魔法使いになった犬
朝、目覚めると、飼い犬のトトが「おはよう、ご主人」と言った。人間と比べても遜色のない、はっきりとした日本語だった。
「おは……よう?」
あいさつを返しはしたものの、頭では理解が追いついていなかった。なぜならトトは犬である。言葉を話せるはずがない。
寝ぼけたまま混乱する僕は、そのうちに、まだ夢から覚めていないのかなと思いあたる。目をぎゅっとつむって、ほほをつねる。そして再び目を開ける。布団の脇に佇むトトは、それでも変わらずそこにいて、つづけて言った。
「気持ちのいい週末だね」
夢からは問題なく覚めているようだった。つまり、今、見ているこれは、現実の出来事ということになる。
「トト、お前、喋れたのか」
恐る恐るといった具合の僕の問いかけにも、トトははきはきとした言葉遣いで応じる。
「まあ、そう驚かないでよ、ご主人。生きていれば、こんな世の中、奇妙なことの一つや二つ、あるものだろう? 人生は不可解だって、『ハリーとトント』のハリーも言っていたじゃないか」
それは確かに、以前にトトと一緒に観た映画だった。が、まさかそれを自分の飼い犬に引用されるとは思ってもみなかった。僕でさえ、誰との会話においても、まだ引用したことなんてないよ。
「前から、本当は喋れたということかい」
「ううん。今朝からだよ」
「いったい、どうして」
「夢を見たんだ。昨夜にね。人間としての人生を歩む夢さ。だいたい百年くらいの、最高にスリリングな人生を歩む夢だった。一夜にして百年分の体験をして、それで言葉が話せるようになったんだ」
「夢を見たくらいで、人の言葉を覚えるのか?」
「そうみたいだね」
あまりに理解を越えた話に、思わず僕は情けないため息をついた。
「しかし待てよ。お前の話が確かなら、僕と一緒に『ハリーとトント』を観ていた時には、お前は言葉を解さなかったんだろう? それなら、どうしてお前は『ハリーとトント』の台詞を引用できるんだ?」
僕が尋ねると、トトの返事の声音が裏返った。
「人の言葉を覚えずとも、もともと賢い犬だったってことさ。もーっ、そんなこと言わせないでよ、ご主人。恥ずかしいな。わんわん」
右の前脚を顔の前で振って照れ隠しをする様が、人間に特有の仕草としてリアリティに富んでいた。一方で最後に付け加えられた「わんわん」も、自然な犬の鳴声ではなく、自然な犬の鳴声を真似しようとしている人間のようだった。人間としてのリアリティに富みすぎていて、つまり不自然だった。
これはとんでもない一日になりそうだぞと僕は予感する。
呼び鈴が鳴った。トトを残して、僕は寝室を出る。こんな朝早くの時間に誰だろうと訝りながらも、玄関扉を開けた。
来訪者は、見上げるほどに背の高い大男。二メートルはあるような長身だ。その上に、群青色の特徴的な、小さな中折れ帽らしき帽子が不釣り合いにちょこんと載っている。
「こちらのお宅に、犬がいるな」
無機質な声だった。鉄のような声だ。重くて、冷たい。
「いますけど……」
見るからに怪しい来訪者ではあったが、むしろ嘘は通用しないと直感的に分かり、僕は正直に答えた。
「うちのトトが何ですか」
「『夢』が観測された。規定により、あなたの飼い犬は我々の保護下に入る。ただちに連行させていただくために、私は来た。私は超夢遊体験対策本部から遣わされた者だ」
「チョームユータイケンタイサクホンブ」
音だけを復唱してみる。聞いたこともない組織だ。ご丁寧なことに名刺まで示されたが、やはり知らない。そんな名前の組織、日本にあったっけ?
