プロローグ
「まったく!遅刻するかどうかの瀬戸際に、なにデレデレと道案内なんかしてるのよ」
「あのな、困ってる人を助けるのは当たり前だろうが」
「それでも時と場合ってものがあるでしょう!もう、このままだと完全に遅刻ね!」
中央通りと神田明神通りの交差点、住吉センタービルの前を俺たちは駆け抜ける。
そのまま路地裏へと飛び込み、今度はパーツショップが立ち並ぶ通称「ジャンク通り」に足を踏み入れる。
パーツショップの前には人が集まり、入り口の上に飾られた店頭POPを見上げている。
またパーツの価格が変動したのかもしれない。
こんな状況じゃなければ、俺も足を止めて見ておきたい。
ここは東京の名所の一つ『アキバ』。
高度経済成長期に急成長を成し遂げた世界有数の電気街である。
90年代にはゲームやアニメ、アイドルなど多種多様な文化を取り込み、世界有数の電気街からサブカルチャーな街へと変貌を遂げ、今なお変化し続けている街である。
俺、相模晶17歳は、そんな『アキバ』に生まれ育った一人である。
「おっと!」
よそ見をしていたせいで、前から歩いてきた人と肩をぶつける。
「あ、すみません」
慌てて一言謝る。
「いえ、こっちこそ」
この通りでは人とぶつかるのは日常茶飯事。相手の方も特に気にした様子はない。
……失敗だった。
ジャンク通りは道幅が狭い上、人の行き交いが激しい場所だ。
焦っているとはいえ、俺はなぜここを通り抜けようとしているのだ。
「ちょ、ちょっとあんた、何でジャンク通りを突っ切ろうとしているのよ!」
案の定、後ろからキーキーと罵声が飛んくる。
「ち、近道だと思ったんだよ!」
「んなわけないでしょ!遅刻したら、晶のせいだから!」
後ろを振り向く。
お団子頭にアンダーリムのメガネをかけた女の子が一人。
息を切らしながら、離れないよう俺の後ろをついて来ている。
彼女の名前は秋星明。
生まれから育ちまで同じ時間を過ごしてきた腐れ縁であり、世間一般で言うところの幼馴染というやつである。
まあ、幼馴染と言うと聞こえはいいかもしれない。
例えば、毎朝俺の部屋まで来てくれて、布団をひっぺ返してたたき起こしてくれたり、休日には何故か人様の家にあがり込むだけじゃなく、台所を勝手に占拠して手料理(この場合、美味しいか不味いかは不問とする)を作ってくれて「別にあんたのために作ったんじゃないんだからね」って顔を赤くしながら言ったり……。
男ならムフフでキャッキャッな幼馴染像を勝手に想像してしまうだろう。
……申し訳ない。
本当にすまない。
あらぬ誤解と期待をさせないよう、まずは一言謝っておきたい。
たしかに、秋星明は俺にとって腐れ縁であり、世間一般で言うところの幼馴染ではある。
朝起こしに来てはくれないが、いつも一緒に学校まで通学したりする。
家に来て食事を作ってはくれないが、学校帰りにファーストフードや行きつけのラーメン店に寄って飯を食べたりする程度の間柄ではある。
こいつの趣味のカラオケにもしょっちゅう付き合わされたりもするし、俺の趣味のアキバ散策にも付き合ってもらったりする。
だが、こいつを見たら開口一番、誰もがこう思うこと間違いない。
地味女。
もうね、こいつを体現するのにこの言葉ほど相応しい言葉はないと言っていい。
束ねて丸めた長い髪をどのくらい使い古しているのかわからない色褪せたピンクのリボンで留めている。
そして地味属性を強調させるアンダーリムのメガネを装備。
その姿は、まさにクラスに一人はいるであろう委員長タイプそのままなのだ。(ちなみに明は委員長ではない)
そう、秋星明という女は、魅力の魅の字も感じさせない地味なルックスの持ち主なのだ。
言っておくが、俺は地味っ子萌えやメガネっ子萌え、ましてや偽委員長萌えなどという特殊な性癖は持ち合わせてなどいないことを明言しておく。
それに、お団子地味メガネ女の秋星明と一緒にいるのは、あくまで結果にすぎない。
高校に進学するときだってそうだ。
