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アキドル!  作者: パンケーキ
1章
10/15

1章⑨

 日曜日の朝。11時からシフトが入っている俺は、『純風』を目指して中央通りを歩いていた。


「……暑いなぁ」


 アスファルトの焦げた匂いが鼻を突き、焼き付けるような強い日差しが肌を刺す。


「なんでこんなに暑いんだよぉ……」 


 うだるような暑さの中、額からにじみ出る汗を拭う。

 空を仰ぐと、アキバの空は白い雲一つない青空が広がっている。

 雑居ビルの電光掲示板には予想最高気温28℃と表示されており、まさに梅雨明け前の炎天下である。

 中央通りの歩道は埋め尽くすぐらいの人で溢れかえっている。

 さすがは日曜日のアキバ。

 これで歩行者天国の時間帯になれば、さらに多くの人で溢れかえるだろう。

 ただでさえ暑いと言うのに、このまま人混みに居続けたら間違いなく熱中症で倒れるぞ、これ。

 さっさと『純風』へ行って、冷房が効いた店内で涼むとしよう。


 俺は歩調を速め、中央通りを抜け出し、やっとの思いで一条第二ビルに辿り着いた。

 暑さを振り切るようにドアを開けた瞬間、ひんやりとした冷たい空気が全身を包んだ。


「あ、おはよう、晶君♪」


 暑さを吹き飛ばすような爽やかな笑顔で灯里先輩が迎えてくれた。


「おはようございます、先輩」


 俺は先輩に挨拶を交わしながら、カウンター席のエアコンが一番よく効く場所に腰かけた。

 あー、冷たい。生き返る!

 業務用エアコンから流れる冷たい風が頬を撫でつけ、滲み出た汗が徐々に引いていくのがわかった。


「外は暑かったでしょ?これ飲んで」


 灯里先輩はアイスコーヒーを目の前に置いた。

 あれ?俺、頼んだ覚えは無いんだけど――。


「私のオゴリ。この前のお礼ね♪」


 灯里先輩は悪戯っぽくウインクした。


「あ、ありがとうございます」


 先輩の厚意に感謝しながら、俺はガムシロップとミルクを足してからアイスコーヒーを飲む。

 冷たくて、程よい甘さのコーヒーが口の中へ広がっていく。

 あー、冷たくて美味しい。

 何だか、灯里先輩の優しさが沁み渡っていく気がするよ。

 店内を見回すと、俺と灯里先輩のみ。

 あれ?確か今日は、明もシフトが入っていたよな?

 俺の記憶に間違いがなければ灯里先輩と同じく、俺より一時間早いシフトだったはず。

 だから、俺より早く『純風』に来ているはずだが――。


「明は来てないんですか?確か先輩と同じ時間からバイトでしたよね?」

「明ちゃんなら、もうお店に来てるよ。今は更衣室で楓ちゃんが制服着るのを見ているよ」


 そういえば、今日から一条さんも『純風』で働くことになっていたんだ。


「あ、そうだった」


 微笑ましそうに見ていた灯里先輩は思い出したように口を開いた。


「晶君に伝えなきゃいけないことがあったんだ」

「何ですか?」

「あのね、お父さんが『注文したパソコン』が出来たから、近いうちに取りに来てほしいって言ってたよ」

「注文したパソコン? 俺、そんなの頼んだ覚えはないですよ」

「硝子さんがお父さんに頼んだらしいよ。出来上がったら、晶君に取りに行かせるから、伝えてくれって言われているらしいの」


 ちょ、何だよそれ!

 そんなこと、姉ちゃんから一言も聞いてねえし!

 というか、またパソコンを新調したのかよ……羨ましいな。

 俺にパソコンを取りに行かせるってことは、絶対ノートじゃなくてデスクの方だよな?