群青帽子は名乗るなり、ずかずかと家の中に入ってきた。きちんと靴は脱いでそろえ、僕を脇に追いやって。よく見ると、手荷物の中にペット用のケージがあった。
来訪者のそんな態度に、当然、僕は反発した。
「ちょっと待ってくれよ。連行だって? いきなりそんなことを言われても、納得できるわけがないよ。そのナンチャラ対策本部とやらも、よく知らないし、怪しいよ」
そうは言ったものの、しかし心当たりならある。きっとトトが見た夢が関係しているのだろう。
「規定だ。飼い犬は我々が預かる」
「ちょっと、勝手に部屋に入るなよな!」
「抵抗するようなら、こちらにも手段がある」
引き留めた僕を、群青帽子は振り返る。そして一切の予備動作を見せることなく、彼は懐から拳銃を取り出した。
「このような手段を、しかし私は採用したくない。大人しく言うことを聞いてほしい」
「家族を渡したりするもんか」
「『夢』を見た者は不安定で危険だ。たとえそれが犬であっても」
「トトが危険だって? このやろう!」
僕が従わないのを見かねて、群青帽子は頭を振った。
「理解を得ることができず、誠に残念だ」
引き金が引かれた。目をつむる暇もなかった。それが僕を狙った発砲だったのか、それとも単に威嚇するだけの発砲だったのかは、結局のところ分からなかった。
寝室にいたはずのトトが僕たちの前に飛び出してきて、叫んだ。
「フュシージュ!」
その途端、僕と群青帽子との間に、青く透明に光るガラスの壁のようなものが現れた。それは鋭い音を立てて銃弾を防いだ。
これは群青帽子も想定していない展開だったようで、一瞬だけ彼はひるんだ。その隙を突いてトトは玄関口で呆然と立つ僕に駆け寄り、そのままの勢いで僕の周りを一周、走る。
「ユケイブ!」
トトが別の言葉を叫ぶと、また不思議なことが起きた。僕の身体がふわりと宙に浮かび、家を飛び出したのだ。僕の意思ではない。トトが前を走り、それに先導される形で、僕は空中を滑っていた。
「待て!」
背後から群青帽子の叫ぶ声が聞こえる。しかしトトは少しも速度をゆるめることなく、真上に向かって地面を蹴った。
トトは空に向かって進みはじめる。僕も引っ張られるようにして、止まることを知らない。僕たちは空を飛んでいた。
「いったい、どういう……」
混乱しっぱなしの僕に、前を飛ぶトトは答える。その声までもが、まるで空を飛んでいるかのように楽しげだった。
「夢の中で、百年分の人間の人生を歩んだって言ったろう?」
「言っていたね」
「魔法使いの人生だったのさ!」
地面はあっという間に遠ざかり、高度はぐんぐんと上昇してゆく。すでに山の高さは越えていて、もうすぐ雲にまで到達する頃。不思議と息苦しさや寒さなどはなかった。恐怖心さえもなかった。これもトトの魔法ということなのだろうか。
「どこへ向かっているんだい?」
「上!」
「何があるのさ?」
「僕の見た夢が確かなら、あの雲の上にお城があるはずなんだ!」
そう言い合っている間に、僕たちはとうとう雲の中へと入っていった。右も左も、上も下もない白の世界が僕たちを包みこんだ。
「お城? 雲の上に?」
「そう! 雲の上に!」
「疑うわけじゃないけど、信じがたい話だな!」
僕がそう返事をしたのとほとんど同時に、僕たちは雲の領域を抜けた。トトの背中の向こう側に、今度は青の世界が広がる。東、と思われる方角の空に、朝の太陽が顔を覗かせていて眩しい。
雲の領域を抜けてからも少しだけ僕たちは昇りつづけ、雲海を眼下に見渡せるようになる高度で止まる。トトが雲の上のある一点を向いて叫んだ。
「あれだ!」
そこには確かに城があった。どう見ても雲の一部ではない、地上の素材で作られたような、立派な城だ。ただ一つ予想外だったのは、その城というのがどう見ても日本の様式に添ったものだったことである。天守閣のようなものがあり、そのてっぺんには金色のしゃちほこが燦然と輝いている。名古屋城をそのまま雲の上に移築したみたいだ。
僕たちは城の門の前に着陸、ならぬ着雲する。今しがた通り抜けたはずの雲が、地面のようにしっかりとしていて、踏みしめることができる。
門は開け放たれている。門の手前には門番がいる。幻想的な雲の世界とはちぐはぐな威圧感を持つ、いかつい鎧武者だ。が、トトは臆することなく平然と門を通過する。僕も後につづくが、それでも門番はこちらを一瞥するに留まり、入城を阻止しようとしたりはしなかった。
