第百五十四話 放り出された者
「あの瘴気に包まれて、暴れ回ってた奴等について何か心当たりはあるのか?。」
湯船から空を見上げながらタクマが軽く質問してくる。
そりゃあ気になるだろうな、魔獣狩りに用いる技を惜しげもなく放つ指示をしたのは俺だ。
「瘴気は後付けで纏っていただけだ、だから正体とは無関係でな。泉の貴婦人に招かれた異世界の英雄ってのが正体と言えば正体だ。」
手ぬぐいで顔を拭い、外の景色を眺める。
「もしかしなくても御同輩か。」
湯船の中に潜り、ぶはぁ!!!と一息吐いて頭を振る。
「そうだ。俺達も召喚の際に色々と魂やら身体やら弄られているからな。」
その最たるものが魔法、その根幹を生す魔力保持体質の追加だ。MP0で魔法は使えない。
「あの死体の山で生き残りは無しか?。」
小高い死体の山が泉に落ちて腐敗し、泥沼と化すまで何十年掛かったのか、何百年掛かったのか知る由も無い。
「結界破りを誰も達成していないところを見ると望み薄だが海に落ちて外の砂浜にでも流れ着ければ或いは…。」
火山島の周囲は天然の卸し金のようなものだ、生き残れる可能性は限りなく低い。
彼女の様に海に適応してしまえたなら生存率は飛躍的に高まるがどうだろうか?。
「それにしてもひでぇモンを召喚者が造ったんだな。」
「最初に召喚されたヤツが後から召喚されるであろう仲間たちに夢と希望を与える施設として造ったそうな…。」
「それで、施設の名前が英雄ガチャか。」
「ふざけ過ぎだな。」
会話が止み、静けさが辺りを包む。
「完全破壊出来そうか?。」
「今よりも恐ろしく魔法が成熟した過去。魔人による人類大攪拌が起こるよりずっと前に造られた代物だから、機能不全を起こさせるだけで精一杯だよ。」
風呂から上がり、ハナコ謹製の良く冷えた牛乳を、瓶の蓋を抜いた後、牛舎に向かって掲げてから感謝して頂く。
五臓六腑に染み渡る成分無調整牛乳はキッチリ殺菌処理を施してある。
栄養価は驚く程高く、バターとチーズを造るために乳脂を抜いたものでもかなり美味い。
「中枢のコアから抜いてきた疑似人格、コイツが最初の召喚者だ。」
コロリとビー玉がテーブルで転がる。
「コレがあの悪趣味な装置を造った元凶か?。」
テーブル上の金属の灰皿を掴んだタクマの行動を素早く制する。
「割るな割るな、これでも俺達と同じ日本人で先輩だ。」
自分の意志で身動きを取る事が出来ない先輩は鈍色に輝いてテーブルの上に居る。
「確かに先輩は敬うものだが、何だって人の命を燃料にして動くような物を造ったヤツを保護するんだ?。」
「それが違うんだよ、魔獣や魔物が燃料で召喚者は、下にある装置で強化や改良されるシステムだったみたいなんだ。現状の悍ましい形は、誰かが勝手に手を加えたもので先輩のコンセプトとは程遠い。」
「その手を加えた誰かは判らないのか。」
「少なくとも人間業じゃない、関わり合いになりたくはないからそれは置いておく事にしたい。ただ、装置の大元を造ったのはエルフだ、罪を償う誰かが必要だと言うならば奴等以外に該当者は居ない。」
タクマは頭を抱えて指先でテーブルをトントンと叩きだす。
「本当にエルフってのは、この世界に取っての癌細胞か毒劇物なんだな。」
「正直に万死に値する罪を幾つか抱えてるから、種族としての驕りを何が何でもちゃんと清算して貰わないといけない、絶滅したとしても負債が払いきれないんだから贖罪の日々を宿命付けて折り合いを付けたいな、二千年程奉仕活動に従事して貰うのもいいだろう。」
タクマの分の牛乳瓶を流し台の水盥へ沈め乍ら作務衣を纏う。
遅れてタクマも自身の作務衣に着替えだす。