「どうする? 今日あたりでも取りに行く?」

「そうですね。じゃあ、バイトが終わった後にでも、お店の方へ寄ってもいいですか?」

「うん、大丈夫だと思うよ」


 灯里先輩は笑顔で返事した。

 姉ちゃんのことだから、今日にでも取りに行かないと絶対に怒るに決まってる。

 まったく、面倒くさいな。

 俺は眉をひそめたまま、アイスコーヒーを口に運び、何気なく時計に目をやる。

 ふむ、バイトまでほんの少し時間があるな……。

 時間潰しにトゥイッターでも見ようとケータイを開いたとき、突然天井からドタドタと物音が響いてきた。

 なにかと思い、俺と灯里先輩は一緒になって天井を見上げたら、物音はすぐにピタッと止まり静かになった。

 そして、しばらくするとウィンドウ越しに明が店の前を横切っていく姿が映ると、


「灯里、お待たせ!」


 明は声を上げながら勢いよく店の中へ飛び込んできた。

 朝っぱらから騒がしいやつだな。

 せっかくの灯里先輩との緩やかな時間が台無しになってしまった。


「朝っぱらから煩いな。お前はニワトリか?」


 眉をひそめながら、明に向かって皮肉を込めた嫌味を飛ばしてやった。


「あれ、晶きてたんだ……って、ニワトリってどういう意味よ、ニワトリって!」


 明は時間差で顔をムッとしながら言い返した。


「煩いから煩いと言ったまでだ」

「別にちょっとぐらい声出したっていいじゃない」

「それで、そんなに大声を出して、一体どうしたんだよ」

「あっ、そうだった! ほら、楓ちゃん早く」


 明はドアの外に向かって声をかけた。

 どうやら店の外に一条さんがいるらしい。

 しかし、一条さんはなかなか店の中へ入って来ようとはしない。


「な、なんか恥ずかしいです」

「恥ずかしいって、今日からこの制服を着て仕事するんだから、恥ずかしがってどうするの」

「そ、そうでした!」


 一条さんは恐る恐る、ゆっくりと店の中へ足を踏み込んだ。


「じゃーん! どう? 一条さんの制服姿は?」 

「ど、どうでしょうか? へ、変じゃないですか?」


 清楚で気品のある私服姿とは違った一条さんの制服姿が目の前にあった。

 一条さんはほんのりと頬を赤く染めて、もじもじと制服の裾を掴みながら恥ずかしそうに言った。


「凄く似合ってるよ、一条さん」

「そ、そうですか?」

「うん。私なんかより、ずっと可愛い」

「灯里の言う通り、凄く似合ってるよね。最初に見たとき、思わずため息が出ちゃったわよ」

「そ、それはさすがに大袈裟過ぎですよ」


 一条さんは顔を真っ赤にしながら否定した。


「あ、相模さん。おはようございます」


 一条さんは俺がいることに気づき、いつものように恭しく一礼した。


「相模さん、私の制服姿はどうでしょうか?」


 一条さんは目の前でくるりと回転した。

 その動きに、思わず俺は視線を奪われてしまった。


「うん、すごく似合ってると思う」

「ほ、本当ですか?! ありがとうございます」


 掛け値なしの正直な感想に、一条さんは満面の笑みを浮かべた。


「こうしてみると、一条さんって何を着ても似合いそうだよね」


 明は一条さんを見ながら羨ましそうに言った。

 一条さんと明を交互に見比べる。

 確かに。一条さんは元がいいせいもあって、『純風』の制服を着るとどこか華がある。

 『純風』の制服だけじゃなく、他の服を着ても似合いそうだ。

 それに比べて、明の方は……。


「ちょっと晶、なに私と一条さんを見比べてるのよ」

「いや、お前は何を着ても似合わねえなって思ってさ」

「な、何ですって!」


 地味女は持っていたトレイで俺の後頭部目がけて、勢いよく引っ叩いたのだ。

 パコーンと心地よい音が店内に響く。


「イデッ! な、何すんだよ、このお団子メガネ地味女!」

「あんたが失礼なことを言うからいけないのよ」


 後頭部をおさえながら抗議する俺に対し、地味女は鼻息を鳴らしながらそっぽを向いた。

 俺は正直な感想を述べただけだぞ?

 飾りたてた言葉を並べて褒めても、どうせ「なにお世辞を言ってのよ、気持ち悪い」とか言って怒りだすに決まってる。

 そもそも、何を着ても似合いそうな一条さんと比べて、お前は何を着ても地味じゃねえか。

 失礼な目で見られたくなければ、少しは一条さんを見習ってオシャレに気を遣うことだな。


「ハロー、みんな!」


 俺と明が睨みあっていると、いつになく上機嫌な店長が店の中へ入ってきた。


「さあ、今日も元気に働くわ…………おおーっ!」


 店長は一条さんの制服姿を見た瞬間、目を丸くして驚きの声を上げた。


「楓ちゃん、すごくよく似合ってるじゃない!」


 店長は一条さんの両手を掴んで興奮気味に言った。


「あ、ありがとうございます」


 一条さんは店長に押され気味になりながらも笑顔で答えた。


「なんか昔を思い出すわねー。久しぶりに私も着てみようかしら?」


 おもむろに店長は両手を頬にあてて、うっとりした表情で寝ぼけたことを言い始めた。


「何をバカなことを言ってるんですか、店長。冗談は年と態度と行動だけにして…………ごめんなさいごめなさい! お願いですから、その振り上げたトレイを降ろしてください!」

