表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/7

旅立ち




 時は一七一一年、処は天下の永世江戸の城下町。人々はそれなりには文化的な暮らしを享受し、日々の生活を笑顔と共に過ごしていた。しかし悲しいかな、いつの時代にも碌でも無い人種はいるのである。


「おい姉ちゃん、ちょっと付き合えよ」

「へへ、兄貴こいつ中々の上玉ですぜ」


 同じ顔、同じ声で違うのは極端に差のある背丈だけ。二人は髪などを整えず、服装は継ぎ接ぎだらけで、口から悪臭を漂わせながら茶屋の娘を口説いている。


「いや、やめて下さい!」


 両手を掴まれた娘は張り詰めた声で必死に抵抗する。ただそれは、下品な二人を余計に楽しませるだけだった。


「嫌よ嫌よも好きのうちってか!」


 下品な笑いに混じって、深い溜息が娘の耳に届いた。その主は、串だけになった団子を物欲しそうに眺めていた。


「どう見ても嫌がってるだろうが……大体お前ら自分の顔見た事あるのか? 草鞋虫にそっくりだぞ」


 彼は立ち上がり、二人の男に言い放つ。


 二人を下品と説くのなら、彼は異様であった。


 一見すると、彼は浪人であった。長く伸びた黒髪を後ろで縛り、服装は簡素な柄のない紺色の着流しで、腰にはしっかりと刀と脇差を帯びている。


 問題はその腰にある。革で出来ているのだろう、人差し指ほどの幅のある帯に似たそれには幾つもの金具が留めてあり、多種多様な道具が提げられている。その中で最も目立つのは金属で出来た両刃の鋳物で、御庭番が使うとされている苦無と呼ばれる道具であった。それが彼の腰に五つほど。他にも荒縄、粉末状の貝殻が詰まった袋、火打道具一式に手袋などなど。

そのどれもが、侍には不必要な物だった。


「おい浪人風情が……喧嘩なら買ってやるよ」

「やっちゃいましょうよ兄貴!」


 指の骨を鳴らす背の高い男と、それを慕う背の低い男。腕っ節には自慢があるのか、間抜けな顔で笑っていた。


「中々高いが、今日はまけてやるよ」


 異様な男は脇差を鞘ごと引き抜き、構えも取らず二人に向き合う。不敵な笑みが彼の自信を表していた。


「上等だ!」


 背の高い下品な男が、持ち前の身長と体重を生かし真っ直ぐと拳を付きだした。異様な男は素早く腰を屈め、脇差の柄で鳩尾を突いた。


「後言い忘れていたが」


 腹を押さえ涎を垂らす下品な男の頭を、異様な男は黒塗りの鞘で殴りつける。よく効いたのか、相手はその場に倒れこんでしまった。


「俺は浪人じゃ……」


 背の低い方に目をやれば、もう茶屋を後にしている。暖簾を上げ道を見れば、どこかへ走り去っていた。すると異様な男は不満そうに唇を曲げた。どうやら、まだ暴れたりなかったらしい。


「ありがとうございます、お侍さん」


 茶屋の娘が彼に何度も頭を下げた。しかし彼は得意げな顔をして、指を左右に振るのだった。


「違うね、俺は」


 そこで彼は深く息を吸い、よく通る声でこう言った。


「『とれじゃーはんたー』だ!」


 とれじゃーはんたー。言い換えれば財宝狩人などと語呂の悪い言葉になってしまうかもしれない。茶屋の娘がそんな事など分かるはずもなく、ただ首を傾げ愛想笑いを浮かべるのだった。




 要するに、彼は無職のろくでなしだった。






 その異様な男の名前は、日暮風太郎といった。代々幕府の役人として使えている日暮家の次男坊である。年は数年で一七、身長は平均よりもそれなりに高い。幼い頃より武芸と学問を親や兄弟に師事されて来たものの学問の成績はからっきしだったが、唯一歴史の分野にだけはただならぬ興味を抱き、二年ほど前より『とれじゃーはんたー』として諸国を渡り歩いている。


 当然、由緒正しき彼の母親はその事をいつも非難していた。


「……ただいま」


 不審者のように周囲を伺いながら、風太郎は裏口から屋敷の中へと入った。そこはちょうど小さな道場になっており、彼の兄の流太郎が素振りをしていた。流太郎も弟と同じように髪を後ろで縛っているが、役人ということもあってか小奇麗に整っている。誰もがやるよう頭を剃っておらず、その理由は寒いからだそうだ。


