1章②
ミーティングが終わった後、シフトが入っていない番田はさっさと店を出ていった。
おそらく、ヨドカメ前の通信広場に行ったのだろう。
通信広場というのは、駅の中央改札口を出て右手にある大手家電量販店『ヨドカメ』の入り口近くにある小さな広場のことである。
番田結城は世間一般で言うところのゲーマーという奴で、時間さえあれば通信広場で他のゲーマー相手に、対戦に勤しんでいるのだ。
番田は『VR―EX』というリズム系アクションゲームが得意だ。
しかも、クラスの奴が言うには全国でトップクラスに入るくらいの腕前だと言う。
その話を聞き、俺は無謀にも番田に勝負を申し込んたことがあった。
結果、俺の惨敗。
赤子の手を捻るが如く、蟻が恐竜に踏みつぶされるが如く、俺は番田に打ちのめされた。
というか、俺と番田の得点差がおかしかった。
俺の方が0が一つほど足りなかった。
いったいどんなプレイをすれば、そこまで点差がつくというのだ。
しかも、番田は捨て台詞にこんなふざけたことを抜かしやがった。
――あ、相模とやるのは初めてだったよな?少し手加減しておいたわ――
くそ、思い出しただけで腹が立ってきたぞ!
勝負に負けてボロ雑巾のように扱き使われた俺は、心に一つの誓いを立てた。
もう二度と番田に勝負を挑まない、と。
原垣内小夜も用事があると言って、店を出ていこうとした。
原垣内は外を出歩くようなキャラではない。俺はそれとなく聞いてみた。
「どこいくんだ?」
「……。」
ひょっとして、聞いちゃマズかったか?
「……予約」
「ゲームかアニメのか?」
「……内緒」
原垣内は表情一つ変えずに呟いた。
そして幽霊の如くスーッと音を立てずに店を出ていった。
俺と明、そして灯里先輩はシフトが入っていたので、閉店まで『純風』に残った。
「それじゃあ、お先に失礼します」
店長に声をかけてから『純風』を出た。
辺りはすっかり暗くなり、静寂に包まれていた。
ケータイの時計を見る。時刻はすでに20時をまわっていた。
今も昔も『アキバ』の夜は早い。
ジャンク通りなど路地裏にある店は、すでに店仕舞いとなっていた。
この時間に開いている店といえば、個人の飲食店やコンビニぐらいであろう。
『純風』を後にした俺たちは、中央通りに向かって並んで歩いた。
「ねえ、二人とも。お腹空いちゃったし、帰りに『剛』にでも寄っていかない?」
『剛』というのは、俺たちの行きつけのラーメン屋である。
濃厚な豚骨スープと太麺が特徴のラーメン屋で、無口な親父(俺たちは親方と呼んでいる)が店を切り盛りしている。
俺は『剛』に行くと必ず豚骨を注文する。
明は豚骨よりも味噌の方がおいしいと言う。
味噌はダメだ。俺の口にはまったくあわない。
もし暖簾をくぐるようなことがあれば、ぜひ豚骨を注文してほしい。
味噌がいいというのなら、味噌を注文するのもいいだろう。(俺は豚骨一択だけど)
「俺はいいぜ。明ほどお腹は空いてないけどな」
バイト後でいい具合にお腹空いていたので、明の意見には全面的に賛成だ。
俺の答えに明は口を尖らせる。
「何よ。それじゃあ、まるで私が食いしん坊みたいな言い方ね」
「間違ってないだろ?」
「晶に言われるとなんかムカつく」
夕食前にラーメンを食べよう、なんて言い出す時点で私は食いしん坊ですと言ってるようなものだろう。
そんなに食べるとぶくぶくに太るぞ。
メガネ地味属性に加えて、肥満属性も付与するつもりなのか?
