第百六話 秩序の騎士
今よりも昔、遥か昔、ずっとずっと昔、記憶も記録も定かではない遠い遠い過去の事。
魔人に追われて父祖の地を捨て西へ西へと落ちのびて海を渡った、その先の大きめな島国に住んでいた、西の者達と魔人を相手に戦い、肩を寄せ合って暮らす事になった。
そしてまたある日に、魔人に追われ平和な時を失い、命を盾にしながら東へ東へと落ちのびて、何の因果か父祖の地への帰還を果たす事となる。
我々は、肩を寄せ合って暮らし続けていた西の民と、一寸した諍いが元で戦争を始めてしまった。
今では川と砦を隔てて、父祖の地を割って対立する間柄となった。
そして我々は衰え、彼等は栄え続けている。
彼等は我々が放棄して廃墟と化した、我らの聖地カラコルム遺跡を首都として再建を果たした。
我々は、今は草原を点々としながら放牧で暮らす、騎馬傭兵国として生きている。
その日暮らしだ、安定など望んでも得られない、その日暮らしなのだ、シルナ王国から得られるギリギリの金銭と食料で生きるだけの空しい傭兵だ。奴隷と何が違うと云うのか?。
魔人たちによる人類の大攪拌は徹底して行われたが、我々とトリエール王国の者達は幸運な方だった。
貴き血は残せている、知識も口伝も残っている。色々と混ざったかも知れないが大事なものは遺せていた。
勇者と、英雄と、神の使いやら、世界の下僕が、それこそ寄って集って、魔人の正体を人間に知らしめて抹殺して行ったのは、約五十年程度の昔の事で、割と最近の事ではあった、その際シルナ王国は国土の九割を失い、デモルグルは旧国土を半分回復し、トリエール王国に至っては転封されたかのような有様であった。
トリエール王国の南には半島があり、シルナ王国の属国で隷属国家とも言えるタキトゥス公国があった。元はタキトゥス王国であったが、南側の名も無き小国を併合して公国を名乗ったと言う話らしい。実際はトリエール王国の北と東を支配するバラバラになった連合国の属国として編入されたと言うべきなのだろうが、滅んでしまった今は国ではなくタキトゥス湖だ。
海を渡った先にあるトリエール王国の旧王都キウから多くの移民が入植を開始しており、東側諸国が要らぬ口出しをしてくるのも時間の問題と思われる。
だが、トリエール王国には膨大にして莫大な資金源を地の底から得ていた。今のところ枯渇する気配すら無い程に潤沢な埋蔵量であると言う。
世界各国の諜報部隊が暗躍していたトリエール王国であったのだが、この三か月で驚くほど諜報員が検挙され何らかの実験材料として遣われていると言う。
生かされた事に気付いた諜報員達は本国にその情報を報告したのち一人残らず行方不明になっている。
諜報員を辞めて家族と生きる道を選んだ者達は生存している。だからこそ、この内容も我々が知る事となった訳だ。
何の実験かと問うたところで何も知らない者ばかりだった。当然そう言う様にと、言われたのだと諜報員としての敗北宣言が返答として吐き出される、笑えない結果がそこに横たわった。
その状況を説明する為に、概ねの共通している話を統合するとこうなる。
トリエールの諜報部隊は神出鬼没。他国の諜報員が宿泊する部屋に深夜に音も無く現れ、一番年若い一人を遺して全員を手際よく魔法拘束で操って。
「実験材料として大切に使わせて頂きます。」
等とまるで、お菓子か玩具でも貰って帰るような笑顔で連れ去って言ったのだと言う。
諜報員は優秀な者が多い、魔力的に優れた者達や特殊なスキルを持っていたり複数の兵士相手に大立ち回りを演じられる者も少なくはない。
タケル・ミドウとの戦いで二百人を越える諜報員を喪い、投擲されたりもしたシルナ王国は今、決定的に情報不足に喘いでいる。ほぼ、何も知る由も無い我々、傭兵風情にまで情報を得るために、態々雪の中苦労して訪れて、大した土産も無く歓待だけは一人前に求める、そんな厚顔無恥なシルナ王国人にトリエール王国の使者からの贈り物や交渉の話などを少し漏らしてやる。使者は朝遅くに得意満面な顔で出発して、昼には川下で死体となって発見される。
情報を漏らせば母なる川が穢れるだけですよ。と背中にナイフを使って古代デモルグル語で書かれている。
鮮血は洗い流され、流れる先はシルナ王国。その水を呑むのもシルナ王国人である。その死体をバレないように片付けなくてはならないのが、我々である事が酷く腹立たしい。
使者は五人居た筈で遺体は四人足りなかった、徒歩で逃げおおせる筈も無いので。どうせ春の雪解けには、ひょっこり顔を出すのだろう。その頃には氷龍やら雪豹の食餌になって骨だけになっているかも知れないが。
秘密を一つ明かすなら四人は実験材料になっている。彼等は永遠に知る由も無い話だが。
沼地は工事を幾らか施され、タケルの普請通りに川の護岸整備は粛々と進む。
作業員小屋には暖房魔法が所狭しと設置され、交代で戻って来たタキトゥス人を暖める。
彼等全員を奴隷の身分に落としたタケルが彼等を慰問すると言う、なんとも馬鹿げた事態が連日続く。
冷え切った彼等に暖房魔法を手解きし、彼等の好む辛味の差し入れ等、あからさまなご機嫌取りをしているかと思えば、サボタージュを決め込んだ者達を問答無用で実験材料として引っ立てる命令を下したりもする。
コンラッドに指図させれば、もっと厳しくタイトな勤務状態を維持させられる事になるのは皆も熟知している。イノが指揮しても恐らくタキトゥス人に差し入れなどしたりはしない。
ディルムッドなら、タキトゥス人の生活態度全てに指導を入れ続けるであろうことは疑いない。
惨殺を好むと噂される人間の方が一番温情ある扱いをしてくれると知ったタキトゥス人は、彼の部下をこそ恐れる事となる。
尚、一か月の護岸整備で得られる給料は王都での下水掃除と溝攫いの給料の七倍である。
タケルの厳命で三交代制の三勤二休である。休みが多すぎるとの声が多かったが、タケルは頑としてそこは譲らなかった。
作業効率や能率は、休みと励みがあって始めて向上する。納期を意識するならもう少し細やかな心遣いが必要であろうが奴隷にそこまでする必要はない。
それでも一応は国有財産であるのだから国王の財を損ねると言うならばタケルが敵に回る。
部下たちはしっかりと理解した。タケルは王の臣下であり、八氏族連合の一員であり、その行動は常に国の為という、粉う事なき秩序の騎士である事を。
国家の為であればなんだってする。
言うなれば下手に刺激すると危ない存在であると言うことだ。
そして、融通など効かす気は毛頭無い事は、処断の際に知れていた、問答無用なのである。