「そもそも最初の異世界召喚をやらかしたのがエルフだからな。」
「───くっ…アイツら今度の模擬戦で徹底的にシゴく!。」
長命種であるエルフ、彼等が占拠していた世界樹を接収した当時に、静かに集落から逃げ出したエルダーエルフが十数名居た、殆ど取り逃がしはしたものの危険なエルダーエルフとして目を付けていた三名は捕縛封印済みである。
先輩の記憶と照らし合わせた上で確認したところ、三名共に事の当事者であることが判明した。
余談だが、先輩の通称はコモンと言う。
自己紹介の前にうっかり漏らしたカードのクラス分けが先輩の呼び名になったそうだ、ご愁傷様である。
「で?、私達がここに連れて来られた根本的な元凶がエルフなのね。」
女将さんの前に二人並び、正座からの美しい土下座で事の顛末を洗い浚い白状させられる。
看板娘の手元では先輩が風前の灯火であったが、今は反省中の身であるので構って等居られない。
「任せて、魔法戦の怖さを骨の髄まで刻み込んであげるわ。」
看板娘さんのキャラが違う、こう…悪魔的な。
気を取り直すと何やら可笑しなものが目に入った。
掌サイズの半円球のグミの塊のようなものがテーブルに鎮座している。
プルプル。
目が合う…いやコアと目線が合わさったと言うべきか。
「ボク悪いスライムじゃないよ。」
ああ…スライムだな。
種別を付けるならば、そうだなコモンスライムというのはどうだろうか。
「二人は仕事に戻って良し、後はこのコモン先輩に聞くわ。」
「誰がコモンじゃー、少なくとも喋るスライムだからレアじゃ!レアだといってくれぇぇぇ。」
ひょいと摘み上げられてウェイトレス用の作業机へと運ばれていくコモンスライム先輩であった。
「さて、仕込みしないと。」
「だな。」
俺達は足の痺れを叩いて誤魔化し、足を引き摺りながら生まれたての小鹿のような足取りで厨房へと向かう。
ちなみに、コモンスライム先輩は女性である。まぁ、どうでもいい話だ、スライムの性別など見てわかるものでは無いし同族もいないのだから繁殖する事も無い──分裂しそうだが。
ちなみに先輩を受肉させたのは看板娘だ、要するに先輩の切なる願いを叶えたのだろう、間違いなくレアな存在には成れた、それだけは保証しよう。
世界からの認知はコモンスライムだがこれは黙って置いて差し上げるべきだろう。
先輩を敬う心くらいは大切にしたい。心からそう思っているのだから。
リヴァイアサンの加護の下、パジョー島の港への入港を果たした彼等トリエール海兵は、船をドックに格納するために尚も続けて命を張る事となる。
この船を喪えば帰国が叶わない…ともなれば必死に成らざるを得ない。
船をドックに上げるレールに船首を付けるまでの間にも、異形の者たちからの猛攻撃が止む事無く続く。
引き揚げ装置も護らなくては意味がない。
ドックへ辿り着き拠点として確保していた、あの座礁艦に搭乗していた水兵からの援軍と、交代でドックでの休息をとれる現在の状況は、砂漠でオアシスに巡り合う事に等しい。
意識が落ちるまでマナを注いで障壁を強化して気絶する魔法兵達、そうして倒れた彼等を運んでドックで眠らせる。
安全地帯、橋頭保、拠点───。これらの言葉が与えてくれる安心感は百万の援軍に匹敵する。
スコップ片手に魔法陣を大地に直接刻む工兵たち。そのスコップは剣先スコップと呼ばれるものでタケル氏制作の工兵標準装備の一つだ。
教本にはスコップに始まりスコップに終わると訓示が添えられており、開戦の塹壕はスコップで起こされ、終戦の埋葬はスコップにて行われると但し書きされている。
武器としても優秀で、幅広な先端は武器にも盾にも使用可能だ。剣よりも長くそれでいて軽く取り回しも効く。
