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FPSのUIが現実に見える俺が、いつの間にか殺し屋になるまで  作者: 鳥獣跋扈


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第3話 雑居ビルの実戦

 関わるな。


 頭の中で、何度もその言葉が響いた。


 雑居ビルの裏へ続く細い通路。朝の光がまだ届ききらない半端な暗がり。その先から聞こえた、何かを引きずるような音と、押し殺した短い声。


 普通なら、見なかったことにする。

 そりゃそうだ。


 警察を呼ぶとか、大声を出すとか、そういう正しそうな選択肢もなくはない。けれど実際のところ、そんなことすら考えられなかった。夜勤明けで頭も回っていない。危険そうな気配がした時点で、普通は離れるべきだ。


 なのに、足が動かなかった。


 視線の先の通路が、妙に“意味を持って”見えていたからだ。

 幅。壁の位置。置かれたコンテナ。開け放たれた勝手口。隠れられそうな箇所と、見通しの悪い角。何も知らないはずの場所なのに、そこがひどく危うい構造をしていることだけは分かる。


 嫌な予感とか、虫の知らせとか、そういう曖昧なものじゃない。

 なんというか、そう。もっと機械的だ。


 ――あの先は危ない。

 ――真正面から覗くな。

 ――角の手前で止まれ。


 そんな判断が、言葉になる前に頭へ入ってくる。


「……くそ」


 小さく吐き捨てて、俺は通路へ向かって一歩だけ踏み出した。

 なぜか分からない。分からないけど。

 完全に逃げるには、逆に中の様子を少しでも確かめないとまずい気がしたのだ。


 壁際へ寄る。

 靴音が響かないよう、無意識に足の置き方を変える。そこまで意識したつもりはなかったが、コンクリートの継ぎ目を避けた方が音が散りにくいと身体が勝手に動いていた。


 通路の手前で一度呼吸を整え、ほんの少しだけ顔を出す。


 見えたのは、三人だった。


 ひとりは壁際に膝をつかされている男。スーツ姿だが、ネクタイは緩み、口元には血が滲んでいた。歳は四十前後か。とてもこんなところにいるような人間には見えない。普通のサラリーマン風。


 もうふたりは、立っていた。


 黒いジャケットにキャップを被った若い男と、その少し後ろにいる細身の男。細身の方は手に何かを持っている。棒状のもの――金属バットではない。短い。警棒か、あるいは折りたたみ式の何か。


 会話までは聞き取れなかった。

 だが、空気は普通じゃないのだけは分かる。

 まともな話し合いの場じゃない。


 見た瞬間、背筋がひやりと冷えた。

 やっぱり離れるべきだ。今すぐに。通りに出て通報するのが一番。


 そう判断した直後だった。

 キャップの男が、不意に顔を上げた。


 目が合った、と思った。


 いや、正確には入口付近を見たのだろう。俺は慌てて引っ込んだが、たぶん遅かった。視線がこちらを掠めた感覚が、なぜか理解できた。


「っ」


 心臓が跳ねる。


 まずい。

 見つかった。


 逃げろ。

 今すぐ。


 頭の中で警鐘が鳴る。けれど身体は一瞬だけ硬直した。通路からここまでの距離、背後の道路、逃げ込める路地、開いているシャッター。そういうものが一気に頭へ流れ込んできて、逆に選択肢が多すぎて動けなくなる。


 その間にも、向こうで動く気配がした。


「誰だ」


 低い声が響いた。


 ああ、終わった。

 そう思った瞬間、足が勝手に後ろへ下がっていた。角から一歩、二歩。真正面に立つな。壁際へ。視線を切れ。そんなふうに身体が選んでいた。


 次の瞬間、通路の角からキャップの男が顔を出す。


 もしさっきまでの位置に立っていたら、そのまま目が合っていただろう。

 俺はもう半歩だけ引いていたせいで、男の視線はほんの少しだけ空を切る。

 だが、見られたことには変わりない。


「おい」


 男が眉をひそめた。


 その顔を見た途端、相手が素人じゃないことだけは分かった。別に裏社会の人間に見慣れているわけじゃない。だが、躊躇いの薄い目つきというのはある。怒鳴って威圧して終わり、みたいな人間の顔じゃない。


