1章③
「ねえ、晶」
「……。」
「いいアイディアだと思わない?」
「……。」
「私はこれしかないと思うんだけどなー」
「……。」
俺の後ろを歩きながら、明はしつこいくらいに問い掛けきた。
『剛』を後にした俺たちは、高架下を潜り抜けて、駅前広場にある駐輪場の横を歩いていた。
「ねえ、晶。本当に聞いてるの?」
「聞いてるよ」
俺はややうんざりした口調で言った。
『剛』を出てから何度目だよ。いい加減耳がタコになりそうだ。
明の方に向き直り、俺は呆れ顔のまま言った。
「それで、アキドルGP出場してどうするんだよ」
「優勝する!」
と言って明は勢いよくガッツポーズをした。
「優勝して、店長に店を続けてくださいって説得する!」
明は拳を高らかに突き上げた。
こいつ、何の臆面もなく言い切ったよ。
俺は眉間に手をあてて、深々とため息をついた。
その無駄にポジティブな思考はどこから湧いてくるんだよ……。
「あのなあ、どう考えても無理だろう」
俺は子どもに諭すようなやんわりとした口調で明に言った。
「どうしてやる前から決めつけるのよ。そんなのやってみなくちゃわからないじゃない」
「いいや、これだけは断言できる。絶対に無理だ!」
明の言葉を俺はばっさりと言い捨てた。
「まさかとは思うが、お前一人で出るつもりじゃないだろうな?」
「もちろん、『純風』のバイト全員で出るに決まってるじゃない。あ、晶は男だから無理ね。幾らなんでも、あんたを女装させるわけにもいかないし」
「当たり前だ!それに、アキドルGPに出るってことは大勢の人の前で歌ったりするかもしれないのだぞ?お前にできるのか?」
「だ、大丈夫……だと思う」
自信なさげに明は答えた。
おいおい、途端に雲行きが怪しくなってきたな。
「で、でも、この前カラオケで全国ランキング100位以内にはいったんだから!」
明は胸を張りながら、自信ありげに答えた。
「あのな、カラオケで歌うのとは訳が違うだろうが」
俺は再びため息をついてから、前に向き直り歩き出した。
ダメだ、こいつ。何もわかっちゃいない。
アキドルGPといったら、夏のアキバ最大のイベントだぞ?
アキバ中にある様々な店が、アイドルグループを結成して出場するんだ。
その中には本気でアイドルを目指して、優勝を狙っているグループだってあるかもしれない。
そういう奴らを相手に、俺たちみたいなド素人出場して優勝なんかできるわけがない。
そもそも、お団子メガネ地味女のお前がアキドルに出場すること自体、失笑ものだ。
悪いことは言わない。そんな甘っちょろい考えはさっさと丸めてゴミ箱にポイしてくれ。
駅前広場の駐輪場を過ぎたところで、駅中央改札口前に小さな人だかりができているのを見て、不意に足を止める。
「晶、どうかしたの?」
明も同じく足を止めた後、小首を傾げながら聞いてきた。
「いいか、明。アキドルGPっていうのは、ああいう奴らが出るためのイベントなんだよ」
俺は人だかりを指差した。
人だかりから聴き覚えのある音楽と歌声が聴こえる。
遠目で見ていた俺と明は、人だかりに近づいた。
人だかりの真ん中には、二人の女の子がマイクを持ちながら歌っていた。
一人はフード付きパーカーにデニムのハーフパンツをはいたショートボブの女の子。
もう一人は同じくフード付きパーカーにピンクのキュロットスカートをはいたミディアムヘアーの女の子。
髪型こそ違えど、二人は目鼻顔立ちがまるで双子みたいにとてもよく似ていた。
スピーカーから流れるメロディにあわせて、二人は軽やかにステップを踏み、歌をうたう。
