建設会社の嘘つき部長
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イヌガミが我が家にやってきてから、千穂の生活は大きく変わった。
もともと俺とネムは自室や研究室にこもりがちで、千穂はリビングで一人で勉強している時間が多かった。でも最近は、イヌガミといっしょにいれて、すごく楽しそうにしている。千穂は寂しかったのかも知れない。
イヌガミは話せないが、千穂のそばにぴたりと寄り添い、千穂が勉強を始めると静かに見守る。千穂が疲れた様子を見せると、前足でちょんちょんと千穂の足をつついたりして、「そろそろ休憩しよう」と促したりする。千穂がストレッチを始めると、イヌガミも真似をするような動きをしたりしていた。
千穂のやる気が、どうしても出ないときは、例の俺の動画も見せたりしているらしい。恥ずかしいが、千穂の集中のためだ。仕方ない。
そんなこんなで、千穂は以前よりもずっと集中して勉強に取り組めるようになっていた。今やイヌガミは、千穂の受験勉強に欠かせない存在だ。
イヌガミを迎えて、本当に良かった。これなら千穂の大学受験も……なんとかなる……受かるといいな。
※※※
さて、千穂の受験勉強をサポートするのはイヌガミに任せて、俺は俺のやるべきことをやらねば。
今日は、建設会社との打ち合わせの日だ。いつものリモートでの打ち合わせと違い、今日は対面での打ち合わせだ。簡易設計が終わったとのことで、概算見積もりを今日もらえるらしい。
俺は、気を引き締めて、打ち合わせに臨む準備をした。
※※※
俺とネムは、自宅前まで迎えに来てくれた黒塗りの高級車に乗り込んだ。運転席には、いつもの護衛である早瀬さんが待機している。
「今日もよろしくお願いします」
俺がそう言うと、早瀬さんも短く挨拶を返してくれる。最近は、早瀬さんの俺への態度がぎこちない。なんか……怖がられてるような?俺は柚希さんじゃないから、安心していいのに。
ネムが最初に車に乗り込み、俺はその隣に腰を下ろした。車内は静かで、エンジン音だけが微かに響いている。目的地である建設会社の本社ビルまでは、渋滞もなくスムーズに進んだ。
やがて、立派なオフィスビルの前に到着する。早瀬さんが先に降りて周囲を確認し、俺たちをエントランスまでエスコートしてくれる。自動ドアを抜けて受付カウンターに向かうと、受付の女性がにこやかに応対してくれた。
「本日、研究所建設の打ち合わせで伺いました、藤崎です」
「お待ちしておりました。ご案内いたします」
受付さんが内線で担当者に連絡を取ると、すぐにスーツ姿の男性が現れた。今回は、黒田エステートの時のように待たされることもなかった。きっと、これが普通なんだろう。
※※※
担当者に案内され、俺とネム、そして護衛の早瀬さんは会議室へと向かった。会議室のドアを開けると、広々としたテーブルの向こう側に、建設会社の担当者が三名ほど、そして一番奥の席には、彼らの上司らしき貫禄のある中年男性が座っていた。
建設会社の人たちは、その場に立ち上がって、挨拶をしてくる。
「本日はお忙しい中お越しいただき、誠にありがとうございます」
一番偉そうな人は、部長さんとのことだった。俺とネムもそれぞれ名乗り、軽く頭を下げて席についた。早瀬さんは、俺たちの背後に控えている。
テーブルの上には、分厚いファイルや資料がきれいに並べられている。担当者さんが資料の一部を手に取りながら話し始めた。
「おかげさまで、研究所の基本設計が無事に完了いたしました。本日は、その内容に基づいた概算見積もりをご提示させていただきます」
さて、いよいよ本題だ。オリガミを成長させるには、お金なんていくらあっても足りない。あまり高くありませんように。
※※※
「実は……コストが跳ね上がってしまいまして……」
担当者さんは、申し訳無さそうな顔をして、分厚い封筒に入った概算見積書を俺の前に差し出した。俺は受け取り、中身を確認する。
これは……想定していた金額の二倍以上だ。
「……以前お伺いしていた金額より、かなり高額ですね。具体的には、どの部分でこれほどまでにコストが増加したのでしょうか?」
ここで初めて会った建設会社の部長という人間が、ニコニコしながら口を挟んでくる。
「いやー、あれだけすごい設備がたくさんある研究所ですからね?最新鋭のセキュリティシステムや、特殊な実験室の設計、耐震補強など……やはりこれぐらいはかかりますよ?」
部長は、いかにも当然といった口ぶりで説明を続ける。しかし、俺は納得できなかった。事前に調べておいた、同規模・同等設備の研究所建設事例では、ここまでの金額にはなってはいなかった。
本当に、そんなにかかるのか?何かおかしくない?