 俺は何とか口を開いた。


「……いや、すみません。道、間違えただけで」


 自分でも情けなくなるくらい、薄っぺらい言い訳だった。


 当然、男は信じない。

 むしろ、その嘘っぽさの方がまずかったのかもしれない。


 キャップの男は通路から一歩出てきて、俺を値踏みするように見た。

 その後ろで、細身の男も動く気配がする。膝をついていたスーツの男が何か言いかけたが、すぐにくぐもった呻きへ変わった。


 もうだめだ。

 見逃してもらえるような空気じゃない。


「見たか?」


 キャップの男が訊く。


「……何も」


「嘘つけや」


 その声音が、急に低くなる。

 喉が詰まった。


 どうする。

 どうする。

 逃げられるか。いや、いけるかもしれない。右へ抜ける。道幅は狭い。男との距離は数メートル。細身の方が追ってきたら――


 そんな考えがぐちゃぐちゃに回る中で、視界の端がざらついた。


 キャップの男の右手。

 ジャケットの裾。

 その膨らみ。


 武器。


 そう認識した瞬間、全身が粟立った。


 次に男が見せた動きは速かった。

 裾の内側へ手を差し入れる。何かを引き抜く。黒い塊――拳銃だと理解するのに一拍かかった。


 銃。


 テレビや映画でよく見る回転式拳銃。もちろん、現実で見るのは初めてだった。


「っ!」


 悲鳴にならない息が漏れる。

 同時に、身体が横へ飛んでいた。


 考えていない。

 考える前に動いていた。


 乾いた破裂音。

 耳の奥で何かが裂けたみたいな感覚。壁が砕け、コンクリートの欠片が頬を掠める。


 熱い。


 何が起きたのか理解するより先に、俺は地面へ転がり込み、積まれていたプラスチックコンテナの陰へ身体を滑り込ませていた。

 息がうまく吸えない。鼓動が喉元まで上がってくる。耳鳴りで音が遠い。


 撃たれた。

 今、撃たれた。


「逃がすな!」


 怒声が飛ぶ。


 頭が真っ白になりかける。

 けれど不思議なことに、周囲の形だけは異様にはっきり見えた。


 コンテナ三段。

 その向こうに半開きの勝手口。

 右側に細い脇道。

 左は開けた道路、隠れる場所が少ない。

 真正面は論外。


 逃げるなら右。

 でも相手は二人。撃たれる。

 勝手口の向こうは? 分からない。袋小路かもしれない。

 ――いや、ドアの開き方が浅い。中に何か置かれていて全開になっていない。倉庫か。通れる余地はある。


 頭の中に次々と情報が流れ込む。

 なのに、肝心の俺はただ震えていた。


「おい、出てこい!」


 キャップの男の声。

 細身の男の足音が近づく。


 まずい。

 このままだと挟まれる。


 逃げるしかない。そう分かっていても、どこかで“現実じゃない”と思いたがっている自分がいた。銃声も、頬の熱も、全部悪い夢だと。でも当然、そんなわけがない。


 細身の男がコンテナの陰を回り込もうとした、その瞬間だった。

 脇に立てかけられていたモップの柄が、視界の端でやけに目についた。


 いや、目についたというより、“使える”と分かった。

 自分でも意味が分からないまま、俺はそれを掴んで投げた。


 狙ったというより、とにかく顔の方へ。

 雑な投擲だった。だが細身の男は一瞬だけ反応し、顔を庇う。たったそれだけの隙で十分だった。


 俺はコンテナの陰から飛び出し、勝手口へ走る。


 また発砲音。

 今度はすぐ後ろ。壁へ当たった音がした。足がもつれそうになるが、とにかく前へ出る。勝手口を肩で押し開け、中へ転がり込む。


 中は狭いバックヤードだった。

 段ボール、掃除道具、金属棚。薄暗い。埃っぽい。けれど隠れる場所はある。


 後ろで足音。

