第百十八話 勇者の帰還
鼻歌交じりで調理を続けるタツヤと煮物の様子見や掻き混ぜ、手間のかかる細かな野菜の下拵えなどを済ませていると、エルフの娘がエルダーエルフの長老と共に戻って来た。途中で出会ったので荷物を引き受けたのだという。
厨房の片隅を貸すと長老はトモエからお茶を受け取り一息ついている。
蒟蒻やんわりと煮込み、煤竹も別に煮込み、竹の子は米ぬかを入れて煮込む。先程から煮てばかりだが仕方が無い。御節料理の殆どが煮物なのだから。
仕出し料理店のアルバイトで十二月を丸ごと潰した経験がおありの方ならばご理解頂けるだろう(そんな人そうそう居ないって)冷凍の効くモノの製造はもっと前から始まっている。
日持ちのする料理ではあるが一か月も二ヶ月も冷凍・冷蔵庫無しで保つようなものはあまり存在しない。
人類の歴史は保存食無しには語れない。その中で尤も多種多様な保存食がある物は発酵食品である。
エルフの娘が持ち込んだ樽の中身──────。
換気中・・・。
原始的な発酵食品は臭い。食べる人間を間違いなく選ぶ。
開封前に伝えられていれば消臭の魔道具だろうが、魔法だろうが、結界であろうが、幾らでも発動出来たのにこのような不意打ちはいけない。
食堂の隅で土下座するエルフの娘を横目に長老からその食べ方のレクチャーを受ける。
乳酸発酵食品の蕪漬けである。菌を選んでいたり洗練されている気配が無いのでこのまま食べるのは危険であり、綺麗に洗って茹でて無害化してから食す酸味のある古い漬物である。
無害化出来ても無毒化は出来ないので解毒魔法必須だ。
「拡大レンズを光学魔法で顕微鏡にする魔法と、菌の培養方法を教えるから…せめて安全な漬物を作れるようになろうか…これでは人間の内臓では耐えきれない。」
ますます土下座が深くなるエルフの娘に顕微鏡魔法を伝授して放置する。己の作成した漬物に蠢く数多の細菌を見て恐れ戦くと良い。マジで。
エルフの娘が里にまで取りに戻った調味料を前に、俺は取り乱していた。
「これは…生姜…いや、違うこんな鮮やかな色の生姜なんてこの世にはない。」
エルフの娘が齎したそれは、玉金である。
他の書き方では、宇金、郁金、鬱金、欝金、要するにターメリックである。
「ウコンだ、コレ。」
俺は再会を果たしてしまった。
御節など放棄して取り掛かりたいものがある。
全てを金繰り捨てて成し遂げたいものがある。
魅惑のカレーが俺を待っていると言うのにトモエに没収された。
血涙を流しながら伊達巻きのすり身をおろしている、血涙を流しながら出汁を取る。
気も漫ろだが、手を抜く事は、俺のポリシーに反する。
「御節もいいけどカレーもねっ♪。」
テンションが高くてどうしようもなくなった俺は急ピッチで御節を形にしていく。出来ては冷まして冷蔵庫へを繰り返す。
重箱を人数分一人三段で並べてスタンバイ。探り箸や回し箸にならないための配慮だ。
消毒薬で両手を肘まで洗い、魔法でコートした手で盛り付けていく。
バイトで培った盛り付けの手際であったがあっさりとエセルちゃんにパクられる。才能のある子には勝てないな。
野菜のみが使われた余り物はエルフ達に持ち帰らせる。
幾つかのエルフ料理も教わり、隷属魔法を解除した。
「世界樹の導きに従いまする。」
これからは主従であるが、あまり干渉をしない方針で行きたいものである。
彼等と何か事を起こすとするならば、その時は魔人との殺し合いが始まる事とイコールであるのだから。
「隷属魔法の生みの親は、本来他者を隷属させるために、その魔法を生んだ訳ではないようです。」
「そうでなければ隷属魔法とはならないだろうしな、それは解る。だが最初は愛でも其の後はDVだった事など良くある話だ。」
そう、良くある話だった。母の浮気相手も逃亡先でDVを働く働き者であったからだ。どうでもいい話だ。
地下迷宮から牛舎へと生還を果たした勇者タクマは、タロウとハナコから手荒い歓迎を受けて後、牛舎からラボへと移動して、数日振りの入浴を済ませる事となった。
湯上りの身体を冷やさぬようにユリから渡されたドテラを羽織り、炬燵で寛いでいるタクマの前に、魔法でふさがった傷口から押し出され、抜糸される事となった絹糸が整列しており、その結び目をずっと凝視していた。
「外科医か?。」
寸分の狂いも無く結ばれているそれはユリの魔法で無駄になったとは言え完璧な縫合であったことは疑いない。デスクの上に消毒されて並んでいた手術道具もまた炬燵の上に並べて置いてある。
鉗子、鋏、持針器、縫合針、ドレーン、コッヘル、開創器と呼ばれるものだがタクマには名前など判らない。
レンタル馬車がラボの前に到着しトモエが迎えに来た。
「生還おめでとう!、そしてユリもおめでとう。」
後半はコッソリとユリに耳打ちする。
どの様な反応があったかは記憶にない。ないぞ?無いったらないぞ。
久しぶりに戻ったアルディアス食堂の前で、これまでの生活の記憶が走馬灯のように蘇る。
帰って来たと言う実感と、少し離れていただけだと言うのにこの湧き上がる郷愁はなんだろうかと思う。
元居た世界に余り未練が無いのも可笑しな話だが、理由には心当たりがある。言わせようとするな。
横開きに改装された入口の扉をガラガラガラとスライドさせて店内に入る。
板前が新聞片手に湯呑みを掲げて出迎えてくれた。エセルちゃんは飛びついてくる。
「勇者、いや…店長お帰り。」
「ああ、ただいま。」
「それと卒業祝いはもう暫く待ってく…うおっ、危っぶねぇ何しやがる!。」
大剣のように椅子を掴んで発言を制する。
「余計な事まで口走るな。」
「わかったわかった、だから静かに椅子を降ろせ、折角のお膳立てが上手く行った様で何よりだ。」
そう言い残すととっとと厨房へと引っ込んでいく。
無邪気で屈託のない笑顔でエセルちゃんが此方を見上げて質問してきた。
「お膳立てってなぁに?。」
いつかタツヤとは決着を付けなくてはならない。
素直に感謝させてくれ、照れ隠しに下らん事をされるこっちの身にもなって欲しい。
「エセルちゃんにはまだ一寸、早いかなぁ。」
惚気るユリを微笑ましく見守るトモエには、母親の貫禄が滲み始めていた。
あの二人、お見合いを整える事が趣味になった老後の夫婦のような安定感を身に付け始めている気がする。
字下げ




