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二十年後の二十九日午後4

 藤宮が用意してくれた夕飯はハンバーグとスープ。素朴な感じのする料理だったが、それがまた美味い。外で食べるのとは違った、いわば『おふくろの味』。藤宮は笑いながら、「敏の好物だから」などと言うが、古賀本人は「いつまでも子供扱いをするな」と答える。それがまた微笑ましい。本当に仲のよい親子なんだな、と思う。


 俺は頭のどこかで、藤宮が帰還時の事故について考えているが、その話はもちろんしない。ここにいる皆、同じようなことを考えているのだろうが、同じようにそのことは口にしない。


 藤宮が話してくれた、古賀の思い出。古賀が初めて自転車に乗れた日のこと、初めて一人でお使いへ行った日のこと、初めて小学校へ行った日のこと。あと、古賀が子供の頃に飼っていた子犬の話。どれもが当たり前すぎて、逆に涙を誘う。皆が経験しているような、遠い日々の思い出。それだけでもセンチメンタルな気持ちになるのに、藤宮のことを考えると胸が詰まってしまう。こんなにも子供思いの素晴らしい母親が、なぜこんな過酷な目に遭わねばならないのだろう。


 俺は、藤宮が話をする間も、ちらちらと優恵に視線を向けているのに気付いた。そうだな、二十年前から一気にこの時代へ来たのだから、少し話しておかないとな。そんなことを考えている時、同じことに気付いた優恵が話を切り出す。


「えっと、この耳と尻尾、珍しいですか?」優恵が恥ずかしそうに言う。

「…え、あ、ええ。気にならないと言ったら嘘になりますね…」藤宮が不安そうに優しく微笑む。どうやら、優恵を受け入れようとしてくれているみたいだ。


「えーと、私たちの仲間は二十年前に比べると増えていて、えっと、その、ヒトの皆さんと同じように暮らしてるんです」

 優恵の言葉に少しだけ驚く藤宮。俺はいくつか言葉を付け加えようとしたが、その前に藤宮が口を開く。


「そうなの。良かった…。私がここへやってくる前の時代、神無月さんのような人は結構いたにもかかわらず、不当な扱いを受けていたの。この時代の人は、人権意識をちゃんと持っているのね。世界が良い方向へ進んでいるみたい。ほんと、良かった」藤宮はそう言うと、優恵に笑いかける。優恵は嬉しそうに、はにかみながら笑う。


 それからは増々、話が盛り上がった。少し萎縮していた優恵も、楽しそうに話に加わっている。話題がつきかけた時、藤宮は何かを思い出したかのように両手をうった。

「そうそう、敏。あのハガキは持ってきてくれた? 私が出発する前に出したハガキだけど」


 俺と優恵は顔を見合わす。やっぱり、あのハガキは…


「それがね、母さん。あのハガキをもらってからすぐに破っちゃって、そのままじゃ読めなくなったんだ。それで、今日、母さんが帰ってくるから、内容を知りたくて如月さんに復元を頼んだんだ」古賀はそう言うと、食器を重ねてテーブルをあけ、テーブルをふきんで拭ってから、あのハガキとその復元結果を取り出した。そして、それを藤宮に手渡す。


「ごめんね、敏…。お母さん、あなたとの約束を守れないまま出発しちゃったものね…」藤宮はハガキとそれを復元したものを受け取ると、懐かしそうに撫でる。その言葉を聞き、古賀は一瞬表情を歪める。様々な想いが去来しているのだろう。


「うん…。今だから言えるけど、あのときはすごく母さんを恨んだ。いや、そうじゃないな、すごく寂しかった。自分の誕生日よりも、仕事を選んだって…」


 どうやら藤宮は幼い頃の古賀の誕生日を祝うことが出来ずに、そのまま時間飛翔実験に参加したらしい。そのことを古賀は悲しみ恨んだ。そして、母から来た手紙を破ってしまい、そのことを後悔して…


 俺がそんなことを考えていると、優恵は悲しそうな寂しそうな表情で古賀たちを見ている。優恵のそんな様子を見た藤宮は、一息つくと真相を話してくれた。そのほとんどは俺の想像した通りだった。


 今から二十年前、急遽、時間飛翔実験が実施されたこと。そのとき、ちょうど古賀の誕生日と重なっていたが、実験参加のために藤宮はアメリカへ出発してしまったこと。そして、古賀の誕生日が来る前に時間飛翔をすることになり、その前にハガキを古賀にあてて送ったこと。