 追ってくる。


「くそ、くそ……!」


 自分の声が震えているのが分かる。

 手はもうまともに動いていなかった。喉が乾き、視界の端が白くなる。それでも、なぜか“どこに立てばまだマシか”だけは分かってしまう。

 相手の視線の動き、まず部屋に入ってどこを見るかが分かる。


 棚の陰。

 その先に非常口。

 非常口の横に消火器。


 細身の男が勝手口を抜けてきた。

 拳銃を持っているのはキャップの方だけかと思ったが、そうじゃなかった。細身の男の手にも短い銃身が見えた。ただし構えが少し遅い。追うことを優先して、完全には照準を作れていない。


 その差が見えた瞬間、俺は消火器へ手を伸ばしていた。


 壁から引き抜く。

 重い。

 でも持てる。


 男が「おい」と声を上げた時には、もう振り下ろしていた。


 ぶつけるつもりなんてなかった。ただ近づかれたくなくて、反射的に投げつけた。鈍い音。赤い筒が男の肩口へ当たり、バランスが崩れる。銃口が上を向き、乾いた発砲音が狭い室内で跳ねた。


 鼓膜が裂けそうになる。


 俺は棚の陰へ身体をねじ込み、床に落ちた何かへ手を伸ばした。

 金属。冷たい。短い。


 拳銃だった。


 細身の男が落としたそれを、俺は掴んでいた。


「……っ」


 呼吸が止まる。


 持ったことなんてない。

 映画やゲームじゃあるまいし、現実の銃なんてどう扱えばいい。


 なのに、手の中の重みが妙に“収まりがいい”のが気持ち悪かった。

 グリップの角度。指の置き方。照準線の重なり方。そんなものが、触れた瞬間に少しだけ分かる。


 いや、分かった気がしただけかもしれない。

 それでも、その“気がした”ことにすがるしかない。


 棚の向こうで男が立ち直る気配。

 勝手口の方からキャップの男も入ってくる。二人に挟まれたら終わる。


 どうする。

 撃つのか?

 人を?


 喉の奥がひくついた。

 無理だ。そんなの、無理に決まっている。


 けれど、向こうはもう撃ってきている。さっき壁を砕いた弾が、あと数センチ違っていたら俺の頭か胸に入っていたかもしれない。ここで躊躇えば、死ぬのはたぶん俺だ。


「ちっ……!」


 細身の男が棚の向こうから踏み込んでくる。


 その動きが、なぜか少しだけ遅く見えた。

 遅いというより、出てくる位置が分かる。棚の隙間。足の角度。壁との距離。そこから顔を出すと、頭が来る。


 俺はほとんど目をつぶるみたいな感覚で、引き金を引いた。


 自分が想像しているよりも凄まじい音がした。

 手首が跳ねる。肩まで衝撃が抜ける。


 弾が当たったのかどうか、一瞬分からなかった。

 次に見えたのは、細身の男が身体を傾けて崩れる姿だった。腹を押さえている。血。暗い色が、服の上からでも分かる。


「……あ」


 口から、間抜けな声が漏れた。


 撃った。

 当てた。

 人を。


 吐き気が一気に込み上げる。


「てめえ!」


 キャップの男の怒鳴り声で我に返る。

 次の瞬間、棚の端が弾けた。木片と金属片が飛ぶ。俺は反射的に床へ伏せ、ほとんど這うように非常口へ向かった。


 出口。

 細い通路。

 外へ抜ければ左にフェンス、右にゴミ集積場。その先に道路。


 頭の中で、道筋だけが異様なほどクリアだった。


 非常口を蹴り開け、外へ飛び出す。

 朝の空気が肺に刺さる。後ろでまた発砲音。今度は距離がある。フェンスの支柱に火花が散る。


 走る。

 走るしかない。


 足がもつれそうになるたび、視界の端に逃げ道が浮かぶ。ゴミ箱の影、停まっている軽バン、その先の曲がり角。どこを切れば相手の射線が通りにくいか、どこで視界を切れるか、それだけを頼りに身体を動かす。