その動きにつられて、頭についたリボンつきヘアバンドがぴょこぴょこと揺れていた。
「見て、晶。ユニ&エミだよ」
明が二人の名前を口にした。
ユニ&エミは、アキバを中心に路上ライブを行っている二人組のグループだ。
二人は双子の姉妹で、ミディアムヘアーの子が姉のエミ、ショートボブの子が妹のユニだ。
俺たちが人だかりのところまで来た時には、ちょうど歌い終わっていた。
二人に向けて聴衆から拍手が零れる。
ユニ&エミは横に並んだ後、一礼した。
「みなさん、聴いてくれてありがとうございました」
ユニが一歩前に出てから口を開いた。
「この曲はチーズPさんの曲で『ファンキーサロンビューティー』といいます」
「チーズPさんは、『四葉』にPV付きでこの曲を公開されています。ぜひぜひ、そちらの方も視てくださいね」
「ねえ、ユニ。次は何を歌おうか?」
エミがユニの方に向き直ながら言った。
「そうだね……。じゃあ、『月のアリス』とかどうかな?」
「いいね、ユニ♪」
「そういえば、『月のアリス』と言えば、バタPは今月にも新曲を公開したんだよな?」
「わたし知ってるよ、エミ。『電脳ユーロ』って曲だよね?」
「そうそう、なんかスピード感があってさ、スカッとするいい曲なんだよね。思わず口ずさんでみたくなっちゃう感じ」
「ジェットコースタに乗ってる感じかな?」
「あたしはね、首都高を時速120キロで突っ走ってる気持ちになったわー」
「ユニ、車の免許なんか持ってたっけ?」
「ない」
ないんかい!
おもわず聴衆から苦笑いが零れる。
「さてと。それじゃあエミ、そろそろ次の曲いこうか!」
「では、バタPのデビュー曲『月のアリス』を歌わせていただきます」
スピーカーから曲が流れると、二人は表情を引き締め、曲にあわせて歌い始めた。
「すごいね、あの二人」
二人の歌に聴き入りながら、明が呟いた。
ユニ&エミは今年の春ごろから、この場所で路上ライブを始めた。
最初のころ、行き交う人は二人の歌に耳を傾けずにただ通り過ぎて行くばかりだった。
それでも週に1・2回。二人はこの場所で、何回も何曲も歌い続けてきた。
その甲斐あってか、少しずつだが、一人また一人と二人のライブに足を止める人が増えていった。
そして今では、小さいながらも人だかりができるくらいまでになった。
俺はポケットからケータイを取り出し、デジカメを起動して歌っている二人の写真を撮った。
撮った写真を確認する。画面にはユニ&エミが生き生きとした表情で歌っていた。
よし、我ながら良い写真が撮れたぞ。
写真をメールに添付し、姉ちゃんのパソコンに送信する。
ちょうどユニ&エミが歌い終わったらしく、再び彼女たちに向けて拍手が送られていた。
「ありがとうございました。バタPさんの曲で『月のアリス』でした」
♪ ♪ ♪
ユニ&エミの路上ライブを見た後、明を家まで送った。
「いい?明日、店長のところへ行ってアキドルGPに出場させてほしいって頼みに行くわよ」
「そんなのお前一人で行けよ」
「いいから、あんたも一緒についていくの!」
なんで俺も付き合わなければいけないのか。
まあ、明日になれば明の奴も忘れているだろう。
明と別れてから、俺は寄り道せずに真っ直ぐに帰宅した。
家の中に入り、誰に言うでもなく「ただいま」と声をかけ、そのまま自分の部屋には行かずに姉ちゃんの部屋の前まで行く。
「姉ちゃん、帰ったよ」
ドアをノックしたが、返事がない。
ということは、恐らく仕事中だな……。
俺はドアをゆっくりと開けて、部屋の中を覗いた。
山積みになった本。地面にはくしゃくしゃになった下着が落ちている。