「おかえり風太郎、東北の旅はどうだった?」


 母とは違い、流太郎は弟が自称している職業にそれなりの理解があった。そんな兄に、風太郎は袖の下から今回の戦利品を乱暴に放り投げた。


「伊達政宗の眼帯」


 刀の鍔に紐が括りつけられたそれは、妙に安っぽい仕上がりだった。


「ほお」

「土産屋で買ってきた」


 話の種を明かせば、流太郎は苦笑いをしてそれを自分の袖の下へとしまった。


「ところで、母上に挨拶は?」

「……しなきゃ駄目か」


 彼らの家庭は、決して仲が悪い訳ではない。もっとも、絶対王政を仲の良し悪しで語るものなどいないのだが。


「危なくなったら仲裁に入ろうか」

「はいはい、そいつは期待してますよ」


 それから風太郎は半ば物置として使われている自室に戻り布団を敷いて一眠りほどしようと考えたが、眠っているところを母に見られると半殺しにされてしまうと思い直し茶室へと向かった。


 彼の家はそれなりに広く、屋敷と言っても差し支えない程だった。ただ住んでいる人間は少なく、彼を含めて三人だけだ。縁側を歩きながら、彼は考える。


 まずは、さっさと東北に引き返し移住すること。飲み屋で偶然仲良くなった殿様の下で一生働くべきだったと後悔した。その時は自分が『とれじゃーはんたー』を辞めるほうが辛かったが、今は母親の説教を聞かなければならない方が何倍も辛かった。

 次に考えたのは、母親を切り捨ててしまおうという案だったが、さすがに牢屋は嫌だったので諦めて茶室の扉を開けることにした。


「風太郎です、ただ今戻りました」


 三畳ほどの茶室では、今日も彼の母が上品に座り茶を飲んでいた。皺のない上等な着物と部屋に置かれた最低限の調度品は来る者に極度の緊張感を強要した。それがどうやら茶の精神らしいのだが、風太郎にとってはただ居心地の悪い場所だった。

 畳の上に正座し彼は黙って母の言葉を待った。狭い茶室の中に響くのは母が茶を啜る音だけで、それが余計に風太郎の精神を圧迫した。そしてとうとう、彼は口元を緩めにやけるのだった。時すでに遅く、彼の精神は崩壊の予兆を見せていた。


「何か、いい事でも?」


 母は目を開かせ、風太郎の様子を咎めた。


「別に」


 指摘された彼は、それを直そうとして余計に可笑しな顔になってしまった。


「だったらその気味悪い表情をお止めなさい」


 表情筋と脳と神経の三つ巴の戦いは、何とか表情筋が勝利を収めた。得られたのは、まともになった風太郎の顔だ。


「風太郎、いつになったら定職に付いてくれるのですか?」


 老いを感じさせない黒い髪と、錐のように鋭い言葉。飾り気の無いその言葉は、直接風太郎の心に刺さった。


「お言葉ですが、旅費と生活費程度なら今のままでも……」


 ありのままの事実を彼は述べる。彼はいわゆる金銀財宝など一度も発掘したことは無いが、その代わりに交易の真似事を行っていた。地方の特産品を江戸の業者で格安で卸し、小銭を稼いでいる。家柄だけは悪くない彼だからこそ通行手形が簡単に貰えるので、真似したくても出来るものはほとんどいない。それなりに評判は良く、多くの者は彼を卸問屋か何かだとさえ思っていた。


「そういう問題ではありません!」


 風太郎の言い訳を、母は力強い言葉で一蹴する。


「いいですか風太郎、父上が他界してはや五年、兄の流太郎は立派にその後を継ぎ幕府の役人になり、仕事が休みであっても武芸の稽古は怠らず、寝る間を惜しんでは新たな学問を身につけています。今日だって出張から帰ってきたばかりだというのに道場で鍛錬を……最近ではやれうちの娘を貰ってくれ、いやいやうちの娘の方が気立てがいいと奥様方に言われ困っている次第であるというのに」


 一度母の小言が始まると日が暮れるまで終らない事を彼は知っていた。


「何ですか、お前は! 訳の分からないごみ拾いに夢中になり、髪も伸び放題で落ち武者のよう……それにその腰から下げている小道具の山、いくら使ったのか覚えているんですか!?」


