三話~全ての記憶~
ペンの音がする。紙に書いている音だ。
何を書いているのだろう。
紗綾は気になり、静かに目を開けた。
そこには優斗がいた。
少し紙を覗いて見ると、とても丁寧な字で何かが書かれていた。
しかし、紗綾は紙に書かれている文字を見て、軽く目を見開いた。
「え……?」
その声に気付いたのか、優斗が手を止める。
「あ、起きた?しんどかったり、だるかったりしたら言ってね?……どう、したの?そんな、目を見開いて…?」
「何で、私が今まで出てきた言葉を、書いてるの?」
少し言葉がおかしくなっていたが、優斗には紗綾の言いたい事がすぐに分かった。
「あぁ、これ?紗綾、もう思い出したっけ?バンドの事」
「あ、うん…一応、大体は…」
紗綾は、大体バンドの事を思い出していた。
バンドメンバーの名前、どんな系統の歌を歌っているのか、歌も自分達で作っている事、メンバーの人数、学年、そして、紗綾だけが三年生という事も。
紗綾は思い出した事を全て言った。
「……それって、大体は、って言える量なのか…?」
「……何か、亜美ちゃんによると…全部思い出したって言えるのは、誰がリーダーか、今まで作った歌の題名やメロディー等を細かく思い出したら言えるのです!って」
「…大変だったんだね、紗綾」
「…そう…だったのかも?」
二人で軽く溜め息を吐く。そして笑いあった。
「あはは!ごめん、大変なのはこれからだよね、ごめんごめん。…あ、そうだ。さすがに曲の事は分かんないけど、誰がリーダーか、って言うのは分かるよ?」
「…誰?」
「そりゃあ紗綾でしょー。まあ唯一の三年生だから、って言うのもあるかも知れないけど…皆が紗綾がいいって言ったんだもん。リーダーを決めるとき、全員紗綾がいい、って言ったらしいよ?」
「……」
紗綾は信じられないと言う顔だった。
何となくリーダーは自分では無いかと思ってはいた。それは優斗が言った通り、唯一の三年生だから、と言う意味でだった。
だがしかし、まさかの全員紗綾がいい、と言っていたとは想像すらつかなかったからだ。
「…ああっと、話が盛り上がりすぎて話の論点ずれちゃった。そうそう、何で紗綾が今まで言った言葉をメモっているのかと言うと、紗綾はバンドの中で、曲の作詞を担当していたんだ。だから、紗綾の中で浮かんできた言葉は、何かの曲に使えるんじゃないかなーって思ったからさ」
紗綾はふと、窓の向こうを見る。
其処には、赤い夕日があった。
「……まるで、あの日みたい」
「紗綾?……!あの日って?」
紗綾が何となく発した言葉。
その言葉に、優斗は嫌な予感しかしなかった。
そんな予感には、確証なんて言う確かなものは無い。だが、その自分の出した言葉の返事を言わせてはいけないのでは無いかと思ってしまう。その証拠に、優斗の声は震えていた。
紗綾は不思議そうに優斗を見ている。
あまりにも声が震えていたので、優斗の心配をしたのだろう。
紗綾は、優斗に大丈夫?と声をかけた。
俺の事はどうでもいいんだ。だから、答えるな。俺の質問に答えるな。確証なんて無いし、こんなのただの予感でしか無い。お前が今言おうとしている言葉は、何時かは言わなくちゃいけない。でも今言ったら、お前が壊れてしまう。其れだけは、嫌なんだ。お前が泣いて、苦しんでる所なんか見たくないんだよ。だから――
「頼む……!その先は……言わないでくれ……!」
そんな優斗の掠れた声は、紗綾には一文字も聞こえない。
だから、
「あ、えーと…あの日って何時だって事だよね?うーん、私も夕日を見てついポロっと出た言葉だからなー。あの日ー、あの日ー、あの…日…?え、ちょ、ちょっと待って、だって私は、あの日、階段を駆け上がって来る男の子を避けようとしたら、バランスを崩してそのまま階段から落ちて、この病院に搬送されて記憶を無くしたんだからさ……」
紗綾は震えた声で、優斗が言って欲しくない言葉を発した。
「っ!記憶を無くしたんだから、こんなにはっきりと覚えて無い筈なんだよ……!?何で……こんなの、記憶を取り戻したとしか言いようが無いじゃん!記憶を取り戻せて、嬉しい筈なのに、嫌な事しか浮かんで来ない!景色が反転して、頭に強い衝撃が走って、そしたら…私の頭から血が……!ママの、事だって……!こんな、こんなのって……!」
「さ……や……」
予想通りになってしまった。
紗綾が全ての記憶を取り戻して、壊れた。
優斗はこうなるのではと予想していたのだ。
記憶を取り戻した事自体は喜ばしい事だ。
だが全て、と言う事は、悪い事も全てだ。
今まで、悪い記憶は一つも教えて来なかった。きっと、まだ今の鎮痛剤無しでは生活出来ない紗綾には、まだ教えてはいけないと思っていたからだ。 まだこの不安定な状態で教えるのは危険だと。
だから、悪い記憶以外の事はほぼ全て教えていた。
だが、今全ての記憶を取り戻した事で、膨大な量の情報が入った事と、悪い記憶が一気に流れ込んで来たため、紗綾は精神的に耐えられなくなり、結果壊れた。
鎮痛剤が切れた時の暴走は、ただ周りが、自分を痛い目に遭わせた産みの親、と言う風に見えているだけなので、思い出した訳では無い。
紗綾は、元々悪い記憶が多かったのだ。
だから小さい時は、よく精神的なパニックが起こり、親が呼び出されていた。
だが、今まで明るく振る舞えたのは、優斗達や育ての親によって、いい記憶が沢山出来たからだ。それでバランスが取れていた。
しかし、少しのいい記憶と、全ての悪い記憶が入れば。
結果は、悪い方が圧倒的だ。
優斗は、壊れてしまった紗綾を、ただ見つめる事しか出来なかった。
紗綾は落ち着き、風の音に掻き消える様な声で、一言だけ言った。
「……こんな記憶なら……思い出さない方が、良かった……」