作業机の上は書類の束が散乱し、ベッドにはストッキングが脱ぎ捨ててあった。
小汚い部屋の真ん中で姉ちゃんはヘッドフォンをかぶり、丸形のミニテーブルの上にあるノートパソコンとにらめっこをしていた。
カタカタカタとキーボードを叩く音が絶え間なく部屋中に響く。
「あー、おかえりー」
ヘッドフォンをつけたまま、姉ちゃんは視線を俺の方に向けて間延びした声で言った。
「姉ちゃん、家にいるときぐらいもう少しマシな服装でいてほしいんだけど」
「家にいるときぐらいラフな格好でいいじゃない。仕事のときはビシッと決めるからいいのよ」
ノースリーブのシャツにホットパンツはやめてくれ。
正直言って、目のやり場に困る。
俺だって、いつまでも子どもじゃないんだ。
年頃の異性が家にいるってことぐらい、少しは意識してくれ。
まあ、そんなこと言っても「ガキのくせに、なに色気づいてるのよ」と鼻で笑われるのは目に見えているので言わないけどね。
「姉ちゃん、メール送ったけど受け取ってくれた?」
「ああ、受け取ったよ。あの二人、またライブしてたんだ」
「うん、結構人が集まってただろ?」
「ああ、そうだね」
姉ちゃんはパソコンに視線を落としたまま、素っ気なく言った。
仕事に夢中で、俺の相手なんかしていられないって感じだ。
「姉ちゃんは何してるんだよ?」
「決まってるでしょ、記事書いてるのよ」
「何の記事?」
「『フェス』閉店の記事」
「えっ、『フェス』閉店したのかよ?!」
俺は思わず声が裏返った。
『フェス』というのは、ジャンク通りにあるパーツショップだ。
パッケージ品からバルク品まで、幅広くグラフィックボードを扱っており、俺も何度かお世話になった店である。
そういえば、今日『フェス』はシャッターが閉まっていた気がする……。
まさか閉店していたなんて……。
「あんた知らなかったの?今日、ネットでちょっとした祭りになってたわよ」
姉ちゃんはキーボードを叩く手を止め、「ほれ」とパソコンを俺の見えやすい位置にずらした。
画面には姉ちゃんが運営しているアキバ系情報サイト『アキログ』が表示されていた。
ブログのトップには「パーツショップ『フェス』、実は閉店していた!?」という見出しとシャッターが閉じた店の写真が掲載されていた。
確かに、姉ちゃんの言った通り「フェス」は閉店しているようだ。
「うわ、マジかよ。あそこ、良質のバルク品とか扱ってて値段もそこそこ良かったんだけどな……」
「ま、このご時世だからね。資金繰りも良くなかったって噂もあったし、いつ潰れてもおかしくなかったんじゃない」
「それで、跡地に何かできるの?」
「うーん、まだ未確定なんだけどね」
姉ちゃんはパソコンを元の位置に戻し、再びキーボードを叩き始めた。
「『フェス』の土地を住吉が買い取ったらしいのよね。何やるのか知らないけど、住吉絡みだから『再開発計画』と関係あるんじゃないの?」
「『再開発計画』か」
正式な名称は『アキバ再開発計画』。
東京都と千代田区が打ち出した大規模な事業計画である。
老朽化した建物が密集する地区を中心に、抜本的なインフラ整備や新規オフィスビルの建造を行う事業計画である。
『アキバ再開発計画』は、大企業の住吉グループが請け負っているらしい。
ダイビル、UDX、住吉センタービルなどの建物は、すべて住吉によって建てられたものだ。
現在、新築中のラヂ館1号館も、住吉グループが請け負っているという噂もある。
今までは中央通りなどの大通りを中心に行ってきたが、今度は裏通りも進めていくということなのだろうか?
