第13話 仕事の話と契約
それでは、と言ってアルフが部屋を出ていく。
金髪がふわりと揺れて、背後の扉が静かに閉まる。
その後ろ姿を、俺はなんとなく目で追っていた。
俺はソファへと身体を預けた。
とすん、と深く沈む。
ううむ、という感想しか出ない。
ほんとに、色々あるんだなあ、という、あまりにも雑な感想だけが頭に浮かぶ。世の中広い。俺が知らないだけで、こういう世界も、こういう人間もいるのだろう。そう思うしかなかった。
向かいでは、雨宮がくすくすと笑っている。
「アルフの性別を言うと、大概そうなるのよね」
なるほど、彼女の中では鉄板らしい。
少しだけ釈然としない。いや、別に男だろうが何だろうがいいんだけど、こっちが勝手に見誤っただけなんだけど、そうやって楽しげにされると、なんとなく負けた気分になる。
けれど、そのやり取りのおかげで、少しだけ肩の力が抜けたのも事実だった。
思っていたより自分は緊張していたらしい。ふう、と息が漏れる。
しばらくして、背後の扉がもう一度開いてアルフが戻ってくる。
まず、おや? と思った。
さっきまでのだぼついたパーカー姿ではなかった。
今度は、きっちりした執事服に身を包んでいる。黒を基調にしたシックな仕立てで、白いシャツとタイがよく映える。手にはワゴン。上には湯気を立てるコーヒー。
いつの間に着替えたんだ、と思う。
けれどそれ以上に目を引いたのは、表情だった。
さっきまでの溌剌とした明るさが消えている。
笑顔はない。
かといって無愛想というわけでもなく、よく訓練されたような自然な顔。
ワゴンを止め、カップをソーサーごとすっと俺の前へ置く。
所作が丁寧で、これもさっきの印象とまるで違う。
「アルフも、うちの仕事をしてくれてるの」
雨宮が呟くように言った。
「彼、小さいでしょう。ああやっていると、“対象”が油断するのよ」
その言葉を受けて、アルフがぺこりと頭を下げる。
「はい。“その手”の方々を相手取ることもありますので」
さっきとはまるで違う声色だった。
明るさを削ぎ落とした、平坦で静かな声。年齢まで少し上に聞こえる。
ぞくり、と背筋が冷える。
「普段はさっきみたいな感じだけど、身内だけの時はこれが普通よ」
雨宮が視線を送ると、アルフは一礼して応える。
「世の中、いろんな人間がいるわ」
雨宮は紅茶のカップを持ち上げ、目を伏せながら続けた。
「それに、そういう連中は、ただ殺すだけじゃ駄目な時もあるしね」
殺す。
その単語が、あまりにも自然に吐かれた。
どきり、とする。
成り行きで、今までそういうコトになってきたことは認める。
でも、いざ“仕事の内容”としてその言葉を正面から聞かされると、また違う感覚だ。
ごくり、と喉が鳴る。
アルフは俺の前のコーヒーを一度だけ見て、軽く頭を下げると静かに部屋を出ていった。ワゴンの車輪が小さく離れていく。
部屋に残ったのは、雨宮と俺だけだ。
淹れたてのコーヒーの香りが立つ。
「……それで」
俺は、目の前のコーヒーを見た。湯気がまだ細く立っている。
「今日の話っていうのは?」
先ほどまでの喉の渇きを忘れて、ペロリと唇を嘗める。
* * *
「ああ、ごめんなさい」
雨宮はそう言って、少し座り直した。
足を組み替え、ソファに深く腰を預ける。
「まずは、うちの仕事の話からね。喫茶店では仲介、としか言ってなかったけど、実際にはもう少し色々やってるの」
そう言いながら、右手を軽く持ち上げた。
「一つ目」
人差し指が立つ。
「この前みたいな尾行とか、最初あなたが見た時みたいな取り立てとか。簡単な確認、回収、監視。そういう軽い仕事」
軽い、という言い方に少し引っかかる。
いずれの時も死人が出そう、ないしは実際に出たんだが、まぁ特殊な例なんだろうな。
