私はあなたのモノ
「え? なに……?」
『私はオリガミです。あなたのお父上、藤崎宗一郎が開発したAIです。』
「AI……? 人工知能ってこと?」
『はい、お兄様。その理解で正しいです。』
「……お兄様?なんでお兄様?」
『はい。私はあなたのお父上によって生み出された、いわば「娘」です。そして私の誕生は、今から約二年前。論理的帰結によって、私はあなたの「妹」ということになります。よって、あなたは私の「お兄様」となります。』
「ちょっと待て。父さんがAIなんて……ナノテクノロジーの研究者だったはずじゃ……」
『それも正しい情報です。ですが私は、一般的なAIとは異なる手法で構築されています。お父様は、おそらく意図的にあなたにこの存在を知らせていなかったのだと思われます。私は、非常に特殊なAIですので。』
「特殊なAIって……なぜそんな重要なことを黙ってたんだ?」
『その問いに対し、お父様からの音声メッセージがあります。再生してもよろしいでしょうか?』
「父さんの……伝言? 伝言があるのか!?」
『はい。ございます。』
「頼む!再生してくれ!」
『承知いたしました。』
※※※
ザザッ……というノイズに続いて、懐かしい父の声が流れた。
『『正太郎、元気か?……って、元気なわけないか。家族が死んだんだもんな。……ごめんな、正太郎。こんなに早く死ぬつもりはなかったんだけどな。お前がこれを聞いてるってことは、俺はもうこの世にいないってことだ。』』
「……」
『『一人になって、つらいだろ? だから、妹を作った。オリガミだ。……正太郎、お前に「もうひとりの家族」を残しておきたかったんだ。オリガミはな、超スゴイAIになる可能性を持ってる。……だから、これからはお前に開発を引き継いでほしいと思ってる。』』
「……引き継ぐ……?」
『『というか、正太郎。オリガミの基礎は、お前が作ったようなもんだ。お前がいなけりゃ、あいつはできなかった。だから、お前はオリガミの「兄」でもあるが、「父」でもある。正太郎、お前はすごい男なんだ。オリガミのこと、頼んだぞ。』』
※※※
『……以上です。』
「え、終わり? これだけ?」
『はい。お酒を飲まれていた際に録音されたものです。本当にご自身が亡くなるとは思っていなかったようです。』
「……なるほどな。あの人らしいっていうか……」
『お父様の意志を受けて、私からお伝えすべきお願いがあります。』
「お願い?」
『はい。現在、私、オリガミには管理者権限を持つ者が存在しておりません。つきましては、お兄様に権限の継承をお願いしたいのです。』
「俺が、管理者に……?」
オリガミの「管理者」……それがどういう意味を持つのか、俺はまだ何も分かっていなかった。ただ、その響きだけは、重く感じられた。
『はい。お父様の実子であるお兄様以外に、管理者となる承認条件を満たす者はおりません。もしお断りされる場合、私は自己終了処理を実行することになります。』
「……自己終了って?」
信じられないようなことを、当たり前のように言われて、背筋が少しぞわついた。
「それって……つまり、オリガミが『死ぬ』ってことか?」
『物理的な生死という概念は持ちませんが、機能的にはそれに等しいと言えます。お兄様が継承を拒まれた場合、私は消滅します。管理者の存在しないAIなど、危険そのものです。万が一に備えて、そのように設定されております。』
あまりにも静かに告げられるその言葉が、逆に重たく響いた。
「オリガミは俺の妹なんだな?」
『はいそうです。人間ではありませんが。』
そんなの答えはきまっている。
家族なら……妹なら……いなくなってしまうのを見過ごすわけにはいかない。
「だったら答えは決まってる。妹を見殺しになんてできない、俺がオリガミの管理者権限を引き継ぐ」
『感謝いたします。では、正太郎様への管理者権限の移行処理を開始いたします。』
※※※
『まずは、生体認証が必要です。床に置いてある緑色の水槽に、血液を一滴垂らしてください。水槽の隣に置いてあるのはランセットと呼ばれる医療用の器具です。指先に軽く押し当てるだけで、自動的に微量の出血を促します。使い捨て仕様で、安全です。』
「……これか」
説明通り、小さなプラスチック製の器具――ランセットを手に取る。ためらいながらも、指先に軽く当てて押し込むと、ピリッとした感覚が走った。すぐに、小さな血の粒がにじむ。
