第百三十六話 理解ってくれとは言わないさ
夜更け、こんな時間に目を覚ましてウロつく輩はトイレに起きた何者かであるか、さもなくば不埒者である。
あとはトイレに付き添う者か夜中に見回りをする宿屋の従業員だろうか?。
娘さんがフラフラと起き上がり俺を起こしてトイレに付き添わせると言う、理不尽な要求を渋々呑み、ついでに自分も用を足して手を洗い、娘さんが寝ないように声を掛ける。
旅隠密、要するに俺の役割であるが、今、隠形の忍術で俺に接近し一通の書簡を懐に投げ込んで行った仲間が居た。
何時もの事である。各地を旅して商人のような事をして路銀を稼ぎ、諜報活動に従事する。秘匿魔法”忍術”を使いあらゆる任務をこなす事が俺達の役目だ。
王都に向かう俺に託されたこの書簡は主様宛ての調査報告書だ、真面に読んでみようとしても白紙なので安心安全である、報告書を届ける任を帯びた者だけが書簡の中身をある物に移し替えて運ぶ事が出来る。
つまり歩く郵便ポストのようなものだと思ってくれて差し支えない。
「こ…これは。」
懐にはもう一通…いや一本の巻物が添えられていた。虎の巻と俺達の仲間内で伝えられる秘伝書である。
忍法・忍術とは、主様と頭領衆によって編み出された、秘中の秘そのものな新魔法である。
また、新たな力を授かったと理解するとトイレに篭る娘など放置して部屋に戻りたくなる。
気配察知してみるとトイレで眠っている気配がしたので気をトイレに発生させて静かに叩き起こす。
大層慌てているがさっさと用を足して出てくる程度には慌ててはいない。
トイレに起きるくらいなら何故寝る?と思ったところであくびが出る、勘弁してくれや娘さん。
今の技は合気とされる体術の一つだ、当然主様の配下であるならば…一人だけ使えないのが居たな…。
まぁ、それは兎も角……気の届く範囲ならば打撃くらいは入れられる便利な技だ。
「こんな山際のクソ寒いトイレで寝たら死ぬぞ。」
ごく当たり前の事実だけを告げて廊下を見渡す。
ん?。
気のせいなんて事は無い。感覚を鋭く尖らせる生き方を続けている俺達に、そんな齟齬などは在り得ない。
低い水準で編み出された隠蔽魔法程度ならば気配に完全に同化する忍法・隠遁により気付かれる事無く相手を確認する事が出来る。ハイドが解除されている事に気付かずに近寄って来る人影を見て鼻で笑う。
「変わった歩き方だな、少年。」
底意地の悪い声掛けである。ニヤニヤと微笑ましいものを見る生暖かい笑顔で隠密見習い程度の能力しかない子供を笑って揶揄っているのである。
自身が帯びている筈の隠蔽魔法を確認しているのだろう、声を殺して魔力の流れを探している。
「なんだ、婦女子のトイレを覗くのを妨害されたことがそんなにショックだったのか?。」
「ち、違う。」
「悪い趣味を許容出来るほど人間が出来ちゃいねぇし、器も大きくないんでな、申し訳ないが部屋に帰って貰えないかな、性欲の昂りに負けちまう若気の至りってのは、俺も経験がねぇとは言わねぇしよ。」
逆上して飛び道具が三本飛来してくるが、こんなもん大道芸以下なので全部綺麗に捕まえて速やかに投げ返す。ごめんな、一本だけ刺さったのは計算違いだ、体術の修練が甘い、もう二段階ほど下方修正しないと殺してしまう。
「おいおい、お兄さんとしては、人殺しでの性欲発散は感心しないぞ。」
トイレ前の出入り口に何事も無かったように引き下がる。嫌でも子供扱いの上に馬鹿にされている事が解るだろう。
「何者だ貴様。」
「冒険者ランクB、護衛任務遂行中の魔道具職人さ。」
少年は多少鍛えたと思しき踏み込みで、暗器を忍ばせた拳を繰り出してくる、目にも止まる遅技で繰り出されたその手を優しく取り、力を殺さずにくるりと半回転させて頭から庭石に落とす。
いい音がした、悶絶してのた打ち回る少年の金玉を蹴ると少年は股間を押さえて泡を吹いて気絶した。目的なんぞ聞く気は無いのでそのまま中庭に全裸に剥いて吊るして放置する、あ、そっちも少年だったのか……と、ある一部を見てしょうも無い感想が湧く、少年の衣服から暗器を取り出して回収して衣服を全部水浸しにする。
部屋の鍵を手に入れたので適当に荒らしに行くとして、トイレの中の娘を操気法で揺さぶってビンタして起こす。本格的に寝ているなどとは予想していなかった。
寝ぼけたままの娘の手を洗う手伝いまでしてから、隠遁を発動して部屋に娘を放り込んで鍵を掛け、少年の部屋へと向かう。
周囲の気配を確認して中に入り荷物を広げて検める。
保存食に下剤を塗り、元通りに包み、常備薬に下剤を混ぜて元通りに、暗器の類を回収し書簡を記録して元通りに、と暇な作業をして銅貨と割銭を頂く。
室内の床下に隠してあった剣を圧し折り、服に縫い留められていた銀貨を頂く。勿論シルナ王国の通行許可証と身分証明書、偽造通行証なども回収。良い火口になるだろう。
「ザン・イグリットの聖書とか持ち歩くのは感心しないぞ、少年。」
少年の下帯に唐辛子の粉末を良く揉み込んでから綺麗にしまうと、扉に鍵を刺して自分たちの部屋に戻る。
鍵が開いている、トイレに行く前に鍵を掛けたほうの部屋だ。
想定通り、予想通り。
借りていない部屋に娘を放り込んだ甲斐がある。
室内に一人気配がある、ベッドにはない、天井だ。操気術で背中を全力で殴りつけて床に叩き落す。
室内からいい音がした。この感触は女か…顔面から落ちたのは少し気の毒だったかなと、思いつつ操気術で見えない敵を演じて遊ぶ。
真っ暗闇な部屋の中を猿の如く縦横無尽に駆け回る異様な存在は、壁も家具も擦り抜けて攻撃を仕掛けて来る。当然だ実体が接触するまで無いんだから。
マナと違ってこいつを察知出来るようになるには、武道の修練を念入りに続けていなくてはならない。
隠遁と操気を組み合わせれば三十年鍛えた程度では気配も辿れない。
俺の居場所と接近に気付けなかった時点で、お前の負けだよと腹パンを入れて残心の構えで室内の状況を確認する。
「さて、剥ぎ取りするか。」
意気揚々と部屋の扉を開けて室内を綺麗に片付け、気絶している女へと歩み寄る。
俺は手慣れた動作で女の全身から暗器と金目の物を奪取するとちょっと気の利いた縛り方で部屋の中央に女を吊るす。
「完全に脱がせてしまうと面白くない、この美学をわかってくれるヤツが居なくて悲しい。」
溜息を一つ吐いて部屋を後にする。
娘さんが裏をかかれて攫われていたら、そりゃもうお手上げだなと、ひとりごちる。




