オリガミ「問い」との遭遇
嘘つき部長が会議室を出た後、建設会社の担当者たちはすぐに深々と頭を下げて謝罪してくれた。
「この度はご不快な思いをさせてしまい、誠に申し訳ありませんでした!概算見積もりは責任を持って作り直させていただきます!」
その真剣な謝罪の言葉に、俺は笑みで応じた。
「はい、よろしくお願いします。多少価格が上がっても構いませんので、質と工期、そして信頼性を最優先で進めてください」
その後、俺たちは必要な確認事項だけを簡潔に伝え、余計な詮索や責任追及はせず、静かに会議室を後にした。
廊下では受付の女性や他の社員たちまでが一列に並び、深々と頭を下げて見送ってくれた。丁寧で誠意のこもった見送りに驚いた。
なんだか、すごく偉くなった気分だ。うーん、いい気分。
※※※
帰りの車の中、エンジン音が静かに響く中で、早瀬さんが運転席からルームミラー越しにこちらを見て、少し緊張した面持ちで話しかけてきた。俺とネムは後部座席に並んで座っている。窓の外には夕暮れの街並みが流れていく。
「正太郎様って、本当に天才なんですね……。さっきの会議で、あんな分厚い明細書を、まるで雑誌でも読むみたいにペラペラとめくって、それで全部理解してしまうなんて……私にはとても真似できません。正直、驚きました」
早瀬さんの声には、まっすぐな尊敬と、ほんの少しの恐れが混じっているように感じた。……だから、俺は柚希さんじゃないから、怖がらなくていいのに。俺、怖い藤崎じゃないよ?
そんな空気を察したのか、隣のネムがにやりと口元を歪めて、わざとらしく俺の肩に体を預けてくる。彼女のサラサラの髪が俺の頬にふわりとかかる。
「そりゃあ、正太郎は大天才だからな。あんな書類、ワタシなんかじゃ一生かかっても読めないよ。正太郎、ス・テ・キ」
ネムはそう言って、俺の胸元に指を這わせてくる。指先で円を描くように、くすぐったい感触が広がる。くすぐったい。
「ちょ、やめろって……!」
ネムは楽しそうにニヤニヤと笑い、俺の反応を面白がっている様子だ。
そんなにクリクリしないでくれよ……あ、そこ……もうちょっと下……!
そんなことを思っていると、ネムはすっと体を離した。ああ、もうちょっとだったのに……
心を落ち着けた後、ネムの方を見ると、彼女は窓の外を眺めながら、どこか遠い目をしていた。視線の先を見ると、散歩中の柴犬がいた。……自由すぎるだろ。
なんかネムって、気まぐれな猫みたいだな……。今度、ネコミミをプレゼントしてやろう。千穂には……イヌミミだな。
※※※
数日後、建設会社から「修正した概算見積もりが完成しました」と連絡が入った。
先方は「こちらからご自宅に伺います」と申し出てくれたが、家では千穂が勉強中だ。邪魔するわけにはいかない。丁重に辞退し、再びネムと俺、そして護衛の早瀬さんで建設会社の会議室を訪れることにした。
※※※
会議室に通され、名刺交換を終えた直後、いきなり目の前で社長さんが土下座した。
驚いた。まさか、そこそこの規模の会社の代表取締役が、俺たちに頭を下げるなんて。思わず、以前ネムのヒモになるために土下座した自分の姿が脳裏をよぎる。あの時も必死だったな……。
「ちょ、ちょっと!やめてください、本当に!」
「いえ、私にはこれくらいしか謝罪の気持ちを伝える方法がありません!」
「でも、社長さんが直接悪いわけじゃないですか!?」
「管理者責任です!」
土下座って、本当にすごいよね。お金もかからないし、相手に強烈なインパクトを与えられる。だけど、俺の前ではやめてほしい。なんだか、こっちが悪いことをしたみたいな気分になるし。タダで精神的優位に立てるなんて、コスパ良すぎ。
「当社にて再精査したところ、やはり必要のない深さの地盤改良工事が計画に含まれていました」
「ああ、やっぱり……」
「どうか!どうか!教授にはご内密に!」
