第10話 物騒な買い物
昨日、家に帰ってきてからの記憶がほとんどない。
帰り道では案外平然としていた気もする。
駅からの道も覚えているし、部屋の鍵を開けた感覚も、靴を脱いだところまではうっすら残っている。けれど、その先がない。
気がつけばベッドの上だった。
服も脱がないまま、シャワーも浴びず、横になったというより倒れ込んだのだろう。目を覚ました時には、体の節々がバキバキと痛んでいた。肩、腰、腿の裏。緊張で無理やり固めていたものが、寝ている間に一気にほどけたみたいな鈍い痛みだった。
天井を見上げたまま、しばらく動けない。
昨日のことが、頭の奥に重たく沈んでいる。
重い気分を更に追い打ちをかけるように、匂いに気が付いた。
服が昨日のままのせいだ。
乾いた埃っぽさに混じって、ほんの少しだけ火薬の匂いが残っている。寝る前は気づかなかったが、たぶん、テンションがおかしかったのかもしれない。一晩経って、部屋の空気の中でようやく分かるくらいの薄さになっているのに、それでも鼻についた。
幸い、と言っていいのかは分からないが、血の匂いはしなかった。
「……はあ」
小さく息を吐いて、上半身を起こす。
頭は重いが、二日酔いみたいな種類ではない。もっと別の何かだ。眠ったはずなのに、寝た気がしない。
とりあえず、シャワーを浴びようと思った。
* * *
熱い湯を浴びる。
肩から背中へ流れ落ちる湯が、昨夜から張りついていた何かを少しずつほぐしていく気がする。頭も流して、顔も洗って、目を閉じたまましばらく立っていた。
多少は、すっきりした。
もちろん、気分が晴れたわけじゃない。
ただ、身体の表面にこびりついていたざらつきが少し落ちただけだ。
脱ぎ散らかした服を洗濯機へ突っ込もうとした、その時だった。
どさり、と茶封筒が床へ落ちる。
続いて、はらりと軽い音を立てて紙が一枚。
そこで、昨日のことがまざまざと思い出された。
廃工場。
銃声。
倒れる男。
茶封筒。
商人への地図。
「……ほんとに、殺したんだよな」
声にしてみると、胸の奥へとずしんと響く。
だけど、もっとこう、ドラマや漫画で見るみたいに、自責で吐くとか、震えて何もできなくなるとか、そういう反応が来るのかと思っていた。だが、どうやら俺はそうじゃなかったらしい。
当然、気分は重い。
鬱々ともする。
人を殺したという事実は、付きまとって離れない。
けれど、それと同時に、妙な快感があったのも事実だった。
狙って、引き金を引いて、当たる。
それだけのことが、自分の中でずっと足りていなかったピースが、急にひとつ嵌ったみたいにしっくりきていた。
ゲームをしているだけでは得られなかった感覚。
手の中の重み。
反動。
照準が合う感覚。
当たったという確信。
そこを思い出した瞬間、ぶるりと身体が震えた。
寒かったわけじゃない。
湯上がりの身体の中を、何か別の感覚がざっと駆け抜けたのだ。
いかんいかん、と頭を振る。
こんなのを気持ちいいと思い始めたら、本当に終わる。
そういう直感だけは、はっきりあった。
茶封筒と紙を拾い上げる。
持っていた服はそのまま洗濯機へ放り込み、洗剤も適当に入れてスイッチを押す。どうせ安物だ。クリーニングに出すような服でもない。
部屋着に着替え、椅子へ座る。
流れでPCの電源を入れ、それからスマホを見る。
昨日の後、雨宮たちは現場の片づけやら何やらをしていたのだろう。
あとで詳しい話を、みたいなことも言っていた。だが、今のところ連絡は入っていない。
少しだけほっとして、同時に少しだけ落ち着かない。
この感じも、たぶんだいぶよくない。
* * *
茶封筒の中身を机の上へ出した。
どさり、と鈍い音がする。
札束がひとつ。
いわゆる帯付き、というやつだ。
念のため数える。きっちり百万。
当然、こんな大金を現金で見たことなんてなかった。
そもそも、手渡しで給料をもらったこと自体ほとんどない。振り込みならただの数字だ。数字なら、どれだけ大きくても現実味が薄くなる。けど、紙の束は違う。嫌でも“ここにある”と分かってしまう。
「……百万、か」
呟いてから、もう一度札束を見る。
多いのか、少ないのか。
たぶん、それは人によるのだろう。
雨宮にとっては、これでもはした金なのかもしれない。
俺にとっては、普通に働いてそう簡単に掴める額じゃない。しかもたった一晩で、だ。
