1章⑧
『純風』に戻ると、何とも珍妙な光景を目のあたりにした。
「結城、小夜、お願い!一緒にアキドルGPに出てほしいの!」
先に店へ戻っていた明が、番田と原垣内に頼み込んでいた。
傍から見ていると、リストラを免れようと上司に平身低頭する中年サラリーマンに見えなくもない。
アキドルGPに出るためには最低でも3人のアイドルグループを作らなければいけない。
店長にそう言われた明は慌てて『純風』に戻り、他のバイトに話を持ち掛けたのだ。
「はぁ?!なんであたしがアキドルGPに出ないといけないのよ。そんな面倒くさいの、あたしはゼッタイ嫌だから」
「人前で歌うのなんて、恥ずかしい」
案の定、番田と原垣内は口をそろえて言った。
そもそも、この二人が快く引き受けてくれると思っているのだろうか?
しかし、明はそんなことなどまったく気にも留めず、泣きつくように頼み込んでいた。
「二人ともそんなこと言わないでよ!『純風』を救うためにも、二人の力が必要なの!」
「ええい、ひっつくな!そもそもアイドルなんて、あたしのガラじゃないでしょうが!」
「この際、そういう体裁は吐き捨てていいから。だから、一緒に出よ!」
「嫌だって言ってるでしょうがー!」
やれやれ……。
どうやら、メンバー集めは想像以上に難航を極めそうだ。
♪ ♪ ♪
土曜日の昼下がり。夏が近づくにつれ、日差しはますます強くなってきている。
あと1週間もすれば、梅雨が明けて本格的な夏が到来するだろう。
そんなことを考えながら、俺はエアコンが良く効く『純風』の中で今日も働いていた。
店内には俺と明、そして番田の三人のみ。
バイトしかいない店内。
喫茶『純風』は今日も閑古鳥が鳴いていた。
「ねえ、結城ー!お願いだから、一緒にアキドルGPに出てよー!」
明は番田の隣に座り、肩をゆさゆさと揺らしている。
「うるさいなー。それじゃあ『VR―EX』であたしに勝てたら考えてあげてもいいわよ」
「それ何て無理ゲーよ!どう逆立ちしたって勝てるわけないじゃない!」
「じゃあ、諦めるんだね」
「だからそんなこと言わないで、協力してって言ってるじゃない」
番田は明の言葉に耳を貸さず、ゲームに没頭し続けた。
明がアキドルGPの話を店長に持ち込んでから、三日が経過した。
明は番田や原垣内に何度も説得し続けたのだが、結果は御覧のありさまである。
やっぱり、土台無理な話だったのだと、俺は心の中で思った。
「こんにちは♪」
ドアベルが鳴り響くと同時に、一条さんが店内に入ってきた。
「いらっしゃい、一条さん」
「こんにちは、相模さん」
「今日もマンガを買ってきたの?」
「はい♪今日も色々とマンガを買ってきました♪」
一条さんはふんわりと無垢な笑顔で答えた。
『純風』に来るようになってから三日が経った。一条さんが『純風』に来るのは、ほぼ日課になりつつある。
中央通りのアニメショップで買い物をした後、そのまま『純風』まで足を運び、閉店近くまでここで時間を潰してから店を出て行くのだ。
「さて、今日は何にする?」
「そうですね、ではアイスコーヒーとホットドックでお願いします」
「かしこまりました」
慣れた手つきでアイスコーヒーとホットドッグを用意し、一条さんに渡した。
一条さんはアイスコーヒーとホットドッグを受け取ってから、店の奥のテーブル席に座り買ってきたマンガを読み始めようとした。
「もう、結城のオニ!ケチ!イジワル!」
カウンター席に座っていた明が番田に向けて罵言雑言を浴びせてから、ぷいっとそっぽ向いた。
「お二人とも、相変わらず仲がよろしいみたいですね」
一条さんは二人を微笑ましそうに見ながら言った。
いや、どこをどうみても仲良くしているようには見えないんですけど……。