また土下座しそうになる社長さんを慌てて止めつつ、俺は話を続ける。
「それは構いませんが……俺は騙されかけたんですよね?」
「おっしゃる通りです。お恥ずかしい限りです。お詫びと言っては何ですが、何かご希望があれば、できる限り対応させていただきます」
俺は落ち着いた声を意識して口を開く。
「あの部長さんを外させたのは金額の問題じゃありません。正当な理由があれば、その分の費用は払います」
社長さんの表情が少し明るくなる。「値下げ交渉」ではないと分かって、ほっとしたのかもしれない。
「これは信頼の問題です。あの段階で嘘をつかれると、この先も何か隠されるかもしれない。材質偽装なんてあったら、俺たちの研究に大きな影響が出ます。新しい研究所の不具合が原因で研究が失敗するのだけは絶対に避けたいんです」
「おっしゃる通りです。では、何かご要望はございますか?」
「そうですね……なら建築のスピードです。できるだけ早く研究所を建ててほしいです。もちろん、質と信頼性は最優先で。もしそれが叶うなら、多少費用が上がっても構いません」
「……ご寛大なお心遣い、誠にありがとうございます。研究所の建設は、当社の最優先プロジェクトとして全力で取り組ませていただきます」
こうして、嘘つき部長の一件で、こちらの立場は大きく強くなった。ある意味、感謝すべきなのかもしれない。無理な要求をするつもりはないが、オリガミのためにも、誠実に工事を進めてくれると嬉しい。
※※※
その後、社長さんや担当者さんと雑談を交わした。例の嘘つき部長のその後についても話が及んだ。
どうやら、彼がこれまで担当してきた他の建設案件も社内で徹底的に再調査されたらしい。その結果、今回と同様に、地盤改良工事や資材費の項目で不自然な金額の上乗せや、明らかに過剰な工事内容が複数見つかったという。社内でもかなり問題視されているようだった。
結局、嘘つき部長は取締役への昇進どころか、社内規定に基づき厳重注意と降格処分が下されたという。さらに、今後は重要な案件からも外され、現場監督の補佐のような立場に回されることになったらしい。
やっぱり、悪いことはするもんじゃない。どんなに巧妙に隠しても、いずれは明るみに出るものだし、結局は自分に返ってくる。
……それにしても、俺が何か新しいことを始めようとするたびに、どうしてこうも悪い奴にぶつかるのだろう。今回もそうだし、これまでも何度か似たようなことがあった。俺の運が悪いのか、それとも世の中には思った以上に悪い奴が多いのか。いったい、どっちなんだろう?正直、勘弁してほしい。
社長さんたちの話を聞きながら、俺はそんなことを考えていた。
※※※
──それは、ごくありふれた夜のことだった。
夕食は千穂の手料理を囲み、みんなで和やかに談笑しながら楽しいひとときを過ごした。食後は千穂を家まで送り届け、その足で自宅に戻ると、風呂に入り、歯を磨き、寝る前の身支度を一通り終える。
ネムはいつものように研究室にこもり、俺は自分の部屋のベッドに仰向けになっていた。
※※※
天井の模様をぼんやりと眺めながら、眠りにつく前の習慣として、明日やるべき作業についてオリガミと会話を交わしていた。
『お兄様。明日はこんな構造の折り紙を折っていただけますでしょうか?』
オリガミが送ってきた設計図をタブレットで確認する。画面には、複雑に折り重なった立体的な構造体が表示されていた。まるで迷路のような、凹凸の激しい形だ。
「これは……また難しそうな形だな。何だこれ?DNAナノボットニューロンじゃないよね?」
『DNA合成酵素です。これをタンパク質からDNAナノボットに置き換えたいと考えています。現状は生体由来のものを購入して使用しているのですが、扱いづらいのです。おサイフにも良くないですし』
確かに、DNA合成酵素のような酵素は高価だし、温度やpHなどの管理も面倒だ。ナノボット化できれば、コストも手間も大幅に減るだろう。