極めつけは調理にも使えると言う、工兵の命であり誇りそのものの兵装である。
ただ、調理に使えると言っても、調理専用スコップとして使われる事の方が常だ。
魔物の肉を緊急時に在り物で焼く事はあるが例外中の例外である。尤も敵地で火など熾そうものならば敵に居場所が割れるので現実的ではない。
刻まれる魔法陣は防御結界。大地から直接マナを吸い上げて行使する安全地帯建設魔法であり、人間のマナを使わずに励起する事が可能な大魔法である。
異形の者に対抗する手段として幾つかの射撃兵器の製造に取り掛かりたい、その気持ちを抑え込んででも防御結界の構築を完了しなくてはならない。
現状反撃は殆ど出来ない防戦一方である。
障壁魔法が撃ち抜かれて多数の怪我人を出しながらも船がゆっくりとドックへと続くレールを進む。
マストを折られる事など以ての外であるし船体を傷付ける事など許される話ではない。
レール上に鎮座した岩石に舌打ちしながら工兵たちが必死になって撤去を試み、二名が命を落とした。
知恵も知能も戦略もある、上空の我が物顔で飛び回る憎き異形の者達、その指揮官らしき者を必死に探し当て、その特徴を絵にして遺した斥候兵が今息を引き取った。
姿や特徴、色、顔形を多くの兵士たちが記憶し、障壁魔法を張りながら復讐を誓う。
魔法陣に魔石を満遍なく仕込み魔法式を励起させて結界魔法を発動させる、そのほんの少し前にドックへと船が格納された。
魔力枯渇で倒れた者達をドックへと運び込み、遺体の回収も行う。
異形の者達が一連の戦闘行為の合間合間にトリエール水兵の死体を食べている事実に我慢ならなかったと言うべきだろう。
船から降ろされた補修用資材を工兵たちが簡易対空兵器へと造り替えていく。
形が出来れば魔力が回復した魔法兵による強化が施され、戦闘兵たちがそれを携えて空を舞う蠅を狩る準備を始める。
外せば無駄撃ちであるが其処はもう仕方が無い、出来る限り当てて戦果を上げるしか最早道は残されていない。
依然として敵側有利と言う状況は変わらない、だがこれを以って一方的に攻撃される状況が終わりを迎え水兵達の目に生気が戻る。
魔力追尾式対空迫撃砲と教本には記されている。
ホーミング能力を持っていると言う点だけでもこの兵器は異常過ぎる。
術者の目視が必要だが、魔力を追うと言う原理だけでも命中は確実であろうことは疑いない。
教本を今一度紐解き、その自動追尾機能の正体を探れば子細はかなりえげつないものであることがわかる。
───弾体はマナで構築せず実体がある物が望ましい。敵への打撃に重きを置く場合は必ず魔石を仕込む事、対象の敵が機敏であり高度な旋回性能を持つ場合は風の精をパイロットとして拘束し弾体をセットする事。
科学で成し遂げた電子部品技術を魔道と非道で成し遂げた魔道具としてのホーミングミサイルである。
当然パイロットの風の精は死ぬ。
水兵が工具で弾体を削って魔石を仕込み、魔法兵が風の精を閉じ込める。
工兵から流れて来たミサイル本体を強化したものにクズ魔石をザラザラと詰めて手先が器用な工兵が弾体を固定して完成だ。
大量に魔石を消費する上に資材も加工しやすいものを片っ端から使用するので完全なる浪費兵器だ。
高威力の広域殲滅魔法を使える魔法使いがこんな辺境に赴任する事は無い事が仇となった形だが、稀に起こる事も無い異常事態に常に備えてある方が珍しい。
三人一組の水兵隊が結界の向こう側に飛び交い続けている異形の者を睨み、どの隊がどの異形の者を討つかの相談がそこかしこで続けられている。
戦友や親友を殺した相手をしっかりと覚えている者は狙うべき対象をそうそう譲らない。