「ごめんね。なんか騒がしくてさ」
「いえ、賑やかな感じで、私はいいと思いますよ」
俺には賑やかと言うより、喧しいって感じなんだけどねー。
「よいしょっと……。ふー、ここは涼しいねー」
再びドアベルが鳴り響くと、今度は灯里先輩が買い物袋を両手いっぱいに持ちながら店の中に入ってきた。
「灯里先輩、こんにちは」
「こんにちは、晶君」
灯里先輩は持っている買い物袋をボックスソファに置いた。
買い物袋の重みでソファが沈んでいった。
「ふう、ちょっと買い過ぎたちゃったかな?」
灯里先輩は勢いよくソファに腰を下ろしてから、大きく深呼吸をした。
俺はカウンターの中に入り、手早くアイスコーヒーを淹れた後、灯里先輩のテーブルに置いた。
灯里先輩はやや困惑した表情で「まだ何も頼んでないよ」と目で訴えてきた。
「俺のオゴリです。飲んでください」
「うわー、ありがとう晶君♪」
灯里先輩は嬉しそうにアイスコーヒーに口をつけた。
グラスの半分程度まで飲んだ後、灯里先輩はふうっとつやっぽい息を吐いた。
「冷たくって、とっても美味しい♪」
灯里先輩は至福の表情を浮かべた。
喜んでくれて何よりです。
「今日はアキバにいなかったんですか?」
「うん。今日は御徒町まで行ってきたの」
「御徒町までですか?距離的には大したことはないですけど、そんなにたくさん買いこんで大変だったんじゃないですか?」
灯里先輩の横には風船のように膨らんだ買い物袋が二つあった。
「うん。こんなに買うなんて思わなかったら、もう足がパンパンだよ」
「毎度のことですけど、これ全部コスプレ衣装の材料ですよね?コスプレ用の衣装を作るのに、こんなに買い込む必要はあるんですか?」
「わかっていないのね、晶君」
灯里先輩はビシッと人差し指を立ててから、いつになく真剣な表情に変わった。
「コス作りはね、一切の妥協は許されないのよ!」
灯里先輩はいつになく真面目な顔をしながら力強く言った。
「そ、そうなんですか?」
「そうよ!いい、晶君。コスプレっていうのはね――――」
灯里先輩は瞳に情熱を宿しながら、如何にコスプレが魅力的であり、素晴らしいものであるか語り始めてしまった。
やれやれ、コスプレのこととなると灯里先輩はキャラが変わっちゃうんだよね……。
灯里先輩はパソコンショップの娘でありながら、コス作りというアキバの住民らしいディープな趣味を持っておられるのだ。
特に年2回、ビックサイトで行われるコミケに向けてコス作りに励むのだ。
灯里先輩は着る側ではなく、作る側の方の人間である。
出来上がったコスプレ衣装は、『コミケ』のときに友だちが着るらしい。
俺としては、コスプレをした灯里先輩っていうのを見てみたい気もするが、灯里先輩は自分で作ったコスプレ衣装を人に着せること生きがいを感じているらしい。
「――――っていうことなのよ。晶君、ちゃんと聞いてるかしら?」
「も、もちろんですよ」
乾いた笑みを答えながら、調子を合わせるように答えた。
「と、ところで灯里先輩。今回はコスプレ衣装を何着つくるんですか?」
「えっと、2着かな」
灯里先輩、もうそれで十分商売ができると思いますよ。
「灯里ー!」
いつの間にか明が灯里先輩の隣に座り、素っ頓狂な声をあげて先輩に泣きついてきた。
「ど、どうしたの明ちゃん!」
「灯里、一生のお願い!私と一緒にアキドルGPに出場して!」
明は勢いよく灯里先輩の両手をがしっと握りしめた。
「え、わ、私が?!」
「灯里だってこの店が潰れてほしくないよね?」
「そ、それはそうだけど……」
灯里先輩は困惑した表情を浮かべた。
「ご、ごめんね、明ちゃん。できれば力になってあげたいけど、家の手伝いやコスプレ作りがあるからちょっと……」
