二十年後の二十九日午後1
薄暗い部屋でけたたましい印字音が響く。俺は依頼されていたトランジスタラジオの修理の手を休め、部屋の隅で懸命に動いているテレタイプライタを見つめた。このテレタイプライタには短波受信機が接続され、電離層反射を繰り返し太平洋を越えやってきた電波を文字に変換している。
俺は海外の通信社が発信する新聞記事をこうしてテレタイプライタで受信し、それを翻訳して地元の新聞社に売っていたりする。売れないような小さな記事は、自分の発行しているタウン誌に載せたりもするが。
今、懸命に受信している記事は、どんな記事なのだろうか。こうして受信するのもタダではない。毎月、それなりの金を通信社に払っている。それなのに、「牛のゲップを減らして環境対策」なんてコラムを(しかも連載で)送られた日には、どうしようかと思った。
テレタイプが黙る。どうやら一通の記事を受信し終えたようだ。受信終了を知らせる文字が連続で印字される。俺は印字された紙を引きちぎり、中身を読もうとするが…
「こんちゃーっす!」
いきなりドアが開く。優恵だ。先ほど電話で呼んだのだ。
「元気いいなあ。まあ、上がって上がって」俺がそう言うと、優恵は淡い空色のカーディガンを脱ぎ、部屋に入ってくる。長かった冬が終わり、ここ数日、だいぶ暖かくなってきたが、まだまだ日によっては冷える。
「で、拓人さん。どうかしたの? ストックブックを持ってきてって言ってたけど…??」優恵は、大事そうに抱えていた小さな手提げ鞄をテーブルに置いた。そして、中からストックブック、切手を整理するアルバムのようなもの、と小さな革製のペンケースを取り出した。俺はそれを確認すると、机の引き出しから小さな包みを取り出す。そして、それを優恵に渡す。
「はい。開けてみて」
「…?」優恵は頭の上に大きな?マークを浮かべながら、丁寧に包装をほどく。すると中から透明のビニール袋に入った切手が出てきた。おしどりの絵が描かれた五十円切手だ。
「わ、わわわわわーーーーー! こ、これ、すっごい昔の切手ですよね! 切手カタログで見たことある!」優恵は目を輝かせながら、切手をまじまじと見つめる。そう、優恵は最近、切手収集にハマっているのだ。そして、たまたま先日、駅前のデパートへ行った際に切手フェアをやっているをの見付け、こうしてお土産を買ってきたのだった。確か優恵は、鳥が描かれている切手をメインに収集していた。
「そう、戦前のだよ。汚れないうちにストックブックへしまいなよ」
「え、えええええ!? も、もらっちゃっていいのっ!?」
俺が笑いながら頷くと優恵は飛びついて来ようとするが、気を取り直して、まずは切手をストックブックにしまうことにしたようだ。ペンケースから先の平らなピンセットを取り出し、それで器用に切手を掴み、ストックブックへ挟む。
なんでも巷では、またもや切手収集のブームが来ているとのことで、優恵のような若い子の中にはどっぷりハマっているものが結構いるようだ。
「あらためまして。わーい、ありがとうっ!」優恵が、ぽすっと俺に飛び込んでくる。優恵の長い黒髪が、俺の顔をくすぐる。それと同時に甘い香りが漂う。もちろん、柔らかい感触もだ。まあ、それ以上に大きな尻尾で何度も身体中を撫でられたが。
「おいおいおい…」俺が鼻の頭をかくと、優恵は嬉しそうに笑いながら離れ、同じように鼻の頭をかく。
「で、どう、この切手は? 確か持っていないと思ったけど…」俺がそう言うと、優恵はニっと歯を出して笑う。
「ずっと欲しかった切手です!」
「それにしても…、五十円切手なんて何に使ったんでしょうね? 小包かな?」優恵がまじまじと手に入れた、おしどりの切手を見つめる。
「いや、ハガキだよ。ハガキの郵送料が五十円」俺は、デパートの会場で聞いた話をそのまま伝える。
「え、ええええ!? た、高い…」優恵が両耳をパーッと横に大きく開き、尻尾をこれでもかと上下に振る。
「…インフレでもあったんじゃないか?」
「ス、スゴイ時代もあったんですねー」
優恵がしげしげとストックブックにしまわれた切手を眺める。
「優恵、そのストックブック、見せてくれないか?」俺がそう言うと、優恵は下唇を噛み締め、うー、と唸る。
「汚さない?」
「へ? あ、ああ、汚さないよ。というか、どうした?」俺は優恵がやっと手渡してくれたストックブックを受け取り、そっと開けてみる。
「あのね、この前、伊織ちゃんに貸したら…」優恵はそう言うと、さらに下唇を噛み締める。イスに座り直し、尻尾を大きく振って不安そうな表情をこちらへ向ける。伊織とは、俺が非常勤講師をやっている学園の生徒であり、優恵の同級生の女の子だ。優恵とは正反対な感じの子で、身長は低く華奢で髪の毛は短く銀髪だったりする。
「ん? ああ、貸したのか。で、どうなった?」俺は丁寧に整理された切手の美しさに目を捕われながら、返事をする。