隊長同士の話し合いと狙いの相談がどうにか纏まり、作戦が練られる。その間も結界は飛来物の激突と常に鬩ぎ合っていて騒音が鳴りやむ事が無い。
軽い食事と休憩の間に狙いとして定めた異形の者にマーカーとなる指標魔法を打ち込む。これは呪いが主な術式であり風の精と紐づけられるロックオン機構とでも言うべき魔法である。
「大隊長、あの空に浮かんだ化物の呼称、如何致しましょうか?。」
「そうだな、遥か昔暴れ回った人外のケダモノにはあのような角やら牙やら翼があったと、ガキの頃に御伽噺で聞いたことがある。報告書にも記すとしよう、あれは魔人だ。」
人類大攪拌の主犯、人種でいがみ合い殺し合っていた時代と国境を粉砕した功労者、立役者、そして殺戮者であり捕食者。
周囲の水兵達にも緊張が走り、これから改めて相手取る異形の者の正体を知る。
「祖先の仇が討てるのが俺の代だったか。」
そう呟いた参謀の内の一人が、指標魔法の呪いを呪殺を交えたものに造り替える。
じわりじわりと士気が高まる。
軍人となった者達には貴族も多い、気の遠くなるほど古くから軍家として代を重ねた者達も多く、またそれだけ魔人達に世話になった祖先を持つ者も多い…いや人類にとっての怨敵、仇敵とも謂うべき憎っくき存在、それが魔人と呼ばれる掛け値なしのケダモノである。
「諸君、大隊長殿の言う通り、我等人類の怨敵との戦闘だ。」
手の中で準備が整えられた魔力追尾式対空迫撃砲が鈍く輝く。
「建国王のお言葉を借りて諸君らに申し伝える、傾注せよ。」
大隊長が目線の先に浮遊する魔人に目を合わせて言葉を放つ。
「魔人は殺せ!、一人も逃がすな!。」
「魔人は殺せ!、一人も逃がすな!。」
「殺せ!。」
「殺せ!。」
「殺せ!。」
「殺せ!。」
建国王の遺した言葉は魔人に殺されると言う悲劇的な最後を迎えるまでかなり詳細に記録されている。
大隊長が放ったこの言葉は建国王の妻アラシャネフが殺された際に布告した憎悪の指令であるとされる。
多くの仲間を喪った水兵達にとって、尤も理解しやすい言葉であっただろう。
大隊長が構築した指標魔法が黒い閃光を放ち、魔人の魂を絡めとると、魔力追尾式対空迫撃砲の砲筒から砲弾が射出された。
魔法障壁を張られて防がれているが、砲弾は障壁をドリルのように回転し貫かんとばかりに障壁を削っていく。
これが開戦の合図となった。次々と結界の外へ躍り出る兵士たちが目を血走らせて魔人たちへと襲い掛かる。
十重二十重の砲弾の雨に魔人たちは投石と障壁魔法で対抗する。
「炸裂閃光弾撃てぇぇぇい!!。」
魔人の視界を光が染めて視力を奪い、白い世界の向こう側から何処まで逃げても追いかけて来る物が身体を貫く。
弾体を十字に割り開く形で切り込みを入れられた弾頭が、パッと花が開くように広がり、魔人の体内の柔らかい内臓をかき回しながら暴れ回る。
本来はライフリングを刻まれた弾頭が起こす味噌擂り運動だが、魔法を用いて回転を過激に与えて飛ばしている。
被弾対象者の体内で弾頭を暴れさせる為に風の精を用いてコントロールしており、それと同時に身体の向こう側へは貫通しない魔法式が組み込まれている。
内臓崩しと揶揄される魔法式が猛威を振るい、地上に落ちた魔人たちは聖法を帯びたハンマーで頭を割られる。
魔人は人間の肉と皮を被って人間に化けるので、頭を割り砕けば喩え其の後に人間に憑依して身を隠しても脳が壊れてバカになっているので発見が容易になるのだ。
魔人は倒した後挽肉にするくらいでないと完全には死なない。
人類大攪拌は魔人の恐ろしいレベルの不死性を理解するまで反撃すら儘ならず、一向に数が減らない魔人と延々と戦い続ける地獄の日々が続いた。
