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千穂とイヌガミ

千穂の大学受験が目前に迫っている。


高校はすでに休みに入っており、千穂は受験勉強をするために、毎日のように俺の家にやって来ていた。


本日は特に外出の予定もないので、護衛である早瀬さんは家にはいない。俺とネムは自室や研究室に引きこもってしまうことが多いので、家のリビングは静かで、勉強には最適な環境だ。


そんな中、玄関のインターホンが「ピンポーン」と鳴り響く。時計を見ると、千穂が来るいつもの時間だった。


※※※


「千穂、おはよう」


玄関のドアを開けると、千穂がリュックを背負って立っていた。彼女は寒さで頬を赤くしながらも、俺の顔を見るとぱっと明るい笑顔を浮かべる。


「しょうちゃん、おはよう!今日もここで勉強していい?」


「もちろん、いいよ。あと、今日は千穂に紹介したい家族がいるんだ」


俺がそう言うと、千穂はきょとんとした顔をする。


「家族?どういうこと?」


千穂は首をかしげて俺を見上げる。俺は少しだけ微笑んで、リビングの奥に向かって声をかけた。


「見ればわかるよ。イヌガミ、こっちへ来て」


その声に反応して、廊下の奥からカタカタと小さな足音が響いてくる。やがて、黒いボディの犬型ロボットが軽やかに姿を現した。


この犬型ロボットはイヌガミと名付けた。俺が「イヌガミ」と呼ぶときは、オリガミは一切言葉を発しない。あくまで犬型ロボットのイヌガミとして、犬らしい仕草や動きをする。


イヌガミは千穂の前までトコトコと歩いてきて、そこでぴたりと止まる。そして、前足を揃えて丁寧にお辞儀をした。


千穂は目を丸くして、その様子をじっと見つめていた。


※※※


千穂はイヌガミを見つめたまま、興奮した声を上げた。


「な、な、な、なに?なにこの子!可愛い!可愛い!」


千穂は思わずしゃがみ込み、イヌガミを覗き込む。イヌガミは千穂の視線に、胴体をかしげるような仕草をして、さらに愛嬌を振りまく。


俺は説明した。


「イヌガミだ。俺の家族だよ。まあ、まだ開発途中なんだけど」


千穂はイヌガミの体をそっと撫でながら、俺の方を振り返る。


「イヌガミちゃんっていうの?すごいね!しょうちゃんが作ったの?」


「父さんの研究を元に、ネムと一緒に作ったんだ。すごいだろ?父さんの研究がベースだから、俺にとっては妹みたいな存在なんだ。だから、千穂も可愛がってやって欲しい」


千穂はイヌガミの背中を優しく撫でながら、にっこりと笑う。


「うん、わかった!しょうちゃんの妹ちゃんなんだね!これから仲良くするね!」


※※※


千穂はお座りの姿勢でじっとしているイヌガミの体を、興味津々といった様子でペタペタと触っている。イヌガミは千穂の手が脇腹に触れると、まるで本物の犬のように、くすぐったそうに体を左右にくねらせた。触覚センサーはつけてないのに、うまいものだ。


千穂はイヌガミの動きに目を輝かせながら、何度も撫でたり、つついたりしている。イヌガミはそのたび反応して見せて、千穂の心を完全に掴んでいた。


「千穂、何かイヌガミに指示してみてなよ」


千穂は一瞬きょとんとした顔をして俺を見るが、すぐに思い出したようにイヌガミの前に手を差し出した。


「え?指示……あ、じゃあ……お、お手!」


少し恥ずかしそうに、千穂が声をかける。やっぱり犬には、まず「お手」と言いたくなるよな。わかる。


イヌガミは、ゆっくりと自分の前足を持ち上げて、そっと千穂の手の上に乗せた。


千穂は、そんなイヌガミを見て、一瞬フリーズする。だが、すぐに顔がぱあっと明るくなる。こみ上げる母性本能が爆発したのだろう。イヌガミに思いきり抱きついた。


「ふわわぁぁぁ!かわいい!かわいい!イヌガミちゃん、最高!」


イヌガミは千穂にぎゅっと抱きしめられても、抵抗することなく、力を抜いて千穂の腕の中に身を預けている。オリガミの制御によって、ロボットには難しいはずの絶妙な脱力感まで再現できている。さすがオリガミだ。