「うるさい、問答無用!!」


 俺の命乞いは聞き届けれず、店長は力任せにトレイを振り下ろした。

 次の瞬間、ベコンっとさっきよりも鈍くて大きい音が店内に響いた。



 ♪ ♪ ♪



「というわけで、今日から一緒に働くことになった一条楓ちゃんです」

「改めまして、一条楓と申します。今日からバイト見習いとして働かせていただきます。みなさん、どうかよろしくお願いします」


 一条さんはぎこちない態度で自己紹介をしてから、深々とお辞儀をした。

 俺たちは『純風』の新しいメンバーとなった一条さんに拍手を送った。


「とりあえず、まずはみんなの働きぶりを見ながら仕事を覚えてくれる? あ、わからないことがあったら遠慮なく訊いていいから」

「はい、わかりました」

「それじゃあ、私は事務所で仕事があるから、後はみんなお願いね」


 店長は一条さんを俺たちに任せて、事務所へ戻って行った。

 店長と入れ替わりに、二人組の客が来店する。


「いらっしゃいませ♪」

「一条さん、まずは簡単な仕事から教えるから、ちょっと待っててくれる?」

「はい、わかりました」

「晶君。今日はお持ち帰りのお客さんがたくさん来るかもしれないから、持ち帰り用の断熱カップ100個入りを持ってきてくれる?」

「わかりました。100個入りですね」


 俺は店の外へ出て、2階の更衣室兼倉庫へ行った。

 更衣室の奥にある倉庫から持ち帰り用の断熱カップを取り出してから店に戻ると、一条さんは明から仕事の説明を受けていた。


「それじゃあ、一条さん。まずはテーブル拭きをしてくれる?」

「はい、テーブル拭きですね。わかりました!」


 一条さんは気合の入った返事をしてから布巾を受け取り、カウンター席のテーブルを丁寧に拭き始めた。

 カウンター席のテーブルを一通り拭いた後、今度は奥のテーブル席から順番に拭いていった。

 熱心にテーブル拭きをしている一条さんを横目に、俺は断熱カップを先輩に手渡した。


「すみません、お客様」


 一条さんはテーブル席に座っている客に向かって、申し訳なさそうに声をかけた。


「は、はい、何ですか?」


 座っていた二人の客は、やや驚いた表情で返事した。


「ちょっとテーブルの方を拭いてもよろしいでしょうか?」

「え?!」


 耳を疑うような一条さんの言葉に、二人はまるで狐と狸の両方に化かされたみたいな顔をした。


「そ、そういうのって普通、客が帰ってからするんじゃないんですか?」

「か、楓ちゃん!お客さんがいるテーブルを拭くのは、帰ってからでいいんだよ」

「え、そ、そうなんですか?!」


 慌てて明がフォローに入り、一条さんは酷く慌てた。


 「すみませんすみません」と一条さんは何度も頭を下げていた。


 それからしばらくして、2人組の客が帰ると、今度は3人組の客が談笑しながらやって来た。


「お前マジであれ買ったの?」

「ネットだと、あまり評判良くないって噂だぞ」

「いいんだよ。俺、この作者が好きなんだから」

「いや、それでも今回のは酷過ぎだろう。前回の伏線とか放置状態だったじゃねえかよ」

「そうだよ。お前って本当に流行物とか興味ないよな。今のトレンドはMMO系じゃん。そっち方面の奴を買えって」

「いや、だから俺は、ああいうのは受け付けないんだって」


 中央通りのアニメショップの袋を持っているところを見ると、どうやら買い物帰りのようだ。

 三人はアイスコーヒーを受け取ると、テーブル席をくっつけてから腰を掛け、話を続けた。


「だったら、入り口に積んであった新作を買えよ。あっちはマジで面白いから!」

「ああ、あれは面白いそうだよな。何かアニメ化の話もあるらしいし、今度の冬コミには薄い本がたくさん出るんじゃね?」

「ふむふむ、そうなんですかー」

「へ?」

「え?」


 三人は一斉に声がした方へ振り向いた。

 声がした先には、一条さんがテーブル席の横で熱心にメモをとっていた。

 一条さん、あなたは一体何をしているのですか?