だとしたら、ジャンク通りや『純風』のビルも『再開発計画』の対象になっているのかもしれない。
姉ちゃんに夕食は済ませたと伝えた後、自分の部屋に戻り私服に着替えた。
パソコン電源を入れて、インターネット生放送を適当にかける。
―みなさん、こんにちは!アキバのホットでスパイスな情報を発信するインターネットラジオ、「どこアキ放送局」の時間がやってきました。DJは私、宮坂と―
―鴨下がお送りいたします♪―
―鴨下さん、アキドルGPまで残すところあと40日となりましたよ―
―そうですね、宮坂さん。そこで今日はアキドルGP直前、アキバのアイドル特集をズバっとやっちゃいましょうか!―
―鴨下さん、アキバのアイドルといえば、誰を思い浮かべますか?-
―やっぱり、去年のアキドルGPで見事優勝を果たした『@M@ID』の『@LICE』じゃないでしょうか?―
―いいですね。私はちょっと古いんですけど、アキバのアイドルと言ったら、やっぱりあの人を思い出すんですよね―
―あの人って誰ですか?宮坂さん―
―アキバのアイドルと言ったら、やっぱりあの人。『悲劇のアイドル』と言われた星乃結以さんですね―
パソコンから聞こえてくる声を聴きながら、ベッドの上に仰向けになった。
特にすることもないし、勉強するのも面倒くさいな。
かと言って、ゲームをする気力もないな。
何となくだらだらとしていたい気分だ。
仰向けのままケータイを開き、コミュニケーションツールの「トゥイッター」を起動する。
手紙を加えた青い鳥の画面が表示されてから数秒経った後、メイン画面に切り替わる。
その後、時系列順に呟いたメッセージが表示されていった。
俺は相互フォローの画面に切り替え、相互フォローしているユーザーの呟きを順番に見ていく。
しばらくして、俺の呟きに対して見覚えのあるユーザーを見つける。
バタP:場所特定、ヨドカメ前の路上ライブと判明
お、『バタP』が呟いてるぞ。
しかも特定早すぎ。
俺は思わず苦笑した。
『バタP』とはトゥイッター仲間の一人である。
去年の夏頃、動画投稿サイト『四葉』にデビュー曲『月のアリス』を発表し、一躍有名になったボーカロイドプロデューサー(通称:ボカロP)だ。
四葉を中心に多くの支持と人気を集めており、『歌いたかったシリーズ』ではバタPの曲を歌った動画が数多くアップロードされている。
つい先日も、バタPは新曲「電脳EURO」を公開しており、すでに再生数は10万を突破した。
ボカロPとして有名な『バタP』だが、VOCALOIDと何の接点もないこの俺とフォロー関係にある。
あれはバイトを始めて一か月ぐらいしてからだろうか?。
いつものようにケータイで撮ったアキバの風景を『トゥイッター』にアップロードしたときだった。
バタP:場所特定、芳林公園内の喫煙所と判明
バタP:フォロー申請を送っておいたので、おねがします
突然、『バタP』が俺のトゥイッターに呟いてきただけでなく、フォロー申請まで送ってきたのだ。
バタPが有名なボカロPだと知ったのは後になってからだが、なぜ俺のトゥイッターをフォローしたのか、今もわからずじまいである。
あやまってフォロー申請をしてしまったのかもしれない。
あるいは単なる気まぐれだったのかもしれない。
どちらにせよ、あの有名な『バタP』とフォロー関係にあるのは悪い気がしなかった。
むしろ、『バタP』を通じて自分の呟きや撮った写真がほかの人に拡散されていくのは、自分にとってとても喜ばしいことだ。
そういえば、バタPって俺が撮った写真の場所を的確に当てているよな?
それってつまり、バタPは俺と同じ『アキバ』の住民、またはその近辺に住んでいるってことなのだろうか?
少年漫画的に考えるとこういう場合、本人は案外身近にいる奴だったりするけど、まさかそうなのか?
いや、それはないだろう。
そんな漫画みたいな偶然、あるはずがない。
バタPは有名なボカロPで、俺は一介の高校生。
たまたま、お互いアキバ好きだった。それだけに過ぎないのだ。