五話~思い出の記憶~
優斗はいつもの様に扉を開く。
「……紗綾ー来た………紗綾?」
優斗は目を大きく見開いた。
そこには、いつも居る筈の紗綾がいないからだった。
優斗は直ぐに駆け出した。
*
紗綾は病院の屋上に居た。
つい最近、紗綾に外出許可が降りたのだ。
優斗には言っていない。単に会いたくないからだ。
「………っ………優斗……ごめん……」
バタン。屋上への扉が開いた。
他の患者だろうか。一応気にしない事にする。が。
「紗綾!」
「!?」
紗綾は三秒ぐらい絶句し、硬直した。
優斗の呼吸は乱れていた。走って来たのだろう。
そしてやっと状況を把握出来た紗綾はと言うと。
「……わーー!何これ!?何で此処に居るの!?何も言ってないのに!?あーーー!」
持てる力の全てを懸けて叫んだ。優斗ですら目を丸くしている。
そして次の瞬間、紗綾は力無く崩れた。
優斗はあたふたして紗綾の所に駆け寄った。
「……紗綾…?大丈夫?」
「……うん、ごめん。走って来たの?息が上がってる。看護師さんに怒られ無かった?」
「…うん。部屋行ったら紗綾が居なくて。気付いたら、看護師さんに怒られてた。病院は走らないで下さい、って。そこで、走ってた事に気付いて。屋上来たら、紗綾が居たからビックリした。外出許可出たんなら教えてよ」
「……ごめんなさい。…私、も、貴方の事が好きです。どうしようも無く好きなんです。ずっと私の傍に居て下さい。……友里亜と付き合わないで下さい……」
「………え?………!?」
紗綾は泣きながら言った。胸の内に秘めていた思いを。
そして紗綾は、優斗の方に向き直ると。
「私、貴方がどうしても必要なんです…!貴方がいないと生きて行けないんです…!お願い、貴方がいないと、私、私………!」
「さ……や……」
「…!ごめん…迷惑…だよね。ごめんね?優斗が幸せなら、私は…いいの」
優斗は顔から火が出そうな勢いだったが、其れを何とか堪え、努めて冷静に言った。
「…紗綾は、俺の事が、好きなの?恋愛感情で?私もって、俺が前言った、紗綾の事が好きって……聞いてたの!?起きてたの!?」
紗綾はこくりと頷いた。
「…とりあえず、ぎゅってしていい?」
「う……ん?ぎゅ、て……!?ちょ、ちょっとま、待って!今此処は…ま、不味いって!」
優斗は紗綾の言うことを最後まで聞かずに、紗綾のことを抱き締めた。
「だから此処……!病院の屋上だって!ゆ、優斗!」
紗綾はとにかく慌てた。
一切恋愛経験が無い訳では無いのだが、相手が今までずっと一緒に居た幼馴染みでは慌てふためくのも当然だろう。
紗綾はもうこれは駄目だと諦め、今まで無駄に入っていた力を抜いた。
優斗はそんな紗綾を見て可愛いな、と思っている所だった。
相変わらず恋愛事に慣れない紗綾を見ていると、今までの一連が夢の様に思えていた。
しかし、この世界はどう見ても現実だった。
さらさらで綺麗な長い髪の手触りも、服越しに伝わって来るこの体温も、全てが現実だ。
三十秒間ぐらい経った頃に、優斗は腕を解いた。
少し離しがたかったが、何時もの距離感だと自分に言い聞かせる。
「もう……誰か来たらどうするの?」
紗綾は不満そうに軽くそっぽを向いた。
すると、優斗は紗綾の額を軽く指で弾いた。
「痛っ!ちょっと何すんの!?」
怒る紗綾に対し、優斗は先程の空気を壊すぐらい静かな口調で言った。
紗綾はそれに圧倒され、思わず口を噤んだ。
「紗綾。来週、退院出来るって。……でも、事故が起きた学校に行くと、ショックと言うか…精神状態が弱い紗綾は、精神が不安定になるかもしれないって」
優斗の目は震えていた。若干声も、震えていた。
紗綾にはその意味が分かった。
優斗は何よりも紗綾が傷つく事を嫌う。優斗は怖れているのだ。紗綾が涙を流す事を。紗綾の心が傷つく事を。
その事を瞬時に見破った紗綾は、静かにうん、と言った。
それは、泣いた子供をあやす様に。優斗が壊れてしまわない様に。
優斗はコツン、と静かに紗綾の肩に頭を置いた。顔を見られない様に。
どこまで優斗の気持ちを汲み取ったのか、紗綾は優斗の頭を静かに撫で続けた。
大丈夫、私はずっと傍に居る。
だからさ、なるべく早く、何時もの様に名前を呼んで。
苦しんでる顔も、哀しい目も、震える声も、あまり見たく無くて聞きたく無い。
無理は駄目だけど……あの頃みたいに私の手を引っ張って。
貴方は男の子なんだよ?
「紗綾ー…どこ?怖いよー…一人にしないで……」
「優斗ー!」
「!…紗綾……もう怖かったよー!一人にしないで…ひっく」
「泣かないの!大体、優斗がはぐれちゃったんでしょ!」
「うう…ひっく」
「もう…ほら、男の子でしょ?」
「!」
「ほら、こういう時は何て言うの?」
「……ごめんなさい……――紗綾、帰ろ?」