俺の場合、家に帰っても姉ちゃんしかいないし、仕事に夢中だから食事なんて用意してないはず。
だから、いま食べておかないと夕食抜き、なんてことに成りかねないのだ。
そういえば、昨日の夕食もヨドカメ近くのファーストフードで食べたよな?
昨日はハンバーガー、今日はラーメン……。
……。
高校生のくせに、こんな乱れた食生活をしていて、本当に良いのだろうか?
少しは自炊できるよう、料理の勉強でもした方がいいのかもしれない。
まあ気が向いたら、ということで……。
「ごめんね、二人とも。私、今日は早く帰らないといけないの」
「そうなの?ひょっとして、また店番でも頼まれてるとか?」
「うん。お父さんがね、どうしても外せない用事があるんだって……」
灯里先輩も大変だな。
灯里先輩の両親は、アキバの片隅でパソコンショップを経営している。
この界隈のパソコンショップの中では、とても良心的な店だ。
俺も姉ちゃんも、よく灯里先輩の店を利用している。
灯里先輩はそんなパーツショップを営む5人家族の長女を務めている。
仕事で忙しい両親に代わり家事のほとんどを灯里先輩が一人でこなしているのだ。
そのうえ、小学生の妹や弟の面倒まで見ているというのだから、驚きである。
俺も明も、少しは灯里先輩を見習わないといけないな。
中央通りに出たところで、俺と明は灯里先輩と別れた。
「じゃあ私はあっちだから。二人とも、また今度誘ってくれる?」
「わかった。また今度ね」
「それじゃあ二人とも、またあしたね」
「またね、灯里」
灯里先輩は手を振った後、蔵前橋通りに向かって歩いて行った。
俺たちは中央通りを横切って、UDX前の田代通りに向かった。
♪ ♪ ♪
ラーメン『剛』はUDX前の田代通りを隔てて、反対側の並びにひっそりと店を構えている。
「晶、外のカウンター埋まってるよ」
「じゃあ、今日は中で食べるか」
俺たちはいつも、店の外にあるカウンター席を利用している。
今日は席が埋まっていたので、店内で食べることにした。
店内のカウンター席に座り、いつもの豚骨を注文する。
頼んでから15分でラーメンが出てきた。
「やっぱり、『剛』と言ったら豚骨に限るな」
箸入れから箸を出しながら、俺は得意げな顔で言った。
「何言ってるのよ。『剛』と言ったら味噌に決まってるじゃない」
「お前はわかってない。まるでわかってない。『剛』と言ったら豚骨一択だろうが!」
「何言ってるのよ、『剛』と言ったら味噌よ味噌!」
「豚骨だよ!」
「味噌よ!」
「豚骨!」
「味噌!」
出来立てのラーメンを前にして、俺と明はバチバチと火花をまき散らした。
ラーメン『剛』には三つの派閥がある。豚骨派、味噌派、そしてつけ麺派の三つだ。
俺は豚骨派で、明は味噌派に属している。
『剛』に行くと必ずと言っていいほど、俺と明は店で一番おいしいのは豚骨か味噌かで揉めるのだ。
これだけは譲れない。
こいつが何と言おうと、『剛』で一番おいしいのは豚骨の方だ。
「……冷めるぞ」
カウンターの向こうで腕を組んでいた親方がドスの聞いた声で呟いた。
そうだった。このまま喧嘩してたら、せっかくのラーメンが冷めてしまう。
ひとまず俺たちはラーメンにありつくことにした。
「ねえ、晶」
「なんだよ」
スープを一口飲むと、不意に明が話をかけてきた。
「店長、どうして店を閉めようなんて言い出したのかな?」
今日のミーティングを思い出してみる。
――突然だけど、この店を閉めることにしました――
理由はどうあれ。店長は『純風』を閉めると決めたのだ。
おそらく、その言葉に他意はないのだろう。
――でもね、これだけはわかってほしいの――
――もうこれ以上、この『純風』を続けていく意味がない、それが私の気持ちなの……――