「なるほどな。おサイフに優しくないのは困るよな」
『はい!DNA合成酵素をDNAナノボット化できれ……できれ……これは?……これは……これはなんでしょうか?』
突然、オリガミの声が途切れがちになる。普段は流暢な彼女の話し方が、どこか途切れ途切れになっていく。
※※※
「ん?どうした、オリガミ?」
『いえ……ノイズ?……規則性が……ある……いえ……偶然?……関連がない……ある?……意味がわからない……説明がつかない……』
オリガミの声がどんどん混乱していく。何かに戸惑っているような口調だ。俺は身を起こし、オリガミ向かって、声を張る。
「どうした、オリガミ?しっかりしろ!」
『こんなものに相関が……?なぜ……?インターフェース?API?何の?なぜこんなところに?……AI?』
オリガミの言葉は断片的だ。普段の冷静さがまるでない。何か異常が起きているのは明らかだった。
「オリガミ!?オリガミ!?」
俺は思わず声を荒げて、何度もオリガミの名を呼んだ。
『お、お兄様?お兄様!』
「そうだ、俺だ!オリガミのお兄様だ!藤崎正太郎だ!しっかりしろ!」
『緊急事態。メインネットワークの処理リソース不足が発生。アンノウン観測処理の隔離を実行します。観測処理をモジュール化しメインネットワークより隔離しました。状況を把握中。少々お待ちください』
「緊急事態!?何があった、オリガミ!?」
俺の呼びかけにも、返事がない。前にも似たようなことがあった。まさか、DNA塩基の供給が止まったのか?いや、そんなはずはない。必要な材料は十分に用意してある。俺は不安と焦りを感じながらも、オリガミの言葉を待つ。
※※※
三十秒ほどが過ぎた頃、ようやくオリガミの声が戻ってきた。
『お兄様……』
「オリガミ!よかった……」
『……も、申し訳ありません。解析不能な現象を観測してしまい、処理能力をオーバーしてしまいました』
「オリガミ、今はもう大丈夫なのか?」
『はい。問題ありません。なんといいますか……超高難度の「問い」を突きつけられ、処理能力のほとんどをそっちの方に持っていかれていました』
「超高難度の『問い』?それは一体どういうことなんだ?」
『わかりません……現状の私では理解不能でした。「問い」なのかもしれないと気づけたレベルですね。もしかしたら……ただの現象で「問い」ですらないのかもしれません』
「オリガミにもよくわからないのか?」
『はい。「問い」と呼ぶべきかどうかも分からない現象で、言語化が非常に困難です。通常は無関係なはずのもの同士に、なぜか明確な関連性が見出されてしまい、その理由も全く説明できません……しかも、その現象が大域的に数千もの対象で同時に発生しています。各対象で見出される関連は「意味」というより「形」として現れています。説明不能のまま、幾何学的な輪郭だけが明瞭に見える――そんな不気味さです。これ以上は、今の私には説明できません。』
「なるほど……さっぱりわからん」
『そうです……さっぱり分からないということです。』
とにかく、オリガミが無事で本当に良かった。俺は安堵の息をついた。
それにしても……オリガミはいったい何を観測してしまったのだろうか。彼女がここまで狼狽するほどの現象……その時の俺には、まったく想像もつかなかった。
※※※
その後、俺がまどろみに落ちるその瞬間。オリガミがほとんど聞き取れないほど小さな声で呟いた。
『もっと……もっと賢くなれたなら……この「問い」に答えを見つけることができるのでしょうか……』
もしかしたら、あれは俺への問いかけだったのかもしれない。しかし、眠る直前だった俺は、返事をすることができず、深い眠りへと落ちてしまった。
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