第百三十三話 大噴水
昨夜は大いに盛り上がり、ベッドでもドッタンバッタン大騒ぎであった。
熟練の技巧に敵う程に深い経験は無く、新しい世界が俺を差し招いている錯覚が何度も押し寄せてきた記憶が朧気乍らあるのだが、酒精のせいなのか、それともお陰なのかは兎も角あまり記憶が無い。
入室して服を脱がされながら脱がしたからな…と自身の抜け殻と傍らに眠る一番人気の姉さんの衣類を畳み、静かに退室する。
朝から眼福且つ、ふつくしき双丘を目に焼き付ける事が出来たので、ご満悦という奴だ。
素晴らしく心地良かった楽しい思い出をベッドに置いて風呂場へと足を運ぶ。
熱く煮立ったお湯を桶に注ぎ、水をお湯に注ぎ足して、桶にも水を入れて良い感じの温度のお湯を用意して身体を拭き清める。
これを忘れると色々なところが臭くて痒くて堪らなくなるので念入りにやる事をお勧めする。
桶を洗い、新しい手ぬぐいを二枚持ち、微温湯を持って部屋に戻り一番人気の姉さんを起こす。
「では、俺は旅の空に戻りますので、いい思い出を有難う御座いました。」
「これは…随分と北の方の銀貨だねぇ。」
「普通の銀貨の三倍なので嵩張らなくて良いんですよ、それに土産としても喜ばれますのでね。」
姉さんの背中を拭きながら雑談をし、最後の挨拶とキスを頂いて階下のマスターから荷物を受け取る。
店内は酔い潰れた酔漢以外は綺麗に片付いており、そのまま静かに扉の前に立つと、不快な音を立てて扉が開かれる。
「「有難う御座いましたお客様。」」
スキンヘッドのドアボーイに頭を下げられてのお見送りを背にして先ずは詰所前の大通りへと足を進める。
商都クジングナグの中心部には流水階段の中間地点に魔道具で作られた大噴水がある。
早朝過ぎるほどに早朝ではあるが、待ち合わせとして指定されている場所が其処なので赴かざるを得ない。
昨夜の記憶を反芻するまでもなく太陽が黄色く見えるが、体調は万全だった。
整備された街路を歩いていると街の人々が箒と塵取りをもって清掃に勤しんでいる。
生活に余裕がある証拠、そして教育の水準が高い証拠である。
モラルの低い街ではゴミが溢れて二階から糞尿が撒き散らされる、フランスのように。
まぁ、下水設備を作らずに街を作った皺寄せではあるのだが。
約束通り待っていた娘に冒険者カードを見せて、依頼書にサインを貰う。
護衛依頼なのでキッチリとしたギルド経由の仕事である。そういう手順を疎かにせずに踏んで行かなければ、この商都クジングナグの治安は易々と人を外に出しはしないのだ。
入るときには犯罪者で無くとも、出る時には窃盗犯など良くある事なのが商都らしい所である。
万引きと言う軽い名称で誤魔化された”窃盗”ならば聞いたことがあるだろう。
万引きと同じ行為は一昔前ならばその利き腕を斬り落とす刑罰に処せられるくらいの重罪だった。
要するに躾のなってない畜生扱いになるだけの事だ。
当然この国では窃盗がバレれば大商家でも厳しい罰が下る、確かシルナ公国の皮を剥いだ所に塩を塗る刑罰が課せられる筈だ。
当然濡れ衣も発生する事もあるが、真贋鑑定機と言う魔道具のお陰で今ではそう云った冤罪は激減したという。魔道具職人としてはとても誇らしい気分になれる。
気弱と言う言葉をコートの様に着込んだこの少女を引き連れて流水階段に沿ってクジングナグの町並みを見下ろしながら降りていく。
彼女の歩む速度に合わせて歩くのは至難の業であった、遅い、遅すぎる。
商都クジングナグは丘の傾斜に合わせて造られている、つまり縦に長く出来ている。
判り易く言うならば下山していると言って良い距離がある。噴水のある場所で中腹と言うヤツである。
水飲み場を見つける度に彼女は長い休憩に入る。そしてそんな人間にはスリが寄って来るのだ。
討伐証明部位として俺の手には今腕が三本ある。
本当は顔の皮を剥ぐと銀貨になるのだが初犯だと言い張ったので腕にした、コレだと一本当たり銅貨五枚だ、悪くない。
腕を再生不能にする為に魔法で焼いていると彼女が嘔吐し始める。まぁ、水だけだから問題なさそうだな。
焼き焦がした腕を紐で括ってぶら提げて歩く。第一階層の冒険者ギルドで換金したら昼飯でも奢ってやろう。
アレだけ吐けば飯も食べたくなるだろう…また吐いた、状態異常治療魔法でも掛けた方がいいかな?。大人の癖に人の一人も殺した事が無いのかと考えて思い至る、主の故郷では人と人同士が殺し合う事など稀であったとか。
どんな楽園だよ、と思いながらメディスンを彼女にかけて焼き腕を麻袋に放り込んで歩く。
そんな幸せで素晴らしい場所なのに何故主殿は帰ろうとはしないのかと少しだけ思い至るが割とその考えは長く続く事は無かった。
つまらない生活だったろうなと、結論めいた考えに至ったからである。
まさか商都クジングナグから出られずに夜を迎える事になる等と思ってもみなかった。
一階層の門を潜ったすぐ傍のギルド直営の宿に宿泊の手続きをして娘を放り込み、彼女を置いて冒険者ギルドへと足を運ぶ。
「それは大変でしたねぇ。」
受付嬢(?)のファナ(おば)さんに事情を説明して馬か馬車の手配を頼み、腕焼きを手渡す。
「なんだい、今時こんなもんで吐く娘さんだなんて何処のお偉いさんの娘っ子だよ。」
腕の持ち主を鑑定魔法で暴きながら前科を記録しているのを盗み見ると揃って全員嘘吐きだったと判明する。俺もお人よしになったものだと思いながら換金価格にイロを付て貰えないか交渉してみる。
「要らない出費も増えて大変だろうしねぇ、わかったよ、ちょいとまっとくれ。」
ギルドマスターの部屋にドスドスと歩いて行きノックもせずにドアを開けて中に入ると、二言三言会話の応酬を重ねてからドスドスと戻って来る。
「まぁ前科プラスを割銭で換算して銅貨二十七枚だね。」
異存はない事を態度で表して、銅貨を受け取るとギルドから外に出る。
これからの旅路を思うと何だか気が重くなると言うものだ。




