二十年後の二十九日午後2
男の名は『古賀敏』と言った。もらった名刺には、ある大学で研究員をしているとある。想像通りだな。所属から言って、おそらく量子物理系の研究をしているのだろう。
俺はそわそわしている古賀から、仕事の内容を聞いた。優恵は自分で客のために持ってきたお茶請けを、なぜか懸命に食べている。あ、芋ようかんか…。大好物だものな、優恵の。きっと、無意識に食べてしまっているのだろう。
「それで、このハガキの内容を復元して欲しいのですね?」俺は白い綿の手袋をはめ、目の前に置かれた古ぼけたハガキを手に取った。細かく何度もちぎられていて、それをテープのようなもので修繕したのだろう。テープが風化してボロボロになっている。そして、経年変化したテープの糊が文面のインクの色を薄めてしまっていた。このままでは内容を読むことが出来ない。
「はい。とても大切な手紙なんです。その内容を知りたいのです。画像処理をして復元できませんか?」古賀は真剣なまなざしを俺に向ける。よほど大切な手紙なのだろう。だが、どうしてこんな状態になってしまったのだろうか。
「どうでしょうね。ちょっとやってみないとわかりません。破れていなければ、いやテープが貼られていなければ、復元しやすかったのですが。こう言うケースは、結構やっかいなんですよ」俺がそう言うと、古賀は肩を落とす。
「この手紙は…、受け取った直後にこうなってしまって…内容を読んでいないのです。恐らく親戚のものが、破片を集めてテープで貼って修繕してくれたのでしょうが、それが仇になってしまいましたか…」
「少しお待ちください」俺はそう言うと席を外し、隣の部屋の作業机から紫外線ライトとフィルタを取りにいく。作業机の向かいでは、テレタイプライタが次の記事を受信していた。
俺は居間に戻ると、ライトを使って紫外線をハガキにあてる。
「あ、ライトは直視しないで下さいね」俺がそう言うと、古賀は視線を上に向けた。そこで優恵と目が合ってしまう。優恵は、ほにゃーっと微笑む。だが、古賀はすぐに視線を外した。優恵は少し落ち込む。だが、そんな様子に俺は少しだけ安堵感と優越感を覚えていた。
フィルタ越しにハガキを見つめると、何とか消えかけたインクの部分が読み取れた。だが、肉眼では限界がある。コンピュータに取り込んで処理する必要がある。
「うん…。何とかいけるかもしれません。ですが、すぐには無理です。紫外線写真を撮影してそれをコンピュータに取り込み、各種の処理を施す必要があります。期限はいつですか?」俺は紫外線ライトを消し、フィルタとともに並べておく。
「出来れば今月の二十八日。遅くても二十九日の午後までには」
「え? あと一週間ですか? ちょっと、無理かなあ。他にも仕事が入ってますし」俺は頭を掻いた。そんな俺を優恵は心配そうに見つめる。
「何とかお願いできませんか? 他のお仕事を延ばした場合の補償もさせて頂きます」古賀が立ち上がって深々と頭を下げます。
「えっと…。頭を上げて下さい。うーん…」俺は頭を抱える。確かに今やっている他の仕事を後回しにすれば、何とか間に合うかも知れない。
「この手紙は大切なもので、二十九日までに内容がわからないとダメなんです。なんとか、なんとかお願いします」古賀は頭を更に下げる。
「拓人さん…」気付くと優恵が俺の裾を引っ張っている。
「…やってみましょう」
ああ、言ってしまった。最近、こう言うケースが多い気がする。難しい仕事を依頼され、引き受けるのを渋ってはみるが、こうして困っている人を見ていると助けたくなる優恵が俺の後押しをしてしまう。
「ありがとうございます!! 本当にありがとうございます」古賀は破顔し、嬉しそうに何度も頷く。先ほどまでの神経質な様子とは打って変わって。
お辞儀をしながら去って行く古賀を見送り、俺は機材を借りるため聖花学園の電算室へ電話を入れた。
*
俺は、昨晩遅くにプリンタから吐き出された印刷用紙を、机にそっと置いた。そして寝ぼけ眼で、しげしげと用紙の上に復元されたハガキの文面を見る。そう、俺はハガキを見事復元したのだ。二十八日の夜、いや、二十九日の早朝に。
