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また明日

作者: 冷凍レモン

明日になったら。

僕はそう呟いた。

返事はない。

返事が返ってくるはずもない。

だってこの場にいるのは僕だけだから。

誰かに話しかけたのではない。他でもない自分自身に話しかけた。

もし、僕が答えを出せていたのなら。きっと返事が返ってきた。そうだ。こんな状況だというのに、僕はまだ迷っていた。約束の時間は刻々と迫っていた。それでも僕はまだ答えを出せていない。

また明日。

彼女はそう言った。

返事はできなかった。

返事を返せるはずもなかった。

だって僕には覚悟ができていなかったのだから。

理解していたし、予感はあった。でもきっと心の中では納得していなかったのだろう。

もし、僕に覚悟があったら。彼女に返事を返せたのだろう。


明日とはなんだろうか。同じ時が二度とないように、同じ明日も二度とない。日付が変わるたびに、ころころとその姿を変えていく。だからこそ、明日は人によっても変わってくるのだろう。

僕にとって先が見えない闇にしか見えないものだとしても、彼女にはちがうものだったに違いない。そうでなくてはならない。いや、そうであって欲しい。

また明日。彼女は今日もそう言った。

僕には覚悟がない。だから今日も答えを返せない。もしかしたら一生覚悟を持つことができないかもしれない。だからいつものように、曖昧にごまかす。彼女はそんな僕を見ながら微笑みを浮かべていた。


一年前のことだ。正確には明日で一年だ。僕は偶然彼女に出会った。

それは本当に偶然と呼ぶべきだと思う。彼女に会ったのは駅のホームだった。田舎の無人駅。周りには誰もいない静かな朝に突然彼女はあらわれた。僕はいつものようにホームで電車がやってくるのを待っていた。何かするわけでもなく、ただ電車を待っていた。 すると、まるで幽霊でも現れたかのように彼女が僕の視界に入ってきた。彼女は古びたベンチに腰掛けると、手にしたカバンからさっと文庫本を取り出して読み始めた。その動作があまりに自然すぎたのでまるでこの風景こそが日常であるかのように感じられた。

彼女の凛とした姿は古い駅舎に映えてまるで絵画のように美しかった。

時が止まったかのように辺りがしんとなる。聞こえてくるのは鳥の鳴き声や風の音だけ。

僕はただ目の前の景色に目を奪われていた。

けれど幸福な時間は長くは続かない。わずかに5分ほどで終わりを告げる。

定刻通りにきいきいと軋んだ音を立てて電車がやってきた。僕が乗る電車と彼女が乗る電車。真逆の方向へと進む電車は同時にやってきた。一両しかない電車のドアが開くと同時に僕と彼女は電車に乗り込んだ。降りる人もいなければ、僕と彼女以外に乗る人もいなかった。

電車はすぐに発車した。日に焼けた座席に座り窓の外をみる。二枚のガラスを隔てた先で彼女は本を読んでいた。さっきよりもより近くで彼女の顔を見た。

けれど、最初の感想は変わらない。彼女はやっぱり美しかった。

その日は一日中頭の中から彼女の顔がきえることはなかった。

夕方になって再び彼女と再会することになるとは夢にも思っていなかった。

電車を降りると、そこに彼女がいた。僕と同じように電車から降りてきた。その手には朝と同じく文庫本があった。既に日も落ち薄暗くなったホームに、スポットライトを浴びるかのように街灯に照らされる彼女はやっぱり美しかった。その姿に目を奪われてしまった。彼女はそんな僕に気がつくこともなく、スタスタと歩き出してしまった。声をかけることすら許されない。そう感じてしまうほど彼女は美しかった。


あれは夢だ。

僕はそう呟いた。

1人で部屋にいるとそう思えて仕方ない。

物語のヒロインのような、どこか遠い世界の住人のような。

そんな彼女に僕なんかが出会った。ありえない。夢か幻だ。

そう思っていたが、次の日も僕が夢から覚めることはなかった。彼女は真っ直ぐに背筋を伸ばし、凛とした姿でやってきた。そして古びたベンチに腰掛けてカバンの中から文庫本を取り出して読み始めた。

次の日も、次の日も、次の日も、次の日も、次の日も、次の日も、次の日も、次の日も、次の日も………………………………。


いつの日からか彼女がいることが日常になっていた。


一ヶ月くらいたった頃だったと思う。初夏の日差しが眩しくなり始めた頃だ。

僕が駅に着くと彼女が定位置で読書をしていた。といってもいつもなら僕が先に着くのに珍しいななんて感想を抱いた程度だ。彼女の読書のペースはかなり速い。ペラペラと心地よいほど速くページがめくられていく。

その時突然風が吹いた。

文庫本のページが音を立ててめくれ、その中から桜色の栞が飛び出した。誰かのいたずらか、風に乗った栞は僕の目の前にやってきた。


あっ‼


初めて聞いた彼女の声はそれだった。

目の前に飛んできた栞を潰さないように注意しながらキャッチした。


すいません。ありがとうございます。


そう言って彼女は頭を下げた。

そしてすぐに顔を上げると、躊躇うことなく線路に降りて此方のホームへと歩いてきた。僕が驚いているのを、知ってか知らずかさっと軽い身のこなしでホームへと上がってきた。

夢か幻は僕の目の前にやってきて、右手を差し出した。その行為に深い意味はなくただ単に未だに僕の手の中にある栞を渡してほしいということだろう。

何か話さなければと思ったがうまく言葉が出てこない。

いつも、ここにいるよね。

口から出てきた言葉はそんなものだった。

あなたもいつもこの時間にいますよね。

僕は栞を渡しながら、彼女は栞を受け取りながら会話は続く。

どこの学校に?