門を過ぎ、いよいよ城の真ん前まで到達する。そこで一人の老人が僕たちを待ち受けていた。その人に限っては、青い優雅なローブにとんがり帽子と、僕の想像する雲の上の住人といった格好をしていた。
「お待ちしておりました」
「お待ちって、僕たちを?」
「ええ。さあ、こちらへ。案内させていただきます」
がこおん、と音を立てて、城の巨大な扉が開いた。僕たちを待っていたというその人物は、名をオズと言った。城の入口から真っ直ぐにつづく廊下を、オズを先頭、トトを二番目、僕を三番目として歩いてゆく。
「ここは何なんだい?」
「魔法の城です」
「身もふたもないな」
魔法の城は、外見こそ日本の城のようだったが、しかし中身は日本の城のようでもなく、西洋の城のようでもなく、どちらかと言うと市役所のようだ。そこにファンタジックな内装などはなく、どこもかしこも四角四面だ。堅苦しささえある。
「このお城、どうして外見だけ日本の建築様式なの?」
「日本支部ですから」
「でも、あなたの格好はいかにも西洋の魔法使いって感じだ」
「イギリスから配属されたばかりでしてね、制服の用意がまだなのですよ」
廊下を突きあたりまで歩いて、部屋に入る。そこは会議室のようだった。オズに促されて、中央の長テーブルに落ち着く。僕はイスに座り、トトは僕のヒザに座った。
部屋の正面の壁にはスクリーンがあって、天井にはプロジェクターがぶら下がっている。オズがそれらの準備を進めるのを眺めながら、これのいったいどこが魔法の城なのだろうと思う。
オズの準備が終わったのを見て、僕は尋ねる。
「何が始まるのかな」
「講習会です」
「講習会?」
「戸惑う気持ちも分かりますよ。『夢』をご覧になったでしょう?」
「あー、えーっと、見たね、確かに」
言葉の選び方に困ったが、結局は飾らずに言った。
「トトが」
「ぼくが見たね」
トトも言う。思えば、城に入ってからこっち、トトが話したのはこれが初めてだった。僕たちの言葉を聞くと、オズの動きがフリーズした。
「はい?」
「ぼくが夢を見て、そして魔法使いになったよ」
言っていることの証明として、トトは僕たちの前に置かれていた長テーブルを宙に浮かせた。僕に施したのと同じ魔法で。
「なっ……」
その時、会議室に慌ただしく入ってくる若者が現れた。オズの部下らしきその若者は、手短に、そして深刻そうに叫んだ。
「オズさん、大変です! 座標を間違えておりました!」
そしてオズも叫ぶ。
「なにーっ?」
「そちらの男性に照準を合わせ照射したつもりが、誤って隣のペットに照射してしまっていたようです!」
詳しい事情は分からないものの、彼らの間で何か手違いがあったらしいことは明らかだ。「照準」だとか「照射」だとか、何か機械を連想させる単語が言われているのが気になったが、二人の慌てようを見るに、とてもそれを質問できるような状況ではなかった。
部下の若者が、つづけて報告する。
「さらにですね、申し上げにくいのですが、もう一つ大変なことが」
「な、何だ」
「謎の男が城に侵入してきました!」
「なにーっ? いったい、どうやって?」
「詳細は調査中ですが、飛行機から、パラシュートで降下してきた模様です」
謎の男と聞いて、僕にはピンと来るものがあった。それはトトも同じだったようで、部下の若者に尋ねる。
「謎の男って、どんな男?」
若者は答える。
「群青色の中折れ帽が特徴的な大男だそうです!」
僕とトトは顔を見合わせた。
城の入口付近はすでに乱闘騒ぎの渦中だった。群青帽子が戦闘態勢で中心に立ち、その周りを十人ほどの鎧武者たちが取り囲んでいる。よく見ると鎧武者たちの手が光っている。
群青帽子を中心とした円の中では、色とりどりの魔法の弾が飛び交っていた。一人の鎧武者が一つの呪文を唱えると、その手が青だったり赤だったりに光り、そしてその光が飛び出す。群青帽子に向かって発射された魔法の弾を、しかし彼はひらりひらりと軽快にかわす。十人ほどの鎧武者たちが同時にそんなことをしているので、円の中は弾幕状態だ。が、群青帽子は、その大きな体格からは想像もできないような身のこなしで華麗にかわしつづけている。そして隙を見ては、相手を殴り倒している。
「とうとう見つけたぞ、この悪魔どもめ!」
群青帽子は上がった息でそのようなことを叫んでいる。彼は彼で、いまいち目的が見えてこない。