復元作業は困難を極めた。まず、預かったハガキを無反射ガラスに挟み反りを修正して紫外線を照射した。これにより、消えかかった文字が強調される。そして、紫外線フィルタを取付けたカメラでそれを撮影したのだ。
助かったのが、このカメラがデジカメで、写した画像をそのままコンピュータに放り込めたことだった。フィルムを使ったカメラだったら、撮影したフィルムを現像しスキャニングしなければならない。しかしまあ、こんな高解像度のデジカメがあるなんて、聖花学園はやはり金持ちだ。
撮影した画像をフロッピーディスクに分割保存したら、あとは自宅でも作業が出来た。画像処理のソフトを起動し、持ち帰ってきた画像データにフィルタをかけたり二値化処理を施したり。それだけでもかなり文字は見やすくなったが、途切れた線を膨張縮小処理で繋げたりもした。まあ、最終的には手作業で繋げたりもしたが。
言葉にしてみると簡単な作業のように思えるが、実際はパラメータを色々といじったりなんやかんやで時間がかかった。とくに俺の愛用しているコンピュータは演算速度が遅く、一回の処理に数時間かかることもざらだった。出来れば聖花学園の高速なコンピュータを借りたかったが、俺の書いた画像処理ソフトは俺の愛機でないと動作しない。
それに、これは一番重要なことだが…
なんとか締め切りまで間に合った。本当にギリギリだった。作業の進捗状況は古賀に逐一報告していた。古賀は、作業終了が締め切りギリギリになるようであれば、当日の昼間に指定する住所に届けて欲しいと伝えてきた。俺はプリントアウトされた用紙の側に、その住所の書かれたメモを並べておく。
いや、しかし、徹夜をせずに済んだと言っても、睡眠時間が三時間だと結構きつい。昔は徹夜でも平気だったのになあ。歳か…
「はーい、朝ご飯ですよー」皿を載せたお盆を器用に持った優恵が、満面の笑みを浮かべながらやってくる。おお、今日はエプロン姿だ。ちゃんとエプロンまで持ってきたのか!
俺は優恵がテーブルに食事を並べているのを邪魔しないように、横から滑り込むように席に着く。が、俺の脇腹が優恵の身体に触れてしまう。
むにん。
「ひゃぅ!」
ま、まさか、この「むにむに感」は…? お盆を持ったまま妙な姿勢で固まっている優恵に、恐る恐る目を向けると…
顔を真っ赤にした優恵がいた。
「ご、ごごご、ごめん」俺は慌てて身体を引くと、優恵に謝る。眠気なんて一発で吹き飛んだ。
「べ、別にいいですよっ! わ、わざとじゃないんだし! 減るもんじゃないし! いや、ちょっと減ってもらった方が可愛い服が着れるかなって」優恵はお盆を置くと、両手で豊かな胸を抑えて少し涙目になりながら、こちらを見つめる。
「ほ、ほんと、ごめん、な? …、で、でさ、今日の朝食は?」俺は誤摩化すために、優恵に訊ねた。
「むー。カレーパスタですっ」
何だか、優恵が怒っている気がする。いや、怒っているよな、やっぱり。俺は少し項垂れながら、テーブルに置かれた皿を見つめる。カレーパスタ…。名前の通り、パスタにカレーがかかっている。微妙だ。でも、そんなことは口には出せない。
「いま、微妙だって思いませんでしたか?」優恵の指摘に、俺はビクっと背筋を伸ばす。こ、心を読まれている!
「いえ、ぜんぜん」
「そう? なら、いいんですけど…。昨日、うちで作ったカレーを寝かせておいたから持ってきたんですけど、ご飯が無かったから、仕方がなくパスタにかけてみました」優恵は少し得意げに言う。あー、仕方がなかったのね。
早速,椅子に座り直して、優恵とともに朝食をいただく。お、おお? 微妙かと思ったらイケる! カレーを少し延ばしてあるから、パスタに良くからんで美味しい。いや、もともとのカレーが美味しいんだ。
「お、うまいな」
「ほんと?」俺が一言褒めると、優恵は顔を赤らめながら喜ぶ。何となく、そんな様子が恥ずかしくて、俺はテレビを付けた。朝のニュースをやっている。いや、ワイドショーか?