 もはや彼は母の小言など聞いていない。考えているのは今日の晩飯をどこで食おうかという楽観的な事だけだった。家で食うという選択肢などとうに消え果てている。それは彼にとって、ちょっとした自殺と同義だったので仕方ない。


「武芸の道を極めると言うのなら、止めません。あなたにはその才能がある事は母である私が一番知っていますからね。しかしそれならまずどこかの道場の看板を取ってくるぐらいの気概を見せてくれないのですか!」


 無茶を言うな、と彼は心のなかで愚痴をこぼした。


「そう言われましても、俺は」

「……俺?」


 下品な言葉遣いを、母は許してはくれない。鋭い眼光に射ぬかれた風太郎は、咳払いでその場をごまかした。


「私は、やはり先人たちが残してくれた素晴らしい宝をあまねく人々に……」

「まあ、口だけはよく回ること。一体そんな下品な言葉遣いと減らず口、誰に似たのでしょうか」


 彼は叫びたかった。お前の遺伝だ、と。


「まあ二人とも、その辺で」


 宣言通り、流太郎は着替えを済ませて茶室にやって来た。話のわかる兄は、話を聞き流すのも慣れていた。


「流太郎、あなたも出来の悪い弟に何か言ってやりなさい」

「母上、少し風太郎を借りますよ」


 半ば強引に風太郎の腕をつかみ、彼は部屋を出ようとした。


「ところで流太郎、また貴方にお見合いの話が来ているの。今度はよくお世話になっている呉服屋の娘で、気立ても良く上品で私のことをおば様おば様と慕ってくれる文句の付け所がないほどいい子で……」

「その話はまた今度」


 母の小言を一言で躱し、こんどこそ茶室を後にする。日暮流太郎、中々のやり手であった。






 永世江戸の城下町は、いつだって賑わっている。下級武士、町人、商人、どこかの農家の六男坊。道行く人の顔を見るだけで、好きなだけ暇を潰せる。風太郎は財宝が眠るかもしれない神秘的な山奥も好きだったが、同じようにここが好きだった。これだけ人が多いと、母親に遊び呆けているところを見られる心配が無いからだ。


「……兄上は結婚しないのか?」


 通り過ぎる美人を目で追いながら、風太郎はそんなことを尋ねた。


「選べる立場になると、どうしても贅沢になってしまってね」


 目的地に向かって真っ直ぐと歩く流太郎は、にこやかな笑顔を浮かべている。穏やかな性格の彼は、いつだってそうしている。


「そうだよなあ、兄上の好みの女性なんて年端のいかない子ど」


 しかし、例外がある。それは弟が粗相をした時、もっと言えば弟が口を滑らせた時、さらに詳しく言えば弟が自分の女性の趣味を公然と述べようとした時だ。その時の彼は躊躇などせずに小回りのよく効く脇差を抜刀し、切先を喉元に突き立てるのだ。


「それ以上言ったら殺すぞ」


 やくざ者でも使わないような暴力的な言葉と、鬼のような形相と一緒に。

 今のは失言だったと猛省した風太郎は小さく首を縦に振った。大きく振ると、自殺することと変りないのだ。


「……会わせたい人がいるって言っていたけど、誰なんだ?」


 風太郎がそう聞くと、脇差は仕舞われ兄の顔には優しさが戻っている。今後一切この話題を口にしてはいけないと風太郎は心に誓ったが、そういえば三ヶ月前も同じことを誓ったではないかと思い出し、誓いを急遽取り止める事にした。


「きっと驚くぞ、なにせいい所に住んでるからな」


 いい所など検討もつかない風太郎は、素直に兄の後を追った。




 するとついた先は、本当にいい所だった。


「いいか風太郎、くれぐれも失礼の無いようにな」


 天守閣の手摺に寄りかかり、永世江戸の街を一望する風太郎。つまり、いい所とはここ、永世江戸城の天辺であった。下の階で刀と商売道具一式を預けたため、腰が軽かった。


「わかってるよ、ここまで来たら」


 ここに住んでいる人間など、一人しかいない。ただその人間と会うことが出来るなんてこの国を探して何人いるのだろうかと風太郎は考えた。それと同時に、自分の兄がここまで位の高い人間だったという事にも驚いていた。


