第百二十七話 魔女の釜?
半ば凍り付いた場の空気も前進を続ける氷の兵士たちが地雷原でカチ割り氷のように爆ぜる音と共に砕け散る。
ユリとエセルちゃんがサイズは違うが天使たちを召喚し続けている。一人だけ天使ではないが天使の装備を纏った人間らしきものもいる。
地雷も全て踏み破られたようなので、武器を片手に俺とトモエが前衛にでると、鞍を咥えた一頭の牡牛が迷宮から現れ、敵の背後から突撃して真っ直ぐここまで駆けて来る。
飛び散る氷の兵士たちを見て寒気のする季節なのに寒気を更に覚える。
意気揚々と駆け寄ってきたタロウに、タクマと二人掛かりで鞍を装着し、タクマが跨る。
準備運動は終えたとばかりに一つ嘶くと、牡牛は闘牛の様な闘気とマナを煮え滾らせて主を乗せ駆け出して行った。
彼等に掛けられていた壁と天井の枷が、今、解き放たれたのだ。
男を漢と書いて連呼する歌が聞こえるような戦場であった。
俺達は取り零した奴らの相手だけでいい。術者を殺られる不手際など在ってはならない。
「馬が欲しいわ、馬が。」
「予算が無い、済まない…確実に御節料理を作らなければ用意出来たのだが…。」
本当に申し訳ない、移動の術式を思いつく事が出来ず、乗合馬車を使い過ぎたのは素直に俺の責任だ。
「いいわ、御節の無いお正月なんて認めないから、馬なんていいわ。」
納得して貰えた様で有難いが、こうなれば天然の悍馬なり名馬なりを捜索せねばなるまい。
軍馬?高いよ、デモルグル国の一流のものとなると家が建つ。奴隷なら二十人くらい買えるお値段だった筈だ。
坂道を掛け下る人牛一体となった黒い弾丸が氷の騎兵隊に突入する。初撃の大剣で真っ二つに断たれた騎兵が左右に割れて大地に落ち、タロウが馬を頭突きで割り、蹄で砕き散らす。
右の騎兵をタクマが斬り、正面の騎兵をタロウが割る。半円を描く猛牛の足に合わせて大剣を伸ばして両手で固定して駆け回れば、氷の騎兵は擦れ違いざまになぎ倒される憐れな氷の華が咲き乱れる。
包囲前進を続ける天使達は騎兵とは別行動の歩兵達を相手取り一歩も退かぬ構えである。その防衛線を掻い潜って来る不埒者を俺とトモエが、右に左に駆けて仕留めて回る。
割合忙しい戦いだが、戦いとして成立している事自体が通常在り得ない。人間の戦いで高々三十人で二千四百人を相手取る戦いなんてあってたまるかと言うものである。
埒も無い事を言えば、戦争ごっこが大好きな精霊共を懲らしめる戦いである。
こちらの陣容を解説すると、十二天使が二部隊と一人だけ別の使命を帯びた何者かを含めて計二十五人の天の御使い。そこに、板前、女将、店長、看板娘、可愛い女給の娘の合計三十人で執り行われる。一頭の牡牛はこの際人としてはカウントしないが貴重な戦力であることは疑いない。
大精霊は?と云うと、エセルちゃんと一体化して衣装と叡智の存在となっている。
少なくとも全能力ブーストとマナの大増量は確実で、あのユリと魔法行使を保ち続けられる事がどれ程恐ろしい事であるか…その思考を放棄したくて堪らない。
原子炉が二基並んでいる状態と言うべきか、魔女の釜も合わせた上で三基並んでいる状態と言うべきなのだろうか、正直判断に迷う。
魔女の釜と言うものが何であるかとは所説あるのだが、この場合の魔女の釜について説明を試みて見ようと思う。色々な薬草や秘物をコトコトグツグツ煮込むものであれば悪臭や魔的な何かであるだろうし、魔女と言う単語で語るのであればメリッサやザナドゥ達、精霊や悪魔の常識では穢れた忌まわしい汚物のようなマナを集めて煮詰めるようなものであるのだろう、その認識は正しい。本来はそういうものであるから魔女の…と言う呼び名が与えられるのである。
しかし、ここに居る二人の魔女は世界を狙う悪を討つ魔女である。正義の魔なのである。
裏切者の名を受けたり、全てを捨てて戦う事は無い。清く正しい正義の魔女なのだ。
つまり煮詰められているものは正しい心と正しいマナと世界を救う力が溶け合い混ざり合い煮詰められた純粋正義なのである。悪しき心と悪しき魂を持つ者は問答無用で浄化され、救世の力として再利用される。
敵も心を入れ替えて、いつかきっと心強い仲間になってくれる。
最初は敵対していたけれども間違いに気付き味方となって現れる。
真の敵が現れて力を合わせて戦わなくては手に入れるべき世界が無くなってしまう。
皆、この清き魔女の釜が犯人である。
世界が清らかな心と魂と願いに溢れ、愛に満たされる様にと願った多くの魔法少女達の願いと願望が煮詰められた究極の願望器がそこにあるのだ。
負の力が恐ろしい速さで浄化され、氷の騎士や氷の兵士達に宿る精霊の魂は魔核と共に回収され魔女の釜にくべられ、清浄なる存在となって満たされていく。
その度に熾天使達は愛に満たされ、その身を愛の炎で燃やし至福の時の中、戦いを続ける。
ヘヴン状態で聖理力に満ちた大天使が戦う姿には、頼もしさと寒気が同居している。
「絶対にあんなのとは戦いたくない。」
そりゃそうだ、彼等は今聖戦の真っ最中だ、救世の真っ最中だ。
どんな正義が相手に在ろうと聖なる戦いの前ではそんな正義は悪に塗り替えられて滅ぼされる。
猛烈に厄介な味方の聖気に晒されながら、チリチリと自身の裡に在る俗物的な悪意まで浄化されていく痛痒さを感じる。
間違い無く長く晒されれば悟りを啓けるに違いない。
心を無にして神に祈るのです、世界は絶対救われると、祈りなさい、ユリ様とエセル様の慈悲に縋り、御心を理解してその手に武器持ちて戦いなさい、此処は使命の地、我ら天使は此処で戦うために産まれ呼び出された、今こそ聖戦の時、我らの戦いの時は今!!!
「ハッ!?いかん、持って行かれそうになった。」
「そう…戦いの時は今。」
トモエの肩を掴んで揺さ振り現世に引き戻そうと試みる。
詰まる所、魔女の釜は中身が何であれ魔的な存在である事に全く替わりは無いのだ。
呼び出される対象が両極端である事も仕様がピーキーである所以なのだろう。
「ヤバすぎるわね…あの二人。」
水筒の水を頭に振り掛けながらトモエが吐き出すように呟いた。