「そんなこと言わないでよ!もう灯里だけが頼りなの!だから、お願いします!」
「おい、お前はちゃんと仕事しろ!」
藁をもつかむ思いで灯里先輩にすがりつく明。
その勢いに灯里先輩は思わずたじろいでしまいそうになっていた。
「おい、先輩が困っているじゃねえか」
明の襟首に手をかけて先輩から引き剥がした。
「あー暑い!」
灯里先輩から明を引き離したところで、三回目のドアベルが鳴り響き、呻くような声をあげながら店長が店の中へ入ってきた。
「店長、お疲れ様です」
「もう、いやだ。なんでこんなに暑いのよ。暑くて溶けちゃいそうだわー」
店長はふらふらとおぼつかない足取りでカウンター席に座り、まるで砂の山が崩れ去るように勢いよくテーブルに突っ伏した。
あのー店長。目の前で堂々とゲームしてサボっているバイトが一名いるんですけど……。
「結城ー。アイスコーヒーちょうだいー」
店長はテーブルに突っ伏したまま、呻き声でアイスコーヒーを催促した。
「嫌よ。店長なんだから、自分で淹れなさいよ」
「そんなこといわないでよ。私は結城が淹れてくれたアイスコーヒーが飲みたいのよ」
「まったく、仕方ないなー」
店長に押し切られた番田は、ゲームを中断して面倒くさそうに立ち上がり、カウンターの中に入った。
そして手際よくアイスコーヒーを淹れてから店長の前に置き、カウンター席に座って再びゲームをやり始めた。
店長は顔を起こして出されたアイスコーヒーに口をつけた。
半分くらいまで飲んだ後、店長は再び机に突っ伏した。
「あーもー、ウザイったらありゃしないわよ、いちいち人の案にケチつけて、これだから年寄っていうのは……」
ようやく店長が落ち着いたと思ったら、今度はテーブルに突っ伏した状態でぶつぶつと愚痴り始めた。
今日も商工会の会合に出かけていたらしいけど、会合で何かあったみたいだ。
「店長、商工会の会合で何かあったんですか?」
「何かあったってレベルじゃないわよ。もう冗談じゃないわ!」
店長はゆっくりと上半身を起こし、眉をひそめながらお手上げのポーズをつくった。
「日曜市で何かイベントをやりたいって言うから、いくつかアイデア出したのに、あの年寄どもは全部却下しやがったのよ!」
店長は額に青筋を浮かべながら吐き捨てるように言った。
なるほど、どうやらは商工会の会合で揉めてきたらしい。
店長が商工会の会合で揉めるのはいつものことなので、特に驚きはしなかった。
日曜市というのは、隔週の日曜日に田代通りで行われるフリーマーケットのことである。
中央通りで行われる歩行者天国と同じく、アキバ商工会が開催しているイベントの一つだ。
以前から、日曜市をもっと盛り上げるために商工会の方で何かイベントをやろうと、企画を考えていたらしい。
そのため、店長はたびたび仕事を抜け出しては、商工会の会合に出席していたのだ。
「それで、店長はいったいどんなイベントを提案したんですか?」
興味本位で明が尋ねた。
「店舗対抗大食い大会とか、飛び入り参加OKのど自慢大会とか、アキバ系アイドルのゲリラライブを提案したら全部反対されたわ」
店長は指を折りながら数えるように言った。
こ、これは酷い。
こんな無茶クちゃなイベントでは、商工会が反対するのもわかる気がするよ。
「全部反対されたんですか?」
「そうよ!まったく、あの年寄どもは人のアイディアに難癖ばっかつけるくせに、自分たちは何にも意見を出さないのよ。それだったら、あんたたちが考えろって言うのよ!」
店長は俺の気持ちなど露知らず、ぎゃーぎゃーと子どもの様に喚いてから、グラスに残ったアイスコーヒーを一気に飲み干した。
それからしばらくの間、店長は日ごろの鬱憤を晴らすかのごとく、うだうだと愚痴り続けていた。