 右。

 曲がる。

 そのまま低く。

 次は道路の反対側。


 自分が何をやっているのか、もうよく分からなかった。

 考えている余裕なんてない。ただ、“そこは危ない”“そこならまだマシ”という判断だけが、息継ぎみたいに流れ込んでくる。


 背後で足音が一度だけ近づき、すぐに遠のいた。

 追ってこないのか、追えないのかは分からない。細身の男が倒れたせいで、キャップの男もそちらを優先したのかもしれない。


 それでも俺は、二つ三つ角を曲がるまで止まれなかった。


 やがて人気のある通りへ飛び出したところで、ようやく足が止まる。

 コンビニ帰りの老人が、何事かとこちらを見る。スーツ姿の女が怪訝そうに眉を寄せる。朝の街はもう、人目のある普通の場所へ戻っていた。


 俺は壁に手をついて、激しく咳き込んだ。


「はっ、……ぁ、っ」


 呼吸がうまくできない。

 吐きそうだ。

 頬が痛い。さっきの破片で切れたらしい。指で触ると、少し血がついた。


 その血の色を見た瞬間、現実感が一気に押し寄せてくる。


 そうだと、ハッと気が付いて両手を見る。さっきまで拳銃を持っていたはずだが、見当たらない。走っている途中で無我夢中で落としたのか、とにかく手元には何も残ってはいなかった。残っているのは、火薬の爆ぜた匂いだけ。


 撃たれた。

 撃ち返した。

 たぶん、当てた。いや、たぶんじゃない。倒れた。腹を押さえていた。あれは映画じゃなく、ゲームでもなく、現実だ。


「……嘘だろ」


 声が震える。

 膝から力が抜けそうになるのを、壁に手をついて何とか耐えた。


 警察。

 そういう単語が頭をよぎる。だけど、自分が通報して事情を全部説明して、それで終わる話なのか。そんなはずがない。

 そもそも銃を拾って撃った。正当防衛だとしても、それだけで済む気はさらさらなかった。


 どうする。

 どうしたらいい。


 混乱したままポケットを探る。スマホがある。取り出そうとして、手が止まった。

 誰かに見られている気がしたからだ。


 ぞっとして顔を上げる。


 通りの向こう。

 ビルとビルの隙間に近い歩道の端に、ひとりの女が立っていた。


 黒いコート。

 長い髪。

 朝の街に不釣り合いなほど、落ち着いた立ち姿。


 距離はある。顔の細部までは見えない。けれど、視線だけははっきり分かった。あの女は、こっちを見ている。


 ただ見ているだけじゃない。

 確認している。値踏みしている。そんな冷たい静けさがあった。


 知らない顔だ。

 少なくとも、俺の記憶にはない。


 心臓がまた嫌な音を立てる。


 何なんだ。

 あれもあいつらの仲間か。

 それとも、別の何かか。


 俺が動けずにいるうちに、女はゆっくりとこちらへ歩き出した。

 慌てるでもなく、急ぐでもなく。ただ当然みたいな顔で距離を詰めてくる。


 その歩き方を見ただけで、直感した。

 この女も、普通じゃない。


 逃げるべきか迷った。

 だが、さっきまでの全力疾走で脚はもう鉛みたいに重い。頭も回っていない。ここで背を向けるのが正解なのかどうか、その判断すら怪しかった。


 女は俺の数歩手前で止まった。


 近くで見ると、年齢は二十代後半くらいだろうか。整った顔立ちだが、柔らかい印象はない。朝の空気みたいに冷えた目をしている。


 彼女は俺の頬の傷、乱れた息、震える手元を順に見てから、静かに口を開いた。


「随分、派手な逃げ方をするのね」


 声は低く、よく通った。


 俺は何も返せなかった。

 返そうとしても喉がうまく動かない。


 女は少しだけ目を細めた。

 興味深いものでも見るみたいに。


「あなた、何者なの?」


 その問いに、俺はすぐに答えられなかった。


 何者なのかなんて、こっちが聞きたかった。

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