武器の先端に刃物のプロペラが付いた対魔人武器などは、生きたまま魔人を挽肉にする凄惨な武器であった。
異世界召喚された者が造り、名付けたものである、と建国王が断言したその武器の名はカシナートである。
魔人キラーの名を恣にしたカシナートの登場で戦況はかなり楽になった。
殺したはずなのに生き返る魔人の、その精製の根源である心臓をピンポイントでミンチにした後に、そのミンチにした心臓を聖法で焼いてしまえば復活を防げたからだ。
以降幾らかのモデルチェンジを経て、最初から聖法が発動する魔道具として完成した。
魔人の姿が絶えたと同時にカシナートもその重要性を喪い今ではロストテクノロジーに分類される魔道具の一つである。
倒して地面に落ちた魔人を棍棒やメイスで只管殴って頭を叩き割り、心臓を抉り取って撤退する。
水兵達は魔人を殺す方法を教本通り的確且つ正確に、無駄無く行うように怯懦を堪えて戦い続ける。
まず魔人達はその表皮が魔力と相性が良く、別段何の身体的強化を行使せずとも猛烈に硬く、刃物を通す事すら困難な生き物なのだ。
つまり、心臓を抉り取る為にはその胸郭を剣やナイフの柄尻をハンマーで叩いて割り開くか手斧やハルバートで力付くで…と言うかなり見た目にも感触的にも残虐な作業がより惨たらしいものとなり、彼等の精神をガリガリと削って行く。
魔物なら魔石採取と言う名目で心臓際から取り出す作業があるのだが、今殺している相手に"人"の一文字が付いている理由は、魔石を持たない事。生物を分類する上での答えに相当するからだ。
魔人も人間も人として神が造った、棲息している界が異なるだけで正しく人間であると言うことだ。
ただ、ここまで見た目が異なると相容れない事は事実。
獣人などに代表される亜人などコレに比べれば未だ受け入れることが可能な分、可愛いものだった。
ドックでは魔人の心臓を切り刻み、聖別された聖釈を用いて汚物処理に勤しむ一団が居た。イグリット教の聖職位をもつ従軍神父の皆さんである。
魔人の魔の部分の後始末とも謂うべきこの作業は聖法を用いて処理をする事でより確実な死を魔人に齎す。
当然ながら、只の人間であればこの様な作業をせずともあっさりと死ぬ、人間は脆く儚い生き物であるがゆえに度を越えた再生能力など無いのだ。だが、魔人にはそれがある、只の心臓となってもウネウネと動き再生を試みようと足掻くのだ。
注がれる聖水が電撃のような輝きを放ち挽肉となった心臓肉と激しく争う。
浄化魔法にまで手が届いていない普通の聖職者の限界点が聖水を産み出す儀式、要するに現状単独で行える最高の攻撃聖法だ。
上位魔人の心臓肉に対抗するために聖刻を励起させて聖法陣を稼働させる。
祭壇は既に組まれており、刻んだ星の角に一人づつ神父が立つ。
陣の輝きと共に心臓肉が色を喪い再生能力に衰えが見えるようになる、弁解の余地なく人として存在が異質な生き物だと判る具体例であろう。
斯くして魔人討伐となったこの戦いの様子は報告書に余す処無く記され転移魔法によりオーサカ港の軍令部へと届けられる。
それから数刻の間彼等はパニックに陥りつつ事態の対処に向けて会議と増援の準備を開始する。
現在派兵した四百人中生存者は三百人、海中に没した者と上陸作戦で亡くなった者達は未だ幸せな部類に入る。
魔人に喰われた者達は高確率でアンデッド化するだろう。
端的に言って聖職者の数が圧倒的に不足していると言う事だ。
「王都に連絡を取り聖職者の派遣を願わなくてはならない。」
季節は冬、王都周辺は雪の中である。
ある程度部隊を送り聖職者を迎えに行かなくてはならなかった。
