第百五十七話 中央都市チキンへの道?
デモルグルに動き無しとの報告に対し、長城破砕軍への増援を指示したタケルはイノとその麾下の兵を出撃させる。
デモルグルの騎兵はトリエール騎兵と比べて三倍の精強さを誇る、正直なところ仕込みが無ければ五倍の兵力を用意した今回とて五分の戦いも怪しいところであった。
蹄鉄や鐙を製造し鞍も従来の物より軽い物を拵えた。
多少金周りの良い家に生まれた事を両親に感謝せざるを得ない。
手綱の金具や構造も一新した事により雪の降る中の訓練も普段より充実したものとなった、練度が下がり致命的な損失を生む可能性もあったが、理に適った物はやはり通じると知りホッと胸を撫で下ろした。
そしてあのおてんば娘は鐙の快適さを知るや毎日のように馬に乗りたがり、今も砦で乗馬に興じているとの報告が手紙の隅に記されていた。
「怒ってもいいんだぞお前達。」
滅相も無いとばかりに全員に固辞されながら、幾つかの指示を出し、西の都と中央都市を繋ぐ街道へと麾下の兵を率いて進軍する。
「コンラッド、あの銀髪の男からの報告に目を通したか?。」
「バンニル準男爵ですね、彼の友人の金髪騎士はオルドレン騎士伯です。」
コンラッドから幾つかの紙片を手渡され、より正確な情報と注釈が思考に彩りを与えてくれる。
「魔術師か、なるほど疑問が晴れたな。」
功のある者の名は覚えておかなくてはならない、爵位も間違えてはならない。益々この便利なコンラッドを手放すわけにはいかなくなった、多分彼が病に倒れればタケルの率いるこの大軍もあっと言う間に半身麻痺になるであろう事は考えるまでも無い事実であった。
「オルドレンの功はその魔術師の素性についてですね、彼の記憶では南の都市で彼の魔術師はザン・イグリット教のシスターであったとの事です。」
「そりゃ大手柄だな、なるほどコンラッドの覚え目出度き人物に成れた訳だ。」
相手がザンであると判れば教主の出番である。
系統が似通った聖法同士であれば同士討ちになるのだが、どうもザンの聖法は全く別の法術、つまり魔法よりも奇術に近い別物であるようなのだ。
聖職者と戦ってダメージを受ける聖職者など本来在ってはならない話なのだが、ザンはどうも邪教か何かであるらしい、見た目は輝かしい光に満ちた法術を使うのでそういった部分からの見分けは付かない。
聖職者の部隊は基本的に疫病に犯された罹患者達を救う事が目的である。それでもここは戦場、故に宗教戦争としての一面を否定出来はしない。
暫くして教主とその取り巻き達が陣幕へと訪れ、敵にザンのシスターが居ると告げる。
「魔術師にしてシスターと言えば五人程危険な者が居ります。」
そりゃあ面倒極まるなと苦笑し緑茶を啜る。
イノが出陣したので身の回りの世話を担当している少年兵のバルカンによる手際の悪いお茶である。
「今日のお茶は悪くない、ちゃんと分量を量って淹れたようだな。」
「先日頂いたものより美味しくなっていますよ、頑張っていますね。」
褒められ慣れていないのであろう、顔を真っ赤にしながら有難う御座いますを連呼し速やかに奥へと引き下がって行った。
「うん、美味い。」
コンラッドは細かい事は一切気にしない。
普段の事務仕事の辣腕ぶりが嘘のように飲み物や食べ物に無頓着なのである。
お茶を数度おかわりしながら危険人物の名前と特徴を教主よりご教示頂き、不足の医療物資や死者、怪我人などの傷病者について取り巻きの神父とシスターからの要望と報告を受ける。
「それでは彼の地の英雄と危険人物を見に向かいますが、出来るだけ早く教会直属の兵をお持ちになられる腹を決めて頂きたい。」
「やはり、その話になりますか。」
ここ最近の会話の終わりは何時も兵力を持てと言うアドバイスである。
「まぁ、これが最後ですがね。」
