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放り出されたセカイの果てで  作者: 暇なる人
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第百四十五話 フルフル

 日々命を奪って生きている。

 魚を殺し、獣を殺し、魔物を、植物を、身体の血を吸う虫を殺して生きている。

 見えない微生物も細菌も殺している。

 対価を得る事が出来る殺しもある、肉屋も魚屋も最初に殺すことから糧を得る。

 なにも、何も異質な事は無かった。



 震える手で眠っている兵士を殺す。

 殺さなければ生きては行けない、こんな内戦の只中で愛想を尽かされて捨て置かれて生きていける自信など無い。

 ならば殺すしかない。殺せないなら自分が殺されるしかない。殺したくないなら殺されてやればいい、そこで生涯を終えればいい。

 近くに居た兵士を一人だけ残し、彼の隣…左右で眠る兵士を静かに刺し殺す。

 忍術は恐ろしい、眠らずに警戒している人間の心臓にナイフを突き立てることも可能だ。

 声を発させないように口を念のために布で押さえてやらねばならないが、その難易度は易しい。



 傀儡政権が倒れた後は自分が元居た世界で当たり前のように存在していた民主主義を旗印にした国家が誕生するという。

 王国に所属しているタケルから見れば異質な政治形態をよくも支援したり支持したりする気になったものである。明らかに何れは敵対しそうな政治政権なのだから。



 アレス達は忍者集団である。そこの一員と云う訳ではないが彼等の常識と彼等の倫理、そして働かざる者食うべからずの理論に基づいて態度の悪かった私はお客様の座を剥奪されてしまった。

 そして、一か月もしてみれば、抵抗なく寝ている人間を刺し殺せる程度に精神は鍛えられていった。



 洞窟を引き払い、フケショー国を横断し港町フルフルに到着したのは商都クジングナグを出発して大凡三ヶ月少々、港は未だ封鎖されており出国出来そうな雰囲気など無かった。

 町の空気は重い。それでも久しぶりの人里とあって市場に行くとその活気に心が躍る。

 仕事内容に応じた給金が私にも支払われ、覚えないように努めていた殺しの人数まで明細に記されていたのには参った。



 斯くしてそのような手段で得たとは言え金は金だ。煌びやかな何かは生憎と必要としない身の上だが、新しい平服を買う事と下着を新調する事に何の迷いも無かった。

 この世界の生地はハッキリ言ってお世辞にも褒められたものでは無い。縫製も手縫いであるがゆえに荒く、失望を禁じ得ない程に何度か洗って熟れてくるまで肌触りも良くはならない。



 生理用品のようなものも無いため厚い布を敷いて下着まで到達する前に交換…と行きたいところなのだけれども、ミーヤのように間に合った試しは無い。高分子吸収体ポリマーの偉大さを痛感しながら頭の奥からやって来る鈍痛に耐えて寝床に転がる。



 野郎どもには一生解らないであろう私達の苦痛についてはさて置き、なるべく肌触りと吸収性が高そうな布を物色しながら商店を巡る。

 間違えて入った店でもそれなりに楽しむ事にする。無駄をそのまま楽しまなきゃ気が腐りそうだ。

 取り回しの良さそうなナイフ二本を迷いながら選び、皮なめしに良さそうな小道具を店主と相談して決める。

 何処からともなくポチが私の荷物を預かってアジトまで持って行ってくれる。手ぶらで買い物できるのはかなり有難い。

 何かが起きた時に即座に逃走を計れるようにとの配慮かららしい、今の私は囮だから仕方が無い。



 追っ手を山の中で殺し、その遺骸で魔物を寄せて狩って喰う。

 元居た世界では禁忌過ぎる行為を山でやり続ける内に命や死生観が塗り替えられていく事に気付く。

 文明や文化が成熟し、不安定な狩猟で生きる必要がなくなり、食べる事を前提に品種改良された牛や豚や鳥を食み、餓える事無く生きていられる世界だからこそ、命は大切に、人を殺すなど以ての外であり最大の禁忌等と傲慢にも謳う事ができたのだ。

 幸せ過ぎた。元居た世界でその幸せに気付くのは恐らくそれらがすべて壊れてからであろう。

 所謂『後の祭り』というやつである。



 小難しい事は抜きにして生活雑貨を買い漁る。

 鏡の値段に戦慄する、必至に磨いて造られた各種素材で出来た鏡はどれも気に召すような代物では無かった。ガラスに銀紙を貼るだけでも相当レベルの鏡として売れそうな水準だ、そしてそもそも透明なガラスが何処にもない。

 化粧品にも怒りを覚える。

 油絵に使うような顔料がそのままで売られている。唖然としながら店内を呆けながら歩いていると店員に絡まれる。ご婦人から漂う香料のドギツい匂いに辟易としながら混ぜ合わせるバランスを間違った香水を薦められる。プアソンならぬポイゾンだった。



 着替えになりそうな服と化粧品屋で買った石鹸にへちまの繊維で出来た身体洗いと一本の紐、タオル代わりの布等のフル装備をもって公衆浴場へと赴く。

 女湯の暖簾を潜り番台に座って新聞を読むアレスに料金を支払っていそいそと脱衣所へと歩を進める。



 現代日本の再現とも言うべき銭湯がそこにあった。

 温泉での苦い経験が私の胸中を過るがハッキリ言って忘れたい思い出だ。

 掛け湯をたっぷり堪能するように浴びて先ずは洗い場で旅の垢をへちまさんで洗い流す。



 擦れども、擦れども、我が身体の垢に(とど)まる気配無し。



 彼是一時間、荒れる呼吸と終わらぬ身体磨きに全身がヒリヒリしてきた頃、見るに見かねてミーヤが私の背中を流すためにやって来る。

 既定の料金を入浴後に支払う事になるが背に手は届かない。へちまに紐を貫通させてゴシゴシと…などと考えていたが思ったほど上手くは行かなかった。



 剥がれ落ちるように垢が背中の皮膚からグッバイしてゆく。ムズムズしていたあの感覚からやっと解放されるこの夢心地な気分は、元居た世界では死ぬまで体感する事なく逝けたであろうことは想像に難くない。



 毎日お風呂に入れる生活。

 そもそもお風呂とは水も燃料も膨大な分量を浪費する超贅沢な施設なのだ、清潔さを維持する、衛生に全てを極振りするようなあの生活は、事実としてあちらの世界でもトップクラスの清潔な生活であった。



 これでもかと身体を洗い、真っ赤になった皮膚に治癒魔法を掛けていく。

 擦過痕が全身に隈なくついた状態で湯船に入るような事は私には出来ない。



 湯船に手ぬぐいを入れない。



 壁に描かれているタイル画を横目に私はニヤリと笑う。


「そんなの常識よ。」


 待望の湯船に私はその身を預けた。

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