俺たちは店長の愚痴を適当に相槌を打ちながら、客の来ない店内でのんびりと過ごした。
「それにしても、土曜日の午後だっていうのに、相変わらず客がいないわねー」
一通り鬱憤を吐き出して気が晴れたのか、店長は周囲を見回してから後ろを振り返った。
ちょうど真後ろのテーブル席には一条さんが座っていた。
店長は声一つ立てず熱心にマンガを読んでいる一条さんは見て、思い出したように口を開いた。
「あら、あなた確か……昨日もお店に来てたわよね?」
一条さんは読んでいたマンガを閉じて店長の顔を見た。
「はい、昨日だけじゃなく、一昨日もここに来ました♪」
「毎日ウチに来てくれるなんて変わった子ね。名前、教えてくれるかしら」
「一条楓と申します」
「一条……楓……」
店長は一条さんの名前を聞くと、むすっと黙りこんでしまった。
店長は記憶の糸を探り当てるように小さく呟き、しばらく考え込んでから、何かを閃いたように両手でポンと手を叩いた。
「ひょっとして、あなたの御祖母さんの名前って、紅葉って名前かしら?」
「え、祖母のことをご存じなんですか?!」
店長の言葉に一条さんは驚いた顔で言った。
「やっぱり」と、店長はどこか納得した顔で頷く。
「そっか、あなたがあの楓ちゃんなのね……。うん、なんとなく桜の面影が残ってるわ」
店長は一条さんの顔をまじまじと見ながらしきりに頷いた。
「ねえ、晶。店長って、一条さんと知り合いなの?」
俺は隣にいた明に「しらん」と答えた。
いや、知り合いにしては年が離れすぎてると思うぞ。
「店長、一条さんと知り合いなんですか?」
「知り合いといえば知り合いかしらね。だってこの子は、亡くなったビルのオーナーのお孫さんだし」
え?いま、何て言った?
一条さんが亡くなったビルのオーナーのお孫さん?
「ええーーーーーっ!!」
一瞬の沈黙の後、俺たちは一斉に声を上げた。
♪ ♪ ♪
「っていうことがあったのよ。そのとき、桜がね……」
それからしばらくの間、古い友人と思い出話を語り合うように、店長は一条さんと話をしていた。
一条さんの祖母の話から、店長が『純風』でバイトとして働いていたときの話、一条さんのお母さんの話。
一条さんはマンガを読むのを辞めて、店長の話を熱心に聞いたり、あるいは聞き返したりしていた。
「そうだ!ねえ、楓ちゃん」
一通り話を終えた店長はまるで何か思いついたような顔をした。
「何でしょうか?」
「あなた、この店で働きたくない?」
「わ、私が、この店で働くんですか?」
一条さんは自分の耳を疑うようなひどく驚いた顔をしながら、店長に訊き返した。
そりゃあ、この店を閉めるなんて言われたら、誰だって驚くよな。
「そうよ。もちろん、あなたさえよければだけど……。思い出づくりだと思ってこの店で働いてみる気はない?」
一条さんはしばらく考え込んだ後、店長の顔をじっと見つめ、
「わかりました。私、この店で働きたいです。お願いします、私を雇ってください」
好奇心と決意に満ちた顔で答えた。
「よし、決まりね!」
店長は勢いよく立ち上がり、俺たちの方へ向いた。
「というわけで、みんな!明日から一条楓ちゃんが働くことになったから、よろしくお願いね」
「わかりました」
「よろしくね、一条さん」
「よろしくー」
俺たち全員は思い思いに返事をした。
しかし、店長はどうして急に一条さんをバイトに誘ったんだろう……。
あと2か月で『純風』が無くなるというのに、どういう風の吹き回しなのだろう。
「店長、どうして一条さんをバイトに誘ったんですか?」
俺は思っていた疑問をそのまま店長にぶつけた。
「べっつにー。ただ、何となくよ」
まるでいつものきまぐれを思いついたような顔をしながら、店長は何気なく答えた。