二話~思い出したく無い記憶~
紗綾が病院に入院してから、一週間ぐらい経った頃。
優斗が、いつもの様に果物を持ってお見舞いに来た。今日は紗綾の好きな苺だ。
「紗綾!来た…さ、や?ど、どうした?な、何で…泣いてるんだ……!?」
「…!ゆ、優斗……」
優斗は驚きを隠せなかった。
紗綾はいつも元気だった。
だがそれは、幼馴染みですらにも自分の弱さを知られたくなかったからだった。
優斗はそれを知っていた。
だが、この前の様に、紗綾が弱っている所、主に泣いている所は、あまり見たことが無い。
優斗は取り敢えず、持ってきた苺を机の上に置き、紗綾の布団の中へ潜り込んだ。
当たり前だが紗綾は驚く。
誰でも自分の布団に潜り混まれたら驚く。ましてや異性では、驚きだけの感情にはなれないだろう。
「え…!ちょ、ちょっとまっ!な、何で布団に入って来るの…!?…あ、今日は苺だ」
「いいじゃん、寒いんだし…。それに…この瞬間を待ってたんだし…あ、そうそう、今日は苺だよ。紗綾、苺大好きだったし」
二人とも、最後の方で少し論点がずれているのは気のせいでは無いはずだ。
そう思っていたのは、バンドメンバーのギターの男の子だった。
「寒い~寒い~ねぇ紗綾、温めてよ?」
「ど、どうやって…」
こうやって、と優斗は紗綾に抱きついた。
紗綾は予想外な事態が起き、口をパクパクさせて、優斗を見ている。
「もう…そんな顔しないでよ。誘ってんの?」
やはり口をパクパク。
「ごめんごめん、ほら落ち着いて。ね、皆で苺でも食べようよ。ね、朝日もさ」
するとバンドメンバーの男の子がピクリと反応する。
最初、朝日は流石に遠慮していたが、優斗の念に押され、結局食べる事になった。
紗綾はそれを微笑ましく見ていたが、ふと頭の中に言葉が浮かんできた。
「秋の夕陽の赤よりも、真っ赤な顔をした君、僕の横を通り過ぎて行く、いつもはこの原因不明な気持ちで満たされるままだったけど、今日こそは勇気を踏み出して、一歩進むんだ…」
閉じていた目を静かに開ける。
今日はこれだけ浮かんだ。
毎日、というか、かなり不定期に浮かんで来る言葉。それは濁流の日もあるし、風の時もある。
左を見れば布団から出て、苺のヘタを取っている優斗。
右には、少しだけ目を丸くしている朝日。
「…ほい、苺のヘタ全部取っといたよー、よいしょっと。んじゃ、皆で食べよっか」
そしてまたもや布団に入って来る優斗。
「頂きます」
皆でイチゴを食べる。
傍から見れば、少しシュールな光景だ。
特に会話も弾まず、黙々とイチゴを食べていく男二人と女一人。
まぁイチゴはすぐに無くなる。
「ご馳走さ…っ」
急に頭に激痛が走った。
「さ、紗綾!?」
「せ、先輩!」
紗綾は頭を押さえて顔を歪める。
優斗はおどおど。朝日もおどおど。
二人しておどおどしている。
さすがにこの映像は笑える。が。
今はそれどころでは無い。
「ナースコールっ…してっ…鎮痛剤っ…切れたかもっ…」
二人ともはっとし、ナースコールのボタンに近かった朝日がボタンを押す。
大体記憶は取り戻したし、会話も何ら差し障り無い。
だが、まだ鎮痛剤無しではいられないのだ。
間もなくしてナースが二人来た。
「加東さん、聞こえますかー、この子が誰だか分かるー?」
ナースの一人が鎮痛剤を用意し、もう一人がこちらに質問を投げ掛けている。
「っ!…い…や…!来ないで!今すぐ離れて!嫌!来ない…でっ…」
「加東さん!?」
紗綾はナースが来ることを拒んだ。
否、正確には、ナースを恐れたのだ。
紗綾には、ナースが自分の産みの親に見えていた。
紗綾は、産みの親に酷い扱いをされていた。
殴られ、蹴られ、ご飯を与えてくれない日だってあった。
毎日の様に優斗の家に逃げ込む様に行っていた。優斗の家は、温かく迎えてくれた。
ある日、優斗の母親から相談が来た。
紗綾を、友人に育てて貰う、という事だった。
家も優斗の家からさほど遠くは無いし、その家は子供がいないらしく、紗綾の事を言うと、それならうちで育ててあげようか、となったと言うことだった。
一度、紗綾が産みの親に、包丁で刺された事があった。
何とか応急処置だけして、また優斗の家まで這いつくばって行った。
その時は、優斗の母親が救急車を呼んでくれたから、一命は取りとめたが、 一週間の意識不明の重態だった。
それから、紗綾は産みの親がトラウマになり、家に帰れなくなった。
それから、今の育ての親が育ててくれている。
鎮痛剤が切れたりしたら、あまりの頭の痛さに、産みの親に刺された事を思い出してしまう。だから、周りの人がどうしても産みの親に見えてしまうのだ。
たった一人、例外を除いて。
「先輩…!先輩っ…!」
「嫌!来ないで!私、何もしてない!何も悪いことしてない!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!」
「もうこうなったら早く鎮痛剤を!」
「でも怖がられて近付けない!」
ナースが二人ともあたふたしている。朝日も目を震わせている。
「…紗綾」
それまで静かに黙って見ていた優斗が、静かに優しい口調で、紗綾をなだめる様に口を開いた。
「…紗綾」
もう一度名前を呼ぶ。
すると、今までずっと暴れていた紗綾が止まった。
「…ゆ、うと?」
「うん、そうだよ。俺は此処にいる。俺がいるから、だから、安心して。絶対、紗綾の事、守るから。だからさ」
優斗は紗綾を優しく抱き締めた。まるで、子供をあやしているかの様に。
「一旦、落ち着こう…?」
優斗の声は震えていた。
紗綾はもうこうなったら優斗の声しか聞こえなくなる。本当は苦しんでいる紗綾は見たくない。いつも優斗は複雑な気持ちなのだ。
紗綾の動きが止まった所で、すかさずナースが鎮痛剤を打つ。
紗綾の鎮痛剤は少しきつめにしてある。だから、打たれたらすぐに眠気が襲って来るのだ。
優斗は紗綾をベッドに横にした。すると、紗綾はもう寝ていた。
ナースは優斗にお礼を言ってから病室を出る。朝日も電話が掛かってきて、病室を出る。
「紗綾……っ」
優斗はまた紗綾の布団に潜り込み、紗綾の手を取った。
「俺、最低だ……」
ポツリと呟くと、優斗は静かに目を閉じた。