「それにしても、まさか二十年後に、このハガキを見ることになるとは思っていなかったわ。このハガキを出した時、私に取っては数日前だけど、そのときはすぐに元の時代へ戻って敏ちゃんと会うつもりだった。それが、こうなっちゃうとはね…。まあ、とにかく敏ちゃんが立派な大人になっていて良かった。再会したばかりのときは少し驚いたけど、でも笑い方や仕草が昔のままだもの」ハガキと同じように、古賀を敏ちゃんと呼ぶ藤宮。彼女の中には、数日前に別れた幼い頃の古賀がいるのだろう。


「母さんは、知ってるの?」古賀が震える声で訊ねる。古賀は帰還時の事故のことを聞いているのだろう。

「…、それって、なぜ二十年後の世界で、このハガキを持ってきた敏ちゃんと再会したのかってこと? ええ、知っているわよ。この世界に到着したらすぐに事故のことを聞かされたから…」まるで他人事のように、藤宮は微笑みながら話す。


「だったら…!」古賀はそう言うと押し黙ってしまう。


 重苦しい空気が辺りを満たす。そろそろ潮時かな。もうここにはいない方がいいだろう。部外者の俺たちはこれ以上関わるべきではない。既に関わりすぎてしまっているところはあるが…


 俺たちはそろそろ帰ると言うことを、いつ伝えようかとタイミングを伺っていると、ふいに玄関のチャイムが鳴った。

「あ、もしかして」藤宮が表情を輝かせながら玄関へと向かう。しばらくすると、作業着を着た男性が大きなジュラルミンのコンテナを運び込む。大きさは小型の冷蔵庫ぐらい。藤宮はその男性にお礼を言い、玄関まで見送りに行く。


「これ、なんだろうね?」優恵が立ったりしゃがんだりしながら、コンテナを隅々まで見る。

「古賀さん、心当たりは?」と俺。

「私宛ての荷物じゃないですね。母宛てでしょう。あ!」古賀はそう言うと、ケースの横に貼られたステッカーを指差す。そこには英語で、このケースが封印された日時が書かれていた。ちょうど二十年前の日付だ。優恵がステッカーを見ながら頭を抱えているので、その意味をそっと耳打ちする。


「届いた、届いた♪」やけに上機嫌の藤宮がケースの側に駆け寄る。

「母さん、それなんなの?」藤宮とほぼ同じ歳に見える古賀がそう言う。ちょっと滑稽光景だ。


「大切なもの。二十年前に封印してもらって、この時代にここへ届けてもらえるように手配しておいたの」藤宮はそう言うと、ケースの周りに貼られた書類やらステッカーをはがし出す。


「拓人さん、なんだろう?」優恵が不思議に思うのももっともだ。俺はさっきまで、すぐこの場を立ち去ろうとさえ思っていたが、この荷物の中身は気になる。少し厚かましいが、中身を見てみたいとさえ思う。大切なものって、実験に関わる資料とか論文なのだろうか?


 ステッカーをはがすと、そこには電子ロックの操作画面が現われた。藤宮がスイッチに触れると、パネルがぼんやりと青白く光る。

「さあ、敏ちゃん。ハガキをここにかざしてみて?」藤宮が満面の笑みを浮かべながら、古賀をパネルの前に呼び寄せる。


「え? だって、これって母さんの荷物じゃないの?」

「ううん、これは敏ちゃんのなのよ。さあさあ、ハガキをここに」


 古賀はハガキを持ってくると、一度大きく頷いてからテープで補修されまくったハガキをパネルにかざす。が、何も起きない。藤宮はハガキを受け取り、いろいろと位置を変えてハガキをかざすが、同じく無反応。


「んー、印刷面がいたんでしまってダメみたい。じゃあ、如月さんが復元してくれた紙をあててみて。ちょうどこの部分を」藤宮がボロボロになっているハガキの下の方を指差す。あっ、あそこはバーコードが印刷されている所だ。


 古賀は無言で頷き、同じくハガキを復元したものをパネルにかざす。すると、ピピッと軽い電子音が鳴り響き、ロックが外れた。そうか、あのバーコードはロック解除のキーだったんだ。


 ゆっくりと開くコンテナ。その鈍い銀色は、時代そのものを吸い込んでいるように見える。期待に胸を膨らませ、皆でコンテナの中を覗き込む。するとそこにあったのは、学術論文でも実験資料でもなかった。

 まず、すぐに目についたのは厳重に封のされた小さな包み。開けてみると、そこには古賀の幼い頃の写真や、古賀が幼い頃に書いた絵が入っていた。古賀が恥ずかしそうに照れ笑いをする。

「こんなの入れてたの?」


「ええと、これは私が残しておきたくて。これの一部はもらって行くつもり。ささ、もっと下を見てみて」藤宮に促されるままに、ジュラルミンケースの底からさらに大きめの箱を取り出す古賀。