テレビ画面には、昨日、『この時代』に到着した時間飛行士の記者会見の模様が映し出されている。
「あ、昨日到着したんだ…」優恵はそう言うと、ちゅるんとパスタを啜った。
俺は無言で、画面を見つめる。画面の向こうでは司会者が時間跳躍実験の概要を説明しているが、この実験が失敗したことを知っているのか、どうも暗い表情で話している。話を聞いているコメンテータも同様だ。あえてその事について、触れないでいるのかと思ったが…
コメンテータの一人が、実験の失敗についてどう対応するのか司会者に質問した。
『えー、その件については、まだCERNおよびアメリカ政府から公式の声明はないようですね。ただ、科学者たちは乗組員が無事に帰還できるよう、様々な対策を講じているそうです…』
司会者はメモを読みながら返答する。恐らく、番組側が用意した回答例なんだろう。コメンテータはそんな答えには満足せずに、『でも、無事に帰還できたら歴史が変わってしまう』と反論するが、司会者は誤摩化しながら話題を変える。
『この実験には色々なトラブルがありましたが、今回、もっとも大きなものは着陸地点がテキサス時空飛翔センターへ変更になったことです。もともとは更に北の基地を使う予定でしたが、時間飛翔機の飛行ルートが共産カナダとの軍事境界線を越える恐れがあり…』
優恵はニュースをちらっと見ていたが、また自分の作り上げた傑作を口にして奇妙な喜びの声をあげている。
「ところで拓人さん。ハガキは復元できたんですか?」ちゅるんとパスタを飲み込んだ後、カレーでベタベタな口をパクパクさせながら優恵が訊ねる。
「ああ、できたよ。見てみる? ハガキだから見せても大丈夫だよな。親展ではないし」俺は印刷した紙を優恵に渡す。優恵はタオルで手を拭ってから、それを受け取った。しばし文面に目をやる。
「えーと、『今度、さとしちゃんに会える日が来たら、この葉書を持ってきて下さい。さとしちゃんに話したいことがたくさんあります。私はさとしちゃんに謝らなければなりません…』」優恵がハガキの内容を声に出して読む。
「さとしちゃんって、誰?」優恵が、不思議そうに手に持ったハガキの復元結果をまじまじと見ながら訊ねる。
「古賀じゃないか。確か名前が『さとし』だったよな。もらった連絡先のメモに書いてあった。敏感の敏でさとし、だったと思う」俺はカレーパスタを食べ終え、食後のコーヒーをポットから注いだ。
「で、なんで、手紙の差出人は、このハガキを持ってきてくれって言ったんだろうな?」俺がそう言うと、優恵も首を傾げる。
「差出人さん…、えっと『フジミヤ』って書いてあるね」優恵は用紙を見つめながら俺に返すと、今度は勢い良くパスタを啜り始めた。まるで何かの生き物のように、パスタがうごめく。
「どれどれ、『ミサキ フジミヤ』か…。フジミヤ、フジミヤ…、ん?」俺はあることに気付いた。そして、慌てて側の机からテレタイプライタで印刷された記事を読み返す。やっぱりだ。
「時間旅行士の一人がフジミヤって名前だ!」俺がそう言うと、優恵はちゅっぽんと最後のパスタを啜り込んでから、目を大きく見開く。
「え、えええ!? この手紙、その人からのなんですか?」優恵が慌てて、復元されたハガキを手に取る。
「わからん。でも、締め切りを今日に指定していたから、何か関係あるのかもな」俺はコーヒーを飲み干し、二杯目を注ぐ。
「んー? あ、そう言えば、これなんですか??」優恵はそう言うと、はがきの文面を指差す。人差し指の先を見ると、そこには白黒の縞模様があった。
「あ、バーコードだな」
「バーコードって、あの値段が書いてある?」優恵はそう言うと、レジでバーコードをスキャンする真似をしてみる。
「そうそう。ただ、値段以外にも情報を入れることは出来るよ。もしかしたら、逓信省、あ、当時は郵政省か、が使っていた郵便追跡かなんかのマークかも知れないな」
「へー、そうなんですかー」優恵は耳を何度も左右に振りながら、しきりに納得していた。俺は優恵からその用紙を受け取ると、クリアフォルダに挟む。
「じゃあ、食事の片付けが終わったら、このハガキを古賀さんの所へ届けてくるよ」
「あ、私も行きますー」優恵が、手を元気に挙げて、はいはーいと声をあげる。
「え? いや、ただ渡しに行くだけだよ?」と俺。
「えっと、切手のストックブックを買いたいから、一緒に出かけようかなと。で、出来れば、帰りで良いからデパートまで一緒に…」優恵はそう言うと、両耳と尻尾を垂れ下げ、恥ずかしそうに両手の人差し指をモジモジさせる。
「あ、デパートで迷うもんな。一人で行くと」
「はい…」
俺はしょげている優恵の肩を少し強めに叩くと、立ち上がって外出の準備を始めた。