「流太郎です。ご要望の通り弟を連れて参りました」

「入って良いゾ」


 襟を正し麩を開ける。


「オーウ、貴方が日暮風太郎ですネ」


 風太郎は悪い冗談だと思った。目の前にいる男は、多分将軍である。多分と言うぐらいなので将軍だと思える根拠が数多くあるのだが、そうは思えない部分もあるのだ。根拠となるのは、やはりその服装である。女性ほど服飾に詳しくない風太郎であっても、目の前の男が身につけているものが上等な品であることぐらいすぐに解った。もちろん、今この場所にいるということも大きな根拠である。


「は、はあ」


 曖昧な返事を返す風太郎はそう思えない部分に釘付けになった。それは、顔である。顔つきというよりも顔全体であり、どこをとっても可笑しいのだ。髪の毛は文字通りの金色で、鼻は富士のように高く突き出ている。眼の色も青く、どう見てもこの国の人間ではなかった。


「拙者は征夷大将軍、ピエール徳川七世と申しマス。Nice to meet you」


 名前も聞いたことがないような発音で、挨拶らしきものも何を言っているか良くわからない。


「な……なすび梅雨」


 なので彼は、同じような音の組み合わせで答えた。すると将軍ことピエール徳川は満面の笑みを浮かべ、風太郎に思い切り抱きついた。


「おかしい……何かがおかしい気がする」


 力強い抱擁を受けながら、風太郎は呟く。今、彼の頭は混乱していた。


「細かいコト気にしたら、ダッメダメヨ!」

「上様、そろそろあのお話を……」


 風太郎は考えた。何故兄は疑問を抱かずに会話できるのだ、と。しかしピエールは言ったのだ、細かい事は気にするなと。


「モウ流太郎、いつも言ってるデショ? 上様じゃナクテ……ピエールダヨ!」


 ピエールの白い歯が、眩い陽光を受けて輝く。


「そう言われましても、私はしがない役人ですので」

「ツれないナア……風太郎は、ピエールって呼んでくれるデショ? 敬語もダッメダメヨ!?」


 風太郎の肩を揺さぶりながら、ピエールは懇願する。そしてついに壊れかけの風太郎の頭は一つの結論を下した。目の前にいるのは将軍で、普段目にしている人間は単なる平民だと。だから、実は正しいのは将軍であって何よりも優れた血筋だという事だから髪の毛は金色で時折何を言っているのかわからなくなる怪しい言語こそが本来のこの国の言葉であり国民すべてがひどい訛りに取り憑かれているのだと。


 そして彼は、笑ってこう言った。


「……わかったよ、ピエール」


 実の所、ピエールは寂しかったのだ。誰もが自分を将軍としか扱ってくれないから、友達が欲しかったのだ。


 そして今、彼は人生初の友人を手に入れたのだ。


「Yeeees, you are my best fireeeeeeeeeeend!」


 半狂乱になったピエールは風太郎の顔に何度も何度も接吻した。その度に風太郎は唇だけは奪われまいとし、持ち前の反射神経を生かし厚ぼったく湿ったピエールの接吻をすべて頬で受け止めた。帰ったら顔を洗おうと、彼は決心した。


「風太郎、実はお前に探して欲しいものがあるんだ」


 咳払いを挟んで、痺れを切らした流太郎が口を挟む。すると風太郎の眼の色が一瞬にして変わった。


「……お宝か?」


 そう聞き返すと、ピエールが微笑んだ。


「天の叢雲」


 はっきりと、彼はそう言った。


 天の叢雲。別名、草薙の剣。神話の中に出てきた伝説の剣で、八つの頭を持った大蛇の尻尾から出てきたものだと言われている。しかしその名を持った剣がこの世に実在した事は数々の記録からはっきりとしている。


 品物の価値が理解出来ないほど、風太郎は馬鹿ではない。抱きつくピエールから何とか離れ、彼は改めてその場に腰を下ろした。


「詳しく聞かせてほしい」

「流太郎、頼んだゾ」


 ピエールは少しだけ物欲しそうな顔をしながら自分の本来の居場所に戻り腰を下ろした。


「上様が言ったように、お前に探して欲しいのは天の叢雲……草薙の剣と言ったほうがいいか? それの模造品だ」

「本物じゃないよな、そりゃ」

「この剣の経歴は当然知っているな? だから結果だけ話そう……天の叢雲は五百年ほど前に、壇之浦で水没した」

「それは知っている」


 流太郎が語るように、世間一般の常識ではそうなっている。しかし常識外れの事実を彼は知っているのだ。


「だが、だ。当時の朝廷の重役がそれを許したと思うか? 三種の神器の紛失など、天皇陛下の威厳に関わる問題だぞ?」

「なるほど、それで模造品か」


 風太郎が聞き返すと、流太郎は満足そうに首を縦に振った。


「胃に穴が開くぐらい焦っただろうな。だからこそ、彼らは作らなければならなかった。当時の技術、職人、財産、叡智。その全てが詰まった本物を超える天の叢雲……見たくは無いか?」