俺が疑念を抱き始めたそのとき、骨伝導イヤホン越しにオリガミの涼やかな声が響いた。
『お兄様、この男、嘘をついています。発話の内容は一貫して平静を装っていますが、発言直後に眼窩周辺の皮膚温度が急激に上昇しました。また、心拍変動にも不自然な乱れが観測されました。これは、嘘をつく際に生じる生理的反応です。さらに、過去の発言パターンと比較しても、明らかに虚偽の傾向が強いです。嘘をつき慣れている人物と判断されます。』
俺は心の中で舌打ちする。こんな大事な場面で、堂々と嘘をつかれるとは。この会社に任せて大丈夫なのか?もし手抜き工事や不正があれば、オリガミの未来にも関わる重大な問題になる。
これだけは、絶対に見逃せない。
※※※
「なるほど……それは本当ですよね?」
俺は部長の目をじっと見つめながら問いかけた。部長は一瞬だけ視線を泳がせたが、すぐに作り笑いを浮かべて答える。
「はい、もちろんです。」
「一応、お聞きしますが、我々が東応大学の教授の紹介で話をさせてもらっているということもご存知ですよね?」
俺は念を押すように、少し声のトーンを落として尋ねる。部長は一瞬たじろぎ、額にうっすらと汗を浮かべながら答えた。
「も、もちろんです。」
おっと、もう動じちゃったか。嘘はつき慣れてるけど、度胸はない感じだな。ヘタレの嘘つきとか、救えないな。よく部長なんてポジションにつけたな。
「では、概算見積もりの明細書をお見せください。」
俺は淡々と要求する。部長は一瞬だけ口ごもったが、すぐに担当者に目配せをした。
「はい、こちらになります。」
担当者が机の上に分厚い明細書のファイルをそっと差し出してくる。ファイルを手に取ると、ずっしりとした重みが手に伝わる。自分で読むとしたらうんざりする量だ。理解しようとしたら一年以上かかるかもしれない。
そのとき、骨伝導イヤホン越しにオリガミの声が静かに響く。
『お兄様、この担当者の方は、罪悪感を感じていらっしゃいます。心拍リズムは恐怖反応とは異なり、持続的な不安定さを示しています。さらに、発話の間に謝罪語を混ぜようとする傾向が検出されました。おそらく、部長の指示で動いているだけで、ご本人に悪意はないようです。』
なるほど、担当者さんは板挟みの中間管理職か。自分の気持ちに反してでも、上司の指示に従うしかない立場なのだろう。中間管理職はつらいね。
※※※
概算見積もりの明細書の情報量は膨大だった。だが、俺にはオリガミがいる。彼女は、こうした大量の情報の分析が得意だ。
『お兄様、明細書を一枚ずつめくって、私に内容を見せてください。ページごとに要点を解析します。』
俺はオリガミの指示通り、明細書をパラパラとめくっていく。図面や表、専門用語が並ぶページが次々と現れるが、俺自身は「図があるな?表があるな?」くらいしか理解できない。
そんな俺の様子を見て、部長は半ば呆れたような、半笑いの表情で口を開いた。
「専門的な内容が多いですから、素人が見ても分かりづらいかも知れませんよ?」
素人だけど、素人扱いされると腹が立つ。今に見てろよ?
部長は、ただ俺がページめくってるだけだと思っているようだ。甘い。甘すぎる。実際はしっかりと理解しているのだ。俺じゃなくてオリガミがな!