このまま彼女の仕事を受けていけば、もっと稼げるのだろうか。
当然、法に触れることをさせられる可能性が高いのは分かっている。
いや、可能性も何もない。もう人を撃っている時点で、そんなものは十分すぎるほどわかってることだ。
それなのに、反動のせいか、それでもいいか、という半ばやけくそみたいな考えが浮かぶのも事実だった。
もう一度、頭を振る。
駄目だ。
こういう時にあまり考えすぎると、変な方向へ転がる。
俺は机の上のもう一枚、地図の紙へ手を伸ばした。
簡単なランドマークと、曲がり角らしい線。
裏返すと、数字がひとつだけ。
『13』
俺の前に十二人いるという意味なのか。
それとも適当に割り振っただけの数字なのか。
分からない。
そもそも雨宮の口ぶりからすると、何かしらの組織に属しているか、少なくとも一定の連中と提携しているようだった。けれど俺が知っているのは、雨宮と、昨日の清掃業者みたいな男たちと、駅まで送ってくれた、がたいのいい男くらいだ。
あいつらは、どちらかといえば下っ端、悪い言い方をすれば使い潰しのきく連中。
じゃあ、どれくらいの規模感なんだろう。
もしかしたら、話の流れ次第では、その辺も聞けるかもしれない。
……聞いたところで、だからどうしたって話かもしれないけれど。
さて、地図だ。
住所の記載はない。
大まかなランドマークだけ。
マップで探せば見つかるかもしれない。
PCで地図アプリを開き、紙と照らし合わせる。
駅名、通り、近くにある古い公園。しばらく見ていると、だいたいの場所は分かった。
電車で少し行ったところ。
繁華街からは少し外れているが、人通りはそれなりにある場所だ。家からなら片道一時間弱、といったところか。
ちらりとスマホを見る。
ちょうど朝の八時。
朝飯でも食いに出るついでに、行ってみるか。
そんなことを思ってしまうあたり、自分でももうだいぶおかしくなってきた自覚はある。
クローゼットから適当な服を引っ張り出し、リュックを取り出す。
茶封筒はそのまま中へ放り込む。雨宮の名刺と、地図の紙も一緒だ。
リュックの中で百万が主張している感じがして、少しだけ落ち着かなかった。
* * *
遅めの朝食か。
早めの昼食か。
どちらともつかない時間だったせいか、馴染みの牛丼チェーンは空いていた。
カウンター席に座り、ほとんど味わう余裕もないまま牛丼をかっ込む。久しぶりだったけど、相変わらずチープなくせに旨い。
店を出る頃には十時を少し回っていた。
よし、行くか。
そう思って歩き出してから、ふと疑問が浮かぶ。
……そもそも、こんな真っ昼間から開いているような店なのか?
雨宮の紹介。
ということは、少なくとも“そういう仕事”に関連する店のはずだ。そういう店って、もっと夜とか、それこそ深夜とか、そういう時間にこっそり開いているものじゃないのか。いや、何をもって“そういう店”と決めつけているのか自分でも分からないが。
だが、そんなことを考えているうちに、目的地へ着いてしまった。
古びた木造二階建て。
通りに面したガラスのショーケースはきれいに磨かれていて、その中に懐中時計や小さめの柱時計が整然と並んでいる。年月を感じる建物なのに、ガタが来ている感じはない。ちゃんと手入れされている店構えだ。
『マッカートニー時計館』
「……時計屋」
思わず口に出る。
いや、まあ、名前通りだ。
だが、もっとこう、怪しげな店構えを想像していた。裏口から入るとか、看板のない古書店みたいなものとか。普通に時計屋じゃないか。
ドアに掛かった札は OPEN 。
よかった、開いているらしい。
それでも少しばかりどきどきしながら、ドアへ手をかける。
チリン、と。
ベルの音がお淑やかに鳴る。
店内もまた、綺麗に整っていた。
ガラスケースがいくつか置かれ、小さなカウンターがあり、その脇には作業台らしい机。見たこともない器具が整然と並んでいる。壁にはさまざまな時計が掛けられていた。デジタル時計みたいな新しいものから、いつの時代だよと聞きたくなるような木製の古い時計まで、雑多なのに不思議とまとまりがある。
しばらく見回してから、店の人は、と視線を巡らせたところで、カウンターの裏からひょこりと小さな男が顔を出した。
少し背が曲がっている。
丸眼鏡。
眉間に深く皺が刻まれていて、つるりと禿げ上がった頭の一部には、テレビでしか見たことのない、片目に付ける顕微鏡みたいな器具を引っかけていた。