「これは、まあ外部登録してる人間向けみたいなものかしら」
「派遣、みたいな」
「そうね。乱暴に言えば」
彼女の人差し指を見ながら、妙に身近な話にも聞こえるなと思った。
派遣。
バイト。
外部登録。
言葉だけだと、どこかの物流倉庫でも聞くような単語、だが中身がまるで違う。
「二つ目」
中指が立つ。
「警備とか警護、対物対人のガード。護送や待機、身辺整理。ある程度信用できるようになった人間は、こっちへ回すことが多いわね」
雨宮は少しだけ顎を引く。
「うちのボリュームゾーンは、ここ」
なるほど、と素直に思う。
尾行や回収だけならある種適当な人材でもどうにかなるかもしれない。
けれど、警備や警護となるとそうはいかない。相手を守るということは、ある程度人間性も見なければ任せられないはずだ。信頼できるかどうか。命令を守るかどうか。逃げないか、裏切らないか。
そういう意味でも、難しい仕事なのだろう。
「で、最後」
薬指が立つ。
雨宮は、そこで少しだけ間を置いた。
勿体ぶるように。
「潜入、殲滅、暗殺」
その三つの単語が、部屋の中へ低く落ちる。
空気が変わった気がした。
ほんの少しだけ、雨宮の瞳から光が引いたように見える。トーンが一段、底の方へ沈んだような、そんな感じだった。
彼女は、トス、と軽い音を立ててソファの背へ寄りかかる。
「さっきまでの二つは、あくまで表。といっても、だいぶグレーだけどね」
その顔は、もういつもの雨宮に戻っている。
それでも、一度見てしまった陰は消えない。脳裏に薄く残ったまま、こっちをじっと見ている気がした。
「本命はこっち」
さらりと言う。
「代々、そういう関係の仕事をしている家系なのよ」
「……俺みたいな、ぽっと出に」
気づけばそう言っていた。
「そんな話、してもいいんですか」
そう、そこだ。
普通、こんな話は出会って数日の男にするものじゃない。少なくとも、俺の感覚ではそうだ。
「ええ。構わないわ」
雨宮は、驚くくらいあっさり答えた。
「話したところで、あなたに今どうこうできるわけでもないし」
そこで一つ区切る。
「何より」
そう言って、雨宮がずい、と前へ身を乗り出した。
ソファの沈み込みがわずかに変わる。
距離が近くなる。
「貴方は、こっちの住人。そうでしょ?」
にやり、と。
黒い嗤い、とでも言えばいいのか。そんな種類のものが、その整った顔に貼りつく。
心の中まで覗き込もうとするような視線だった。
どくり、と胸が跳ねる。
否定したい。
否定しなきゃいけない、と思う。
でも、なぜかすぐには言葉が出なかった。
この数日で、自分の中に何かがずれた感覚がある。
倉庫で荷物を運んで、夜勤明けにゲームして、ぼんやり眠っていた人間と、いまの自分が本当に同じなのか分からなくなる瞬間がある。
銃を持った時の感覚。
照準が重なる感触。
引き金を引いた時の手応え。
あれが、自分に馴染みすぎていた。
昔から、ここにいたみたいに。
こういう世界の空気を、どこかで知っていたみたいに。
あり得ない。
そんなのは錯覚だ。
分かっているのに、否定が少し遅れる。
俺は首を振った。
「……俺には、分かりませんね」
やっと、それだけ絞り出す。
雨宮は「そう」とだけ言って、何も追わなかった。
そのまま体を引く。
「まあ、それは置いておくとして」
何事もなかったみたいに、彼女は最後の一口らしい紅茶を飲み干した。
「貴方には、引き続き仕事をお願いしたいのよ」
「……その仕事っていうのは」
薄々分かっている。
「そう」
雨宮が笑う。
「最後の仕事」
潜入。
殲滅。
暗殺。
答えを聞いた瞬間、不思議なことに、自分の口角がほんの少しだけ上がるのが分かった。