※※※


数分が経ち、千穂はようやくイヌガミを名残惜しそうに抱きしめる手を離した。頬はほんのり赤く、目はきらきらと輝いている。


「しょうちゃん、すごいね!ねえ、イヌガミちゃんは頭がないの?私が、フェルトとかで作っていい?」


どうやら、頭部がないことが気になってるようだ。


たしかに、この犬型ロボットは頭部がついていない。でも正直なところ、頭部はセンサーの邪魔になるし、機能的には必要ないのだ。


おまけに、千穂は大学受験直前だ。そんなことで時間を使っていて良い訳がない。もし、不合格になったりしたら、おじさん、おばさんに申し訳が立たない。


俺は少し真剣な声で千穂に言う。


「ダメだよ、千穂。今は大学受験の勉強に集中しないと」


千穂は眉をハの字にして、イヌガミを見つめる。


「えー、でも頭がないとなんか可哀想だよ……」


そこまで言うなら頭部をつけてみようかな。ちょっと試してみたいアイデアもあるし……


「大丈夫だよ。そんなに言うなら、今日中に頭をつけておくから」


俺がそう言うと、千穂の顔がぱっと明るくなった。


「本当?楽しみ!イヌガミちゃん、もっと可愛くなっちゃうね!」


やばい。千穂がイヌガミの事しか話さなくなってる。受験に落ちてしまう。紹介するタイミングを間違えたかも知れない。


※※※


「ほら、イヌガミ!千穂に勉強をしてもらうんだ。リビングの机へ誘導せよ!」


俺はイヌガミに向かって、少し大げさに指示を出した。イヌガミはその言葉に答えるように、カタカタと小さな足音を立ててリビングの方へ歩き出す。


たのむぞ、イヌガミ。千穂に今が受験直前であることを思い出させるんだ!


千穂は一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、すぐに千穂もイヌガミについていく。よっぽど気に入ったらしい。イヌガミがリビングの机の前まで来ると、前足で机の脚をちょんちょんと叩き、千穂の方を見上げる。


「イヌガミちゃん、もしかして……勉強しろってこと?」


イヌガミはさらに千穂リュックを前足でそっと指し示すような仕草を見せる。


「わかったよ……」


※※※


千穂は、イヌガミを名残惜しそうに何度も撫でたり振り返ったりしながらも、受験勉強を始めた。机に教科書やノートを広げる手つきも、なんだかゆっくりだ。


俺はその様子を見届けて、自室へと戻ることにした。


頭をつけてくると言って、イヌガミも部屋につれてきている。


ちゃんと集中できてるといいけど……イヌガミの紹介は帰宅時の方が良かったかも知れない。


※※※


俺は自室に連れてきたイヌガミをそばに座らせたまま、オリガミに声をかけた。


「さて、オリガミ。千穂にたくさん構われてたけど、どんな気分だった?」


オリガミは少し間を置いてから、控えめな声で答える。


『好意を向けてもらえるのは、決して悪い気分ではありませんでした。ただ……千穂さんが思いきり抱きついてきたり、撫でてくれたりすると、正直、動きが制限されてしまって、少し困りました。』


確かに、千穂はイヌガミに夢中で、何度もぎゅっと抱きしめたり、頭や背中を撫でたりしていた。そのたびにイヌガミは、ぎこちなく体をくねらせたり、脱力したように力を抜いたりしていたのだ。


「でも、脱力して千穂の腕の中でぐったりする動きとか、くすぐったそうに身をよじる仕草、すごく上手だったぞ?本物の犬みたいだった」


『ありがとうございます。アクロバティックな動きやジャンプよりも、ああいったリアクションの方が、ずっと難しかったです。千穂さんの手の動きや力加減をカメラで推定しながら、どの程度脱力すればいいのか、何度も微調整していました。』


「やっぱり、画像認識だけで『触られている』って判別するのは無理があるな。触覚センサーとか、圧力センサーも追加した方が良さそうだな」


俺がそう提案すると、オリガミは声を弾ませた。


『ぜひお願いします!センサーは多ければ多いほど、より自然な反応ができると思います!てんこ盛りでお願いします!』


オリガミの声は嬉しそうだ。そんなに、喜ぶんならつけられるだけのセンサーを付けてやろう。


※※※


「それでさ、イヌガミに頭がない件なんだけど……」


俺はオリガミへ話しかけた。


オリガミは一瞬考えるような間を置いてから、静かに答えた。


『私としては、頭部がなくても全く問題ありません。つけるとしても、毛が抜け落ちるような、駆動部にホコリが溜まりやすくなる素材のものは……』


ホコリや毛は、確かに関節部に影響を与えそうだ。千穂が言ってたフェルトとかは駄目だろう。


「わかってるって。だからさ、スマホスタンドでもつけておいて、顔が必要なときだけスマホをつけようと思ってる」


オリガミはその提案に、ぱっと声色を明るくした。


『お兄様、それは素晴らしいアイデアです!スマホなら表情も自由に表示できますし、メッセージも見せられます。』


オリガミの反応に、俺も安心して頷く。


「だろ?じゃあ、作業に取りかかろう。スマホスタンドを用意して、顔が必要なときだけスマホをセットする感じで」


※※※


俺はさっそく、オリガミに犬型ロボットの頭部にカチッと装着できるようなスマホホルダーを設計してもらった。


このデータを3Dプリンタに転送し、プリントを開始する。しばらくして、出来上がったホルダーを手に取ると、表面も滑らかで、寸法もぴったりだった。俺は以前使っていたスマホを用意し、そのホルダーにセットしてみる。カチッと心地よい音がして、しっかりと固定された。