わたしは◇◆学園です。あなたの制服は○◯高校のものですよね。

そうですよ。


ぎこちない会話が続く。ちなみに◇◆学園はこの辺りで一番偏差値が高い有名な私立高校だ。僕が通う◯○高校とは比べ物にならないくらいに。


いつまでも話していたかったがそうはいかない。二人の仲を引き裂くかのように電車がやってきた。彼女はやばと言って笑いながら反対側のホームへと走っていく。去り際に彼女は僕の方を振り返りながら言った。

また明日。

と。


次の日から彼女はいつもこちら側のホームで文庫本を読みながら待っていた。僕がホームに着くと、さっと顔を上げ笑ってみせる。彼女の笑顔は眩しく輝いていて、僕には直視できなかった。

それからの毎日はあっという間だった。色々なことを話した。彼女は父親の都合で引越しを繰り返していることや、彼女がいつも読んでいたのはミステリーだったとか。もっぱら僕が聞き手となり、彼女は休むことなく話し続けた。

初夏の緑が蝉の声に変わり、蝉の声が赤や黄色の紅葉にかわり、葉が散ればすぐに辺りは雪景色に変わっていった。周りの景色がどれだけ変わっても僕の日常は全く変わらなかった。昨日だって僕がホームで着くと、彼女は文庫本から顔を上げて笑っていた。


さて、長くなってしまったけれど、そろそろ昨日の話を始めよう。

僕と彼女は珍し黙っていた。最初は笑顔だった彼女もなぜか昨日に限って口数が少なかった。

長い沈黙。聞こえてくるのは鳥の声と風の音だけ。2人が出会える貴重な時間は砂のように流れていく。

沈黙を破ったのは彼女だった。

明日で一年か。わたしがこの町に来て。

そういえばそうだね。

ねえ、君はさ。

彼女はそこで間をあけた。彼女は僕のことを君と呼ぶ。歳は同じはずなのだけど、なぜかそれがしっくりきていた。

いつまでこうしているつもりなの?

彼女が僕にそう言うのを待っていたかのようなタイミングで電車はやってきた。

それじゃあ、また明日。

彼女は今日もそう言った。


これが1年前から今に至る僕の物語だ。




それじゃあ次は私の番だ。

彼が知らない事実を、真実を教えよう。

彼とわたしが出会った古い駅舎なんてものはもう存在しない。


さて、考えても見てほしい。わたしが通う◇◆学園は偏差値の高い有名な私立高校。そんなものが無人駅の近くにあるだろうか?無人駅だからといって線路を横断できるのだろうか?どうして2人は駅以外の場所で会わなかったのだろうか?そもそも、無人駅に二台の電車が同時に停車するものなのだろうか?

答えは簡単だ。彼とわたしが過ごした駅舎はもうないのだ。かつては、30年ほど前ならあったのだろう。私はそういう話を聞いたことがある。今は大きな駅やビルが立ち並ぶこの町にもそんな時代があったらしい。私が今住む街はつい20年ほど前から急激に発展し、いまでは県内でも一二を争うほど大きな街になっている。中でも駅のホームは広く線路二車線分くらいの幅は余裕である。

私が彼を見つけたのは偶然だった。母から貰ったお気に入りの桜色の栞を飛ばしてしまった時に彼は突然現れた。何もないところから、それこそ幽霊か何かのように。私が彼の方にホームを走っていくと彼は驚いたような表情を浮かべた。

そして彼は私のことを知っているかのように話した。


その夜私は母に彼の話をした。最初は冗談半分に聞いていた母が次第に真剣に変わっていった。

私が話終わっても、母は何も言わずどこか遠いところを眺めているようだった。黙ること十数分母は重い口を開いた。


彼とはね、昔知り合いだったの。そう、ちょうど30年ほど前ね。彼とは1年くらい小さな無人駅で毎日会う中だった。わたしが飛ばしてしまった桜色の栞を彼がとってくれたのがきっかけね。でもそれ以上仲が深まることもなかったの。でも彼と話をするのは楽しかった。彼が聞き上手だったのよ。でも出会ってちょうど1年経つ日の前日にね、わたしは逃げるようにその街を後にした。お父さん、あなたのおじいちゃんが借金していたのは知っているでしょう?そのせいでわたしは彼に何も言うことなく街を去らなければならなかったの。


母の話を要約するとこんなところだろう。そして最後にこう言った。

もしもう一度彼に会えたら伝えといて。いつまでこうしているつもりなの?

ってね。


次の日私がホームのベンチで文庫本を読んでいると、彼が私の横にやってきた。

会話はなく、沈黙が続いていく。私が乗る電車が来るアナウンスが鳴ったところでようやく私は彼に話しかけた。彼は待ちわびていたかのように私の声に耳をかたむける。

いつまでこうしているつもりなの?

私は言った。そう言って立ち上がり振り返らずにその場を去った。


また明日。

そう言っていた彼女と僕には明日はこなかった。

けれど。


また明日。

俺は彼女の背に向かってそういった。

病気で死んだ親父に頼まれた最後の願い。それが彼女にそういう事だった。

冗談半分で聞いていたのに、まさか本当に現れるとは思っていなかった。

けれど彼女はあらわれた。

これは運命なのだろうか?その答えは俺にはわからない。

でも明日になれば、また彼女に会えるはずだ。

そうしたらこの不思議な物語を話すとしよう。


また明日。

あの日の答えはすでに出ている。30年もあったんだ。出ていて当たり前だ。だから僕も彼女がそうしたように、笑顔で言うようにしよう。


 また明日。



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