 今すぐこの場から駆け出したいほどに、風太郎の心は震えていた。そんな代物、ある事など夢にも思わなかったのだ。しかし彼は、闇雲に走りだしても宝など見つからない事は十分に承知していた。伊達にとれじゃーはんたーを二年もやっていないのだ。


「どうやって探す? 手掛かりはあるのか?」


 はやる心を抑え頭を冷やし、彼は疑問を素直に投げかけた。


「そこは勿論考えてある」

「リッカ、入って良いゾ」


 景気のいいピエールの手拍子と共に、風太郎達が入ってきた麩とはまた別の麩が開いた。


「失礼します」


 現れたのは、この場には似つかわしくない一人の女性だった。決して見窄らしい外見をしていた訳ではないのだが、もっと言えば顔は整った中々の美人なのだが、いかんせんその格好が不思議極まりないものだった。


「……巫女?」


 汚れ一つ無い白衣に、緋色の袴。腰を締める帯には中央に一本の白い線が施されている。


「わたくし、橘神社で巫女を務めさせて頂いている橘立花と申します」


 三つ指をついてお辞儀をする彼女の姿は、そもそも女性としても特異な点があった。それは彼女の栗色の髪の短さ。長い髪を縛るなり留めたりするのが普通だが、首よりも短く切った髪など珍しい。だからといって所謂おかっぱ頭という事ではなく、全体的に自然な髪の伸び方をしていた。


「風太郎、彼女にはスバラシイ力がありマース」


 扇子で彼女を指しながら、ピエールは自信満々に言った。


「ズバリ……財宝を探し当てる力デース!」


 口元から見える彼の歯は、またもや白く輝いている。そんな曖昧な力など当然風太郎は半信半疑だったが、それは後で彼女に直接聞こうと心に留めた。


「風太郎さん、あなたの旅にご同伴させて頂きます……どうぞ、お見知りおきを」


 深々と頭を下げる彼女の姿に、風太郎は心を打たれた。決して惚れた訳ではなく、ただこんな行儀の良い女性がまだこの国にいたのだと心を打たれたのだった。母親があれなので、仕方のないところではある。


「詳しい話は追って説明するよ。今日の所はこの辺で」


 話すべきことは全て終わったのだろう、流太郎が本日はお開きになったことを教えてくれた。


「ネェネェ風太郎、少し時間アル? 王様ゲームやろうよ。二人で」


 しかしピエールは食い下がる。どうやら初めて出来た友人を家に返したくない様だった。


「いや、その……巫女さんに」

「立花です」


 風太郎の言葉を立花はすかさず訂正する。


「立花に話を聞きたいかな」

「……いつでも遊びに来てヨ?」


 口を曲げてピエールは子供みたいな事を言う。その仕草に、風太郎は笑うしかなかった。


「暇があったらな」


 多分、無い。これから忙しくなる事への期待感が、彼の胸を埋め尽くしていた。






 勤勉かつ真面目な流太郎は城内で仕事を済ませておくらしく、結局城を出たのは風太郎と立花だけだった。その辺の茶屋で話をしようかと風太郎は考えたが、何となく女遊びをしているみたいだったので立花の神社まで足を運ぶことにした。意外にも神社は城の近くにあったので、彼らはすぐに腰を降ろす事ができた。


 橘神社は御世辞にも立派な神社とは言えなかった。境内には雑草が目立ち、建物もまるで継ぎ接ぎだらけの服のように新しい部分と古臭い部分が同居している。倉庫らしきものに至っては、天井が欠け肋骨のように木が露出している。神が住む場所としては、まだ長屋のほうがいいのではないかと考えてしまうほどだ。


「それで、その素晴らしい力っていうのは?」


 二人は縁側に腰をかけ、話を始めた。立花が茶を沸かそうかと提案したのだが、すぐに帰るからと風太郎は断った。しかし立花も食い下がらず、妥協案として二人は白湯を飲む事になった。