「犠牲を覚悟で増援を送らなければ早晩先遣隊は全滅する。」
魔人の数は大凡二千人、彼我の戦力差は略絶望的であると言えよう。
「陸軍に伝令を、魔人復活その数二千余、至急会議に参加されたし、と。」
文官がその場で正式な書簡を書き始め、参謀が伝令を務められる兵士を呼ぶ指示を出している。
風雲急を告げる。
ここで魔人を逃せば世界は再び混乱することになる。
パジョー島の名が公文書で暫くの間踊る事になる最初の一夜であった。
耐え難い苦痛が体中のアチコチから襲い来る。
ここは拷問部屋として長く使われている古びた民家の一室である。
芋虫の様に這いまわる事しか出来ない身に、判る事など殆ど無いが陽当たりは最悪、空気穴があるがその向こうも壁であり外へと繋がる場所は正面のドアしかない。
広さは寝転んだ姿勢で四人が眠れる程度、排水口が足元にある石の床である。
元々は入浴施設か何かであったのだろうか、寒さ厳しいこの季節に石の上に寝転ばざるを得ないこの環境は劣悪としか言い様が無い。
なにやら色々と幻覚が見えてきた、食事に麻薬でも仕込まれたのだろうか?、それならば有難い限りだ、楽に死ねるのであればそれに越した事は無い。
なぁ、アンタ、俺の独り言に付き合って貰えないか?、折角幻覚とは云え出会えたんだ、身の上話ってヤツを聞いちゃくれないだろうか?。
都心部から離れた星の綺麗な山沿いの田舎町が俺の故郷だ。
一応ベッドタウンとして区画整理のされた街なのだが、熊の出そうな谷みたいな地名から、如何考えても田舎臭さが滲み出ているとしか言い様が無い。
其処の遥か山の上にある病院が俺が居た場所、真っ白な部屋、白一色の部屋が俺の全てだった。
俺には夢があった。
それはこの動かない両足で大地を踏み締めて旅に出る、やれる限りの全てを尽くして世界を旅して回る。
そんな夢だ。
線の細い儚い痩せこけた今にも死にそうな身体だった俺は、何度も死の淵から医師の手によって救われ続けた。
何時しか殆ど誰も見舞いに来ない病室で、俺は窓の外ばかり見つめていた。
ナースに身体を拭われ、血塗れになった衣服を片付けて貰う。
喀血と言うヤツだ、この身の裡から零れ落ちる生命の水を俺はどうしても押し留める事が出来ない。
段々と霞む目の前の景色に、俺は、夢に描いた大草原を垣間見る。
───きっと夢があったのだろう。
強い風が俺の頼りない身体を揺らし、草いきれに満たされた草原に転がしてしまう。
抗い様の無い力に俺は暫し翻弄される。
草の匂いとはこんなにも複雑で濃密な匂いだったのか。
未体験の世界、未体験しかない世界。
死ぬのならば此処が良い、死んでしまったのならこれで良い。
全く動かない身体を抱えてこれ以上生きる、全身チューブ塗れで人工呼吸器の手助けが無ければ死んでしまう程度のこの身体とともに生きていくのは難しい。
───白い天井、白い壁そして白い人達。
見慣れた筈の存在が居ない、体中に打ち込まれた管が途中で綺麗に切断されていた。
肺に、胃に、血管に刺さっていたそれを抜き去って咽る。
尿道カテーテルをゆっくりと抜き取り、投げ捨てる。
解放感。
草原に寝転び空を見上げる。
寝返りを自力でやれたのは何年振りだろうか、心なしか身体に力が戻っている様な感覚を覚える。
おかしい。
指が動く?、腕が身体を支えられる?。
首から下の身体機能を喪った筈の俺にそんな事が出来る筈がない。
夢、幻覚、死ぬ前に神が呉れた絶望への助走か何かだろう、生きたいと思わせておいて奈落に突き落とすのは何時だって神様だったじゃないか。
全身に電気が通うような感覚がある。否、ムズムズとした何かが触れる感覚がある、あるんじゃなく芽生えたんだと気付く。