「大丈夫ですよ。こういうのを読み解くのは得意なもので。」
俺は自信たっぷりに答え、まるで当たり前のように明細書を最後までめくり終えた。
そのタイミングで、オリガミが静かに問題点を教えてくれる。
『地盤改良工事について、必要以上の深さの工事が予定されています。この部分、水増し工事の可能性が高いです。明細書の記載と、一般的な基準値を比較した結果、明らかに過剰な施工内容となっています。』
なるほど……この情報をもとに、まるで自分が発見したかのように、堂々と指摘してやろう。
※※※
ふーっと大きく息を吐き、俺はゆっくりと部長の方へ顔を向けた。部長の目をじっと見据え、プレッシャーをかけるように問いかける。
「うーん……今、ざっと明細書を拝見したのですが、地盤改良工事の項目についてお伺いしたいことがあります。この工事、明細書に記載されている深さまで本当に必要なのでしょうか?一般的な基準と比べても、かなり深いように見受けられますが……」
まるで心臓を鷲掴みにされたかのように、二人とも動きを止め、信じられないようなものを見るような視線をこちらへと送ってくる。
部長はしばらく言葉が出てこない。やがて、かすれた声で、震えながら口を開いた。
「え……い、今の短時間で、そこまで読まれたのですか……?」
その瞬間、隣に座っていたネムが、口元を緩めてニヤリと笑い、俺の方にわざとらしく視線を送ってくる。まるで舞台の観客に向かって語りかけるように、おおげさに部長に向かって言った。
「ま、正太郎は大天才だからな。ワタシなんか到底及ばないくらいの天才だ。下手な対応はしないほうがいいと思うぞ? 特に、こういう場面ではな」
ネムめ。面白がってるな。
ネムの経歴は知ってるのだろう。その言葉に、部長の顔色はみるみるうちに青ざめていく。動揺を隠しきれず、しどろもどろになりながら、必死に言い訳を探すように口を開いた。
「す、すみません……もしかしたら、少し見積もりの部分で間違いがあったかも知れません。念のため、もう一度詳細を調べ直してみます……」
※※※
俺は椅子から背筋を伸ばし、部長の目を真っ直ぐに見据えた。そして、はっきりと告げる。
「年下だと思って、甘く見られましたか?残念です。申し訳ありませんが、部長さん、あなたは我々の研究所建設に関わるのをやめていただけますでしょうか?今回の件、あなたが意図的に水増しを図ったことは分かっています」
部長は一瞬、顔を引きつらせ、動揺を隠せない様子で口ごもる。
「し、しかし……それはちょっとした手違いで……」
俺はその言葉を遮るように、さらに畳み掛ける。
「この研究所の建設は、俺にとって人生をかけた研究のために絶対に必要なものです。だからこそ、信頼できない人間に関わってほしくない。あなたのように、平然と嘘をつく人間に、俺の大切なプロジェクトを任せるわけにはいきません」
部長の顔はみるみる青ざめ、すがるような口調で訴えかけてきた。
「ど、どうかお待ちください!このプロジェクトを成功させれば、私は取締役に昇進できるんです!どうしても、この案件だけは……!」
だが、俺はその懇願を冷たく切り捨てる。
「それが俺たちにとって、何の意味があるんですか?あなたの出世や都合なんて、俺たちの研究には一切関係ありません。」
さらに追い打ちをかけるように、俺は厳しく言い放った。
「あなたのやっていることは、教授の顔に泥を塗る行為です。この件は、御社の上層部にも事実を伝えさせていただきます。自分の出世や保身のために、プロジェクトや関係者を巻き込むのはやめてください。」
俺はさらに言葉を重ねた。
「これは温情です。今ならまだ、あなた自身が身を引くことで、会社や他の担当者への影響を最小限に抑えられます。教授に報告すれば、御社は今後、信頼を完全に失い、新規案件も紹介されなくなります。それが、どれほど大きな損害になるか、よく考えてください。下手すると、部長さんに損害賠償請求がいきますよ?」
教授は研究に熱を持っているタイプの人間だ。おそらくリベートなどを受け取っていることはないだろう。ないよね?
※※※
部長の顔はみるみるうちに血の気を失い、肩を大きく落とした。その目はどこか虚ろで、もはや反論する気力すら残っていないようだった。彼は深く息を吐き、机の上で握りしめていた手をそっと開くと、力なく呟いた。
「……わかりました。私が悪かったです。私はこのプロジェクトから手を引きます。今後は一切、関わりません。本当に、申し訳ありませんでした……」
その声には、これまでの強気な態度は微塵も残っていなかった。部長は椅子から立ち上がると、深々と頭を下げ、静かに会議室を後にした。その背中は、どこか小さく、哀れにすら見えた。
部長が去った後、会議室には重苦しい沈黙が流れていた。しかし、俺はすぐに気を取り直し、残った担当者たちに向き直る。
「あ、担当者さんたちは、これからもよろしくお願いしますね。今回の件で不安にさせてしまったかもしれませんが、皆さんのことは信頼しています。もし何か困ったことや悩みがあれば、遠慮なく俺に相談してください。できる限り力になりますので」
担当者たちは驚いたように顔を見合わせ、安堵の息を漏らす。
これで、現場で真面目に働いている人たちに責任が及ぶことはないだろう。むしろ、彼らが今後も安心して仕事に取り組めるよう、俺がしっかりとサポートしていくつもりだ。
※※※
真剣に頑張っている人たちが、正当に評価され、報われる社会になってほしい。ずる賢い人間が得をするのではなく、誠実な努力がきちんと認められる世界になってほしい。
それが父さんの願いでもあるし、それを受け継いだ俺の願いでもあるのだ。
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