タケルの目は既に壁に下げられたシルナ王国の地図に向いていた。その精密さはこの世界の全ての国の地図を合わせても勝てはしない精密な地図であった。
遥か天空から見下ろした実際の地図を上から映しただけの航空地図、ただそれだけの代物である。
「最後ですか。」
「今、この揺籃期を逃しては宗教的軍事力を教会が掌握する事は不可能です。これから先は王都の貴族達があらゆる手を尽くしてその妨害にあたるでしょう。所謂宗教の毒に犯されて狂信する者たちが命を賭して戦うと言う私兵にして死兵をつくる最後のチャンスと言うやつですよ。」
この露悪的な種明かしをされて不機嫌にならない宗教家はとっくに宗教的権力に毒され、特権に染まり薄汚い醜態を晒している者達だけであろう。
「何と言われてもそのような兵は持ちたくありません、何を好き好んで信徒たちを死地に追いやる必要があるのですか?。」
「遠くない未来にザン・イグリット教の総本山に攻め入り皆殺しにするからですよ。」
さらりと、何でもないような話をするようにタケルは微笑を湛えた落ち着いた笑顔で教主の問いに答える。
寒気が陣幕の中を通り過ぎ、冷めた緑茶と湯のみが視線に入る。
目を逸らしてしまった。
「責任の何割かを、ほんの少しだけ負担して頂きたかっただけですよ、教主猊下。」
スッと立ち上がりタケルが出入口へと歩き出す。
立ち上がる隙を与えてしまったと気付いた時には既に遅く、教主の胸中には一本の太い釘が突き刺さっていた。
有体に言えば"借りを作ってしまった"のである。
「道中不自由が無い様に取り計らいますが、何か不都合があれば遠慮なく言って下さい。」
陣払いが始まり周囲が慌ただしく動き始める。
タケルの友として試されたのだとすればこの会話の流れは赤点そのものであっただろう。
悔いるべきか深入りせずに済んだと喜ぶべきかと悩む教主に神父が幾つか安堵の混じった言葉を掛けるが、それは完全に的外れな言葉であり、安堵できる様なモノでは一切無かった。
近く宗教的狂気に染まった軍隊は編成される、それは確実に容赦の無い男の指揮下で率いられる悪魔のような集団となる事は疑いない。
そしてそれを防ぐ最後のチャンスは喪われた。自身が率いれば、いや率いずとも管理下にあれば少なくとも悪魔呼ばわりされるような者達になる筈も無かったのだ。
「私はより酷い選択を信徒に押し付けてしまったようです。」
教主猊下の目から涙が止め処なく流れるも、それをタケルが見る事は無い。
タケル率いる主力部隊が中央都市チキンへと向かう街道から逸れて西へと進む、これ見よがしに西へと堂々と進む。
シルナ公国に軍隊など存在しないとばかりに悠々と進軍していた。
基本的に道路の拡幅工事も兼ねている進軍であった。これは完全に馬鹿にする意図と後々の利便性を考えて行っている作業であり、従事しているのは旧タキトゥス国民である。
王都で余った労働力をフルに使い、イザとなれば戦力として使う、棄てるところが全くない優秀な食材に似た運用であった。
強制労働というものではなく、休憩も休みも食事も給料もキッチリある普通のお仕事である、従軍である以上、罷り間違って死ぬようなことがあれば恩給が遺族に支払われると言う破格の好待遇な出稼ぎ労働と言う言い換えれば公共事業そのものであった。
「良く働き、良く休み、良く食べて、良く眠る。高給と保証が整っていれば早々不満は出ないものさ。」
働かせ続ければ早く出来上がると云うものでは無いと聞かされていたが歴然とした結果を見せられれば現場監督や職人たちも従わざるを得ない。
タケルはその性分からギルドの迂遠なシステムや効率の悪さを散々批判したり、是正を求める悪癖があり、慣れていない者達には胃痛の種でしかなかった。
そこでイノとコンラッドはタケルの言うところを丁寧に文書化し後日指導書としてタケルの許可を得て彼等に届ける運びとなった。