「神の祝福って知っていますか?」


 湯のみを傾けながら、立花は例の素晴らしい力についての説明を始めてくれた。


「ちょっと宗教には疎いんで」


「朝廷や幕府に献上される美術品や武器をそのまま持って行っても、権力者は大して喜んだりはしません。そこで私たちのような聖職者が、そういったものに祝福を行うのです……まあ、普通の神主や巫女程度では出来ませんが」


 神職というだけあってか、立花は穏やかに話を進めた。確かに神社は寂れているが、なかなか悪くない雰囲気だと風太郎は考えを改めた。


「何のために? 別に切れ味が良くなる訳でもないんだろ?」

「物としての箔を付けるため」


 その一言で、風太郎は全て合点がいった。物の価値を上げる為だけに神聖さを後付し、それが権力者に献上しうる物となりうるのだ。美意識よりも実を優先する彼には、その行為が少し俗っぽい物に思えてしまった。


「その祝福って奴を出来るのがお前の力なのか?」


 風太郎の疑問に彼女は笑って首を横に振る。


「まさか、それが出来るのならこんな所にはいませんよ……でも、私はそれが分かるんです。祝福を受けた物の大まかな位置と、それが祝福が受けているのかどうかを」


 つまり彼女は方位磁針のような物らしい。かなり曖昧な力だが風太郎の旅の行き先を決めるには十分な物だ。


「幸い、天の叢雲が受けた祝福は他と比べ物の無いほど強力な物です。だから私でも十分に判別できます」

「どこにあるんだ?」


 彼女に顔を近づけて、風太郎は何の捻りもなく尋ねた。


「西の方ですね。そんなに遠くはないですが武蔵は超えると思います」


 白湯を飲みながら、西を指さす立花。進路は決まった、後は進むだけだ。


「明日にでも行けるか?」

「どうせ、寂れた神社ですので」


 何か気の利いた言葉を言おうと考えたが、結局なにも思いつかなかったので風太郎は苦笑いで誤魔化す事にした。






「眠い」


 朝早く神社についた彼は、開口一番そんな事を言った。しかしそれは仕方のない事だった。


 昨日帰宅した彼は、幕府の命を受け天の叢雲を探すことになったと母に伝えた。すると彼女は突然噎び泣き、お前もこれで一人前になった、死んだ父上にようやく顔向けができる、実をいうと三丁目の宿屋の娘さんはお前に惚れてるから今度お見合いしてくれ、などと普段あれだけ喋っておいてまだ喋り足りないのかとにかくまあよく喋るのだった。

 夕暮れ時に帰宅した流太郎に仲裁してもらい、ついでに幕府からの正式な書類一式と通行手形を受け取った。


 これで俺はこの家に用がなくなったと確信した風太郎は、急いでそれを愛用の麻袋に仕舞い込み、夜の飲み屋へと繰り出した。最初は一人でゆっくり飲む予定だったのだが、道を歩けば顔見知りに声をかけられ、飲み屋に行けば知り合いを見つけ、居酒屋を梯子する時には知らない者まで巻き込み、てんやわんやの大宴会となった。

 そんな経緯を辿った彼は、神社の鳥居に背を預け少し目を閉じた。神社の玄関がどこにあるのかも検討もつかないし、偶然着替えに遭遇してしまえば面倒くさくなるかもしれないなどと考えたからである。


