第百三十話 契約と代償
「ザナドゥ、問い質したい事がある。」
氷の宮殿内部で忍びの者達がゴブリン、コボルト、ゾンビ、ゴースト、スライム等の低級召喚モンスターの処分に従事していた。
タケルに指揮されて見知らぬ場所で戦闘に従事する彼等は困惑しつつも主の命令に忠実であった。
メリッサが眠る医務室のベッドの傍らに座るザナドゥに窓際から見下ろす恰好でタケルが睨んでいる。
主従関係の拘束はハッキリ言って今の今まで発動などしていなかった、そう、ほんのつい先程までだ。
「何なりとお尋ねください。」
椅子から立ち上がり拝跪してタケルに傅くと、大悪魔は素直に従属を態度で示す。
「フユショウグンの召喚者について答えろ、対価はメリッサの命だ。」
「推測、憶測の中で最も正解に近いと思われる者の名で宜しいでしょうか?。」
「駄目だ、正確に答えろ。」
悶絶しながらザナドゥは幾つかの契約の呪刻らしきものを引き千切り、自らの拘束を解いて行く。
契約を重んじる大悪魔が契約を破棄する事は人間が想像するよりも重大事である。
にも係わらずそれを実行する理由はただ一つ、タケルとの契約がそれらの契約よりもより高位のものである事を意味していた。
「柵の多い奴だな、手伝ってやろう。」
タケルも予想していなかったザナドゥに架せられた契約の縛りの数々を確認して溜息混じりに契約解消の術式で不要なものを取り去って行く。
能力制限など数多くの制限がザナドゥには掛けられており本来の力との差は相当に大きい物だと感じ取る。
ザナドゥが一番嫌がって居そうな契約や、そもそも頑丈な重い契約などは手を付けずに残し、必要なものと報酬になりそうな契約を、満了したものとして切ってしまう。
「迂遠な契約も多いものだな、予想していた相手との契約は…流石に頑丈過ぎて切れる気がしないが。」
「いえ……今回の件に係わっている妖精王オベロンとの契約が切れたので非常に心が楽になりました。フユショウグンは根本的にはただの”器”でして、中身は何処かの将軍職に相応しい伝承を持つ者が詰め込まれる形で顕現するものです。元は自然現象の喩えでしかありませんでしたが、七界の遥か外側からいらした稀人により持ち込まれた虚ろな概念が形を得た存在です。」
「ふぅん…それじゃあ、僕と同じ世界の人間が召喚者なのか?。」
「同じ世界…であるかは存じあげませんが、高度な召喚術を持つ者です、名は桂城亜紀、ダルネス・ヴォルザーグの奴隷で御座います。」
「聞き覚えがあるし面識もあるよ。桂城組の娘か、面倒な奴に面倒な能力が備わったものだな。それだけ判れば十分だな、約束通り、メリッサの手術と治療は任せろ。」
「有難う御座います、召喚者様、お嬢様を宜しくお願い致します。」
深々と頭を下げたまま動かないザナドゥの礼を背に、タケルは思い出したかのように静かにゆっくりと助言する。
「そうだ…、今更だが、手加減して貰えて良かったな、あいつの槍は昔、お前を吸い殺した世界樹の根が概念武装化したものだぞ。」
嫌な記憶を穿り返された挙句、そんなものと正対しかけていた現状に眩暈を覚える。
この世界ランディリーデンから、破界ルッツェゴードスに追い返された原因と再び相まみえていた等と知らされては平静では居られないではないか。
「正しく縁を結べなかった事は不幸だったが、あいつらを敵に回す事はお勧めしない。僕でも勝てないからね。」
そう言い残してタケルはメリッサを抱えて手術室へと部下と共に消えた。
寒くは無いのに身震いするザナドゥの心の中に、遥昔に聞いた世界樹の声が響く。
帰りたくなったら何時でも言うと良い、帰らせてやるぞ、と。
「お嬢様を置いては流石に帰れぬ…。」
それにしても”僕でも勝てないからね”とは、どういう事であるのだろう。
ザナドゥから見てもタケルの強さは相当なものだ、妖精王オベロンの契約を無効に出来る程度に強い事は今目の前で証明された。
そのタケルをして勝てないと謂わしめる存在とは、俄然気になる存在ではないか。
さっと上辺だけを分析してみる。
武人としての強さであるならば、あの石岡琢磨は人族屈指の強さである事に異を挟むつもりはない程に強い。
次に、討ち漏らしを処分していた二人は武器以外に取り立てて目立ったところや才気走ったところは見受けられない。
やはり、出所不明のマナとは違う力をマナの様なものに変換して魔法とは別系統の魔法のようなものを行使するあの二人は要注意だ、なるほど、あの五人が揃って敵に回ればこの身は討ち滅ぼされたに違いない。
しかし、それでも納得のいかない部分がある。
契約によって繋がれた関係であるから良く判るのだ、タケルという召喚者が大悪魔の自分が十人束になっても勝てない強さを隠している事を。
「あの五人も強さを隠している…と?。」
口の中でその考えを転がしながら吟味すると頭を振って医務室を出る。
宮殿の掃除と保守点検、取り敢えず、地下迷宮と直結された通路の切断を行わなくてはならない。
そして、それは彼の人生で最も困難な戦いの始まりを意味する事となる。
端的に事実のみを述べよう。
顕現した二十五人の天使による聖地化が済んだ迷宮がそこにあった。
大悪魔が近寄れない環境の最たるものが聖地である。
不幸である。
グツグツと煮立った魔女の釜は不法投棄廃棄物のように、ダンジョンの傍にそのまま据え置かれ、内容物が溢れて大地にじわりじわりと染み渡っている。
聖地と大天使達の相性について説明する事など愚の骨頂ではあるが、敢えて愚か者の謗りを受けながら解説すると、”まるで実家の様に落ち着く"環境であった。
「おや、偽名が何時の間にか本名になってしまった大悪魔がお越しになられたぞ。」
六枚の翼を持つ熾天使が余計な発言を織り交ぜてザナドゥを快く招く。
当然と言っては当然だがザナドゥに聖域は毒の沼地のような存在である。当然痛みが絶え間なく襲ってくる。
「ミカエルと面会させて欲しい、このままここに居座るつもりなら家賃の支払いを要求する。」
契約書を片手に携えてザナドゥは苦い顔のまま熾天使を睨めつけていた。