これがタケルが後に執筆する事になる教本のようなものの始まりであった。
日頃苛々と見ていられないとばかりにブツブツ呟いているタケルにコンラッドは言った。
「タケル様、タケル様がその御心に貯め込んでいる不満を解消するにはその思いを文章にして教本とする必要があると存じます。」
「教本…そうか、うん、その手があったか。」
「では紙とインクとペンを王都より仕入れて参ります。コンラッド、取り敢えずは砦内の備蓄で賄ってくれ。」
そう告げるとイノは二人の副官と馬車で王都へと出発した。
お茶や酒の買い出しも兼ねているので大型の馬車である。
以後、タケルは持て余していた暇を執筆と言う暇潰しに費やす事となる。
「ローラ、お前が読んでも頭には留まらず空の彼方に飛んでいく内容だ、こっちの小説でも読んでいる方がまだ建設的だろう。」
辛辣な兄の言葉ではあるが、そんな事より小説の方に興味が向かう。
「そんなあからさまに馬鹿扱いするのは、どうかと思うぞ。」
「事実だ、それにもう当の本人が気にしておらん。」
見れば楽しそうに小説を読み耽るローラがソファーの上でゴロゴロと転がっている。
まぁ、いいかと思い直し、タケルは執筆作業へと意識を切り替える。
「俺も清掃について一冊書いてみるのも手か。」
なっていない砦の住人達を思い起こし、ディルムッドは左手に常に携えている乗馬用の鞭を振る。
既に執筆に没頭しているタケルに夜食、そこでゴロゴロと転がる妹に毛布と何か抓めるものを取りに部屋から外に出る事にした。
「衛兵!ここを固めろ、少し厨房へ行ってくる。」
「はっ、畏まりました。」
もう既に調教済みの兵士達であると言える近衛兵が中の主の邪魔をしない程度の声量で答える。
その姿を見て軽く顎を引いたディルムッドは厨房へと背筋のしっかり伸びた歩き方で歩み去って行く。
「障壁展開、感覚強化。」
兵士たちが臨戦態勢一歩手前で警護を開始する。
あくびなどしようものならあの鞭が唸りをあげる、ディルムッドが揮う鞭の痛みは数日続く、その痛みを知らぬ兵士はこの砦には一人として居ない。
驚いた事にノットも痛みを知る一人である。
「廊下をパンツ一丁で歩いてたら背中をやられたぞタケル!!。」
「上官は部下の見本としての立場があるでしょう、それにですねローラの目にそんな姿が入る前に俺なら斬り捨てます。」
「うっわ、余計性質の悪い奴が居た。」
そそくさとノットが立ち去るのをローラが見送ると一言彼女は余計な言葉を発する。
「腰にタオル巻いてお風呂から出てきたのを何度か見たよ?。」
「可哀想だからディルムッドには教えないでやってくれ、あれでもちゃんとした将軍職なんだ。」
直接斬らずとも最前線と言う素敵な任地があるのだから慌てる事も無い、タケルはそう思いながら湯のみを握り砕いた。
冬尚深い雪の中の砦は平和であった。
行軍中の彼等は冬の間自分達で写本した教本を片手に経験した事の無い仕事を持ち回りで受け持ちながら、様々な技術の習得に務めていた。
木材と長い紐と盥を持って右往左往している者達は道路の水平を測り、タキトゥスの作業員の補助を行っている。
硝子の管を透明に作れないものかと工房を巡ったがそれは叶わなかった。
城下町の片隅にある一軒の飯屋には透明なグラスがあるとの話だがどうにも胡散臭い話だ。
透明な管に色を付けた水を閉じ込めて水平器を作ろうと画策したまでは良いのだが頓挫してしまい古い方法の水平器を教本に書く羽目になった、江戸時代のものではあるが問題なく使えているのでこれで満足せざるを得ない。
「いよいよ戦争が始まったみたいだ。」
新聞を広げて店長と看板娘が深刻な顔をしている。
鰻を黙々と捌きながらカウンターのガラスボウルの中でプルプル揺れるコモン先輩の愚痴を聞いていた。