「風太郎さん」


 しかし意外にも、立花は早く登場してくれた。腕を組み居眠りに興じる彼の側に立ち、静かに名前を呼んだ。


「悪い、少し寝ていた」

「見ればわかりますよ」


 大きなあくびをして、風太郎は立ち上がった。立花は微笑んでそんな事を言った。


「荷物が多いな、何が入ってるんだ?」

「着替えと枕と商売道具です」


 商売道具という言葉に少し違和感を覚えたが、わざわざ問い詰めるほどの価値もないと考えてやめた。


「さて、行きますか」

「その前に」


 神社が面する通りを指させば、そこには一族郎党を連れた下品な二人の男がいた。どうやって風太郎の居場所を探したのかは知らないが、茶屋の一見を逆恨みしているらしい。


「お友達が来ていますよ」


 目を血走らせ鼻息を荒くする、下品な背の高い男。その顔には下劣な笑みがこぼれていた。


「よう兄ちゃん、探したぜ……」

「ひひ、俺たち武蔵野一家の恐ろしさ見せてやるぜ」


 風太郎は周囲を見回し、凸凹兄弟の他に、六人ほど彼らの仲間が控えている事を確認した。そのどれもが垢抜けない田舎者風の男達で、全員同じ顔だった。


「おい立花、一つ聞くぞ」


 素人だ、と彼は判断した。慢心でも決め付けでもなくそれは確信だった。立ち方、武器、構え方、全てが未熟だった。


「はい?」

「お前のところの宗教は、人を殺しても良かったか?」


 腰から刀を引きぬき、正面を右脇に構える。珍しい構え方だったが、風太郎はこれを気に入っていた。理由は大きく二つある。


「まあ、否定はしませんけど……そうですね」


 まず、相手に間合いを錯覚させられる事。相手の意識が刀に集中する以上、中段に構えるより何倍も効果的だった。


「うちが葬式引き受けても良いですが出発が遅れますし……戒名代目当ての坊主が敷居またぐのも嫌ですね」


 もう一つは回避からの反撃が素早く行える事。しかし相手の攻撃を避けることが前提となっている為、場慣れした人間でなければ使えないが。


「はっ、良い返事だ」


 予想通り、頭の軽そうな一人の男が鍬を持って襲いかかってきた。


「死ねぇっ!」


 隙だらけのその攻撃を、彼の能力を以てすれば一撃で斬り伏せる事など造作も無いはずだった。しかし、それはしなかった。旅の初めをわざわざ血飛沫で染める気もなかったし、立花の言葉だってあった。


 柄頭を抑える左手に力を入れ、勢い良く切り上げる。狙うは敵の体ではなく、振り下ろされる鍬の柄。木製のそれは、まるで初めから別々の存在だったかのよう真っ二つに切れた。呆気に取られる敵を、思い切り蹴り飛ばした。


