音と破壊を見せつけられてしまえば逃げもするし怯えもする。
大軍に囲まれたこの場に先程の破壊兵器や広域殲滅魔法が準備も無く降り注ぐ事は最早あるまい。
「──────忝い。」
軽く取り回しの効く長い槍と短い槍、そして短い弓、使い慣れたその武器を確かめて塹壕の間に作られた道を進む。
双方供の物を連れて中央へと進む。
この一騎打ちの場もシナリオ通り、互いに騎竜に跨り対峙する事も見越して贈られた一頭だ。
それと同じくタケルから贈られた剣と槍は老体を労わるかのような構造と機能を持っている。
蓄魔に長けた材質を選び抜いた刀身、通魔に飛んだ構造と随所に張り巡らされたミスリルの銀線による高度な常時発動魔法が施された武器と防具である。
見た目は無骨そのものであるが中身は気も狂わんばかりの機能で満たされた武具であった。
燐光を曳き、構えた位置で微動だにしないイスレムの武器から立ち昇る魔力の質はテムに量れるような単純なものでは無かった。
騎竜が大地を抉りながら前進し最初の一合が交わされる。
互いに剛力一閃、仰け反る威力の一撃に双方面食らう。
テムからは老将らしからぬ一撃を喰らわされた驚きが、イスレムからは自らが揮う武器の持つ危険極まりない威力を放つ増幅の恩恵に対する驚きが互いの心に迸る。
続けざまに放たれる二合目で互いの実力への認識を修正する、若者の迅速な行動に老人の経験が何処まで抗し切れるかと言うものである。
柳のようにテムの一撃は流されている。三合、四合と斬撃を重ねるに連れてイスレムの強さをハッキリと認識できる。
「流石は父の仇。」
私心が故に降伏は出来なかった。イスレムに破れた父を思えばこの身は決して戦わずに降る訳には行かなかったのだ。
「貴様の父であるヤス・ディ・グェイはもっと強かったぞ。」
横薙ぎの一撃を受け止めて騎竜がたたらを踏む。
投げ捨てるように槍を揮い力押しを逸らし短槍でイスレムに肉迫する。
イスレムはあっさりと槍を地面に突き立てて、抜刀した腰の剣で短槍を迎撃し、激しい火花を散らして短槍の穂先を半ばまで切り裂いた。
心の中で信じられないものを目撃した心地が染みのように広がって行く。
簡単に断ち切られるような素材で打たれた武器ではない。なのに短槍はこの戦いでその命の幕を閉じた。
父から受け継いだ武器を断ち切る剣技に対する畏れのような何かが芽生え、心を侵食する。
虚を突くために投げるにしても機は逸したも同然、投げる事そのものを待たれている状況で投げたところで意味が無い。
騎竜が互いを噛み合う距離で短槍を振るいながら剣を騎竜の頭を割る軌道から強引に逸らす。
短槍をイスレムの騎竜に投げつけて距離を取り、長槍に持ち替えて突進する。
納刀を済ませて槍に持ち替えたイスレムも無造作にテムへと突撃する。
強心臓同士の斬撃の応酬が再会された。
イスレムに騎竜を蹴り飛ばされて仰け反り、一瞬遅れた鼻先にイスレムの槍が疾る。
残光を煌めかせながら引き戻される槍の穂先から熱風が襲い掛かる。
打ち合う事十合目にしてイスレムの槍は魔法武器として起動した。
テムの目は見開かれ、始めて見、その身に受ける事になる魔法武器の威力に戦慄する。
法外な威力を纏ったその槍の刃が触れた場所から槍が切断される。
仰け反り後方に下がった空間を焔が走り、竜を慄かせた。
斬られる、斬られる、斬られる。
三合受けた槍は只の棒となり、手元にある武器は短弓のみとなった。
冗談じゃない、御伽噺の英雄とでも戦っているのか?、否、戦っているのだ。
鉄も断てる、硬木も断てる、竜は?人は?、愚問だ、躱し切れずに既に肩口が斬られている。
鎧すらアッサリと切り裂いて見せた。
これでは裸で戦っているに等しい、防具など飴のように切り裂いて見せたあれは、俺の降伏待ちであろう。
最早雌雄は決した。
短弓を腰から外し投げ捨てる。
「完敗だ、イスレム将軍。」
「麾下の兵の命は保障しよう、テム将軍。」
降伏を受け容れて捕縛したデモルグル兵九千人は捕虜として扱われる時間もそこそこに、瞬く間に改宗とトリエール王国への編入が済まされる事となる。