草が全身に当たる感触が、鋭敏な生まれたての感覚となって全身に襲い掛かって来る。
反射的に身体が動く。痛み、痒み、触覚の全てが俺に反乱を起こす、身体の全てが俺に反乱を起こす。
五感の全てが鮮明になり俺を刺激する、くすぐったくて痛くて堪らないこうなってしまえば笑うしかない、事実俺は狂ったように笑っていた、笑い続けていた。
一頻りその感覚に慣れて精神が落ち着くまでどれくらいの時間が掛かったのだろうか?。
短かったのか長かったのかそれすら判らない。
止め処なく流れる涙と動く足。
体を起こして周囲を見渡すと途端に心細さが心を占めていく。
両足が地面を踏み締めている。
足の裏が大地を掴み、身体が歩く事を思い出すように動く。
五歳以来の歩行だ、拙い事この上ない。
ゆらりゆらりと歩きながら風に揺れて擦れる草の音を聴く。
「ああ、だから神様は大嫌いだ。」
草むらの中から、のそり…と禍々しい猪のような化物が姿を顕す。
力が全く入らない、入れ方を完全にド忘れしたこの身体がやっと動かせるようになったこの幸せから、神は俺をまた蹴落とした。
猪は、立ち向かう生き物だ、決して敵に対して怯まない。
猪突猛進。
無様に倒れ込んで突進を躱す。
自分の鼻面先を駆け抜けていく猪のような化物が草むらを除草機のように薙ぎ払っていく。
身体の両サイドに翼のような刃が生えている。
見晴らしの良くなった草原の真ん中で死の覚悟を決めながら、猪のような化物を睨み、神を呪った。
身体が動くようになったことは感謝してもし足りない。
ただ、その幸せを味わう事無く行き成り奪いに来る姿勢は頂けない。
間違って与えてしまったからと言って、即刻回収しに来ましたテヘペロでは、静かに朽ち行く死を受け入れた者からすれば堪ったものでは無い。
込み上げる怒りと早鐘を打つ心臓の鼓動を煩く感じながら、俺の心臓の元気の良さに嬉しさがこみあげる。
心臓に穴が開いていて少しづつ体内に零れているとか言われていたな。
余りにも体力が無いので開胸手術が出来ずに医師が困った顔で唸っていた。
ハッキリ言ってあの先生が居なければ、俺はとっくに絶望していた、とっくに死んでいた。
利用価値があるのだとしても、論文の題材として丁重に扱われていたのだとしても、俺が最後に縋ったこの世の縁はあの人だった。
猪のような化物は左右に大きく刃を広げて前足で地面をガスガスと掻いている。
俺は空を飛びたいと願った、神でも悪魔でも仏様でも誰でも良い、唯一神でも構わない、誰でも良い俺の命を救うために俺に力を貸してくれ。
そう激しく求めるように願いを絶叫する。
助走して飛翔し、錐揉みしながらブッ飛んで来る猪のような化物は大地を抉りながら土礫を撒き散らして襲い掛かって来た。
「バッカ、なんだよ!、そんな動き想定してねぇぇぇ。」
轟音を鳴り響かせながら猪のような化物は半円形の傷跡を大地に残して突き進んで行った。
相当な距離を真っ直ぐに。
「いぇはっ…飛んでる、俺飛んでるよ。」
翼があるわけでもなく俺は浮かんでいた。そのままゆるゆると思い通りに飛べるが速度は出なかった。
果ての見えない大地の向こうには山が見える。
果ての見えない大地の向こうには細かな建築物らしきものが見える。
「いいな、ド田舎だ。」
病勝ちになったあと、久しぶりに通学した学校の教室で味わったあの感覚を思い出す。
「一人だけ浮いた存在か。」
スーッと地上に降り立ち、村落が見えた方角へと歩き出す。
「旅は歩いてするものだよな。」
そう俺は独りごちるとノロノロと確かめるように歩きはじめる。
なぁ、聴こえているか?。
返事くらいしてくれよ。