あのときの店長は、いつもの店長とはまるで別人だった気がする。
どこか淋しげでうら悲しさを秘めた顔だった。
「いつもの気まぐれ、ってわけじゃなさそうだったよな」
頭に浮かんだ言葉をそのまま口にした。
「うん、私もそう思う。でなければ、あんなことしなかったと思うし」
「真面目とは、およそ正反対にいるような人だからな……」
明はスープの上に鎮座していたチャーシューを一口で食べる。
つられて俺もチャーシューを一口で食べた。
口の中にあるチャーシューの味を噛み締めながら、今まで店長が犯してきた数々の所業を思い出す。
――昨日の夜、新メニューを思いついたわ!さあ、今日から売り出すわよ!――
新メニューがあまりにも不評で、1週間でメニューから消え去ったり。
――発注間違えちゃった!というわけで、急遽イチゴフェアをやりたいと思います!――
季節外れのイチゴフェアが1か月近く続いたり。
――原垣内さん、今度から晶君と同じ男性用の制服を着て仕事して頂戴――
原垣内の制服が、なぜか女性用と男性用の二着になったり。
――結城にゲームで勝てたら、店のメニュー全部タダにするっていうのはどうかな?――
腕に覚えのあるゲーマーが、店に大挙して来たり。
思い出しただけで頭がズキズキしてきたよ……。
本当に、よく今まで『純風』がやってこれたよ……。
「私たちに言えない事情でもあるのかな?例えば、店の売り上げが悪くなってお店を続けられなくなったとか」
「有りうるな。うちの店、駅前の喫茶店やメイドカフェと比べて、明らかに客足が悪いからな」
「うちの店って、どこにでもある古臭い喫茶店だもんね」
「お店を宣伝できるような何かがあればいいんだけどねー」
『純風』に足を運ぶ客はかなり少ない。
うちに来る客といえば、昔からの常連や『剛』の親方にうちの姉ちゃん、灯里先輩の両親ぐらいだ。
あと、番田目当てのゲーマーや仕事を抜け出したサラリーマンなんかもいる。
買い物目当ての客は中央通りや駅前の店を利用しているため、『純風』にはほとんど来ない。
「じゃあさ、私たちで何か考えようよ!」
「考えるって?」
「アイディアよ。『純風』を盛り上げるアイディア」
「どうして?」
「お店が盛り上がれば、今よりもっとお客さんが来るかもしれないじゃない。そうすれば、お店のの売り上げだって良くなるし、店長の気が変わるかもしれないよ?」
俺は丼に残っているスープを一気に飲み干した。
『純風』の売り上げを伸ばす方法ねー。
「具体的に何か挙げてみろよ」
明は腕を組みながら考えた。
「例えば、結城にゲームで勝てたら店のメニューをタダにするっていうのは?」
「店長と同レベルじゃねえか」
「何よ。じゃあ、晶は何かいいアイディアがあるの?」
「そうだな。今よりもっと可愛い子を雇うというのはどうだ?」
「それは遠まわしに私たちが可愛くないって言ってるの?」
「概ねあってる」
「却下。それじゃあ、人気メニューを考えるのは?」
「店長が考案したメニューが1週間でお蔵入りになったのを忘れたか?」
「あー、そうだったね」
どのアイディアもパッとしないものばかりだ。
というか、ほとんど店長が実行して失敗に終わったものばかりだ。
まあ、俺や明程度の浅知恵では、お店を盛り上げるようなアイディアなんて、降って湧いてくるわけがない。
「それじゃあ、大々的にお店の宣伝するのはどうかな?」
「宣伝って、どうやって宣伝するんだよ」
「硝子さんに頼んで、『アキログ』で特集を組んでもらうの」
『アキログ』で特集ねー。
確かに、宣伝としては悪くないと思うけど……。
『アキログ』とはアキバ系の情報を広く取り扱っているブログのことである。