偏差値や通学に要する時間を模索し、計算し、比較し、検討した末、導き出した最適解がたまたま同じ高校だったということに過ぎない。
さて、俺の幼馴染こと秋星明に関してはここまでにしておこう。
出来る事なら30分前に起きた出来事を、テロップ付きVTRでじっくりと解説してあげたいのだが、やめておく。
今は非常事、俺たちはとにかく急いでいるということだけは理解してほしい。
なぜ急いでいるのか。
それは時間がないからだ。
学校が終わり、バイトの時間までのんびりアキバで時間を潰そうと思っていた矢先、俺と明のケータイに一通のメールが届いた。
緊急招集、今から15分以内に『純風』に集合せよ! 店長より
だから俺たちは走っている、急いでいる。
一刻も早くバイト先へ向かわなければならない。
搬送先の病院に向かって赤信号を突っ切る救急車と同じ気持ちである。
ジャンク通りをようやく抜け出し、蔵前橋通りの二歩手前の十字路を左に曲がる。
そして芳林公園手前の十字路の角に辿り着き、ようやく俺たちは足を止めた。
十字路の一角に建つ『一条第二ビル』。
建築年数およそ20年。4階建てのオンボロビルが俺たちの目的地である。
建築当初は眩いばかりの白だったらしいが、今は眩いばかりの白とは程遠いところにある。
何度か外壁を塗装したと言っていたが、塗装された外壁は年月とともに徐々に剥がれ落ち、コンクリート肌がむき出しとなってビルの美観を大きく損なわせるまでに至っている。
ちなみに、このあたりは築何十年の古い建物が並列して建っている。
そんな『一条第二ビル』の1階に、俺たちがバイトしている老舗の喫茶店『純風』がある。
開店して10年以上が経っているらしい。
アキバに住んでいる人なら誰もがこの店の名前を一度は聞いたことがあるかもしれない。
いや、知らない人の方が多いかもしれない。
だって穴場だし、客少ないし、無駄にバイトが多いし、値段は他店より安いけど店長がアレだし……。
そんなアキバで奇特な部類に入るであろう喫茶店『純風』に、姉ちゃんの紹介で俺たちは今年の春からバイトし始めたのだ。
入り口のドアを勢いよく開けて、飛び込むように俺と明は店の中に滑り込む。
『純風』は駅前の喫茶店と比べて古い造りになっており、入り口付近はかなり狭い。
しかし、店内は外観よりも広く思わせる造りとなっている。
「すみません、秋星明と相模晶、遅くなりました!」
俺と明の声が店中に響き渡った。
しかし、俺たちの声とは対照的に、店内は静けさに包まれていた。
店内にはどこかで聴いたことのあるラウンズ・ジャズが流れているだけ。
仕事を抜け出したサラリーマンや買い帰りの客、店の常連、学校帰りの学生。
客と呼べる者は誰1人いない。
この時間帯なら、一組ぐらいは客がいてもいいはずだ。
まあ、入り口のドアに「CLOSED」の札が掛けてあったから、客がいないのは当然と言えば当然である。
店の奥に置かれているミニテーブルが3つ、全てくっつけられていた。
テーブルの周りには俺や明に近い年頃の女の子が三人、そしてスーツ姿をした女性が一人座っていた。
「二人とも遅い」
スーツ姿の女性が立ち上がり、俺たちに向かって一言。
「15分以内に『純風』に集合ってメール送ったの、届いてたわよね?」
「はい、遅くなってすみません」
「まったく、二人ともギリギリアウトじゃないの」
いや、その日本語はおかしい。
そこはアウトじゃなくて、ギリギリセーフなのでは?
明は息を切らしながらも、申し訳なさそうに頭を下げた。
「店長、遅れてしまい、本当にごめんなさい」
「まあ、明ちゃんは可愛いから、許してあげましょう♪」
店長と呼ばれたスーツ姿の女性は笑顔で答えた。
呼吸を整え、俺も明に続いて頭を下げた。
「遅れて申し訳ありません、店長」
「遅い、遅すぎるわ!晶君、あなたは遅刻よ!」
視線を合わせずに吐き捨てるように一言。
おい、ちょっとまて。
なんだこの落差は?