 自分に視線が注がれていることに気づくと、一条さんは顔を上げた。


「私、ですか?」


 三人は無言のままうんうんと頷いた。


「私のことはお気になさらず。どうぞ、お話をお続けになってください」

「い、いや……」

「メモ片手にそこで立っていられると、気になって話ができないんだけど……」

「店員さん、ひょっとして俺たちの話に興味あるの?」

「はい、次に買うラノベの参考にしたいので」


 何故か一条さんは客に交じってマンガやラノベの話を始めてしまった。



 ♪ ♪ ♪



「ふう」


 ゴミ出しから戻ってきてから一息つく。


「すみません、御冷やが無いんですけど」

「は、はい、すみません!」


 客に指摘されて、俺は慌てて御冷やの入ったピッチャーを取り換えた。

 午前中はいつも通り客足は悪かったのだが、お昼時になってから急に客足が良くなり、珍しく満席状態になっている。

 今日の混み具合はおかしい。

 いつもの休日よりも明らかに客足が良い気がする。

 ひょっとしたら、中央通りかUDXあたりで何かイベントでもやっていて、そのせいでこっちまで人が流れてきている可能性があるかもしれない。

 となると、午後はさらに客足が増えるかもしれない。


「晶君。悪いんだけど、一条さんと一緒に店の前を掃除してくれるかな?」


 灯里先輩はレジの対応に追われながら言った。


「はーい」

「わかりました」


 俺と一条さんは箒とちり取りを持って店の外へ出た。

 外へ出た途端、うだるような暑さと照り付ける日差しが体中に降り注ぎ、思わず店の中へ引き返したくなった。


「暑いですね、相模さん」


 一条さんは澄み渡った青空を見上げて、眩しそうにすっと目を細めた。

 日曜日だけあって、平日よりもたくさんの人が店の前を行き交っている。

 俺と一条さんは箒で店の前を掃除し始めた。


「そういえば、一条さんはどこで昼食をとるつもりなの?」


 箒を動かす手を止めずに、俺は一条さんに昼休みにどこで食事を摂るつもりか訊いた。


「まだ決めていないのですけど、相模さんはどこかオススメのお店ってありますか?」

「それなら、センタービルの裏にある定食屋とかどうかな? あと、ちょっと入りづらいけどジャンク通りにある牛丼屋なんかもオススメだよ」

「ふむふむ……。裏の定食屋か、ジャンク通りの牛丼屋ですね」


 一条さんは俺の言ったことを熱心にメモをとる。


「あ、相模さんはどこで昼食を取るつもりですか?」

「俺? 面倒だからジャンク通りの牛丼屋にしようかな」

「でしたら、私もその牛丼屋に行ってみようと思います」


 あそこはほぼ男性客だから、一条さんみたいな子が来店したら、他の客はきっと度肝を抜かれるだろうな……。 

 一条さんはふうっと息をついてから箒を動かす手を止めて、レースの白いハンカチを取り出し、額の汗をぬぐった。


「よお、しっかり働いてるのか?」


 肩越しに振り返ると、目の前には俺の姉ちゃんこと相模硝子が立っていた。

 家の中にいるときとは打って変わってびしっとしたスーツ姿にばっちりと決めたメイク。

 そして、如何にも高そうな(実際に高い)一眼レフのカメラを首からぶら下げていた。


「なんだ姉ちゃんか。ウチで涼みにきたのか?」

「ああ。取材前にちょっとね」


 姉ちゃんは面倒くさそうな顔しながら言った。


「あ、一条さん。この人は俺の姉ちゃん。姉ちゃん、この子は今日から『純風』でバイトすることになった一条さん」

「初めまして、一条楓と申します」


 一条さんは箒を持ったまま、恭しく一礼する。


「あたしは相模硝子。よろしく」

「ところで、姉ちゃん。取材って言ったけど、何の取材?」

「ライブよ、ライブ。午後2時からベルサールアキバでアイドルの合同ライブがあるのよ。だからその取材」

「アイドルの、ライブ、ですか?」

「へえ、だから今日はこんなに人が多いのか……」

「アキドルGPまであと一か月ちょっとだしね。出場予定のアイドルグループは一通り取材しておきたいと思ってね」

「晶さん、アキドルGPって何でしょうか?」


 一条さんは首を傾げながら訊いてきた。


「毎年この時期、アキバで開催されるアイドルグランプリのことだよ」

