第百四話 妹想い
クリスマス前に王都で休暇を得られる兵士とクリスマス後に王都で休暇を得られる兵士は希望者を募って決められる。大体この時期は臨時部隊が新設されてそのまま妻帯するまで所属していたり妻帯者専用部隊が新設されたりでメンタル面でのケアが必要な兵士も続出する。
現代日本のように代替物が無いので、独り身はそりゃもう惨めである。二次元紳士は異世界などに飛ばされないように命綱をしっかりと握りしめていて欲しい。願わくば飛ばされる世界が二次元でありますようにと日夜祈らざるを得ない。
使用人一家の長である執事のジュノー氏とその細君エル夫人の前でローラを妻として貰い受けたい旨を直接伝える席を設けたのは十二月の二十日の夜であった。
公務が重なり、出立前夜というタイトなスケジュールとなったが、ディルの執り成しでなんとか宮殿近くのホテルでの食事の席を確保し、ローラとディルの両親との挨拶をする事が出来たのは矢張り僥倖であった。
娘さんを嫁に下さい、と言うセリフを言うべきこの局面でローラはホテルの調度品を堪能する為に走り回っており、既に迷子になっている。
「御館様からは断っても構わないと言われては居るが、ディルムッドの強い薦めもあってな。」
ジュノー氏の目は赤い。そして今ここに居るべき娘が大人しく座っていない事に何やら途方も無い負い目もあるようだ。
「粗忽者と言うべきなのだろうか、タケルももう十二分に知っていると思うが、あの子は昔から落ち着きが無くてな…緊張する場面からは兎に角逃げてしまう悪癖があるのだよ。」
はい、勿論存じています、等とは口にはしない。微笑でその言葉を受ける事で場を柔らかいまま保たなくてはならない。勿論同席しているディルムッドのこめかみでは癇癪筋がウネウネと動き今も何処かをほっつき歩いている妹を今にも捜索しに赴かんばかりの気迫を感じる。
過去何人も御館様の思い付きで使用人兼兵士など、幾人も目にしてきたし教育も施してきた。
気も効くし物覚えも悪くないが魔力と体力の少ない極普通の成人している男よりも、若干どころかかなり劣っている方だと誰もが思っていた。その上、大人であるのに初等教育のロンダ語ですら知らないと言う為体、そして戦場に出れば馬にも乗れぬし、乗った事も無いと言う。褒めどころに難渋する青年であった。
ディルムッドの教えもありロンダ語をマスターすると暇さえあれば本を読み手早く雑務を熟し、体力づくりと魔力鍛錬に明け暮れる生活を始めた、そうこうしている間に御館様の召喚で愛馬を頂いての出陣。
ピークを過ぎて後は衰えるだけの馬とは言え名馬の名に恥じない一頭を惜しげも無く与えられるだけの働きを果たしてこの青年は見せられるのであろうか?。
タケルの初陣を見送った時のローラの心配そうな顔は手間のかかる子を送り出すような表情に良く似ていた。ディルムッドは墓石をどうしようかと思案していると言うから流石に発注は止めた。
「出世した後に死んで墓が小さいと文句を言われかねんか…。」
納得する方向が酷い息子だと妻と二人で呆れたのも随分と前の出来事のように感じる。
領地で執務の補佐や内政の真似事を熟させながら家人として育てようと、御館様も幾らか手を尽くしていた事を思い出す。
労いの為に国内の旅行にも路銀を出し、我が息子と娘もその恩恵に預かった。
それが全てご破算になるような出来事が北の蛮族の地で発生する。
当然八氏族連合は一つの家族である、なので家族に降りかかった災難は皆で立ち向かわなくてはならない。
即座に派遣できる兵を粗方率いてノットとタケルは王都から領地に入って間も無くクルトゥ領で戦闘に入り、そこから半年を費やして蛮族の討伐と覆滅を成し遂げて帰って来たのである。
タケルが北方より帰って来て暫くはローラもタケルも睦まじく村の視察をしていたように思える。
それもほんの一時であり、何かが深まるようなイベントすら起こる事なくタケルは砦への援軍へと駆り出される事となる。
そそっかしい娘が何時もよりも磨きのかかった状態になり、苛々していた息子のディルムッドは最初困惑し、やがて落ち着き、仕舞には実験動物を見るような目で妹の観察を繰り返し、どんな単語にどう反応するのかを纏め上げてあくる日の深夜、暖炉の前で寛ぐ私の前でその観察結果を明かした。
「父さん、めでたい話と不幸な話を混ぜたものが此処にある、覚悟が出来たら合図してくれ。」
我が息子ながら酷い事を云うものだ、何の事かすら理解が及ばないのに覚悟を求めるとか穏やかではない。
幾らかの時間を掛けて、気を落ちつけ、話を聞く為に居住まいを正す。
「ローラはどうやらタケルに惚れているようだ。」
開幕の一撃は大上段から振り下ろされた死刑宣告であった。なんと容赦のない事だ我が息子よ。
そんな覚悟はローラが産まれた日から一度たりともした事すらないわ!受け止められるかそんな事実!。
心の中で激しく取り乱しながらそれでも姿勢だけは崩さずに、我が息子の目を見て正対する。
そんな虚勢を見ても何処吹く風と言った風情で、冷静沈着にその結果に至ったプロセスを裁判官は語り始める。
それは、我が妹が生活の殆どの時間タケルの安否を気にして仕事も私生活も手に付かないと言う赤裸々な分析結果であり、翻って我が娘が髪の毛一筋に至るまで強奪されたのかの報告書に他ならなかった。
一つ、ローラに取って初恋である事、一つ、婚前交渉は一切無い事、一つ、本人に自覚が無いが既にどうしようもない状態である事。
確かにこのまま実らずに終わってしまえば不幸ではある、実ってしまえば私が不幸である。
色々と遅い子ではあったが、まさか今が真実に初恋だと云うのか?とディルムッドに尋ねると間違いないと言い頷いた。
此処で心だけ優先しても始まらない、私の気持ち、父として娘を手放したくはないと言う気持ちを棚上げしてでも直視しなくてはならない問題がある。
”婚期”である。
あの娘を貰ってくれる、お貴族様が居たとして、果たして幸せになれるか?と考える。
ディルムッドの表情が歪む。
市井の娘に好意を持つ者たちをディルムッドと二人で振り返る。
傍で黙って聞いていた妻の顔も歪んでいる。
選択肢が最初から乏しい。年上ばかりで年下は難しく、同年代はタケルくらいだった。
昔はもう少し仲のいい子は周囲にいた、ああ、そうか、とハタと気付く。
皆戦争で散って行ったのだと。
仄かな想いすら、戦争で全部微塵に砕かれ続け、今また同じ日々が繰り返されようとしている。
「父さん、私が全てを整えます。覚悟を決めて頂けますでしょうか?。」
こうしてタケルとローラの婚約は水面下で決定したのである。ただし、この段階ではタケルの内意などディルムッドは聞いていない。
イザとなれば可愛い妹の為にタケルをカタに嵌める気であったからである。尤も粗方その通りであったわけだが…。