「よし、これを犬型ロボットの頭部に取り付けて……」俺は慎重にホルダーごとスマホをロボットの頭部に装着した。見た目も悪くない。むしろ、近未来的で可愛らしい印象すらある。


「どうだ?センサーとかと干渉してないか?」俺は念のためオリガミに確認する。


オリガミはすぐに各種センサーのデータをチェックしたようで、明るい声で答えた。


『いいですね!センサーにも一切干渉していませんし、重心の変化もごくわずかです。全く問題ありません。』


オリガミは続けて、言った。


『では、イヌガミ頭部アプリを作成します……完了しました。お兄様、スマホにインストールお願いします。』


「了解。このリンクでいいんだな?」


俺はオリガミから送られてきたインストール用のリンクをスマホでタップする。画面にインストール完了の表示が出る。


「よし、インストールできたぞ!」


『インストールを確認しました。それでは、イヌガミ頭部アプリを起動します……』


スマホの画面がパッと切り替わり、犬型ロボットの頭部に設置されたスマホに、にっこりとした笑顔の絵文字が大きく表示された。


おお、いいじゃないか!


※※※


『では、お兄様。私は使命を果たしてきますね。』


「え?使命?なにそれ?」


『千穂さんに笑顔になってもらうために、大学受験に合格してもらうという使命です!』


「そ、そうか……あんまり厳しくしないでやってくれよ?『よいこ保育園』の時みたいなのはナシな?前庭砲とか絶対ダメだからな?」


『当たり前です!お兄様、私を何だと思ってるんですか。とにかく私に任せて下さい。』


そう言って、イヌガミはカタカタと足音を立てて、意気揚々と出ていった。


不安だ……後で様子を見に行こう……


※※※


二時間後、俺は予定していた建設会社とのリモート会議をなんとか終えた。こだわりを貫くネムと困り果てる担当者の間で、今日も潤滑油の役割を果たせたと思う。ふーっと息を吐く。


さて……千穂とイヌガミはどうなっているだろう?ドキドキしながらリビングをそっと覗き込んだ。


そこで見たのは、脇目も振らず勉強に集中する千穂の姿だった。明らかに、いつもより集中している気がする。イヌガミはその近くにお座りをしている。いったい何があったんだ?


気になるが、千穂の邪魔はできない。


俺は音を立てないようにリビングを離れ、自室に戻った。


※※※


自室に戻るや否や、俺はすぐにオリガミへ問いかけた。


「なあ、オリガミ。何をしたんだ?」


『千穂さんのことですか?』


「ああ、変なこと……してないよな?」


『もちろんしていません。簡単ですよ。千穂さんの一番大切なもの……お兄様を使わせてもらいました。この動画を作成し、千穂さんに見せました。便利ですね、この頭部スマホ。』


※※※


オリガミが見せてくれたのは、俺とネムの会話の動画だった。


『最近、うちのリビングで千穂が勉強してるよね?』


『ああ、私もよく見るよ。頑張ってるみたいだな』


『俺さ、真剣に集中して勉強してる千穂って、すごく素敵だと思うんだよね』


『うん、千穂ちゃんの頑張ってる姿を見ると元気出るよな』


『そうなんだよ。俺も頑張らなきゃって気持ちになるんだ。ああ、必死に勉強してる千穂の顔、可愛い!たまらん!女子大生になった千穂も早く見てみたい!』


※※※


俺は動画を見て、呆然とした。


「な、なんだこの動画は……」


オリガミはしれっとした声で答えた。


『いろいろな手法を試しましたが、この動画を見せたのが一番効果的でした。千穂さん、目の色を変えて勉強を始めました。今も集中して勉強していますよ。本当にお兄様のことが好きなんですね。』


※※※


確かに、集中している千穂は可愛いと思う。早く女子大生になった千穂も見てみたい。


……でも、こんな会話をした覚えはない。ディープフェイクだ。


やりやがったな、オリガミ。相変わらず手段を選ばない……


でも……これで千穂が受験に合格できるならば、それでいいとも思った。こんな動画なら、いくらでも作ってくれとも思う。オリガミは俺が嫌がることはできないし、しない。


結局のところ、俺ならこのやり方を許可するとオリガミが判断したんだろう。実際にその判断は正しい。


なら、俺がオリガミに言えることは一つだけだ。


「よくやった、オリガミ!さすがだ!」

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