「あの子、素手で切手をさわるは、鼻息で切手を飛ばすは、さらにはクシャミまでして大惨事に発展…」優恵は大きくため息をつくと、大きな耳をぺたっと寝かせ項垂れた。
「あの子には、繊細さが足りないのです!!」優恵は音を立てながら立ち上がると、片手を強く握る。
「ははは…。きっと、切手の扱い方を知らなかったんだろう。でもまあ、クシャミはなあ…」俺は苦笑しながらストックブックをそっと閉じて、優恵に返した。そして受信が終わったテレタイプライタからの記事を机の上に束ねておく。優恵はストックブックを愛おしそうに片付けてから、机の上の記事を手に取る。
「あ、あわわわわわ。え、英語だ…」優恵は目をぐるぐる回し、慌てて記事をおくと、
「お、お茶を煎れてきますね」と去って行った。どうやら英語が苦手なようだ。数学や物理は得意なのにな。
俺は優恵が置いて行った記事を手に取り、ざっと目を通す。今回、発信があったニュースは『時間飛行士、二十七日未明にテキサス時空飛翔センターへ到着』というものだった。時間飛行士…、えーっとどっかで聞いたな…。俺が記憶の奥底を探っていると、目の前に美味しそうな紅茶が置かれた。
「どうしたんですか?」優恵が不思議そうに俺を見つめる。
「いや、時間飛行士がやってくるんだって…、あ! あれか」
時間飛行士。確か二十年前に世界初の時間飛翔機、つまりタイムマシンが開発されて、何人かのクルーがそれに乗って二十年後の世界へ行ったはずだ。そうか、それがついに到着するんだな。
「時間飛行士って、えーと?」優恵が紅茶を啜りながら、懸命に思い出そうと首をひねる。
「タイムマシンに乗って時間を飛び越える人たちだ。といっても、まだ一回しか時間旅行は行われていないけど」
俺の記憶によると、この世界初の実験でクルーは未来へ到着したものの、帰還できなかったはずだ。未来から過去へ戻る飛行に入ったのだが、戻って来れなかったらしい。
「へー。時間旅行って出来るんですね! SF小説みたい!!」優恵が感心しながら尻尾で、たんたんとリズムを取る。
「戦前の技術を使って何とか開発したものだったと思う。ヨーロッパの研究機関で開発されたナノブラックホール発生装置を使っていたようなー。あ、そう言えば、事故が起きて街が一個消えたんだっけ、戦前に」
「ええええ! な、なんだか危なくないですか?」優恵が怯えたような視線をこちらに向ける。
「うん、危ないよ。だって、この時間飛行士たち、元の時代へ帰れなかったんだから。二十年後、つまり現代だね、そこで滞在した後に元の時代へ戻ったんだけど…。帰って来れなかった」俺は大きく息を吐き出し、ティーカップを置いた。そして事故に遭遇し、行方不明になってしまった時間飛行士たちのことを想った。
「戻れなかったって… 時間飛行士さんたちはどこへ行ったの?」
「それがわからないんだ。救助をするにも時間飛翔機は彼らが使った一機しかなくて、追跡調査も出来なかったはずだ。それに通信も出来なくなっている…」
優恵もティーカップを置く。静寂が訪れる。
どんなことでも、世界で初めてと言うものには危険が付いてまわる。それこそ宇宙開発では多大な犠牲を払い、ようやく人類は月と火星に基地を持てたのではないか。ただ、宇宙開発計画と時間飛翔計画の違いは大きすぎる。宇宙旅行に比べ時間旅行は費用が桁違いにかかる。これは言い換えると、エネルギーを桁違いに使用するのだ。時間旅行は、地球の重力圏を脱出する何十倍もエネルギーを必要とする。
それに、世界初の時間旅行以降、誰も時間飛翔を試みていないのは、今となっては飛翔機を作る技術が無いのだ。人類にはもう、ナノブラックホールを制御するだけのノウハウは無い。
「でさ、優恵…」
俺が場の空気を変えようと、優恵に切手について更に話を聞こうとした瞬間、玄関のチャイムが鳴った。
「あ、お客さん…?」優恵がぴくっと耳を玄関へ向ける。
「むむ…」俺は話の腰を折られたことに、少しだけ苛立ちながら玄関へ向かう。
「はい?」俺は少々不機嫌にドアを開ける。すると、その向こうにいた眼鏡をかけた若い男が少し怯む。いかんいかん。俺は気を取り直して、営業用スマイルを何とか作り上げた。
「なんでしょう?」
「あ、えっと、お仕事の依頼はできますでしょうか? 画像処理についてお詳しいと聞きまして…」少しおどおどしながら、目の前の男は訊ねる。歳の頃は、そうだな、三十ぐらいか。やや痩せ過ぎで神経質そうな感じのする男だ。弱々しい印象を受けるのに、細いセルフレームの向こうの瞳は、どこか鋭く光っている。学者タイプの男だ。おそらく、大学院生か研究者だろう。画像処理と言う言葉を使っている点からも、そのような学術的な素養があることが伺える。
「画像処理ですか? ええ、そうですね。取りあえず、お上がりください。お話をお聞きしましょう」
俺がそう言うと、男は音も立てずに入ってきた。優恵はすでに男の分のお茶も用意している。さすがだ。