第百三十四話 楽園の住民
馬を買う事になった俺は、早朝にとっとと宿から出て牧場直営の販売所の前に辿り着いた。
受付嬢(?!)ファナ(おば)さんの紹介状を手渡してギルドから何とか捻じ込んで貰った、二人乗りに耐えられる大型の大人しい馬を購入する事が出来た。
曰く、大飯喰らいだがパワーには牧場主も太鼓判を押せる一頭だとのお墨付きだ。
早速持ち主証明の呪印を施して貰い、馬具一式を購入して跨って試し乗りをする。目の覚めるような速度は出ないが、敵を想定した騎乗には支障が無い程度には足があった。
「有難う、コイツには怪我などしないと言うアツい何かを感じる。」
適当に誉め言葉述べて代金を支払い金貨の話題で軽く盛り上がり宿屋の前へと到着する。駆け出してきた子坊主に馬の面倒を頼み、クジングナグ銅貨二枚を渡す。
そして、小娘はノックしても起きない為体であったので宿のおかみさんに後事を託して風呂場へと向かう。
身体を拭きき清めて、頭も洗い、朝食を頼み終えて新聞を読んでいると酷い顔をした娘が目の前の席に着いた。
「寝ていないのか?。」
黙って頷くだけなのでしっかり声を出せと言って置く、これからの旅で危険を知らせるにも何をするにも声出しは重要な要素だ、隠密みたいな動作で理解しろとか正直虫が良すぎる。わかるけれど判らないフリをする俺の身にとってそれは死活問題に直結するからだ。
牛の胃袋で作られた装着式吐瀉物袋を揉み解しながら彼女がハッキリと声を出すまで色々と話しかける。
幸先の悪い旅になりそうだと漏らしてから届けられた朝食を食べ始める。
温めた牛乳を頼み彼女に薦める。
今は大人しい限りだが、報告書の人格が出てきた途端喧しい事になるのは請け合いだ。
彼女に掛けられている奴隷紋は王都到着後も多分消される事は無いだろう。取り敢えず声を出す様に奴隷紋を発動させる。
食後に互いの身体を縄で軽く縛って馬を走らせる。
勿論吐く前提なので後ろ向きで、顔には吐瀉物受けのマスク装着。弱音は吐けないように奴隷紋の調整をしながら駆ける。
外界と街を隔てるクジングナグの大門は開かれて橋桁も堀を渡り、出国手続きをする為に受付に向かい、書類を提出して、吐瀉物袋を洗い、洗浄魔法で更に清潔にして良く揉んで置く。
「そうか、尻が痛いか。」
幾らかの荷物の中から布を詰めた袋を鞍に敷いて多少はマシになる様に手を加える。
馬に乗った事も無ければ見たことも無い者が大半を占めると言う一文を思い出す。何の冗談かと思ったものだがこうして馬に怯えている姿を見ると疑いも晴れて来ると云うものだ。
商都クジングナグへの再入国が若干楽になる鑑札を二枚受け取って再び背中合わせで馬に乗る。
吐瀉物袋の容量はそれほど大きくはないので二度も吐けば満量へと到達する、あとは横から噴出す一方で馬の尻が吐瀉物塗れになる。前向きに座ると俺の背中が吐瀉物塗れになる事が約束される、ならば最初から後ろ向きで吐いて貰えば良いだけの事だ。
五時間程駆けたあたりで、待望の小川を発見し、腰縄を外して下馬すると、おもむろに吐瀉物塗れのお荷物を小川の傍に運び吐瀉物袋を取り外して軽く洗い流し裏返しにして置いておく。
馬から鞍を外し吐瀉物を洗い、太陽に当てて乾かす。
次に手綱を引いて馬とともに小川に入り念入りに馬の尻のほうを洗う、尻尾の毛の隙間に入り込んだ吐瀉物を綺麗に洗い流した後馬のマッサージを兼ねてブラッシングを行う。
暫く自由に川を堪能させて馬と一緒にぐったりとした娘を見て同時に溜息を吐く。
嫌がる動作も見せない娘から服を剥ぎ取り下着も剥いて川に転がす。水嵩はそれ程ないので汚れ切った身体を流す事に不足は無いし溺れる事も無いだろう、多分。
粗目の粉石鹸で下着と服を洗い、大岩に貼り付けて乾かす。身動ぎ一つしない娘もついでに粉石鹸で洗い、されるがままに拭かれて運ばれる娘が本気で憐れになって来た。
薪を集めて火を熾し、携行鍋に水と干し肉と野菜を幾つか放り込んで塩と香辛料を少しいれる。
密閉に近い蓋を締めて火の上でぶら提げればあとは煮えるまで待つだけである。
生鮮野菜が尽きるまではこの献立だ、後は干し飯なり、干烏賊なり塩漬けの保存食があるので節約すれば多少なりとも保つ予定だ。
あの娘は?と云うと先程俺に下着と服を着せられてそこで寝ている。洗った方は乾いていないので今は木と木の間に張った紐に通された形で風に揺れている。無論吐瀉物袋も期待通りに揺れている。
赤い風車で女を買ったお陰であるのかどうか知らないがこの娘には何のリビドーも感じない。奴隷紋の調整をしながら色仕掛けの禁止を念のために書き加えておく。万が一に備えておかないと命の危険があるからな。
夜に襲ってきた鹿の様な何かの足が、焚火に炙られていい匂いを発している。
ヒレ肉の方は革袋の中で塩と胡椒と香辛料に塗れて一眠りしている、とても楽しみな食材だ。
戦闘中、流石に目覚めて怯えていたが、今は眠っている。寝ている間は静かでいい、取り敢えず吐かなくなるまではずっとこの調子の旅が続きそうだった。
何処までも何処までも道は続く。小高い丘を超えれば岩がむき出しの山が聳え立ち、その間隙を縫うように人馬と馬車とリャマの隊商が歩いている。
大陸行路に合流するには雪山を越えるしかなく、その山は万年雪に覆われている。山を越えた先には砂漠があり、大きな川の周囲には森と湿地帯が広がっている。
俺にとっては復路であるが、娘にとっては往路である。初めて見るものをどの様な眼差しで受け止めるのか、それともまだ吐いて怯えて見過ごすのかは知らない。
ぐったりしたまま紐で結わえられた大道芸の人形か、狩猟の得物のような背中の娘を道連れに愛馬を駆って道を進む。
寝覚めの悪い死に方をされて任務失敗となれば目も当てられない。
「色々と殺す事を覚えて貰うぞ…お前はお荷物よりも質が悪い。」
ビクリと娘の身体が竦む、この世の中は弱ければ弱いだけ貧乏籤を引かされる、否が応でも引かされる。
籤引きに運否天賦を乗せたくなくても強引に参加させられてしまうのだ。
「人…もですか?。」
「何を言ってるんだ。」
一寸だけ安堵したような溜息と弛緩が伝わって来る。
「人こそが人を尤も殺して回る生き物だ、当然の事くらい覚悟しておけ。」
娘の中の何かが凍てついたのであろうか、会話相手という暇潰しの対象を失なって黙々と馬を歩ませる。
どれだけ素晴らしい楽園の住民だったのかと頭を抱えながら。