そして、その箱の梱包をほどく。


「…、天体望遠鏡だ…!」


 そこには小型の天体望遠鏡が入っていた。とてもしっかりした作りで、二十年も経っているのに新品そのまま。


「二十年ぶりになるけど、誕生日おめでとう。敏」


 古賀は不意に涙をポロポロと流し出す。

「ありがとう、母さん…。これ、僕が欲しかったやつだ。母さん、忘れてなかったんだ、僕との約束…」


 古賀はしっかりと望遠鏡を抱きしめる。そんな彼の頭を、藤宮は背伸びをして撫でる。少しだけ滑稽だけど、でも、とても心が暖かくなる光景だと、俺は思った。


 古賀は涙を拭うと、望遠鏡を組み立て庭へと運んだ。

「よかったら、少し星でも見ませんか?」藤宮が振り返りながら言う。

 藤宮のそんな言葉に、頷きたいのだけれども、どうしようかと悩む優恵。俺がわずかに頷くと、優恵は尻尾を振って藤宮の後を追い、庭へと出て行った。ここまで関わってしまったのだから、もう少し一緒にいても良いだろう。


「わ、まだ月はこんなに綺麗に見えるのね」接眼レンズを覗き込む藤宮。

「二十年前よりも空気はきれいになったよ。車も減ったしね」古賀はそう言うと、背伸びをする。どうやら中腰の姿勢で望遠鏡を覗いていたようだ。


 月と言う単語を聴いて、優恵が尻尾をリズミカルに上下させる。

「見ます?」藤宮のそんな言葉に、望遠鏡に飛びつく優恵。こりゃ、家に帰ったら望遠鏡を出してくれってせがむな、きっと。

「わ、わほー」奇声を上げながら、優恵は尻尾を高速回転運動させる。どうやら月に見入っているようだ。


「ねえ、母さん.なんで母さんはプレゼントや写真、僕の描いた絵をあんな頑丈なケースに入れて、二十年後まで保管しておいたの?」古賀がそう訊ねると、藤宮は星空を仰ぎながら、ゆっくりと息を吐いた。


「あの時間飛翔実験は、決して帰還できる可能性が高いものではなかったの。それは実験前からわかっていた。でも、どうやら未来に行けることまでは観測できていたの。そこで、もし帰還できなかったとしても、未来で敏ちゃんに会ってプレゼントを渡したかった。それが、たとえ母親として最後の仕事になってもね」


 藤宮の言葉が、まだ肌寒い空気を震わせ、そしてゆっくりと闇に溶け込んで行く。いつの間にか優恵は望遠鏡から離れ、俺の側にいた。

 誰も次の言葉を紡がない。藤宮は再び息を吐くと、寂しそうに微笑んだ。

「それにね、写真や絵は帰還時に持って行きたかったの」藤宮の目から涙が止めどなくこぼれ落ちた。


「母さんっ! お願いだよっ! 帰還しないでこの時代にいてよっ! 確かに僕は歳を取ってしまったけど、それでも母さんの子供だよ? そんな辛い別れが待っているぐらいなら…」

 涙ぐむ古賀の頭を、さらに優しくゆっくりと撫でる藤宮。藤宮は鼻をすすり、涙を拭う。


「それはダメ。もともと私たちは時間の因果律を壊す存在なのよ。今でも、無理矢理に居場所をあけているようなもの。この時間軸から出て行かないと、世界がどうなるかわからない」藤宮はそう答えた。彼女の目には、まだ涙は残っていたが、それでも達観した笑みを浮かべてさえいる。


「どうしても、どうしても駄目なら、僕がいつか母さんを…救いたい」目を赤くして、そう呟く古賀。藤宮は、そんな彼の頭を再び撫でた。


 俺はそっと作業報告書や請求書が入ったファイルをテーブルに置き、挨拶をすると優恵とともに帰路についた。


 人気がほとんどない住宅街を歩き、駅へと向かう。優恵がふと立ち止まり、空を見上げ頭上の月に手を伸ばす。

「藤宮さん、行っちゃうんですね…。もとの時代に帰れないって、もう息子さんと会えないってわかっているのに」


「そうだな。彼女は、そうやって自分の任務を果たすんだろう」

 冷たい風が身体に吹き付け、まばらな街路樹から悲しげなざわめきが聞こえる。


「どうして、帰っちゃうのかな」優恵は、なおも月を見上げたまま。

「俺たちには理解しづらいことだけれども、彼女は、藤宮さんは世界に影響を少しでも与えないよう、決められた実験計画を守るんだろう。それが彼女の信念なんだろうな」俺は、ふいに優恵の様子がおかしいことに気付いた。優恵は俺の方を向く。すると、今まで瞳にたまっていた涙が、止めどなく流れ出す。


「そうかもしれないけどっ! でも、でも…!」

 俺は泣きじゃくる優恵に胸を貸した。月は、そんな俺たちを青白く照らし出している。


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