群青帽子は僕たちが来たのに気がつき、十人のうちの最後の一人をもあっさりと殴り倒して、こちらに駆け寄る。
「やはり君たちもここにいたか。君たちがここに向かってくれたおかげで、私はここにたどり着けた。感謝する」
「まだトトを連れて行こうとしてます?」
「ああ、もちろん」
それまでの戦闘などなかったかのように、群青帽子はけろりとした表情でうなずく。
「そちらのペットはこちらで預かる。適切な治療を行い『夢』による後遺症を改善させる。ペット自身のためだ、理解してほしい」
それを聞いて黙っていられなかたのは、隣で長らく呆然としていたオズだった。
「後遺症ですって? 発現した魔法の力を後遺症とは何事ですかっ?」
「そう表現するのが妥当だろう。お前たちのやっていることは間違っている」
「ええい、うるさい、この侵入者め! くらえ、ヒューキットベイス!」
憤慨した様子のオズは群青帽子のそれ以上の主張を聞き入れようとはせず、即座に呪文を口にした。
考えるよりも先に身体が動いた。オズと群青帽子との間に割って入り、オズの放った魔法の弾を身体で受けた。しかしそれはどうやら焼け石に水だったようで、僕だけではなく群青帽子までもが、結局は一緒になって吹き飛ばされた。
運悪く、吹き飛ばされた先は雲の切れ間だった。
「ご主人!」
「トト!」
僕と群青帽子が雲から転落し、その後を追ってトトが飛び降りた。乱気流にもみくちゃにされながらも、落下しゆく身体にやがて身に覚えのある浮遊感が生まれるのを感じた。
「やつらは他人の夢に無断で干渉する」
トトの魔法によって元いた雲の上まで引き上げられている時、群青帽子が言った。
「たまたま今回の被害者はそちらのペットだったが、普段は人間を標的としている」
「彼らの目的は何なんですか」
「この世のすべての人間を魔法使いにすることだ。要するに繁栄だ。『夢』はその手段に過ぎない」
目の上のたんこぶを確認がてらに撫でるように、群青帽子は答えた。
「そして我々、超夢遊体験対策本部の目的は、それを阻止すること」
「対立しているんだ。あなたと彼らは」
「そうなるな」
群青帽子はため息をついた。手に負えない存在の始末に手こずっている者のため息だ。
「ある時、彼らはこの世界にやって来た。しばらくは雲の上で、地上の誰にも知られることなく、ひっそりと暮らしていた。しかし最近になって考えが変わったようだ。この世のすべての人間を魔法使いにすることが、よりよい平等、よりよい平和であると、そういう思想に目覚めたらしい。ノブレス・オブリージュとでも思っているのかもしれない。まったく迷惑な話だ」
「なぜ?」
そう口にしたのはトトだった。群青帽子の最後の一言が、理解しかねるらしかった。
「魔法の力は楽しいものじゃないの?」
それを聞いて、群青帽子はふっ、と笑った。
「君はのんきな犬だから、とは言わないよ。よく考えてみてほしい。ある日に、何気なく眠ったら、その先に百年近い別の人生が待っていることの憂鬱さを。夢の中での人生を終え、目覚めた先に、未知の力が発現した元の人生が待っていることの憂鬱さを。むしろ君は、そのようには感じなかったのかね」
「ぜんぜん」
トトは首を横に振る。
「夢の中での人生も、今の人生も、僕にとっては楽しいものだよ」
「そうかい。しかし分かってほしい。情けない話だが、私たちは君ほど強くはないのだよ」
「ふうん」
分かったような分からなかったような、あいまいな返事をトトはする。
雲の上が近づいてきた。
「そうそう、ぼくの名前、トトって言うんだよ」
思い出したようにトトが言った。群青帽子は改めてトトを真っ直ぐに見据え、告げた。
「トト、パートナーだけでなく私をも助けてくれたこと、感謝する。しかし私は、この世の正しい秩序のため、君を治療し、君から魔法の力を取り除かなければならない」
トトは承諾も拒絶もしない。
「やはり、その侵入者も助けましたか」
戻ってきた僕たちをオズが出迎えた。トトが群青帽子を見捨てなかったことに、彼は不満を露わにした。
「君たちが落下している間に、私どものほうでも調べさせていただきました。そちらは例の対策本部の人間ですな?」
「いかにも。お前たちにとっては邪魔者と言ったところか。お前たちの悪行を止めにきた」
「この分からず屋め。すべての人間が魔法を使えるようになって、何がわるいと言うのです」
