第百三十七話 三日三晩
騒々しい朝の宿屋で朝食を食べていると全裸の少年と縄で縛られた女が戸板に乗せられて運び出されていく。
最悪な絵面を朝から見せられた娘が薄味のスープを盛大に噴いていたが、ベイビーな少年を見た程度であの取り乱し様では揶揄い甲斐が増すではないかと熱い茶啜りながら思う。
結局俺の裏をかけるほどの手駒は取り揃えてはおらず、二人きりでの襲撃であったようだ。
手持ちの金の少なさといい、密書めいたものの中身も大したものではなく、フケショー国から追われて逃げている真っ最中のザン・イグリット教の間者か間者崩れの暗殺者と言ったところだ。
俺の命ではなく娘の方の命を狙ったのは明白なのだが、依頼金銀貨二枚で半金は先渡しという格安暗殺依頼だ、クジングナグ銀貨なので丁度トリエール銀貨の三分の二程度の価値しかない。(約四万円)
せめてもの情けで彼の荷物から下帯が出されて履かされているようだが可哀想な事をするものだ。
時間が経って蒸れて来る頃に烈火の様な履き心地に寒さも忘れる事だろう。
縛られた女は或る意味俺の作品と云える。周囲の反応を備に観察していると、宿屋の少年が愛馬を引いてやって来た。
俺はその少年にトリエール銅貨を一枚渡して労を労い、鞍の座りを確かめて娘用の座布団を固定する。
依頼書と事件の経緯が書かれた一枚の紙が縛られた女に添えられている。死人が出ていない場合はそう騒ぎになる事も無く、犯罪者であれば凍死しても構わないとばかりに外に捨てられる。
寒冷地で屋根も暴風壁もある快適な場所は一文無しに使わせるには勿体ない。あの二人が生き延びるには仲間の到着か官吏の到着か自力での脱出かの三択しかない。
暗器と金を丁寧に抜いた理由はこれでご理解頂けたであろうか?。
後の事は仲間に任せ、娘を馬に乗せて麓に続く道を進む。海沿いの町まで何度襲撃に遭うか予測を立てながら何時この娘に人の殺し方を教えようかと考えていた。
「朝のあの騒ぎなんだったの?。」
「お前が夜中にトイレで寝ている時に襲撃されていただけだ。」
空気が硬質化する。寝る前の部屋と寝て起きた後の部屋が違う事にすら気付いてない間抜けに状況説明など疲れるだろう?。
間を置いて聞かれた言葉にも力が抜ける要素がみっしりと詰まっている。
「誰が襲われたって言うのよ。」
「お前。」
指差しながら呆れた顔と溜息を練り上げて教えて差し上げる。銀貨二枚で命を狙われたお手軽な得物である事も添えて。
そうだな、鹿四頭分かな。
「俺達が何故護衛の任を受けているのか?そのあたりは何れ話す事になるだろうが、せめて自分の命を守れる程度になってから教えてやるさ。そのときまでお前がどう名乗ろうとも名無しの小娘だ。」
勿論だが俺の名も教える気は無い。
すぐ死ぬような相手に名乗っても意味など無いからね。
関所を通り、少し駆ければ山を抜けた実感が湧く。河川の大氾濫で林が薙ぎ払われて非常に見晴らしの良い茶色い平原が広がる。
大河の氾濫と言うものは何時だって恐ろしいものだ、一年前にこの辺りを通った時には二つ三つは村があったのだが今は何も残されていない。
治水の出来る君主は名君である。
暗愚の証明は治水が出来ないことであると裏返してもよい。治水や土木事業は何十年もかけて行われる非常にスパンの長い代物であり、結果が出るまでそれこそ気の遠くなる時間が掛かる金喰い虫だ。
途中で氾濫が起きて全部台無しになったからと言って諦める訳には行かないものである。
だがシルナ王国は諦めて金を回さなくなった。
チキン城より南に彼等が関心を持たなくなって久しい。
治水の為に注いでいた金を彼等は殊の外喜んだ、埋蔵金を得たとばかりにお祭り騒ぎにも発展したという。
そして放置された河川は、大河は、川底を浚わず放置し続けた川は増え続ける水量と溜まり続けた土砂を弾丸のように押し出して遂に大氾濫を繰り返した。
結果上流から山程流れ着いた死体が湾の中をグルグルと巡り腐敗して陸に流れ着き、川縁で留まって腐敗を続け、セコ国は疫病が蔓延する生き地獄と化した。
人から人へ、家畜から人へと疫病は伝播し、シルナ王国本国からは一切の支援も無く放置され、忘れ去られた。
隣国であるフケショー国も国境を封鎖して陸路と海路を必至で塞いでいる。
疫病のキャリアーとなった者達が警戒網を突破して助けを求めようと足掻くその姿はゾンビ映画さながらである。
人道的支援のためにセコ国に渡ろうとしたイグリット教の聖職者達はタケル・ミドウの元に招集され、様々な教育を施されていると伝わっている。それがなんなのかを知る事は難しいが、命を助けたいと熱望する者たちが、セコ国に密入国してでも…と言う意思を曲げてでも参集している事で何らかの特効薬などが用意されているのであろうことは想像に難くない。
「と謂う訳で陸路で行くと捕まらなくても死ぬ。」
壮絶に長い話を聞かされて海路行きを余儀なくされた私だ。
馬でさえ吐いて、吐いて、吐いてを繰り返す私が休みなく揺れる船に乗ればどうなるか。
陸路でお願いしますと懇願したが、山越えルートは山頂から山頂への縦断ルートと言う過酷極まりないルートであり。
平地のルートはと言えば、国が丸々疫病で満たされている別の意味でも決死のルートであった、どういう事だよと吠えれば、事情を聞かされて、数百年も遅れた防疫体制と衛生観念の無さに眩暈すら覚える事になる。詰んでるよシルナ王国、そこに金を惜しんだら滅んでしまうじゃない。
そんな馬鹿な国が南の果てでは海戦を続けているとか馬鹿の極みじゃないのさ。
「シルナ王国は採算度外視で領土を広げるのが国是だからな。略奪で暮らしてきた頃の名残なのさ。」
「政治の出来るヤツが権力を握って今の頭と入れ替わればいいのに」
焚火の中の薪がパキパキと爆ぜる。
「ああ、王族のクーデターはつい先日失敗に終わったそうだ、第四王女のアンゼリナだったかな、生きたまま全身の肉を四千七百回切り刻まれた末に殺されたそうだ。」
条件反射の様に吐く。
私達の世界で行われた凌遅刑の中でも凄惨且つ残忍な劉瑾が処せられた刑罰である。