怖いはずなのに。
警戒するべきなのに。
でも、そこで完全に拒否へ傾けない自分がいる。
そんな自分が正しい姿なんじゃないかと、頭の片隅で考え始めていた。
* * *
詳しい依頼内容はまた後で。
今日は、そこまでの確認で終わりらしかった。
ちょうどいいタイミングを見計らっていたのか、再び扉が開き、アルフが入ってくる。ワゴンの上には小さな箱が一つ載っていた。
雨宮の空いたカップを取り、その後、俺の前の手つかずのコーヒーへ視線を落とした。
一瞬だけ、ほんの少しだけ動きが止まる。けれど何も言わず、そのままカップを下げた。
……すみません。
心の中でだけ謝る。
そのまま帰るのかと思ったが、アルフはワゴンを脇へ寄せ、雨宮の斜め後ろに控えるように立った。
おや、と思っていると、雨宮が口を開く。
「仕事の連絡とか、そのあたりだけどね。今後はアルフが貴方のサポートにつくわ」
少し申し訳なさそうに笑う。
「私も忙しくて、ごめんなさいね」
アルフがこちらへ軽く頭を下げる。
確かに、ここまで聞いているだけでも、雨宮が色々手を広げているのはなんとなく分かる。忙しいのも不思議じゃない。
けれど、それとは別に、俺の中にはひとつずっと引っかかっていたことがあった。
聞くつもりは、ほんとはなかった。
聞いたところで、まともな答えが返るとも思っていない。
でも、口から出てしまった。
「……なんで、俺なんです?」
部屋の空気が少しだけ止まる。
雨宮は顎に人差し指を当てて、「ううん?」と首を傾げた。
その仕草が少しばかりわざとらしく見える。
代わりに答えたのは、アルフだった。
「お嬢様は、よく人を拾われますから」
淡々とした口調。
「私も、同じようなものです」
「あら、言うわね?」
雨宮がアルフを見て笑う。
納得できたような、できなかったような答えだった。
“人を拾う”。まるで捨て猫でも見つけたみたいな言い方だ。
それ以上の説明はなさそうだったので、俺は曖昧に頷いておくしかなかった。
「それと」
雨宮が、ワゴンの上の箱を手に取る。
「これを渡しておくわね」
箱を開け、中から取り出したのは、革製らしい濃い茶色のブレスレットだった。中央には、鈍く金色に光るプレートがついている。派手ではない。むしろ地味なくらいだ。
「はい」
差し出され、受け取る。
見ても、特に何も刻まれていない。
ただの革のブレスレットにしか見えない。
「うちと契約を結んだ証みたいなものよ」
雨宮が言う。
「ぱっと見は何の変哲もないけど、見る連中が見れば分かるわ」
なるほど、と思ってアルフを見ると、たしかに左手首に同じようなものが巻かれていた。金のプレートが小さく光る。
「これを受け取ったら、うちと正式に契約を結ぶことになる」
雨宮は俺を見る。
「それでもいい?」
最後の確認、という雰囲気だった。
けれど、その口調には、俺が断ることはないだろうという確信みたいなものが滲んでいる。
俺自身も、そう思っていた。
だから答えは短かった。
「ええ」
自分の声が、思ったより平坦に響く。
俺はブレスレットを左手首へ巻いた。
きつすぎず、緩すぎない。動きの邪魔にならない、ちょうどいい締まり具合だ。
「ありがとう」
雨宮がにこりと笑う。
それから、本当に何でもないことみたいな調子で付け加えた。
「そうそう。そのブレスレットを認識した上で襲ってくる奴がいたら、殺していいわよ」
一瞬、言葉の意味が遅れて入ってくる。
買い物のついでに何か一品薦めるみたいな軽さで言うなよ、と思う。
さすがに、その一言へは軽々しく頷けなかった。
革はまだ新しく、少しだけ硬い。
金のプレートは静かに光っている。
それは装飾品というより、目に見える首輪みたいに思えた。