「アイドルのグランプリ、ですか? それって、何だか面白そうですね」

「あら、あなたアキドルGPに興味があるの? だったらこれ、今日のイベントのチラシなんだけど、よかったら見に行ってみるといいわよ」


 姉ちゃんはバックからチラシを取り出して、俺と一条さんに手渡した。

 チラシには大きく「本日14時から、ベルサールアキバで合同ライブ開催」と書かれていた。

 出場アイドルは4組ほどで、その中にはあの『@LICE』の名前もあった。

 一条さんは興味深そうにチラシを見た。


「それじゃあ、あたしは店の中に入るから――二人とも、ちゃんと仕事するんだよ」


 姉ちゃんは店の中へ入って行った。


「相模さんのお姉さん、凄くカッコよくて、なんかデキる女性って感じですね」


 カッコよくて?デキる女性?

 暑さで耳が壊れてしまったのだろうか?


「一条さんは知らないと思うけど、ああ見えて、家の中ではずぼらなんだよ、ずぼら」

「そうなんですか?そういう風には見えなかったのですけど……」


 一条さんはウィンドウ越しに店内にいる姉ちゃんを見た。

 姉ちゃんはカウンター席に座り、灯里先輩と話し込んでいた。

 ウィンドウ越しに店内を見ていると、明が店から出てきた。


「あれ、お前もう休憩?」

「うん。忙しくなりそうだから、先に休憩とってくれって」


 なるほど。

 灯里先輩のことだから、午後はさらに客が来ると見越して、明を先に休憩へ入れたらしい。


「というわけで二人とも、お先にー」


 明はジャンク通りに向かって歩いて行った。

 アイツの行った方向だと、恐らくジャンク通りの牛丼屋かコンビニで済ませるつもりだな。


「さて、掃除はこのぐらいにして、店の中に入ろうか」

「そうですね」


 早々と掃除を切り上げた俺たちは店内に戻った。



 ♪ ♪ ♪


 

 13時過ぎると、お店の混雑ぶりはピークを迎えた。

 灯里先輩がレジから離れらない中、一条さんはテーブル拭きをしたり、ゴミ出しをしたりと店内を慌ただしく動き回っている。

 雑用全般の俺は一条さんのフォローをしながら、在庫補充のためにお店と倉庫の間を何度も往復する羽目になっていた。


「一条さん、そろそろ休憩に入ってもらってもいいかな?」


 灯里先輩はゴミ出しから戻ってきた一条さんに休憩するよう促した。


「先に休憩を頂いてもよろしいんですか?」

「俺と先輩はあとで休憩を取るから大丈夫だよ」

「わかりました。それでしたら、遠慮なく休憩を取らせて頂きますね」


 一条さんはぺこりとお辞儀をしてから店を出て行った。

 それからしばらくして、明が休憩から戻ってきた。


「ねえ、一条さんがジャンク通りの牛丼屋に入って行ったんだけど、まさか晶が教えたの?」

「ああ、昼食どこで取るか決めてなかったらしいから、おすすめの店を教えておいた」


 どうやら、一条さんは牛丼屋に入ったらしい。


「あんたねえ、普通、女の子に牛丼屋なんか紹介しないわよ」


 明は心底呆れた顔をしながら、大きくため息をついた。


 午後2時を過ぎると、徐々に客足も鈍くなり、騒がしかった店内は少しずつ落ち着きを取り戻しつつあった。

 時計を見ると2時25分を指していた。

 そろそろ一条さんが休憩から戻って来る時間なのだが、戻ってくる気配が全くない。


「一条さん、遅くないですか?」


 入り口のドアを見ても、一条さんが戻ってくる気配が感じられない。


「確かに、遅いわね」

「今日が初めてのバイトなんだし……ちょっとぐらい遅れても別にいいじゃない」

「晶君、そろそろ休憩入ってもらってもいい?」


 灯里先輩が俺に向かって言った。


「俺なら大丈夫ですよ。灯里先輩こそ先に休憩入ってください」

「私は最後でいいよ。休憩ついでに、楓ちゃんを探してきてくれると助かるんだけど」


 なるほど、そういうことか。

 だったら、先輩には申し訳ないけど、先に休憩を取らせてもらうことにしよう。


「わかりました。じゃあ、先に休憩入りますね」

「お願いね」

「ちゃんと時間通りに戻って来なさいよ」


 灯里先輩と明に見送られながら、俺は『純風』を出て行った。

 さて、昼食を取る前に、まずは一条さんを見つけないと……。

 一条さんはどこにいるんだろう?