タケルが仕込んだ諸事が悪事を越えた何かであるような気がしてならない。
捕虜がお荷物にならずそのまま戦力として疑いなく使えるようになったのは素直に喜ばしい事であるが根源的な何処かで納得できない事は如何考えたって無理な話である。
「ならば全て殺しますか?。」
と、ため息交じりで諦めの混じった表情のまま抹殺指令書にサインを求められる、どちらがより救われないか、どちらがより悪事に手を染めているのか、など聞かれたところで返答に窮するのは目に見えている。
人を殺さずに済む方法を模索した上で辿り着いた結論だとは思えても人間として納得してはいけないと思うのだ。
改宗の際に施される宗教紋と奴隷紋の違いは何処にあるのだろう、今度タケルを問い質してみたいものである。
捕虜から鞍上の人に返り咲くまでに要した時間は半日程度であった。
冗談のような速度でイグリット教の司祭が改宗を宣言して宣誓書を欠かせて宗教紋を左胸に刻んで去って行った。
軍籍を与えられて武器を返されて俺は今トリエール軍の本陣に設えられた食堂で飯を食っている。
「若者はしっかり喰う事が仕事だ。」
つい先程まで死闘を繰り広げていた相手と差し向かいでワイン片手に食事である。
仁将イスレム、トリエール王国軍所属、八氏連合筆頭国のダン・シヴァの私兵にして右腕。
そして父の仇だ。
「お主の父は勇敢だった、この儂の生涯に置ける一騎打ちの中で二度負けた唯独りの相手じゃ。」
五戦二勝三敗は父とイスレムの戦いの結果だ。
互いに二度捕虜となり、二度帰る事が出来たが、三度目はトリエール軍正式の棺桶にデモルグル国旗が掛けられた状態で中立地帯の草原に帰された。
思い返しても律儀な事であった。
恨むのは筋違いであったかもしれないが、それを糧にここまで来たのだから早々捨てられる気持ちでは無かった。
矛を交えて見て思った事は卑怯でも卑劣でも無い只の武人が其処に在ると言う事だけであった。
そしてあの異質な武器の使い方が今までに無かったものである事を肌で感じた、何故だろう、使い慣れていない、使いこなせていないと感じてしまったのだ。
「無礼を承知の上でお聞きしたい───。」
この夜は一騎打ちの反省会のようなものになってしまったが、何時か必ず身に付けてみたいものが出来た。
魔法武器。
魔力を付与して戦うその闘法は、これまでの魔法の概念を捨ててから学ばねばならないらしい。
元より魔法など微塵も知らない我々に最も適した闘法なのではないかと心が躍る。
一眠りした後は隊を率いてデモルグル軍の本陣に向かう、疫病の運び屋が家族を害する前に何としてでも防がなくてはならないからだ。
「降伏しようがしまいが向かわせる予定であった。」
「それは…何故ですか。」
「そこで一つデモルグル国に一つ貸しが出来るだけでもこのシルナ王国殲滅戦に貴重な価値が産まれると言う事だ。」
貸し一つにどれ程の価値があるのかと考えて見たが、成る程、今まで借りしか無かったトリエール王国からすると対等への一歩、そういう道への布石になり得ると言う算段であるのだろう。
「それではシルナ王国殲滅戦には何の価値も無いと言っているように聴こえますが。」
無言で頷くイスレムとその副官たちを見て凍り付く。
広大な領地と国民が増えて厄介ごとが増すだけではあるが、止むを得ないと言う。
「世界征服と言う嫌がらせを実行する大馬鹿者に興味があるなら合わせてやっても構わんぞ。」
気の毒な者を見るような目と憐れむような目で見られている、そんな目線をヒシヒシと感じる。
世界征服とは野心の帰結点であって嫌がらせに行うようなものでは無いと思うのだが俺は間違っているのだろうか?。
思えばあの日の夜が俺にとって一番憂いの無い夜だったのだと今になって気付く。
あの時の俺に言いたいことがある。
その紹介だけは絶対に受けてはならないと、熱い砂漠を進む今の俺には遠く果てしない過去の幸せな一夜であった。