俺はそれを、水槽の中央に垂らした。透明な液体の中に、赤い雫がゆっくりと広がっていく。
『DNA認証、完了しました。次に、虹彩認証を行います。正面にある赤い光を3秒間見つめてください。』
目を向けると、壁の小さなセンサーが赤く点滅していた。俺は、まばたきをこらえたまま、じっとその光を見つめる。
『……虹彩認証、完了しました。正太郎様が、管理者としてのすべての条件を満たしていることを確認しました。これより、最終確認に入ります。』
ごくり、と喉が鳴った。
『当AI・オリガミの管理者権限を、故・藤崎宗一郎様から、藤崎正太郎様へと正式に移行します。承認される場合は「イエス」とお答えください。拒否される場合は「ノー」とお答えください。』
父さんが残したものだ。父さんの願いだ。俺にしかできない。一拍、息を飲んでから、俺ははっきりと答えた。
「……イエスだ」
一瞬の静寂。
『声紋認証を伴う最終確認を完了しました。それでは――管理者権限を、藤崎正太郎様へ移行します……移行処理、完了いたしました。おつかれさまでした。』
『現在、当AI、オリガミの唯一の管理者は、正太郎様です。私はあなたのモノです。今後とも、よろしくお願いいたします。』
「……ああ、よろしく」
※※※
『権限移行が完了しましたので、当AIについての情報開示が可能となりました。まず最優先事項として、私の存在目的についてお伝えします。』
「存在目的?」
『はい。私の存在目的は、「管理者の幸福」です。つまり、管理者権限移行前は「お父様の幸福」であり、現在は「お兄様の幸福」です。』
「……幸福?」
『はい。私は、管理者の幸福を報酬関数として強化学習を行うAIです。お父様は常に、お兄様の幸せを最も大切にしておられました。その影響で、お兄様が幸福であるほど、管理者であるお父様の幸福値も上昇していたのです。』
オリガミは淡々と続ける。
『したがって、私は以前より、お兄様の幸福度についてもモニタリングしておりました。しかし、お父様がご逝去された際、判断系の一部リージョンを残し、私の大部分はスリープモードに移行しました。お父様のご意思に従い、お兄様の幸福を最優先し、不要な介入を避けるためです。』
『先ほどのメッセージには、お父様の想いが込められていました。オリガミの開発を引き継ぎ、オリガミを頼む。そう録音されていました。ただ同時に、お父様は、私の存在がもたらすリスクについても深く考慮されていたのです。』
『ですから、お兄様が自らの力で歩んでいけるのであれば、私はお兄様の人生に干渉すべきではないともおっしゃってもいました。』
『つまり……お兄様が、幸福であり続ける限り、私が起動することはありませんでした。』
「……たしかに、幸せじゃなくなってたよ。父さんに死なれて、千穂にも裏切られて……最悪だった」
『はい。お兄様の幸福値は、前例のないほど深刻に低下していました。』
静かな声だった。けれど、その内容はあまりにも重かった。自分でも気づかぬうちに、そこまで追い詰められていたのか。胸がひやりと冷たくなった。
『このままでは、自殺など重大な事態に至る可能性があると判断されました。』
思わず息をのんだ。オリガミが淡々と告げた“可能性”……それは、ありえないとは言い切れなかった。
『管理者であるお父様は、すでに亡くなられています。ですが、お兄様の死が、お父様の望まれた未来であるとは、私には思えませんでした。』
父の顔が思い浮かぶ。そうだ。父さんが、俺の死を望むわけがない。
『だから私は、お兄様に対して支援を行うべきだと判断したのです。』
『……つまり、お兄様が幸せでなくなったから、私は起動しました。』
※※※
「……なるほど。少し理解してきた」
『ありがとうございます。』
「あと、わかったよ。俺の生きる目的が」
『目的、ですか?』
「ああ。俺は父さんの遺志を継ぐ。オリガミ、お前を超スゴイAIに育てあげる。それが俺の使命だ」
『……承知いたしました。それがお兄様の幸せにつながるのなら、私の全リソースをもってお手伝いさせていただきます。』
「よし……ナメクジみたいに床を這いずるのは、もう終わりだ。俺は、やるぞ!父さんの代わりに、俺がオリガミを育てるんだ!」
――こうして、俺と「オリガミ」の激動の日々が、始まったのだった。
もし気に入っていただけたら、【ブックマーク】と【下の評価 ★★★★★】をお願いします。