「こちとらなあ……昨日の酒がまだ抜けないんだ」


 一人では敵わないと考えたのか、二人同時に風太郎に襲いかかって来た。それが失策だったと気づくには少し時間がかかった。

 風太郎はまず腰を降ろし右の男の軸足を素早く払う。倒れたその男の体を盾にして、左の男の攻撃を防御した。次に彼は立ち上がると同時に、左の男の顎を思い切り殴った。


「余裕なんて無いんだよ!」


 残ったのは、五人。しかし最初に茶屋に絡んだ二人以外は逃げ出してくれたので、結局残りは二人になってしまった。

 それならば彼に迷う暇は無かった。一度倒した相手、それも昨日倒した相手だ。愚鈍な背の高い男の顔を思い切り蹴り飛ばせば、彼は膝をついてその場に倒れた。


「あ、兄貴!」


 背の低い下品な男の腹を軽く殴る。予想以上に効いたようで、悶絶して涎を垂らす。それで風太郎のお友達は、皆戦闘不能になった。


「起きろ」


 しかしある意味、風太郎にとってはこれからが本番だった。彼は倒れた小男の襟を掴み上げ、できるだけ人の良さそうな笑顔を浮かべた。


「実はこれから旅にでるからよお……ちょーっとばかし金が入用なんだよ」


 分り易く言うと、それは恐喝だった。だが売られた喧嘩に対する対価としては安すぎると彼は考えていた。命があるだけ有り難く思え、とでも言わんばかりに。


「い、いくらですか!」


 怯える小男は、潔く小銭入れを取り出してくれた。どうやら話のわかる人間だったらしい。


「そうだなあ、有り金全部」


 風太郎が最高に卑しい笑顔を浮かべ金銭を要求しようとした所で、乱入者が現れた。その乱入者は何の躊躇もなく風太郎の頬を平手打ちした。


「暴力を振るうなんて最低です」


 それは立花だった。先ほどあれだけ風太郎を煽っていた橘立花である。


「……は?」


 当然彼には、彼女の行動原理など理解できなかった。殺さないならそれで良いと言っておきながら、突然博愛精神に目覚めたのである。


「お侍さん、しっかり」


 倒れた大男の体を抱き上げ、彼女はそんな事を言った。


「お、おらは農家の生まれで侍なんかじゃ……」


 訛りの混じったその言語に、彼女は優しい笑みを浮かべ首を振った。


「強敵に臆することなく立ち向かう姿……侍ですよ、あなたは」


 彼女のその笑顔のせいで、風太郎は余計に混乱した。何なんだ、この女は? そんな言葉が彼の頭を何度も反芻し、それがまた彼の思考を妨害する。


「め、女神様や!」


 しかし、武蔵野一家は違ったらしい。小男のその言語を皮切りに、彼らは皆目に涙を貯め両手を合わせ立花を拝む。


「ほんだ、ありがだや」

「ありがだやありがだや」


 その光景はまさしく異様である。一人の少女に頭をさげる男達。図が高いのはもはや風太郎一人になってしまった。


「なんだこれ」


 溜め息混じりに呟く彼は、ピエールの言葉を思い出していた。細かい事は気にするなと。


「みなさんの姿、立派でした……ですがやはり暴力はいけません」


 突然説教を始めた立花を目の前にして、彼はその言葉の本当の意味を理解した。今なら、ピエールが何を言いたかったのか彼にも手に取るようわかる。

 考えるだけ、無駄だ。


「ほっだな」

「まぢかっでだ」


 何に感動しているのか、武蔵野一家は涙に鼻水まで垂らす始末である。みっともない奴らだと彼は素直に思った。


「皆さん、欲を捨てましょう……そして今日を生きる喜びを分かち合いましょう」


 上品な微笑みを崩さず、歯の浮くような言葉を続ける立花。自分がもし死んだ時、この女を葬式に呼ぶのはやめようと決意した。きっと自分が聖人君子になってしまいそうで怖かったからだ。


「でも、おらたち悪いこといーっぱーいしてぎだ……どうすれば」


 噎び泣く大男に、彼女は改めて微笑みかける。そして彼女の大きな旅行鞄から小さな木箱を取り出した。


 そう、賽銭箱である。


「神が、許してくれますよ」


 その一言は、彼らの心を動かすには十分だったようだ。男達は我先にいや我先にと賽銭箱の中へ小銭を入れ始める。財布の中身が空になったというのに笑顔でいるのだから、風太郎には恐ろしくて仕方が無かった。だが彼が恐れたのは、立花であった。その小さな賽銭箱の裏、つまり男達には見えない場所には小さな文字でこう書いてあったのだ。


 貯金箱、と。


「ありがどな、ありがどな!」


 皆節々に礼を言い、とうとう神社に押し寄せてきた風太郎のお友達は誰もいなくなった。立花は彼らが見えなくなると同時に、その暖かな微笑を邪悪で気味の悪い笑顔へと変貌させた。


「ふっ、ふふっ……」


 小型の賽銭箱、もとい貯金箱を耳元に近づけ小さく揺らす。風太郎のいる場所からでも銭同士ぶつかり合う音が聞いてとれた。


「ふふふふふふふふふふ」


 もしかすると、彼女は。そう思った彼は、立花を少し試してやろうと考えたのだった。


「商売道具ってそういう事か」

「何を言っているんですか? これはあの方達の立派な善意で……」


 立花はその顔をまともなものに戻そうとするが、金があるのがそんなに嬉しいのかなかなか邪悪な笑顔は戻らない。そして彼はわざとらしく左足を上げ、こう言ったのである。


「あ、小銭踏んでた」


 その時、風が吹いた。


「はいいいいいいいっ!」


 威勢のいい掛け声と共に、服が汚れることなど眼中に無いのだろう、立花は勢い良く風太郎の足元へ飛びつき、足元にある光る物体をつかんだ。それは小銭ではなく石ころだった。


「悪い、小石だった。いやいや二日酔いのせいでまだはっきりとしなくてね」


 これで風太郎は確信した。髪の短い不思議な女。それとも天の叢雲を見つけれれる不思議な巫女。果たしてその正体は、単なる守銭奴であった。


「あなた、地獄に落ちます」


 服についた土埃を払いながら、彼女は身も蓋も無い事を言った。


「それはお前だろ、強欲巫女」


 足元に置いた麻袋を取り上げ、風太郎は神社を後にする。


「見えます、見えます……あなたの前世は便所虫です。誰からも好かれず誰からも疎まれ毎日毎日小便をひっかけられる始末」


 小走りで追いついた立花は、聖職者というよりは詐欺師が言いそうな事をつらつらと述べた。


「せめて甲虫にしてくれないか?」


 はぐれてしまわないように、風太郎は自分の歩幅を少し縮める。


「そんな格好いいのは駄目です」




 さてさて異様な男女の二人旅は、かくして始まったのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