 一条さんのことだから、中央通りのアニメショップかな?

 何気なくポケットに手を突っ込むと、クシャっと紙の感触がした。

 ポケットから取り出すと、昼間姉ちゃんにもらった合同ライブのポスターのチラシがあった。

 そういえば、一条さんはアイドルのライブに興味津々だったな。

 となると、ベルサールアキバにいる可能性もあるな……。

 少し考えた末、俺はベルサールアキバへ行くことにした。


 裏通りを抜けて中央通りまで出ると、たくさんの人が車を気にせず道路を横断しているのが目に入った。

 照りつける太陽の下、中央通りはたくさんの人で埋め尽くされており、まるで朝の通勤ラッシュを彷彿させる混雑ぶりだ。

 俺は敢えて歩道を避けて車道を歩き、ベルサールアキバがある住吉センタービルへと向かった。


―うおおおぉぉぉぉぉおぉぉっ!!―


 住吉センタービルに着くと、空気を震わすほどの大歓声が聴こえてきた。

 センタービル一階のベルサールアキバには、ユニ&エミの路上ライブとは比較にならないくらいの観客が特設ステージの前に集まっていた。

 あまりの混雑ぶりに思わず言葉を失いそうになる。 

 会場全体が熱気に包まれており、近づくことすら躊躇ってしまうほどの盛り上がりを見せている。


―はいから!大正!ロ・マ・ン!はいから!大正!ロ・マ・ン!―


 遠巻きにステージを見る。

 ステージの上では六人組のアイドルが袴姿で歌をうたったり、踊ったりしながら会場を盛り上げている。

 観客もそれに応えるかのように、ある者は喉が涸れそうなくらいに声を張り上げ、ある者はペンライトを力いっぱい振り回し、ある者は少しでも彼女たちを見ようと飛び跳ねている。

 会場全体がまるで巨大な生き物のようにうねり、叫び、興奮し、むせ返るような熱気を発していた。


 アイドルのライブって生で見るのは初めてだけど――凄いな、これ。

 生のアイドルのライブを目の当たりにして、言葉を失った俺はただ茫然と会場を見つめていた。

 …………って、如何いかん。

 俺はライブを見に来たんじゃなかったんだ。

 すっかりと会場の雰囲気にのみこまれていた俺は、当初の目的を思い出し、一条さんの姿を探した。

 店の制服を着たまま休憩に入ったから、見つけやすいはずなんだけど――と、見つけたぞ。

 ステージから少し離れた柱の前で、一条さんは遠巻きにステージを眺めていた。


「一条さーん」

「あ、相模さん」


 一条さんは俺の声に気づき、こっちに寄ってきた。


「見てください、凄いですよ!」


 一条さんはすっかり会場の熱に浮かされちゃったらしく、掴みかかりそうな勢いで、興奮気味に言った。


「生のライブってこんなに迫力のあるものだったんですね。私、もう興奮しっぱなしです!」

「そ、そうだね。まさかここまで人が集まっているなんて、俺も思わなかったよ」

「そういえば、相模さんはどうしてここに?」


 一条さんは首を傾げながら訊いてきた。


「灯里先輩に言われて、一条さんを探しに来たんだよ。もうすぐ休憩時間が終わりそうなのに、お店へ戻って来ないから」

「休憩時間って、いまは何時でしょうか?」


 一条さんにケータイを見せると、見る見る内に一条さんの顔から血の気が引いていった。


「と、とと、とっくに休憩時間が過ぎていました!わ、私、ライブに夢中になってて、時間が経つのも忘れちゃって……」

「一条さん、慌てなくていいから。ひとまず、今すぐ『純風』に戻った方がいいよ」


 半ば混乱状態の一条さんを宥めるように言った。


「は、はい、それじゃあ、失礼しますね!」


 慌てて頷いてから急いで『純風』へ戻って行った。

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