第百四十六話 海の女神
注意:普通の人類が南国でサンオイルを塗って日焼けをすると全身大やけどで最悪死にます。
良い年した大人と良い子は真似しないでね。
水底を漂う女が一人、それのお供を志願した半魚人が五名。
水龍討伐にやって来た五名が瀕死の状態で彼女の寝所に流れ着きその命を救われてから既に一月が過ぎていた。
何を言っても帰らない五人に辟易とした女は彼等の集落へと共に向かう事にしたのだ。
捨てて来る気満々で。
水龍アナゴさんの近くに住んでいると、毎日魚の破片が流れ着いて来て殆ど食うに困らなかったのではあるが、流れ着いてきた半魚人達を食べる気には流石になれなかった。
半魚人たちは半魚人で完全な人間の姿をした者が水の中で呼吸をし、傷ついた五人を無造作に放った魔法で治療してのけたその神業に完全に平伏している。
水龍は周囲の海洋生物と海棲魔物に恐れられており、この五人の勇者が半魚人の村から選び出され討伐に赴いたと言う話である。
「ただの生贄じゃん。」
ド直球の一言を投げつけられても五人は口答え一つしない。
心の何所かでは判っていたのだろう、捧げられた命である彼等が戻っても村は受け入れてはくれないであろう事を。
「私を巻き込まないで欲しい、そしてあそこは私の棲み処だから静かにして欲しいのよ、誰も傍にいて欲しくないの。」
彼女は、完全な人間不信に陥っていた。
彼等は行き場がもう無いのだからそう言われても引き下がれない。何か出来る事は無いものかと彼女の身の廻り世話を申し出るが、困った事に、彼女に出来ない事は殆ど無かった。
洞穴の奥にある二重扉の最初の個室に入ると海水が外に抜けて空気に満たされ、乾燥装置が働く。もう一枚の機密扉を開けて中に入ると極普通の3LDKの部屋がある。
入ってすぐに風呂と洗濯機と衣裳部屋がある構造で、全て魔法による機密扉である。
身支度を整えたらキッチンを通って居間に辿り着ける。
食べるもの以外ならば何でも召喚できる彼女の部屋は元の世界そのままの部屋であった。
半魚人たちは混乱と興奮の坩堝に叩き込まれて後、ガックリと肩を落とす。
食料を持って此処に辿り着こうと思うことは良い、名案であると言える。
だが、その食料の匂いにぬるりとやって来るモノがいる。
女神の守り手水龍アナゴである。
半魚人たちの御奉公計画は頓挫した。
せめて傍に置いて欲しいと言う希望も却下され彼等は村に帰される事となった。
水龍アナゴは彼女を襲わない。半魚人たちをチラリと見て静かに巣穴に引っ込んで行く。
彼女の従者になりたいと懇願するも願いは聞き届けられずついにこの日を迎える事になった。
女神はスイスイと半魚人よりも早く、優雅に泳ぐ。
装着タイプの足鰭をつけて楽しそうに魚と戯れ、無造作に二匹ほど食べる。
それでも魚は逃げない、何事も無かったように泳ぐ。
半魚人たちは気付く、気付いてしまった。食べられる形の御奉公だと、気付いてしまった。
一歩も二歩も先を行く御奉公を彼等は、やり遂げて見せている。
食べるに値しない己の姿形を呪う日が来るなどとは彼等は思いもしなかった。普通そんな日が来る事は無い、彼等の彼女に対する認識が女神に変わった瞬間、そこに信仰が産まれただけなのだ。
奇跡の御業を惜しげもなく配置していく。魚たちが隠れて棲める物陰になりそうなものを彼女はドンドン並べていく。
消波ブロックや漁礁と呼ばれる構造物である。
「疲れちゃった。」
寝ながら泳ぎ始めると護衛の様に毒持ちの魚が周囲を警戒する。
誤って口に入らないように近くを泳がないようにしていたのだ、何という忠誠であろうか。
半魚人たちも周囲を警戒しながら女神の護衛に参加する。
魚人としてのプライドなどどうでもいい、只の魚に劣る程度の自分たちをどうして誇れようか…。
サンゴ礁が多くある海域にやってきた。そろそろ半魚人たちが住んでいた島が近い証だった。
女神の奇跡を間近で目撃し続ける旅も漸く終わる、終わってしまう。
勇者としてアナゴ討伐に選出された五人ではあるが、女神と仰いだ彼女に厄介払いされるその悲しみで涙が止まらない。
そして砂浜に上陸した女神はビーチパラソルとビーチチェアーを出して水着に着替えてサンオイルを身体に塗り始める。
「そこの貴方、これ持って。」
サンオイルの入った容器を手渡された半魚人は焦る。ビーチチェアーでゴロリとうつ伏せになった女神が彼に命じた。
「背中側の足まで全部塗りなさい。」
四人の勇者に電流走る。サンオイルを持った勇者には落雷が落ちた。
比喩表現なので実際には走っても落ちてもいないが、今一人の半魚人の勇者が女神からの使命を果たすべくビーチチェアーの横に膝間付き、サンオイルを女神に塗ると言うミッションに取り組む。
指の間の水掻きならば女神を傷付けることはあるまいと、爪を立ててはならないと心に言い聞かせて慎重に、慎重に塗り始める。
心拍数が水龍と戦った時よりも高鳴り、水龍と戦った時よりも緊張感が強まる。
「見た目が魚だから貴方たち怖くないわね…私ね人間の男に襲われて人間が怖いのよ。」
五人の勇者が人間への怒りを同時に覚える。
「それでも私は人間、だからと言って今は近寄りたくも無い。人型の生き物はまだ怖い。」
くるりと顔だけを五人に向けて笑う。
「もし村人から拒絶されたなら戻って来ていいわ…だから生きている事くらいは報告してきなさい。」
涙を拭う事無くサンオイル塗りを続ける半魚人とそれを見守る四人の勇者。
傍から見たそれはシュール以外の何者でも無かった。
彼ら五人は、やはり村には帰れなかった。
その様子を鑑賞しながら女神はシニカルな笑みを浮かべるも昔ほど楽しそうでも無かった。
倉橋達也に見染められたこの悪趣味があまり面白いものでは無くなっていた。
悩み苦しんで姥貝ている人間を見る事が、殊の外大好きだった自分の変化に驚く。
他人の不幸は蜜の味、それは永遠に覆らない真実であった筈なのだ、少なくとも私の価値観の中では…。
ふと、今の自分の境遇を俯瞰してみる、ちくちくとささくれ立った心が痛くて堪らない。
当事者と云うものになってしまった、これでは楽しくない。
危険な蜜を浴びるほど味わったツケであろうかと思う。
真っ白な砂浜に海の家を建てて半魚人たちと暮らす事にした。
村人たちと何度も顔を合わせる事になるがマイペースで海を堪能する。
沖縄の海、楽しまなきゃ嘘でしょ♪。
注意:普通の人類が南国でサンオイルを塗って日焼けをすると全身大やけどで最悪死にます。
良い年した大人と良い子は真似しないでね。