明は許してもらえて、俺は遅刻扱いかよ。
「ちょ、店長なんでですか!」
「男なら5分前行動、これ常識。レディーを待たせるなんて、男の風上にも置けないわ。即刻クビにされないだけ感謝してほしい。ほら、ありがとうございましたって言いなさい」
ひでえ……。
なんて無茶苦茶なことを言うんだこの人は……。
どこまでが冗談なのか、まったくわからない。
いや、たぶん半分以上は本気に違いない。(店長に感謝しろという意味で)
この性悪おばさん、じゃなくて、性悪お姉さんこそ喫茶店『純風』の店長、涼風純様(嫌味)である。
御覧の通り、女の子に対してはどこまでも甘く、男に対してどこまでも無慈悲。
モットーは女尊男卑。
男を目の敵にするってことは、過去に男絡みで散々な目にあったに違いない。
きっと失恋でもしたんだな。うん、そうに違いない。
「晶くん、何か言いたいことでもあるのかしら?」
「い、いやだな、そんなわけないですよ」
「晶くんは硝子と違ってすぐ顔に出るからわかるのよ」
「え、マジ?!」
「嘘よ」
……やっぱり、この人は性悪だ。性悪女だ。
「今、性悪女って思ったでしょ?」
って、やっぱり店長の言う通り顔に出ちゃうのかな!
「さて、冗談はそのぐらいにして、ミーティングを始めたいから二人とも適当に座って頂戴」
本当に人を弄ぶのが楽しい人なんだな……。
真面目に受け答えすると身も心も擦り切れてしまう。真に受けるのはほどほどにしておこう。
店長に促されて、空いている椅子に腰を下ろす。
「晶、遅刻したのはあんたが鼻の下を伸ばしていたせいだからね」
「いや、だから伸ばしてないから」
たまたま道に困っていた女の子がいたので、親切心で道を教えてあげただけだぞ?
まあ、アキバにはちょっと似つかわしくない、清楚な感じのお嬢様だったけどね……。
道を教えてあげた後、なぜか明は「店長の呼び出しがあるのにのんびり道案内なんかするな」って怒り出して、それを宥めるのに時間を費やしてしまったのだ。
それが遅刻した最大の原因である。
……あれ?
よく考えてみれば、別に俺のせいじゃないと思うけど……。
「まあ、あの子は私なんかと比べて、結構可愛かったと思うし、あんたが鼻の下を伸ばすのも無理はないけどー」
いい加減しつこいぞ、このお団子メガネ地味女。
そんなんだからいつまでも経っても彼氏ができないんだ。
地味な上に、ぐだぐだと嫌味ばかり言ってると、異性だけじゃなく同性にすら嫌われるぞ。
そういう性格は早いうちに正して、彼氏の一人や二人でも作るんだな。
そして俺を開放しろ。これは要求ではない、命令だ。
ちなみに、俺に彼女なんてものはいない。
彼女、何それ?新作ゲームか何か?
ああ、ケータイのソーシャルゲームにそういうゲームあったよな。
でも、俺はああいうゲーム、あまり好きじゃないんだよね……。
「何度も言うけど、俺は別にデレデレなんかしてないから」
「どうだか、鼻の下伸ばしてニヤニヤしていたのは、私の見間違いかしら?」
「ああ、そうだ。今度、いい眼科でも紹介してやろうか?姉ちゃんの仕事の手伝いで、いい病院を教えてもらったからな。行ってみろよ?」
「行かないわよ、バーカ」
「はいはい二人とも、痴話喧嘩はそのぐらいにしてちょうだい」
店長は場を収めるために手を叩いた。
俺と明、それにほかのバイトは店長の方に視線を向けた。
「今日、みんなに来てもらったのは他でもありません。実は重大な発表があって、みんなに来てもらうことになりました」
重大な発表ねー。
わざわざ学校が終わったのを狙って、全員に緊急招集のメールを送り付けたんだ。
さぞかし、俺たちにとってどうでもいい発表なのは間違いないだろう。
大方、新メニューを考案したとか、店の制服を新しくしたとかじゃないのか?
女の子が大好きな店長のことだ、また新しいバイトの女の子でも見つけてきた可能性もある。
(男のバイトを雇う可能性は果てしなく0に近いので却下とする)
寡黙、ゲーマー、地味女……。
さて、次はどんな子が入ってくるのやら……。
「突然ですけど――」
いや、ちょっと待て。
店長のことだ。俺たちの予想を大きく裏切ることを言い出すかもしれない。
例えば、時代遅れの古臭い喫茶店は辞めて、明日からメイドカフェに転向しますとか……。
あー、それならあり得るかもしれない。
でも、もしメイドカフェを始めるとしたら、俺の処遇はどうなるのだろうか?
まさか、メイド服を着て仕事をする羽目になる、なんてことはないよな?
でも、もし店長命令で着ろと言われたら、着るしかないのかな……。
男がメイドになんかなってどうするんだよ。
「―――この店を閉めることにしました」