第百四十一話 改心の一夜
目を覚まして周囲を見渡すと順番待ちと言うべきか、待機列が出来ていた…と、シニカルに笑うべきか?と言ったところである。
各自財布をチェックして一回幾らであるかと思案しているといった御様子で、おいおい一晩で幾ら稼ぐ気だよと思わなくは無かった。
当のご本人は未だ夢の世界で現状を知りもしていないし理解してもいない。
荷物から報告書を引っ張り出して常夜灯でペラペラと中身を確認していると彼女の仕事振りの項目に目を見張る。
バウアーとボリスと言う男二人と美人局をして稼いでいたとの事だ。
身体を売らずに巧みに誘引して男が身体を清めている間ないし彼女が風呂場に消えている間に男がエライ目にあうと言う強盗のような生活だ。
成る程、一年も経たずに進退窮まってお尋ね者になる訳だ…と、あれ?娼館勤めは赤い風車だけって事か?。
酒の付き合いが基本的な業務で身体は売っていない…と。
報告書を綺麗に畳んで縛り静かに常夜灯から離れて荷物袋に仕舞う。借り物の寝具を畳んで壁際に置いて、操気術で彼女の荷物を回収して迅速に馬小屋へと疾走する。
此処からは時間との勝負だ、馬に鞍を乗せ腹帯を締めて鞍の後ろにお嬢さん用の座布団をしっかりと固定する。
馬房から馬を引き出して山道に向かう立ち木に括りつけて飼葉を置いて魔光石を置いて置く。
娼婦街で娼館暮らしで娼婦じゃないってどういうこった。
「ひぃ…キャアアアアアアア。」
はい、聴こえましたね悲鳴です。仲居さん?、答えは”いいえ”こんなに若い声ではありません。
忍法・隠遁の術!。
それでは暗闇の中参ります、護衛任務というヤツですね。
室内で立ってるのか、たってるのか不明な皆さんに睡眠魔法を放っていきます。半数以上効いていませんね、大興奮状態ですから無理もありません。
成るべく穏便に怪我をさせずに行きたいものです。彼女のお仕事の邪魔をしてはいけないと気を使ったのが仇となったようですね、いや無関心になったのも悪いのでしょうが、干渉する気が失せて鑑賞する姿勢になったのがイケナイことだった様です。
さてさて軽装な皆さんのギラ付く目に晒されると今後のお仕事がとてもとてもやり辛いので幻惑する必要がありそうです。
暗闇に目が慣れた皆様を略一発で無力化する魔法、隠遁とは逆でありながらこれもまた強力な一打となるでしょう、加減しなくては失明してしまいますが。
忍法・光遁の術!
勿論使用前に付近に転がっていた枕で顔面をガードします、一、二、三。
娘さんをまさぐるおっさんを無力化して娘さんを担いで脱出です。
忍法・壁走りの術!!
「ふえっ?あっイヤっ離して!やめてぇ!。」
「静かに!逃げるから静かに。」
屋根の上に飛び従業員宿舎を屋根伝いに超えて厩舎の屋根を道にして林の中に飛び降り、ギャンギャン喚こうとする娘さんの口にやっとこさ布を詰めて静かにしてから馬のある場所と引き返し音を立てないように登山路へと向かいます。
いやぁ、危ないところでした、危うく任務失敗するところでしたよ。
ウーウー唸って泣きながら何かを言いたそうにしていますが、ここは未だ察知される可能性が高いので静かにして欲しいと伝えましょう。
はい、駄目でした。
どうしようもないので睡眠魔法の詠唱を開始すると強烈に暴れはじめて困ってしまいます。
「じゃああそこに戻るか?。」
全力で頭を振っている娘さんを見てフラットだった俺の心が波を取り戻す。
「幾らか誤解があるようだから一つづつ話そうか。」
会話内容はざっくりしたものだ、そんなに複雑なものでは無い。
独身女性が全裸で混浴温泉に入る意味と、壁際の部屋の隅で宿泊受付から見えない場所に陣取る意味、そしてそれと複合して混浴温泉に入る意味合いの変化。
個室要求はこの場合商売する場所の提供を強要しているようなものであること、真っ当な営業をキープしている温泉山荘としては大っぴらにそんな事は許可していない。よってあの仲居のピンタには色ボケした娼婦への目覚ましの一発も意味として含んでいると言う事。
そして陣取った場所を変えていない事から勝手な商売をする気だと理解され、常連客に対して何時も言って居るであろう”娼婦は居ませんよ”の声掛けを誰もしていなかった事。
この様な違法な娼婦は大体が訳アリなので凄く安い。誘われた価格はシルナ銅貨五枚(最安値で五千円)ポッキリだった。
暗闇の山道を山頂に向かって結構な速度で走る。馬に回復魔法を掛け乍ら進むなど久しぶり過ぎてマナの加減が難しい。
それであっても距離を稼いでおかなくては彼等の中の何割が山越え目的であるかを把握していない以上逃げられるだけ逃げても損は無い。
真っ青なまま吠える気力も失った娘さんの口から布を引き抜いて捨てる。
元気になった馬を駆り山道を軽快に駆け登る。
「美人局をしていた割に初心なんだな、てっきり赤い風車でも客をとっていたのかと…場所取りも温泉にも場慣れしていたようだったのでな。」
娼婦としての経験値を見誤って居たのだと考えていた。そうこの時までは。
顔一面を真っ赤にして俯いたまま固まっている娘を背に、沈黙の中暗闇の山道を進む。
一心不乱とまではいかない、背後の身動ぎ一つしないこの娘の挙動が可也気になって仕舞っているのだ。
俺が感情を失って行動した理由に直結しているような、何か気付いてはいけない事に気付いてしまったような、取り敢えず大失態寸前の間違いを犯す、そんな不安が確かにあった。
報告書を読み返した理由は何だったのであろうか?、あんな暗闇でわざわざ常夜灯の前で座り込んで読むようなものであっただろうか?。
全身に嫌な汗がつぅーっと流れる。
まて、気付くな。ソンナトコまで子供だったのかとか、一寸マテ。
「そういう事はしてたけど、私は処女よ。」
あっぶねぇ、もう少しで俺は踏み越えちゃならない鬼畜のボーダーラインを踏み越えるところだったのだ。
両手の指が震える、この顛末を主様に報告されたら間違いなく俺は死ぬ。
誠心誠意護衛の任務を果たそうと、心に決めた夜であった。




