まず鯉より始めよ
ある所に、錦鯉の愛好家がいた。彼は、究極の鯉がほしいと思った。そこで、普段鯉を買い付けている業者の男に、その気持ちを打ち明けた。すると業者の男はにっこりと笑って答えた。
「旦那さん、『まず隗より始めよ』という故事をご存知ですかな?」
「『まず隗より始めよ』? 言いだしっぺからやれって言う……」
「いえいえ、この言葉には深い物語があるんですよ」
「ほう」
男の含みのある物言いに、旦那は興味を示し聞き入った。
「昔、中国に、燕という国がございました。その王様、昭王は、とても賢い軍師が欲しいと思ったのです。そこで、家来の郭隗という者にいい案はないかとお尋ねになったのです」
「ふむふむ」
「そこで郭隗は、昭王に、あるお話をきかせたのでございます」
「お話とは?」
「はい、それは昔話でして。ある君主が一日に千里を走る名馬を求めていたのです。なかなか見つからないので困っているところに、ある男が、名馬を探してくると申し出ました。その君主は男に大金を預けたのですが、男は死んだ名馬の骨をその大金を出して買い付けました」
「そんな、死んだ馬では価値など無いではないか」
「はい、そういって君主も怒りました。ですが、男はこういったのです。『死んだ馬さえ買うのだから、生きた名馬ならなおさら良い値段で買うに違いない。みんなそう思って、名馬は探さずともやって参ります』と」
「それで、どうなったんだ?」
「はい、その君主は千里を走る名馬を数頭手に入れたそうです」
「ふむふむ」
「郭隗はその話をして、こう言いました。『もし王様がとても賢い軍師をお求めになるなら、まず隗より始めよ』つまり、自分からもてなしてください、と。『そうすれば、賢い人たちは自ら王様の元を訪れるでしょう』と」
「それはまた、大胆な物言いだな」
「いかにも。ですが昭王はそう言った郭隗を師と仰ぎ、特別に宮殿を造ってもてなしたそうです。そして実際に昭王の下に、賢い人達が集まってきたそうにございます」
「なるほど。そう言ったこともあるものか」
旦那はいたく感心していた。普段何気なく使っていた言葉に、こんな深い意味があったとは。
「ですから、旦那様も、まず隗より始めてはみませんか?」
囁くように声を落とし、男は言った。
「なに、それはつまりどういうことだ?」
「評判になるほど、高値で鯉を買うのですよ。どうです? 究極の鯉が、向こうからやってくるかもしれませんよ」
旦那はすっかりその気になっていた。そして時価で一万円の鯉を、百万円出して買い付けた。
その評判は瞬く間に広がった。安い鯉を高く買う旦那が居る、と。業者たちはこぞって旦那に安い鯉を高く売りつけに来た。
安い鯉ばかり売りつけられては困るものの、今更後には引けなかった。高く買うのをやめてしまえば、その評判も収まり、究極の鯉も手に入らないだろう。
だが、究極の鯉はついには彼の元には現れなかった。それどころか、いくつもの鯉を高値で買い付けた男は、ついに破産に追い込まれてしまったということだ。
その旦那に高く鯉を買わせることをさせた男は、情報を流した見返りとして、仲間の業者からたくさんの礼金を手にいれていたそうである。