ブログを開設してそろそろ10年近く経つが、アクセス数はアキバ系情報サイトで不動の地位を築いている。
恐らく『アキログ』が閉鎖されない限り、この地位が脅かされることは未来永劫ないだろう。
俺の姉ちゃんはそんな『アキログ』運営者の一人であり、俺はときどき姉ちゃんの手伝いで取材に連れてってもらったりする。
とりあえず、姉ちゃんのことだ。
俺や明が必死になって頼み込めば、『純風』の記事ぐらい書いてくれるかもしれない。
……しかし『アキログ』に載せるには一つ、大きな問題があった。
「先月に特集組んだばっかじゃねえか。姉ちゃんが店に来てたの、もう忘れたのか?」
「覚えてるわよ」
明はあっけらかんとした顔で答える。
「でも、店に来たといっても写真を二・三枚撮っただけで、ブログには2・3行の紹介文しか載せてなかったじゃない。そんな新聞の投稿欄みたいなものじゃなくて、もっと大々的に取り上げてもらうのよ」
「無理だな諦めろ。今の『純風』に大々的に取り上げてもらうようなネタが何一つない」
「うっ、そ、それは……これから考えればいいのよ!」
「それでも無理だ。第一、今月はあの特集を組むって決まっているからな」
「あの特集って……何の特集よ」
俺は後ろを振り返って壁を指差した。
後ろの壁に貼られている一枚のポスター。
ボーカロイドのマスコットキャラ『MILK』と、可愛らしいドレスを着てマイクをもった女の子が睨みあい火花をまき散らしている。
その上に大きく『集え、アイドルたち!決戦の時、来たる!第9回アキドルGP開催!』と大きく書かれていた。
「アキドルGP?……あ、そういえば、もうそんな時期だったんだ」
「そう、だから取り上げてもらえるとしても、取材は再来月あたりになるだろうし、その頃にはもう店は無くなってるぞ」
「そっか……。じゃあ硝子さんに頼むのは無理ってことね」
アキドルGP、正式名称はアキバアイドルグランプリ。
アキバから全国的アイドルを誕生させようというキャッチフレーズで始まったアイドルグランプリである。
アキバ商工会が中心となって始めたイベントだが、今や商工会だけでなくいくつかの企業団体等も参加し、夏のアキバを大いに盛り上げる一大イベントにまで成長した。
アキバにある飲食店(主にメイド喫茶)や家電量販店、パーツショップや雑貨店などなど……。
様々なジャンルのお店が、その店の女の子でアイドルグループを結成し、競い合って優勝を目指すのだ。
優勝した店にはそれなりの賞金が贈られ、アキバ系情報サイトなど各種メディアから大々的に取り上げられることとなる。
その宣伝効果はかなりもので、アキバに店を構える人たちにとって、アキドルGPとはまさに店の命運をかけた一大イベントなのだ。
うちのような老舗喫茶店からすれば、至極どうでもいい話ではある。
「……そうよ」
「どうした?」
「晶、これよ!これしかないわ!!」
明は右手を強く握りしめ、勢いよく立ち上がった。
あまりにも唐突な行為に、俺は思わず椅子から転げ落ちそうになる。
「な、なんだよいきなり!」
「『純風』を盛り上げるための、起死回生のアイディア!まさにこれしかないわね!」
「これって、いったい何のことだよ?」
「出るのよ、私たちが!」
「な、何にだ?」
「晶、わからないの?あれに出るのよ!」
明は壁に貼ってあるアキドルGPのポスターを指差した。
おいおい、まさか……。
ひょっとして……そのまさかなのか?
お前、あれに出るつもりなのか?
いくらなんでも狂気の沙汰としか思えない。
嘘だよな?
冗談だよな?
頼むよ、どうか、どうか俺の勘違いであってくれ!
「アキバアイドルグランプリ、これに出て優勝するのよ!!」