「『魔法』などという漠然とした言葉でしか表現できない、よく分からないものの流布を、我々は看過できない」
口論は留まる気配を見せない。オズの眉間と群青帽子の眉間との間でヂリヂリと火花が散るよう。
しかしあるところで、突然にオズがこんなことを言い出した。
「よろしい。では、あの者たちに意見を求めようではありませんか」
オズが、こちらには目線を向けないまま、僕とトトを指差す。突然の丸投げに、僕とトトは困惑する。
僕が口を開く前に、トトが言った。
「人間についてのことだし、ぼくには決められないことだと思うな」
「おいおい、一抜けた、なんてずるいじゃないか。僕を一人にしないでおくれよ」
「ぼくはご主人の意見を尊重するよ。だってぼくは、ご主人のペットだもの」
僕は考える。トトの魔法を、群青帽子の考えを、オズの思惑を、それらを思い起こして、考える。
「さあ、どうなんだね。君の素直な意見を聞かせてほしい。君は魔法使いになりたいか、なりたくないか。首を縦に振りさえすれば、今度こそは、君を魔法使いにしてあげるよ」
オズが急かす。群青帽子は黙って見守っている。
「僕は、」
ようやく結論が出て、僕は答える。
「僕は魔法の力なんていりません」
僕がはっきりそう答えると、オズは悔しそうに顔を歪め、地団太を踏んだ。が、それ以上の反抗はしなかった。群青帽子は安心したように息を吐いた。
かくしてオズたちの計画は中止となり、僕たちは地上へ帰ることとなった。
僕たちの一件が解決したというだけで、オズたちと群青帽子たちとの対立はこれからもつづいてゆく。ただしこれからは、魔法や拳には頼らず、話し合いによる歩み寄りを目指すとのことだった。
雲の上からの帰路にて、僕は気になっていたことを群青帽子に尋ねてみた。
「なぜオズは僕の意見を素直に聞き入れたのでしょう?」
群青帽子は少しだけ考え、それからゆっくりと答えた。
「魔法使いになりかけながら、そうならなかったのは、後にも先にも君だけだ。そういう稀有な立場の者の意見だったからこそ重要視したのではないだろうか。あくまで私の考えるに、だが」
その答えは正しいような気がした。と言うよりそれ以外に考えられなかった。
「なぜ、と言うなら、私にも疑問がある。なぜ君はあの結論を出したのだね? 私はてっきり、君が魔法というものを好意的に捉えているものだとばかり思っていたよ」
逆に質問されて、答えに窮した。正直、明確な意思があったわけではなかったのだ。
「魔法が嫌いってわけではありませんし、トトが魔法使いっていうのも愉快なことだとは思います。けれど魔法は、日常にはないほうがずっと、魔法らしく輝くような気がしたんです。何となくですけれど、手の届かない存在だからこそ、魔法は魔法なんじゃないかなって」
そんな僕の答えで納得したのか、群青帽子はほほえんで、うなずいた。
「では、改めて尋ねよう。トトを我々に預からせてくれるかい」
「ええ、お願いします」
(拳銃を向けてきた相手と和解とは、人間っていうのは理解しがたいな!)
不意に、頭の中でトトの声がした。これも魔法らしい。
(まあ、ご主人を狙ってはいなかったみたいだけれどね!)
地上が近づいてきた。上空の雲をちらりと見上げたが、当然、城は見えなかった。
群青帽子がトトに向かって言った。
「トト、地上に戻り次第、君から魔法の力を取り除く。なので、もし君のご主人に言っておきたいことがあるなら、今のうちに言っておくといい」
するとトトは迷うことなく即答した。
「ぼく、あれがずっと気になってたんだよね。犬の整体ってやつ。前にご主人と一緒にネットの動画を見たことがあるけれど、気持ちよさそうなんだよなあ!」
以前よりずっと言いたかったことだったのだろうか。あまりに脈絡のない、現実味にあふれた希望に、僕は思わず笑ってしまう。
「そう。じゃあ、後でお店を調べて、予約しておこう」
最後にトトが、「わん」と吠えた。やはり人間による犬の鳴き真似のような、不自然な「わん」だった。
こちらは2025年の6月に書いた小説です。とある小説賞に二度ほど応募し落選しました。
今回「小説家になろう」に投稿するにあたって若干の手直しをしました。手直しをする余地はあれど、一年以上が過ぎた今になって読んでみても良い小説だと思います。この小説に限ったことではなく、私は私の作品が好きです。そう思えているうちは小説が書けそうです。