正確には聞き流しているのだが、相当昔の時代に飛ばされた先輩は話し相手の全く居ない場所で時折降って来る死体を眺めるだけの日々に嫌気がさしてスリープモードのまま全てを諦めていたのだという話だ。
長い時間ウダウダと話の内容がアッチコッチに飛躍して雲をつかむような説明の果てに得られた答えはこの程度だ。
余計な話をかなり省いて貰った上でこれだ、コミュ障と言うものかどうかは判らないが、たまに感極まって泣き崩れるのでボウルの中に居る。
「板長は付き合い良いね、コモン先輩のリハビリになりそうだからいいけどさ、面倒臭くなったら言ってね水注いで黙らせるから。」
屈託のない笑顔で笑う女将さんに味見用に焼いた鰻串を一本渡しながら、コップの水を飲む。
「名前も過去も記憶の風化で喪ってるんだから慌てても仕方ないさ。」
おきのどくですがぼうけんのしょはきえてしまいました。
コモン先輩は恐らくそういう状態なのだ。勿論ふっかつのじゅもん制である可能性も否定できない。
現状コモン先輩は移動不能である。
「今は要らないでしょ、下手にうろつかれたら踏んじゃいそうだし。」
煎餅の齧りながら看板娘は宣う。
「スライスしてわさび醤油で食べれるとかないよな?。」
テーブル脇のアロエを指差しながら看板娘はさらりと言ってのけた。
「原材料はアレだから多分食べられるよ。」
コモン先輩はアロエが主成分だそうだ。
前代未聞のわさび醤油で食べられる系ヒロイン爆誕というワロエない結末である。
「か…身体はアロエで出来ている、血潮はアロエ…。」
なにやらショックを受けたコモン先輩があらぬ方向へ行ってしまったので鰻の下処理を続ける事とする。
黙々と新聞を読み進めていた店長が深く溜息を吐くと新聞を畳んで皆が集まっているカウンター席に座る。
「総兵力三万でタケルがシルナ王国へと進軍、北部地域を無血占領、長城を破壊して更地にしているそうだ。」
つまりデモルグルの騎馬隊と何らかの衝突をした場合はそれを防ぐのに長城は不要であるという事だ。
過去、中国人が長城を築いた理由は騎馬民族との戦いが嫌で拵えたと言うものなのだが、タケルはそれを踏襲しないと言う事に他ならない。
危険な賭けに出るような性分ではない事は俺も店長も幼馴染だから知ってはいるのだが一抹の不安がどうしても拭い去れない。
「何をどうするのかは知らないが、相手が気の毒だ。」
「よしんばタケルに勝てても長城が無くなってしまったら、もう守れないだろうしなぁ。」
シルナ王国領が欲しい者達はそこで二の足を踏むだろう。シルナ王国は長城でぐるりと周囲を囲まれている国だ、当然その内部の城壁は在ってないようなものだったりする。
長城への依存度と依存心がやたらと強いお国柄なのだ、穴に頭を突っ込んで安心するダチョウのようなものと言えば判り易いだろうか。
「店長、二面の穀倉地帯の分譲販売のトコ、詳しく見て置いてギルドにも打診しておいてくれ、それ多分水田だ。」
三人が三人目を瞠り乍ら新聞記事を読み進める。
タケルも多分この世界のコメがお気に召していない筈なのだ、俺たち日本人は世界最高の米を毎日食って来た、そりゃあもう飽きる事無く毎日毎日パクパクと…ああ、食いたい。
今第十五世代を迎えた品種改良米にしてもまだまだ甘みも粘りも本物とは程遠い。
美味いコメを掛け合わせて育てる以上合わせる対象が多ければ多い程進める系統樹は広がりを見せる。
コメを育てる事に適した農地、美味いコメを食いたいのであるならばそれは必要不可欠なものであった。
鰻を捌きながら気分がコメに向かって飛んで行かないように繋ぎとめる事に俺は必死であった。
気を抜けば怪我をする可能性が高い仕事の最中でこれは不味い。
気付けに水を一口飲みながら、タケルの戦いが無事に終わる事を祈る、そうでなくてはコメの育成と収穫など夢の又夢であるからだ。