偏屈そうだ。
だが、時計屋の店主としては妙にしっくりくる。
店の名前からして、もしかしたら外国人かと少しだけ身構えていたので、普通に日本人らしい顔立ちだったことに妙な安心を覚える。英語は苦手だ。少しなら聞けても、まくし立てられたらお手上げだ。
「いらっしゃい」
店主は短くそう言い、よっこいしょ、と声を上げながらカウンターの横の扉を開けて出てきた。
「若いのに、こんな店に来るたぁ珍しいね。修理かい」
俺より頭ひとつぶんは低い位置から、少しばかり見上げてくる。
修理。
たしかに、初見の時計屋に来る理由といえば普通はそれだろう。
だが、俺はそうじゃない。
首をゆっくり振りながら答える。
「いえ、すみません。雨宮っていう人から、こちらを紹介されたんですが……」
その名前を出した瞬間、店主の片眉がぴくりと上がった。
「……ふむ」
低く鼻を鳴らす。
「嬢ちゃんの紹介か。何か貰っとるかい」
言われて、ジャケットの内ポケットから紙を取り出す。
店の地図と、仮IDの数字が書かれている紙だ。
それを渡すと、店主はまず地図を見て、次に裏の数字を見る。もう一度ひっくり返し、親指で紙を二、三度こする。何を確認しているのか分からないが、納得したらしかった。
紙をこちらへ返してから、「ちょっと待ってな」と言う。
そのまま店の外へ出ると、ドアの札をひっくり返し、シャッターを半分下ろした。
店内へ戻ってきて、鍵をかける。
「付いてきな」
店主はそう言うと、カウンターの裏へ入っていく。
一瞬、どうしたものかと思ったが、ここで立ち尽くしていても仕方がない。待たせる方がまずい気がして、慌てて後を追う。
店主が消えた方へ向かうと、床板の一部が持ち上がっていた。
そこに、地下へ続く階段がぽっかり口を開けている。
奥は暗い。
下がどうなっているのか、ここからでは見えない。
「足元、気ぃつけな」
そう言って、店主は慣れた様子で先に降りていく。
俺もおっかなびっくり、一段ずつ慎重に下りた。
先に下へ着いた店主が壁のスイッチを押す。
ぱちり、と小さな音。
それと一緒に、通路の脇へ埋め込まれた小さな照明が順に点いた。
コンクリートで囲まれた細い通路。
壁沿いに小さな明かりが続き、奥の方へ伸びている。ところどころに空気穴らしきものがある以外、装飾の類はない。ひどく無機質だ。
階段を下りきると、店主は何も言わずに先を歩いていく。
俺も黙ってついていくしかなかった。
少し進んだ先に、頑丈そうなドアがある。
店主は腰のあたりから鍵束を取り出し、ガチャガチャと何度か回してドアを開けた。
その先を見て、俺はしばらく言葉を失った。
中は、ある意味では想像通りで。
ある意味では、その想像をだいぶ越えていた。
広さは、上の時計屋と同じくらいか少し広いだろうか。
だが置かれているものがまるで違う。
壁沿いのショーケースが四つ。
その中には分解された部品や、黒く鈍い金属の塊。
壁にはガンラックが掛けられ、数十丁はありそうな銃器が並んでいた。拳銃だけじゃない。長物もある。ナイフや、刃の長いものまで混ざっている。
棚には種類ごとの弾薬が詰め込まれ、鈍い光を放っていた。
さらに奥。分厚いガラスで区切られた向こう側には、映画で見たことのあるようなシューティングレンジ。仕切りが並び、その先には的らしきものが見える。
俺はたぶん、数秒か、あるいはもっと長く、間抜けな顔でそれを見ていたと思う。
店主はその反応に何も突っ込まず、部屋の隅にあるカウンターの中へ入っていった。椅子へ腰を下ろし、煙草に火を点ける。紫煙がゆっくり上へ立ちのぼる。
「……さて」
煙を吐きながら、店主が言った。
「雨宮の嬢ちゃんの紹介で、数字持ち。出せるもんは、ここにあるやつまでだ」
ここにあるやつまで、という言い方に思わず眉が動く。
つまり、まだ上があるのか。
コレでも十分すぎるくらい物騒なのに。
ざっと見ただけでも、拳銃からライフル、ショットガンまで一通り揃っている。ないとすれば本格的な狙撃銃くらいだろうか。いや、それも奥のどこかにありそうな気がする。
「一応、目星をつけたやつなら、そっちで試射してもらうことになる」
店主が顎でレンジの方をしゃくる。
「難癖つけられても困るんでな」
また煙を吐く。
え、マジで銃買うの? この日本で?




